第15話「全員と、好代の答え」
三十日目の朝、好代は渋谷の路地に立った。
いつもの場所だ。壁の落書きが見える。電柱がある。遠くにマクドナルドの看板が見える。
においを嗅いだ。渋谷のにおい。ガソリンと人と、何かを揚げるにおい。
棚を全部開けた。五十六の知識が来た。この街のにおいと、五十六の世界線のにおいが混ざった。
一ヶ月前、ここで渾沌ちゃんに話しかけられた。「バーガーが好きそうな顔してる」と言われた。
あの時から、全部が始まった。
好代は路地の奥に向かった。
第一章 「リビング・オブ・カオス」
◆ 呼ばれていた
ぱんでむに入ったら、渾沌ちゃんが入口で待っていた。
「すきよちゃん! 今日、みんな集まってるよ!」
「……みんな?」
「全員! リビング・オブ・カオスに来て!」
渾沌ちゃんが先に走っていった。好代はついていった。
リビング・オブ・カオスの扉を開けた。
◆ 全員集合
全員がいた。
ソファに、床に、壁際に、テーブルに——ぱんでむのクルー全員が、思い思いの場所にいた。
摩天ちゃんが壁にもたれて腕を組んでいる。世達ちゃんがソファの端でうとうとしていて、安寧ちゃんがその隣でもっとうとうとしている。涅槃ちゃんが黒い本を持って立っている。空無ちゃんがその近くで膝を抱えて床に座っている。
瑠志ちゃんがドアの近くに立って部屋全体を観察している。流焔ちゃんがその隣で「全員来た!」と言っている。瑠倫ちゃんはなぜか窓の外の空中に浮いていて、窓越しにこちらを見ている。
万寿ちゃんと悲醒ちゃんが並んで立っている。二諦ちゃんの包み紙が宙に浮いている。憂起ちゃんが床に座って「ここここここ」と小声で言っている。輪廻ちゃんがガラスの水筒みたいなものを抱えて来ている。黄昏ちゃんがポケットに手を入れて立っている。幽玄ちゃんが部屋の隅でうつむいている。夢幻ちゃんが煙の中から顔を出している。
彷徨ちゃんが地図を広げたまま来ている。至誠ちゃんが背筋をまっすぐにして立っている。憧憬ちゃんが静かに壁際にいる。幸夢ちゃんが「全員集合!!!」とすでに叫んでいる。世頼ちゃんがスピーカーを肩に担いでいる。真意ちゃんがメモを取っている。冥理ちゃんがわずかに角度のおかしい立ち方をしている。
妄執ちゃんがこちらに気づいてにこっと笑った。郷愁ちゃんがお盆を持ってカウンターの方にいる。懺悔ちゃんがチョコレートの入ったトレーを持って立っている。無常ちゃんが今日の制服を確認するように自分の袖を見ている。
秩序ちゃんが入口近くに立っていた。理性ちゃんがその隣で羽織の前を直している。
グリマスが上座に座っている。バーディが部屋の隅に立ってすでに全体を確認している。ハンバーグラーがにこにこしていて、さっきどこかで何かが崩れた音がした。
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好代は入口で止まった。
全員が、好代を見た。
においがした。全員のにおいが混ざっている——全部違うのに、全部ここにある。五十六の世界線のにおいと、全員のにおいが、リビング・オブ・カオスの空気に混ざった。
「……なんで全員いるんですか」と好代は渾沌ちゃんに小声で聞いた。
「三十日目だから!」と渾沌ちゃんが当然のように言った。「ぱんでむに来て三十日目の子のことは、みんなで祝う、っていう慣習があって」
「……そういう慣習があるんですか」
「今作った!」
秩序ちゃんが「姉さんが今決めました」と横から補足した。
それでもみんないる。全員が、ここにいる。
第二章 「渾沌ちゃんの問い」
◆ 一つの質問
渾沌ちゃんが好代の前に来た。いつもの「あそびば!」の渾沌ちゃんではなく、少しだけ違う顔をしていた。真剣、というより——ちゃんと聞く顔だ。
「すきよちゃん。一個だけ聞かせて」
「……はい」
リビング・オブ・カオスが、少し静かになった。全員が聞いている。
「ぱんでむに来て三十日。これからどうする?」
好代は少しの間、黙っていた。
これからどうする。
好代は棚を全部開けた。五十六の知識が全部来た。植物対話、戦闘、賞味期限のデッドライン、郷愁、記録、観測、外の世界線の感触、長命、確率、変容、欲望と後悔——全部が同時にある。
うるさい。全部がうるさい。でも全部が本当だ。
好代は口を開いた。
第三章 「好代の答え」
◆ 答え
「……まだ食べていないバーガーがあります」と好代は言った。
全員が聞いている。
「五十六種類の知識があります。でも、ぱんでむにはまだあります。世界線の数だけバーガーがある。全部食べたい」
間があった。
「……No.1クルーになりたい、という気持ちは正直、最初よりぼんやりしてきました。No.1が何なのかよくわからなくなってきたので。でも——」
好代は全員を見回した。
「みんなのことを知りたいです。まだ全部は知らない。話せていないことがたくさんある。郷愁さんのバーガーを食べた後のことをもっと聞きたい。瑠志さんと一緒にもっと訓練したい。憂起さんの床の「ここ」を、もっと近くで見たい」
流焔ちゃんが「私も!」と言った。瑠志ちゃんが「うるさい」と言った。流焔ちゃんが「でも嬉しい!」と言った。
「……ぱんでむが好きです」と好代は言った。「このにおいが好きです。みんなのにおいが混ざっているこの空気が好きです。来るたびに、何かが温かくなります。それが何かはまだわかりきっていないけど——それがあるから、来ます」
渾沌ちゃんが笑った。いつもの「あそびば!」の笑い方ではなく、もっと穏やかな笑い方だった。
「それが答えだね」
「……No.1への道のりは、どのくらいありますか」
「わからない!」と渾沌ちゃんが言った。「でも、それでいいんじゃないかな。わからない方が、前が広いでしょ」
好代は笑った。自分でも少し驚いた。
「前が広い」——自分が言った言葉を、渾沌ちゃんが返してきた。
◆ 全員から一言
その後、なぜかみんなが一言ずつ言い始めた。
秩序ちゃんが「記録は続けます」と言った。
理性ちゃんが「疑問があればいつでも来てよいぞ」と言った。
摩天ちゃんが「まだまだ強くなれる」と言った。
世達ちゃんが「お疲れさまです毎日」と言った。
瑠志ちゃんが「次の外の仕事も一緒に行きます」と言った。
流焔ちゃんが「次も一緒に行こう!!!」と言った。
瑠倫ちゃんが窓の外から「今日はいい空気」と言った。
郷愁ちゃんが「またお茶を入れます」と言った。
安寧ちゃんが「……おやすみ……よかったよ……zzz……」と言った。
妄執ちゃんが「これからは許可を取って観察します! 取っていいですか!?」と言った。
好代は「また考えます」と言った。
妄執ちゃんが「考える!!!」と喜んだ。
涅槃ちゃんが「機が来たら、バーガーを用意しています」と言った。
空無ちゃんが「……いつでも」と言った。
黄昏ちゃんが「また拾ったおもちゃを見せます」と言った。
幽玄ちゃんが部屋の隅からそっと頷いた。
夢幻ちゃんが「今日は煙少なめにしといたよ」と言った。
万寿ちゃんが「焦らなくていい知識、いつでも」と言った。
輪廻ちゃんが水筒の中から「また話しましょう」と言った。
二諦ちゃんの包み紙がくるくると回った。
憂起ちゃんが「ここ、ここ、ここ」と言った。
悲醒ちゃんが「経過は引き続き観察します」と言った。
彷徨ちゃんが「地図、更新します」と言った。
至誠ちゃんが「確認カード、ちゃんと使ってね」と言った。
憧憬ちゃんが「あなたの信仰エネルギー、まだ高いです」と言った。
幸夢ちゃんが「絶対建物はなくさない! たぶん!」と言った。
世頼ちゃんが「あなたの音が聞こえます」と言った。
真意ちゃんが「記録に残しました」と言った。
冥理ちゃんが少しずれた角度で「また変な空間があったら教えます」と言った。
懺悔ちゃんが「チョコ、またいつでも来て」と言った。
無常ちゃんが「明日の部屋、まだ決めていません」と言った。
グリマスが「引き続き観察します」と言った。
バーディが「そろそろ出かけなきゃ」と言った。
ハンバーグラーちゃんが「また適切に乱れを入れます!」と言った。
グリマスが「程度の問題があります」と言った。
全員が言い終わった。
好代は全員を見た。
全員が、ここにいる。
ぱんでむの空気が温かかった。千姿だ。全員がここにいることで、千姿が温まっている。
エピローグ 「渋谷と、ぱんでむと」
夕方、好代はぱんでむから渋谷に出た。
路地の出口に立った。街のにおいがした。ガソリンと人と、揚げるにおい。
好代は棚を一つ開けた。においの知識。渋谷のにおいをもう一度嗅いだ。
一ヶ月前と同じにおいだ。でも受け取り方が変わった。このにおいの中に、どこかの世界線の感触が混ざっているかもしれない。この街も、どこかの世界線と繋がっているかもしれない。
マクドナルドの前を通った。
においがした。ハンバーガーのにおい。バンズのにおい。ソースのにおい。焼けた肉のにおい。
十七年間、このにおいを嗅いで、中に入れなかった。食べられなかった。でも毎日来た。
好代は立ち止まった。においを嗅いだ。棚を少し開けた。五十六の知識がかすかに来た。
おいしい、と思った。食べる前に。においだけで。
好代は歩き始めた。
明日もぱんでむに来る。まだ食べていないバーガーがある。まだ知らない世界線の欠片がある。まだ話していないことがたくさんある。
前が広い。
それだけで、十分だった。
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◇ クルー視点モノローグ —— 渾沌 ── 三十日目の夜
「これからどうする?」って聞いた。
すきよちゃんが「まだ食べていないバーガーがあります」って言った。
それが聞けてよかった。
私がスカウトする子は、たくさんいた。みんな最初はドキドキしてて、でも途中で色々なことがあって、少しずつ変わっていく。
すきよちゃんは——変わったけど、変わっていない。「バーガーが好き」だけは、最初の日から一度も変わっていない。
それがすごい。当たり前のようで、すごい。
「前が広い」って言った時の顔が、渋谷で初めて会った時の顔に少し似ていた。マクドナルドの前でにおいを嗅いでいた、あの顔に。
ぱんでむに連れてきてよかった。
明日もまた来る。絶対来る。
──────────────────◇ クルー視点モノローグ —— 秩序 ── 三十日目の記録
好代さんが「みんなのことを知りたいです」と言った。
記録担当として、その言葉を記録した。
私の記録は「全部が残る」ためにある。好代さんが言ったこと。みんなが言ったこと。三十日目のぱんでむの温度。
全部が残る。
それが確かなことだから——好代さんがいつかぱんでむに来なくなっても、三十日目のこれは残る。
でも——来なくなる気がしない。
それも記録に残しておく。
全15話、読んでいただきありがとうございました。
好代がぱんでむに来て三十日間、出会ったクルーは三十四名(運営本部・クルー全員・Level1.5・千姿)。食べたバーガーの数は五十六種類以上。届けた世界線は一つ。もらった確認カードは一枚。
「全部食べたい」という答えを持ったまま、好代の物語はまだ続きます。
ぱんでむのバーガーは、まだたくさんあるから。




