第12話「無常ちゃんと懺悔ちゃんと、変わること」
ぱんでむに来て二十五日が経った。
好代の知識は今、五十六種類になっている。棚は相変わらず全部少し開けたまま動くが、だいぶ慣れてきた。うるさいが邪魔ではない。雑踏の中に慣れる感覚に近い。
今日は特に予定がなかった。摩天ちゃんに「今日は自由時間」と言われた。
自由時間——ぱんでむに来てから、あまりなかった。好代はとりあえず廊下を歩いた。どこかで誰かに会う気がした。
その予感は当たった。
第一章 「無常ちゃんの部屋」
◆ 毎日変わる部屋
廊下を歩いていると、開いている扉があった。
中から、かすかに「値札が触れる音」みたいなものが聞こえた。においがした——新品の家具のにおい。組み立てたばかりの木材と、接着剤のにおい。
好代は扉の前で止まった。中をそっと見た。
── (空白) ──
部屋の中は、モデルルームだった。
家具が整然と並んでいる。テーブル、椅子、棚、照明——全部が新品で、ぴかぴかしている。全部に値札がついている。価格が書いてある。まだ誰かのものになっていない家具たちが、整列している。
部屋の真ん中に、女の子がいた。値札をひとつひとつ、ゆっくりめくって確認している。
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「……こんにちは」と好代は言った。
その子が振り向いた。目が涼しげで、感情が読みにくい。髪は緑がかった橙色。制服を着ているが、どこか「今日着た」感がある——きっちりしているのに、なじんでいない。
「無常です」とその子が言った。「来ると思っていました。全員の部屋を見て回っているでしょう、あなたは」
「……だいたい、そうなってます」
「そういう人だと思っていました」
無常ちゃんが値札を一枚はがした。そっと、傷めないように。はがした値札をポケットに入れた。
「……部屋が毎日変わる、と聞きました」
「そうです。昨日は北欧風でした。一昨日は和モダン。今日はシンプルモダン。明日は——まだ決めていません」
「……値札はいつもついていますか」
「ついています。これはまだ誰のものでもない、ということの確認です」
好代は部屋を見回した。全部が整っている。でも全部が「まだ選ばれていない」状態だ。
「……無常さんの担当バーガーは」
無常ちゃんが少し間を置いた。
「「変わること」の知識です。何もかもが変わる世界線——一日で気候が変わり、一時間で地形が変わり、人々が変化に慣れきっている世界線の感触。食べると、「変わること」が怖くなくなります」
「変わることが怖い人に食べさせるんですか」
「そういう依頼が来ることがあります。でも——」と無常ちゃんが少し止まった。「変わることを怖くなくなりすぎると、今の場所にいられなくなることもある。加減が難しい」
好代はその言い方を聞いた。
「……無常さんは、部屋を変えること自体が好きですか」
無常ちゃんが、少し意外そうな顔をした。
「……好きかどうか、考えたことがなかったです。変えることが自然なので」
「変えない日があってもいいと思いますか」
「……一度試してみようとしたことはあります。でも昨日と同じ部屋にいると、少し——息がつまる感じがしました。変わっていないことが、変なように感じた」
それは逆に、変わることが止められない感触なのかもしれない、と好代は思った。
「……値札は、変わらないですよね。毎日」
無常ちゃんが手を止めた。
「……そうです。値札だけは、いつもあります」
「それが変わらないものかもしれません」
無常ちゃんが少し考えた。それから、ゆっくり頷いた。
第二章 「食堂と懺悔ちゃん」
◆ 食堂
廊下を進むと、甘いにおいがしてきた。
キャンディのにおい。クッキーのにおい。フルーツキャンディのにおい。バタークリームのにおい。全部が甘い。甘すぎて、少しくらくらする。
においがする方向に扉があった。「食堂」と書いてある——でも「食堂」の文字が、お菓子の絵で飾られている。
扉を開けた。
── 食堂 ──
壁がお菓子でできていた。
正確には、壁の装飾がすべてお菓子の形をしている。棚の縁がクッキーのレリーフで、照明がキャンディの形で、床がチョコレート色のタイルで——全体的に甘い世界だ。
奥に懺悔室みたいな木の仕切りがある。それだけが甘さと合わない、少し重い雰囲気を持っている。
テーブルに、女の子が一人座っていた。エプロンをつけていて、手元でお菓子を作っている。チョコレートを型に流し込んでいる。顔が穏やかで、でも目だけが少し鋭い。
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「いらっしゃい」とその子が言った。顔を上げた。「懺悔です。好代ちゃんが来るのを待っていました」
「……また「待っていた」パターンですね」
「二諦ちゃんに聞いていたから」と懺悔ちゃんが笑った。「傾きで、今日来そうだって」
好代は食堂の中を見回した。甘くて、でも懺悔室の存在が気になる。
「……懺悔室は何ですか」
「あそこから罪人の啜り泣きが聞こえることがある」と懺悔ちゃんが当然のように言った。「私の担当バーガーに関係した世界線の音が、漏れてくることがあるので」
「担当バーガーは」
「「欲望と後悔」の知識——欲しがって、手に入れて、後悔するサイクルの感触。食べると自分が何を本当に欲しがっているか、少しわかる。でも欲しいものがわかると、持っていないことも同時にわかるので、必ずしも楽にはなりません」
好代はその説明を聞いた。
「……難しい知識ですね」
「そう。でも必要な人には必要です。欲しいものがわからないまま進んでいる人に届けることが多い」
懺悔ちゃんがチョコレートを型から取り出した。小さなハート型のチョコレート。好代の前に置いた。
「食べる? これはただのチョコ。担当バーガーじゃないから」
好代は手に取った。においを嗅いだ——ただのチョコレートのにおいだ。食べた。甘かった。
「……おいしいです」
「よかった」と懺悔ちゃんが言った。「何の知識も入らない、ただ甘いだけのもの——それもあっていいと思うので」
◆ 安寧ちゃんも来る
食堂で懺悔ちゃんと話していると、扉が開いた。
安寧ちゃんだった。大きなクッションを抱えていて、目が半分閉じている。食堂に入ってきて、ソファに体を預けた。
「……おやすみ……」と安寧ちゃんが言った。
「こんにちは」と好代は言った。
「こんにちは……zzz……」
懺悔ちゃんが安寧ちゃんの前にお茶を置いた。安寧ちゃんがうっすら目を開けてお茶を飲んだ。また目を閉じた。
「安寧ちゃんはここでよく寝てるんですか」と好代は聞いた。
「そう。「ひなたぼっこ」は眠りが深すぎるから、誰かがいる場所で浅く眠る方が好きみたい。この子がいると、少し場が和らぐんだよね」
安寧ちゃんが眠ったまま、少し微笑んだ気がした。
好代は安寧ちゃんを見た。最初に会った時から、いつも眠そうで、でもいつもどこかにいる。コタツで、ソファで、廊下のベンチで、食堂で。
安寧ちゃんは、「いること」が仕事なのかもしれない、と好代は思った。
◆ 懺悔ちゃんの話
安寧ちゃんが眠ったそばで、懺悔ちゃんが好代に言った。
「好代ちゃんが何を欲しがっているか、少しわかる」
「……わかりますか」
「私の担当の知識で、なんとなく。——言ってもいい?」
好代は少し考えた。欲しいものが鏡に映るみたいに言われるのは、怖い気もする。でも——聞いてみたい気もした。
「……お願いします」
「全部食べたい、だと思う」と懺悔ちゃんが言った。「バーガーを。まだ知らない世界線の全部を、知識として受け取りたい。それが一番強い」
好代はしばらく黙っていた。
そうだ、と思った。
チートスキルとか、No.1クルーになるとか、そういうことより先に——まだ食べていないバーガーがある、という事実が、ずっと気になっている。
「……当たっています」
「欲しがり方が素直だから、わかりやすい」と懺悔ちゃんが言った。「後悔のないタイプ。欲しいものを欲しいと思えてる」
「後悔がないわけではないですが」
「でも欲しいものに向かって進んでる。バーガーを食べても、「変容」しないから——欲しがり続けられる。それがあなたのすごいところかもしれない」
好代はチョコレートを思い出した。何の知識も入らない、ただ甘いだけのもの。
それもおいしかった。
全部が知識でなくていい。全部が何かでなくていい。甘くておいしい、それだけのものも、全部の一部だ。
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◇ クルー視点モノローグ —— 無常 ── 夜の独り言
好代ちゃんが「値札だけは変わらないですよね」と言った。
その言い方に少し止まった。
私は毎日部屋を変える。変えることに理由はない。変えないと落ち着かない。それだけだ。
でも値札だけは毎日ある。部屋が変わっても、値札はある。
「まだ誰のものでもない」という確認のためだ、とずっと思っていた。でも——それが「変わらないもの」でもあった、というのは、今日初めて気づいた。
変わることが自然すぎて、変わらないものを数えたことがなかった。
明日は部屋を変えるかもしれない。でも値札は、また貼る。今日以降も。それが——少し、いい気がした。
──────────────────◇ クルー視点モノローグ —— 懺悔 ── 懺悔室の記録
今日、好代ちゃんに「全部食べたい」と伝えた。
私の知識は、欲しがっているものを見る。たくさんの人に食べてもらって、たくさんの欲望を見てきた。
複雑な欲望が多い。「あれが欲しいけど、手に入れたらこうなるのが怖い」とか「本当は違うものが欲しいのに、そっちを欲しがることが怖い」とか。
好代ちゃんの欲しがり方は、まっすぐだ。「全部食べたい」——それだけ。その背後に後悔がない。恐れがない。ただ食べたい。
それが羨ましいかどうかは、私にはわからない。でも——見ていて、気持ちがいい。
懺悔室から今日は音がしなかった。珍しい。
──────────────────◇ クルー視点モノローグ —— 安寧 ── (夢の中から)
zzz……
……好代ちゃんのにおいが、五十六個の世界線のにおいがして。
懺悔ちゃんのチョコレートのにおいがして。
そこにいるだけで、なんか……あったかかった。
ぱんでむに来る前、私はどこにいたんだろう。覚えていない。でも今はここにいる。
それだけでいい。眠いけど、いる。いるから眠い。
……zzz……
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エピローグ 「変わったもの、変わらないもの」
夜、好代は自分の部屋のベッドに横になった。
ぱんでむに来て二十五日。
変わったことを数えた。
知識が五十六種類になった。棚を整理しないで動けるようになった。においを少し操れるようになった。外の世界線に行った。確認カードを持った。
会ったクルーは、今日で——数えると、もう三十人近い。全員が違くて、全員が何かを持っていた。
変わっていないことも数えた。
バーガーが好きだ。食べられないのに好きで、食べられるようになっても好きだ。その感触は、十七年前から変わっていない。
ぱんでむに来る前、渋谷のマクドナルド前で毎日立っていた。においを嗅いで、入れなくて、でも毎日来ていた。それが今は、ぱんでむの中で毎日食べている。
形は変わった。でも「食べたい」は変わっていない。
無常ちゃんが言っていた——変わることが怖くなくなりすぎると、今の場所にいられなくなることもある。
好代には今の場所がある。バーガーが好き、という場所が、ぱんでむに来ても変わっていない。
だから、どれだけ知識が増えても——帰れる。
目を閉じた。




