台湾人留学生が思いを寄せた町中華のカレー
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
九月半ばに始まった大学の後期日程も、早くも二ヶ月目。
十一月ともなると、大学のキャンパスや神戸の町を吹き抜ける風にも冬の気配が感じられるのよね。
留学先の日本で出来たボーイフレンドと初めて一緒に祝った十月十四日の誕生日や秋の大学祭も今はスマホの画像フォルダに残る思い出の一コマだし、かと言ってクリスマスや元日のある年末年始にはまだまだ日があるし。
オマケに中華民国の台南市という温暖な土地で生まれ育った私こと馬秋桜には、この秋風は殊更に肌寒さを感じさせるけど、それと同時に人恋しさをも喚起させるのよ。
「ねえ、菊池君?今日の放課後に一緒に食事でもいかがかしら?」
だからついつい、こうやってボーイフレンドを誘っちゃうのよね。
「悪くない話だね、馬さん。五時限目の英会話が終わる頃には六時過ぎだし、時間的にも丁度良いよ。」
「ありがとう、菊池君!そう言ってくれるって期待してたわ。」
菊池君の快諾に応えた声は、自分でも驚く程に弾んでいたの。
どうやら私は思っていた以上に、日本の晩秋に人恋しさを感じていたようね。
晩秋の風は相も変わらず肌寒いけど、教室を出てから今に至るまで菊池君と喋り通しだから全く苦にはならなかったの。
「何しろもう晩秋だし、六時を回るとすっかり暗くて寒くなっちゃうでしょ。そんな秋の夜に下宿のマンションで一人で食べていたら、心まで肌寒くて侘びしくなっちゃうじゃない。」
「それは確かに…やっぱり日本の秋冬は、馬さんには堪えるみたいだね。」
やっぱり留学生活で持つべきは、優しくて紳士的なボーイフレンドよね。
こういう何気ない気遣いだって、自然にしてくれるのだから。
「だったら、身体の内側から温まる物の方が良いのかも。それに馬さんは日本文化に造詣の深い哈日族だから、日本らしい料理が良いかな?」
「私の事なら何でもお見通しなのね、菊池君。ちょうど私も、いかにも日本らしくて温かい物を食べたいと考えていたの。ちょうど、こういうお店みたいな。」
そうして立ち止まった私の視線の先に目をやると、菊池君は怪訝そうに首を傾げてしまったの。
まあ、それも無理はないかも知れないけど。
「えっ、『鄭々飯店』って…?馬さん、ここって町中華だよ。」
「だから良いのよ、菊池君。それに菊池君も、ここでよくお昼を食べているでしょ?」
言うが早いか、私は雷紋のあしらわれた暖簾をかき分けていたの。
テレビから聞こえてくるプロ野球の実況解説と、鶏ガラスープとラー油の入り混じった食欲を否応なしに刺激する芳香。
それらの洗礼を受けてカウンターにかけた私を待っていたのは、菊池君の耳打ちだったの。
「良いのかい、馬さん?さっきはあんな事言ってたじゃない?ここのメニューにはオムライスやカレーがご飯ものとして並んでいるし、夏には冷やし中華も出るんだよ。」
それが彼なりの心遣いである事も、行間に含まれた真意も分かっていた。
要するに「そもそも日本料理じゃないし、本格的な中華料理でもない。」って事ね。
「それが良いのよ、菊池君。いかにも日本らしくて温かい物。私の求めていた全てが、ここにあるわ。」
「えっ…?」
唖然とした菊池君の顔。
その反応を見たかったのよ。
「日本の食文化や日本人の味覚に合わせてアレンジされ、末永く日本人に愛されている。そんな日式中華は私に言わせれば、これ以上ない程に日本らしい料理だと思うわ。」
「成る程!確かに日本人は『洋食を始めとする様々な料理を自国流に器用にアレンジしている』って言われているね。冷やし中華や天津飯も、ナポリタンやカツカレーみたいな日本独自のメニューらしいし。」
どうやら菊池君も分かってくれたみたいね。
「その観点で行くならば、この中華風カレーはこれ以上ない程に日本らしいメニューと言えるわね。インド発祥でありながら日本の国民食として定着したカレーが、更に町中華ならではのアレンジが施されているのだから。正しく日本のグローバリズムが育んだ味ね。」
そうした流れで中華風カレーを注文した私達は、出来上がるまでの時間を大将が豪快に調理を進めている姿をカウンター越しに眺めながら過ごしたの。
人参とタマネギが包丁でリズミカルに切られ、それらの野菜類と豚バラ肉が高出力の炎で熱せられた中華鍋で炒められていく。
その一部始終を見ていると、この中華風カレーがレバニラ炒めや青椒肉絲と同じ系統の料理だという事を再認識させられたわ。
そして極めつけは、寸胴鍋から汲んだラーメンスープと水溶き片栗粉ね。
これらの味付けが中華風カレーのアイデンティティと言っても、過言ではないわ。
そうして大人の義務教育とも言える633mlの大瓶ビールでお酌をし合えば、後は町中華の人情味溢れる空気を満喫しながらスプーンを進めるだけよ。
「驚いたなぁ…コクはあるのにしつこくなくて、凄く食べやすいよ。先入観なんて当てにならないな。馬さんと出会ってなかったら、僕は町中華でカレーを食べずに一生を終えていたかも。」
嬉々とした様子でカレーを食べ進める菊池君の姿を見て、私はホッとしたの。
やっぱり、誘った手前ってあるじゃない。
だけど中華風カレーに意外性を感じていたのは、私も同様だったの。
「えっ…?」
もっとも、意外性を感じたのは菊池君とは違うポイントだけど。
「嘘…この味、前にも確かに食べた事が…」
それは何と、既視感だったのよ。
お米は新潟産だし具材も違うけれど、このドロッとした食感とご飯との一体感は間違いなく覚えがあるわ。
「そういえば私の実家のカレーも、片栗粉でとろみがつけられていたわ。まさか日本の町中華で、慣れ親しんだ実家の味に会うだなんて…」
「でもさ、それは良い事なんじゃない。要するに、この店の中華風カレーは馬さんの慣れ親しんだ味なんだよね。」
驚く私に、菊池君はこのように続けたわ。
「それは突き詰めたら、馬さんにとっての日本は『実家のようにリラックス出来る過ごしやすい場所』って事にもなる訳じゃない。僕としても、馬さんにそう思って貰えたなら喜ばしい限りだよ。夏祭りの海水浴だって、今月頭の大学祭だって…馬さんはとっても楽しそうだったじゃない。」
「菊池君…!」
その一言に、私は何も言えなくなってしまったの。
菊池君の気さくで温かみに満ちた言葉は、私の心の奥底にあった様々な物を溶かしていくかのようだったわ。
一人暮らしをしているが故の寂しさや、故郷を離れている事によるアイデンティティの不確かさとか、とにかく様々な物がね。
留学先である日本の学生街で立ち寄った、特に所縁もないはずの町中華。
そこで食べた日式中華が、ここまで思い出の味に似ているだなんて。
この中華風カレーと出会えたのも、こうして日本人である菊池君と交際しているからよね。
「良かったね、馬さん。好みの味のお店が見つかって。」
「ええ、菊池君…」
そうして会計を終えた私は菊池君に抱き寄せられ、彼の手が私の頭を優しく撫でてきたの。
その温かい手のひらは、私を包み込む日本の優しさそのものだったわ。
「日本に留学して本当によかった。菊池君と出会えて、本当によかった…」
私はそう、心の中でそう呟いたの。
彼とだったら、きっと上手くやっていけるわ。
「どうしたんだい、馬さん?急に嬉しそうな顔をしちゃって。」
「さあ…何だろうね、菊池君。」
今はまだ言葉を濁さざるを得ないけど、いつか必ず伝えなくちゃ。
これからも沢山の「美味しい」思い出を、菊池君と一緒に作っていきたいわ。
あの心温まる庶民的な、学生街の町中華のカレーのようにね。