第10話「調理場の人たち」
好代はぱんでむに来て二十日が経った。
毎日バーガーを食べている。食べるたびに知識が増える。今は五十一種類の知識を持っている。
でも好代はまだ、バーガーがどこで作られているか知らなかった。
「どこで作ってるんですか」と渾沌ちゃんに聞いたら、「調理場!下の方にあるよ!」と言われた。「調理担当のクルーたちが作ってるの」
二十日目の午前、好代は初めて調理場に向かった。
第一章「調理場への道」
◆下層へ
バックヤードからさらに下に降りる階段がある。好代はそれを初めて使った。
においが変わっていった。
最初はいつものバックヤードのにおい。一段降りるごとに、別のにおいが混ざってくる。スパイスのにおい。何かを煮込むにおい。焼けた金属のにおい。花のにおい。そして——かすかに、土のにおい。
音も変わった。包丁の音。火の音。低い声で何かを話している音。大きな機械が動いているような振動。
好代は棚を全部少し開けた。うるさくなった。でも、全部本当だ。
階段を降りきると、広い空間があった。
──調理場──
天井が高い。ぱんでむの一階フロアより広い。
調理台がいくつも並んでいる。鍋が大小様々に煮えている。棚に材料が並んでいる——でも材料が、少し違う。光の粒みたいなものが入った瓶。包み紙に入った何か。透明な液体が入った容器。においが全部違う。
奥の方は暗くて、よく見えない。でも人の気配がいくつかある。
好代は入口で止まった。棚を開けた。五十一の知識が全部来た——それでも、ここのにおいの全部はわからなかった。
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「来た来た!」と声がした。
振り返ると、調理台の横から顔を出している子がいた。エプロンをつけている。髪が白くて短い。目が大きくて、にこにこしている。
「万寿だよ!ようこそ調理場へ!来ると思ってた!」
「……どうして来ると思っていたんですか」
「なんとなく!そういう感じがしたから!」
万寿ちゃんがエプロンの前を拭きながらやってきた。
第二章「調理場のクルーたち」
◆万寿ちゃんと二諦ちゃん
「万寿さんは調理担当なんですか」
「そう!担当バーガーは「長命の知識」——長く生きた世界線の時間の感触が入るの。食べると焦らなくなる。全部がちゃんとある、って感じになる」
においがした。ほのかに甘くて、防腐剤とは違う——でもどこか保存食みたいな、長持ちするものの感触。
「……なんでここ、防腐剤みたいなにおいがするんですか」
「え!嗅ぎ分けたの!?」と万寿ちゃんが目を丸くした。「私の部屋のにおいだよ。「霊安室」——地下のお花と防腐剤の空間。少し漏れてることあるんだよね」
好代は少し驚いた。「霊安室」というのが万寿ちゃんの部屋なのか。でも万寿ちゃんの顔は明るい。
万寿ちゃんが「こっちこっち!」と手招きした。調理台の奥に連れていかれた。
小さなテーブルに、女の子が一人座っていた。水晶玉みたいなものを持って、のぞき込んでいる。包み紙がいくつも宙に浮いている——風もないのに、くるくると回っていた。
「……二諦です」とその子が言った。顔を上げた。目が少し遠くを見ている。「あなたが来ることは、昨日の包み紙に書いてありました」
「包み紙に、ですか」
「バーガーの包み紙は、時々予言になります。私の担当は「確率の知識」——どうなりそうか、を感じる。はっきりした未来じゃなく、傾き、です」
好代は宙に浮く包み紙を見た。近づいてにおいを嗅いだ。紙のにおいと——かすかにインクのにおい。記録されているものの感触。
「……今、私の傾きはどうですか」
「……面白い方向に進んでます」と二諦ちゃんが言った。「具体的には言えませんが。包み紙が嬉しそうに回っているので」
包み紙が少し速く回った気がした。
◆悲醒ちゃんと憂起ちゃん
万寿ちゃんに連れられて調理場の別の区画に行くと、また別の子たちがいた。
一人目は、壁一面にお札が貼られた小さな区画で、黙々と何かを調合していた。白い作業着を着て、髪をきっちり結んでいる。動きが無駄なく正確だ。
「悲醒です」とその子が言った。手を止めずに。「予防と修復の担当。クルーが調子を崩した時に対処します。あなたの特性については秩序から聞いています。何かあれば来てください」
悲醒ちゃんの言い方が、秩序ちゃんに似ていた——事務的で、でも拒絶ではない。
「……ここのお札は」
「境界の固定です。この区画に余計なものが入らないように。あなたは今、五十一の知識を持っているので、ここで全部開けると少し干渉が起きるかもしれません。棚を一つか二つに絞って入るといいです」
好代は棚を音とにおいだけに絞った。悲醒ちゃんが少し頷いた。「そうです」という顔だった。
もう一人は——調理台の下に座っていた。
正確には、調理台の下にチョークで何か書いていた。床にびっしりと、記号みたいな文字みたいなものが書かれている。その中心に、膝を抱えた女の子がいた。髪が肩くらいで、ぼんやりした目をしている。
「……こんにちは」と好代は言った。
その子がゆっくり顔を上げた。
「ここ、です」とその子が言った。
「……憂起、ですか」と万寿ちゃんが横から教えてくれた。
「憂起さん、こんにちは」
「……ここにいます」と憂起ちゃんがまた言った。「私は常に「ここ」を確認しています。ここが存在することを。私の担当バーガーは「存在の確認」の知識——今ここにあることだけを感じる」
「……今ここにいることが、わからなくなるんですか」
「……たまに。でもバーガーを食べると、ちゃんとここに戻れます」
好代はチョークの記号を見た。「ここ」と書いてあるものが、何十個もある。全部違う文字体で、全部「ここ」だ。
それが——憂起ちゃんの地図なんだと思った。
◆輪廻ちゃんと夢幻ちゃん
一番奥の区画に行くと、ガラス張りの大きなタンクがあった。中に、うっすら光る液体が満たされている。タンクの中に——人影がある。
好代は目を細めた。タンクの中で、女の子が浮いていた。眠っているような顔で、目を閉じている。
「あれが輪廻ちゃん」と万寿ちゃんが言った。「起きてる時もあるけど、基本はあそこで休んでる」
「タンクの中で」
「そう。あそこが輪廻ちゃんの「実験室」——作業しながら休む形が一番合ってるらしくて。起きるとすごく元気なんだよ」
タンクの壁に小さな表示パネルがあった。「稼働中」と書いてある。
輪廻ちゃんがタンクの中で、ゆっくり目を開けた。
好代を見た。
タンク越しに、表情は読めない。でも——少し笑ったように見えた。
マイクみたいなものが壁に付いていて、そこから声が来た。
「……輪廻です」と、くぐもった声が言った。「再生の知識を担当しています。一度終わってまた始まる、その境界の感触。——あなたのこと、楽しみにしていました」
「楽しみにしていた、というのは」
「……バーガーの知識を五十一個持ち歩ける人は、これまでいなかった。どんな感触か、いつか教えてもらえると嬉しい」
好代は「はい」と言った。輪廻ちゃんがまたゆっくり目を閉じた。
「最後にこっち!」と万寿ちゃんが引っ張った。
調理場の端に、煙が出ている場所があった。水タバコみたいな煙が、白く漂っている。そこに、大きな鏡が立てかけてあった。鏡の前に、女の子が座っている。目が半開きで、煙の中でぼんやりしている。
好代は棚を開けた——すぐに閉じた。においが強すぎた。甘い、でも重い、眠りを誘うにおい。
「夢幻です」とその子が言った。声が遅い。「夢の知識を担当しています。眠っている間に見るもの——あれは、他の世界線の記憶が混線していることがある。私はその交通整理を」
「……今、少し強いにおいがしますが」
「作業中だから。近づきすぎると眠くなるかも。好代ちゃんは近づかない方がいい」
夢幻ちゃんが鏡を一度見た。鏡の中に——何か映っていた気がした。好代が見ようとすると、夢幻ちゃんがさっと布をかけた。
「見ない方がいいやつ」と夢幻ちゃんが言った。「今日は特に」
好代は素直に目をそらした。
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◇クルー視点モノローグ——万寿──調理場の記録
好代ちゃんが来た。予告なしで、ふらっと来た。
においを嗅いで、一個一個確認しながら歩いていた。五十一の知識を全部少し開けた状態で入ってきたのが、空気でわかった。よく五十一個も混在させて歩けるな、と思った。
私の担当は「長命の知識」——長く生きた世界線の時間の感触。焦らなくなる知識。
好代ちゃんはまだ二十日目で、でもすごく多くのものを受け取っている。急ぎすぎているわけじゃないが、たくさん詰め込んでいる。
いつか私の「長命バーガー」を食べてほしい。焦らなくていい、全部ここにある、という感触を知ってほしい。まだ早いかもしれないけど、いつか。
──────────────────◇クルー視点モノローグ——悲醒──観察メモ
好代さんが調理場に入ってきた。棚を全部開けて、すぐに音とにおいに絞り直した。自分で判断して、自分で調整した。
それが適切だったと伝えたら、頷いた。
私の仕事は予防と修復だ。事前に問題が起きないようにすることと、起きた後に戻す方法を考えること。
好代さんの五十一の知識が今後どう増えていくか、干渉が起きる可能性がどこにあるか——経過を見ていく必要がある。
でも今日のところは、問題なかった。それだけで今日は十分だ。
──────────────────◇クルー視点モノローグ——憂起──(床から)
新しい子が来た。
床のチョークを見てた。「ここ」ってたくさん書いてあるやつ。
「憂起ちゃんの地図」みたいな顔をしてた。
そう。地図。私がここにいることを確認するための地図。
その子のにおいが、五十一の世界線の混ざったにおいだった。たくさんのところから来て、でもちゃんとここにいる。
ちゃんとここにいる、ってことが——私には、すごくすごく大事なことなので。
その子がここにいてくれると、少し——ここが確かになる気がした。
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エピローグ「作るということ」
調理場から戻って、好代はリビング・オブ・カオスのソファに座った。
今日会ったクルーを頭の中で並べた。万寿ちゃん、二諦ちゃん、悲醒ちゃん、憂起ちゃん、輪廻ちゃん、夢幻ちゃん。
全員が、バーガーを「作る」側にいる。
好代は「食べる」側で、でも食べる前に必ず誰かが作っている。調理場で、それぞれのやり方で、それぞれの知識を使って。
長命の感触で時間をかけて。確率の傾きを読みながら。存在を確認しながら床に座って。タンクの中で眠りながら作業して。夢を整理しながら。
全部が変で、でも全部が本物だ。
好代は棚をひとつ開けた。今日新たに食べた知識はまだない。でも——今日調理場で感じたことは、知識じゃなくても頭に残った。
バーガーは誰かが作っている。世界線の全部を丁寧に受け取って、圧縮して、形にしている。
好代が食べるたびに、その全部が入ってくる。
それがわかった二十日目だった。




