幸せになった灰被り
家族から愛されなかった女の子が、聖女に選ばれて王子様の婚約者になって誰からも愛されて幸せになるお話。
ルーシャはこの国の聖女である。
らしい、というのは、ルーシャ自身にはあんまりそのことに実感が湧かないからだ。突然お屋敷の中に知らない人たちが入り込んできて、父と母を捕らえたと思ったら、ルーシャは知らない男女の前に引き出されていた。
これからは、眼の前の知らない人たちが両親になるらしい。
その知らない人たちは、グッドウィン公爵夫妻というそうだ。グッドウィン夫妻はルーシャを見て涙ぐんで、震える腕でルーシャを抱きしめてくれた。
記憶にある限りルーシャが誰かに抱きしめられるのは初めてだったので、ルーシャはとても驚いた。
ルーシャは、元はレヴァイン男爵という男の娘だった。
レヴァイン男爵と夫人がどうして結婚したのか、ルーシャは知らなかった。ルーシャの実母は元男爵令嬢だったそうだけれど、何かしらの政治的な思惑があったのか、それとも単に好き合って結婚したのか、あるいは特に理由はないけれど都合が良いから結婚したのか、ルーシャは知らなかった。ルーシャが物心ついたときには、すでに夫妻はまともな生活を送っていなかったからだ。
男爵はとにかく粗暴な男だった。特に理由はなく、何の主義もなく、ただ粗暴だった。
ルーシャがほんの小さな頃に、ただお昼過ぎにソファで寝転がっていただけで怠惰だと言われて腹を何度も繰り返し蹴られた。ルーシャがうっかりグラスを倒して水を零したときには、出来損ないだと罵ってルーシャの髪を掴んで引きずり回してルーシャを池に放り込んだ。
ルーシャが好きな絵本を買って欲しいと強請ったら、椅子を振り回してルーシャの頭を殴ったのでルーシャは何日も病院で入院することになった。そうしていたら途中で男爵が病院に乗り込んできて、お金の無駄だと喚き散らして必死で止める医師たちを振り払ってルーシャを無理やりに退院させて、無駄なお金を使わせたことを謝れと言われて入院着のまま何時間もお屋敷の前で土下座させられたこともある。階段からうっかり足を踏み外して転がり落ちたことに大泣きしていたら、大激怒した男爵から背中に熱湯を浴びせられたこともあって、病院にすら行かせて貰えなくて何日も痛みに魘されることになった。
そんな人生だったけれど、ルーシャは別段自分を不幸だとは思っていなかったし、周りを恨むこともなかった。ルーシャにとってはそれが当たり前だったので、何もかもこういうものだと思っていたからだ。
お金の無駄だからと淑女教育の教師はつけて貰えなかったので、近場の誰でも通える学校に通っていた。別に不便はなかった。男爵令嬢であるルーシャは本来であれば淑女教育を受ける必要があるということを、自分で知らなかったからだ。
学校ではそれなりに友だちもできた。けれど、他の友だちはお互いの家に行き来して遊んでいるらしいのに、ルーシャは一度も遊びに誘われたことがなかった。何度か家に誘ったこともあるけれど、同じ学校に通っているのは平民ばかりだったからか、貴族の家になど行けないと断られた。
学校で不便はなかった。けれどルーシャは、どうしても、自分の服の袖が気になった。
汚れで真っ黒になっているルーシャの服の袖とは違って、どの家の子も綺麗な袖の服を着ていたからだ。靴も端っこがすり切れていなくてピカピカしていた。
どうして友だちの服の袖は自分と違って綺麗なのかがどうしても理解できなくて、けれど何だか自分の服の袖が汚れているのが気になって、ルーシャは自分の服の袖を隠すように握り込むのが癖になった。友だちはみんな親切で、意地悪をされたことなんて一つもなかったけれど、どうしてだか服の袖を友だちに見られるのが嫌だったからだ。
男爵の粗暴さは年々酷くなって、今では使用人もみんな逃げ出してしまった。けれど男爵も夫人も家事をするという発想がないようで、外食をするか出来合いのものばかり買って食べていた。
男爵の暴力は相手を選ばなかったので、ルーシャにそうするように夫人にも暴力を振るっていた。
ルーシャは痛いのが嫌いだったけれど、夫人はどう考えていたのか判らなかった。逃げだそうともせず、働きに出ようともせず、かといって社交をするでもなく、ただ夫人は家にいた。家にいて、起きて、殴られて、お茶をして、ご飯を食べて、殴られて、殴られて、ぼうっとして、またご飯を食べて、殴られて、寝る。ずっとそんな生活を続けていた。
そのうちにルーシャは自分が男爵と同じ空間にいさえしなければ殴られる回数が減ることに気づいたので、お腹が空いたら保管庫から勝手に食べ物を持ち出して、部屋で食べるのが日常になった。
特に不便も感じていなかったし、不幸だとも思っていなかった。学校に通えていたし、友だちもいたし、食べるものもあったからだ。
そうしてしばらくはそれなりに平穏な生活が続いていたのに、状況が変わったのはルーシャが学校を卒業してからだった。父である男爵が突然、ルーシャに男に嫁げと告げたのだった。
ルーシャは何を言われたのか判らず、きょとんとした。
結婚する、という言葉の意味を考えてみた。それはきっと、母である夫人のようになるということだ。
仕事もせず、家事もせず、社交もせず、何もせず、ただ生きている。役割といえば男爵に暴力を振るわれることくらいで、母はその暴力の対価に生かされているようなものだった。
ルーシャもそうだった。暴力の対価に生きていた。暴力を受けるというのはルーシャにとってお金を稼ぐために働くのと同じようなもので、暴力を受けていたから、ルーシャは学校に通えていたし、ご飯を食べられていた。
ルーシャは学校を卒業したら働くつもりだった。今までは殴られることがお仕事だったので、別のお仕事をしようと思ったのだった。この家を出て、自分で働いて、稼げるようになれば、殴られなくてもご飯を食べられるはずだった。
だというのに男爵は、ルーシャに結婚しろという。
それはつまり、ルーシャも夫人と同じように、暴力を振るわれることを対価に生きていけということだ。ルーシャは自分を不幸だとは思っていなかったし、夫人に思うところもなかったけれど、それは嫌だなと思った。
なので、反抗した。そうしたら、どうしてだか男爵は大激怒した。
何発も顔面を殴られたし、お腹を蹴られた。抵抗しようとしたけれど、ルーシャが何度打っても男爵は痛くないみたいだった。狂ったような形相で男爵は何度も何度もルーシャを打ち据えて、ついには長剣を持ちだした。
ルーシャはそれを見て、少し考えて、もう死んでしまおう、と思った。誰かと結婚して、夫人と同じように暴力を受けて生きていくくらいだったら、さっさと殺されてしまったほうが何倍もマシだった。
なので、ルーシャは振り下ろされる長剣をただ阿呆のように、何の抵抗もせずに見ていた。それ以前に、ルーシャはもうあちこちが痛かったし悲しくもないのにどうしてだか泣きそうだったので、そもそも動く気力すらなかったのだ。
知らない人たちがお屋敷に踏み込んできたのは、そのときだった。
踏み込んできたひとたちの先頭には、なんだかとっても素敵な、きらきらしたひとがいた。そのきらきらしたひとは、ルーシャをちらりと眺めると、男爵と夫人に向かって叫んだのだった。
「聖女への虐待行為で捕縛する!」
聖女って何だろうと思ってから、思い出した。ルーシャは学校に通っていたので、平民程度の一般教養は持っている。
この国には、代々守護竜の選ぶ聖女がいる。聖女はたった一人で国を丸ごと守れるほど強い魔力を持っていて、その力でお国を守るお役目を持っている。
聖女に選ばれた女の子はお国からそれはそれは大切にされるから、みんな幸せになれるのだそうだ。
そんな、学校で習った知識といまの状況が結びつかずに、ルーシャはぼうっと、男爵が大暴れしながら捕縛される姿と、夫人が何の反応もないまま捕縛される姿を眺めていた。そうしていると、あのきらきらしたひとがルーシャの前に跪いているのに気づいた。
「ご無事か? 助け出すのが遅くなってすまない、聖女様」
そう言って、きらきらしたひとはルーシャに笑いかけた。そうやってルーシャに親身に笑いかけてくれるひとと、ルーシャは生まれて初めて出会った。
そのあとはルーシャの後見人としてグッドウィン公爵夫妻と引き合わされ、ルーシャはグッドウィン公爵令嬢になった。国で最も尊ぶべき女性として、あのきらきらしたひとと婚約することになった。
そうしてルーシャは、聖女であり、第三王子トバイアスの婚約者になったのだった。
***
ルーシャは、生まれて初めて『痛い思いをしなくてもご飯を食べられる』という状況に置かれることになった。公爵夫妻はとても優しく、ルーシャを甘やかしてくれた。何よりも、第三王子トバイアスがルーシャを大切にしてくれた。
ルーシャは美味しいものも甘いものもいっぱい食べられたし、きらきらとしたドレスをたくさん贈られることになった。
初めてつけられた淑女教育の家庭教師は厳しかったけれど、要領の悪いルーシャを根気よく指導してくれた。
平民の学校では魔法なんて基礎しか習わなかったけれど、ルーシャは改めて貴族向けの魔法教育を一から学び直すことになった。聖女であるルーシャは魔法の上達が早く、教師たちに褒めて貰えるのでルーシャはあっという間に魔法に夢中になった。
そうしてルーシャが聖女であり貴族令嬢としての生活に慣れたころ、婚約者であるトバイアスに呼び出されることになった。
「お会いできて嬉しいです、殿下」
「わたしも嬉しいよ、ルーシャ」
トバイアスを前にしたルーシャはすっかり浮かれて、みっちりと受けたはずの淑女教育が抜け落ちそうなほどだった。そんなルーシャにトバイアスはにこにこと微笑んだあと、不意に深刻な表情を作った。
「ルーシャ、君を危険な場所には向かわせたくないのだけれど……」
そう話し出したトバイアスに寄れば、北方国の蛮族によって北部の平和が脅かされているという事情だった。もはや対話でどうにかなる段階ではなく、制圧によって国の平和を守るしかないらしい。
心苦しげな顔をするトバイアスに、ルーシャは胸を張って頷いた。
「お任せくださいませ、殿下。必ずやお国のお役に立って見せますわ」
そう言えばトバイアスが、ほっとしながらも申し訳なさげな表情をする。それが何だか大切にされているようで、ルーシャの心は浮き立つのだった。
それからルーシャの生活の比重は、少しずつ戦争へと傾いていった。
国で最も魔法が得意な存在である聖女は、付与魔法も、攻撃魔法も、防衛魔法も、治癒魔法も、全てに秀でている。ルーシャはあっさりと、たった一人で数千数万の軍勢を打ち負かした。
「辺境の村が敵国の間諜に乗っ取られている」
そう言われれば、いとも容易く村一つを滅ぼした。どうしてそんな村に女性や子どもがいるのだろうと疑問に思ったが、そういう姿の間諜もいるのだろうと自分で納得した。
「貴重な鉱山が占領された」
そう言われれば、鉱山まで赴いてならず者たちを一掃した。ならず者たちは大層悲壮な顔をしていたが、そもそも悪いことをするほうが悪いのだと思った。
「川向かいの国が軍備を整えているらしい」
そう言われれば、川を越えて国を丸ごと制圧した。こんなにのどかで小さな国が軍備を整えているなどと驚いたけれど、きっと擬態が上手いのだろうと思った。
そうしているうちに、どんどんと第三王子トバイアスとの交流は減っていく。ルーシャは寂しくて仕方がなかったけれど、心が弱りそうになったときにはトバイアスが王都に呼び戻してくれて、ささやかながら二人の時間を作ってくれた。
「ありがとう、ルーシャ。あなたのお陰で、この国の民は戦火に怯えず平和に過ごせている。あなたこそが歴代で最も偉大な聖女と呼ばれるだろう」
トバイアスの物言いは少しばかり大袈裟で面はゆかったけれど、ただトバイアスが褒めてくれる、そのことがルーシャには嬉しかった。
ルーシャは幸せだった。男爵家にいた頃よりもずっとずっと。
だというのにときどき、ルーシャは酷い悪夢を見て、悲鳴を上げて飛び起きる。どんな悪夢だったのかは起きたときにはもう覚えていないけれど、全身が震えて、冷や汗で寒くて、そんな夜をルーシャは必死にトバイアスとのささやかな交流の時間を思い出して乗り越えるのだった。
トバイアスも公爵家の養父母も優しかった。だというのにルーシャは、どうしてだかたまに、何もかもが恐ろしくて堪らなくなることがあった。
そんなときにはいつでも、ルーシャは自分に言い聞かせた。
「大丈夫、大丈夫よ。わたしは愛されているもの。良い子だもの。良い子のわたしは、殿下からも、お父様やお母様からも、愛される……」
きっと男爵家にいた頃の自分は、良い子ではなかったのだ。
良い子ではなかったから、生きるためには殴られる必要があった。良い子ではなかったから、生きるためにはそれなりの対価が必要だったのだ。
けれどいまのルーシャは、誰からも愛される良い子だった。
良い子だから殴られなくても生きていけているし、良い子だからみんなから愛されるし褒められる。だから良い子であり続けるために、ルーシャはトバイアスや周りからの期待に応えなければならなかった。
そうして今日も、ルーシャはとある村一つを潰すために赴いていた。その村の人びとは、とても貴重な魔法植物を違法に独占しようとする悪いひとたちなのだという。
村はのどかで、平和だった。人びとは穏やかで、ふらりと訪れたルーシャに親切にしてくれる。
こんな良い人たちが悪いことをしているだなんて信じられない、という考えを、ルーシャは振り払った。悪い人ほど、良い人のふりが得意なのだとトバイアスが言っていたのを思い出したからだ。
犬と遊んでいた子どもたちを、羊の世話をしていた女性を、水路に溜まった落ち葉を掃除していた老人を、ルーシャは殺していった。
なんだか頬が冷たい気がして、指で触ってみればルーシャは自分が泣いていることに気づいた。
どうしてだろう、と不思議に思う。何も悲しくなんかない。男爵家から救い出されて以来、ルーシャを傷つけるものなど何もないはずだった。
一通り殺して回ったあとに、ルーシャはとある民家に入った。そのクローゼットを開ければ、中では幼い姉弟が震えていた。
この子たちも悪い人だ。殺そう。
そう思って、ルーシャは手を伸ばした。姉がルーシャを睨んだ。どうしてそんな顔をするのか、ルーシャには判らなかった。
子どもが口を開く。
「この、化け物……人殺し! 人殺しぃ!」
「――」
きょとり、とルーシャは首を傾げた。悪い人はあなたたちであって、自分は良いことをしているのになんて面の皮が厚い子どもだろう、と思った。
けれど、姉弟を殺そうとした手はどうしても動かなかった。
ルーシャが不幸だった瞬間なんて、生まれてから一度もなかった。
ルーシャはずっと幸せだった。ずっと、ずっと。聖女になってからは、もっとずっと幸せだった。
ルーシャはただ誰かから愛されたかったし、幸せになりたかった。
にこっ、と姉弟に向けてルーシャは笑った。公爵家で学んだ淑女の笑みとは違う、子どもみたいな笑みだった。
そうしてルーシャは二人をそのままにふらりと民家から出て、空を見上げて、自分の頭に手のひらを向けて自分の魔法で自分の頭を吹き飛ばしたのだった。
これは本当に信じて頂きたいのですが伽藍さんは苦労した素直で健気で努力家で可愛い女の子がイケメンのスパダリに愛されるような典型的なシンデレラストーリーが大好きです。本当だよ嘘じゃないよ。本当だよ
なのに自分で思いつくのはこの手のお話ばっかりなのだもんなぁ……。自分に絶望するのですわ
あと虐待を受けていたのに素直で健気で努力家で可愛い女の子って、どうしても愛着障害を疑ってしまうよね。だから、『愛着障害ではなくて本当にこの子は良い子なんですよ』というのを表現するのって、もの凄く難しいと思ってる
ああいうのって若いころよりむしろ子どもが出来たあととか自分がちょっと落ち着いた二十代後半になってからのほうがしんどかったりするので、ぜひともイケメンのスパダリ様にはそこんとこ一途に支えてあげて欲しいなと思います。わたしは創作物なんてのは夢と希望を詰め込んでナンボと思ってるタイプの人間なので(なお本人の作品)
【追記20251208】
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/799770/blogkey/3546146/
【追記20251220】
『これバッドエンドだよね』みたいなコメントがちらほらくるのでメモ書き
わたしはこれバッドエンドのつもりでは書いてなくて、どうしてかってヒロインにとっては間違いなくハッピーエンドだからです
だって『死ぬこと』って、人間に用意された一番普遍的で間違いがなくて公平で誰にでも求めることができる救いじゃないですか。そりゃー創作の世界だったら死ねない呪いとか体質とか存在するかも知れませんが、一般的なお話でね
世の中には、生きていても意味がない、幸せになる道が本当に全く一つも欠片たりとも用意されていない、死ぬ以外には何一つ救いがない生きていないほうが良い生きていてはいけない生きていることが間違いな人間ってのが存在するわけじゃないですか。それで『あ、もう死ぬしかないんだ』って気づいて自死できるなら救いがあるけど、自死もできずに無様に生き恥晒してる人間が山ほどいるわけです
そんな中でヒロインは自死を選んだ、自死こそがヒロインに用意された最良の選択肢、人生の最高到達点、つまり幸せです。彼女は自分の手で幸せを掴みとることができたのです。ヒロインは自分で死ぬことを選べる程度には賢かったし運が良かった
と、いうイメージで書いてました。なので単純に『バッドエンド』と言われても『そう…かぁー???』と思って納得できないのだよな。まぁ世の中には色んなとらえ方があることは理解しているのですが、いまいち『うーん』ってなるよね
という、お話でした!自分の感性に合う作品をお読みくださいませー!
やべ、これだと知り合いに自死したひとがいるって相手には失礼だったかなと思ってもう一回追記しにきた
別に自死を推奨はしてないし自死したときに悲しんでくれる誰かがいるならそのひとはもっと別の方法で幸せになれると思う。本当に救いのない人間には悲しんでくれる誰かもいないよ
わたしの考える『死ぬ以外にない』のはもっと、こう、何もかも、全部、全部、ぜーんぶ終わってるひとのことを言っています。ので、この文章を読んでいるあなたのことでもあなたのお友だちのことでもない。というのは言っておこう




