第7話 善意という名の爆弾と、勘違いのレール
「……ただいま」
俺、相田譲は、亡霊のような足取りで自室のドアを開けた。手には、俺の胃痛の原因である高級プリンと、なぜか俺がもらうことになったケーキの箱が握られている。
机の上に二つの箱をそっと置く。しらたま先生が去り際に浮かべた、あの慈愛に満ちた、全てを悟ったかのような微笑みが脳裏に焼き付いて離れない。
『大変だったのね……。一人で、全部……』
(……どういう意味だ!?)
俺は頭を抱え、その場でうずくまった。
バレたのか? 俺がキララとアカリの二人を演じているワンオペの事実が、ついに白日の下に晒されたのか?
(いや、待て……だとしたら、あの反応はおかしい)
もしワンオペの事実がバレたなら、しらたま先生は騙されたことにショックを受けるか、もしくは怒るはずだ。「大変だったのね」で済む話ではない。ファンや業界を巻き込む大スキャンダルだ。
じゃあ、一体何が「大変」で、何を「一人で」やっていると思われたんだ?
俺はむくりと起き上がると、壁に立てかけてあったホワイトボードを引っ張り出した。こういう時は、思考を可視化するに限る。マジックペンを握りしめ、可能性を書き出していく。
【しらたま先生の勘違いパターン分析】
議題:『一人で、全部……』の真意とは?
①【ワンオペバレ説】
→上記理由により、可能性は低い。あの反応は不自然。
②【極貧社長同情説】
→俺のよれよれスウェット姿、スーパーの袋、オンボロアパートという生活感の三重苦。そこへ「自分へのご褒美」という名の高級プリン。これを見て「社長なのに、こんなに切り詰めた生活をして……健気だわ」と勘違いした?
→あり得る。かなりあり得るぞ。
しかし、俺の脳裏に、もう一つの最悪な可能性が浮かんだ。俺はゴクリと唾を飲み込み、三つ目の項目を書き出す。
③【不憫パシリ社長説】
→社長である俺が、タレントであるキララ宛のプレゼントを自らポストに受け取りに来ている。さらに、しらたま先生から預かったケーキも俺がキララに届けるのが当然だと思っている(ように見えた)。
→しらたま先生の脳内:『アストラルノヴァって、タレントの力が強すぎて、社長の譲くんがパシリみたいに雑用を全部やらされてるブラック事務所(社長にとって)なのでは!?』
→キララとアカリは、実はとんでもないワガママ娘で、不憫な社長がその尻拭いに奔走している……という構図。
「……これだ」
俺はペンを持ったまま、愕然とした。間違いない。これなら、あの同情に満ちた瞳の説明がつく。「大変だったのね」という言葉も、「キララちゃんもアカリちゃんも、きっと心配してるわ」というセリフも、「(あんなにこき使ってるけど、心の底では)社長のことを心配してるはずよ」という、善意の解釈から来たものだとしたら?
つまり、俺は今、しらたま先生の中で『ワガママな人気Vtuber二人に振り回される、薄給の不憫な苦労人社長』ということになっているのだ。
(なんてこった……リアルバレよりはマシだが、方向性が斜め上すぎる……!)
俺が新たな悩みの種に頭を痛めていると、スマホがピコンと鳴った。SNSの通知だ。恐る恐る開いてみると、そこにはしらたま先生の最新ツイートが表示されていた。
『才能ある子を支える裏方さんって、本当に尊敬する。目立たない場所で、たくさんの汗と涙を流している人がいるからこそ、輝けるんだよね。どうか、その頑張りが報われますように……』
リプライ欄が、ざわついている。
≪しらたまママ……誰かのこと言ってる?≫
≪これ、アストラルノヴァの社長さんのことかな?≫
≪社長有能説はガチだったか≫
≪どんな人なんだろう、アストラルノヴァの社長……≫
(やめろ! 俺に注目するな!)
冷や汗がどっと噴き出す。勘違いしたしらたま先生の善意が、スポットライトを裏方である俺にじわじわと当て始めている。このままでは、特定班が動き出しかねない。
◇
その夜。俺は全ての不安を一旦忘れ、鬼灯アカリとしての配信に集中していた。ホラーゲーム実況だ。
「はぁ!? なによ今の! ビビらせんじゃないわよ、この三流ゴーストが!」
強気な小悪魔を演じながら、俺は絶叫を必死に堪える。コメント欄は「今の悲鳴、ちょっと可愛かったぞw」「アカリ様、ビビってるw」と盛り上がっていた。
ゲームも終盤に差し掛かり、雑談タイムに移った時だった。あるコメントが俺の目に飛び込んできた。
≪アカリ様は、社長さんのことどう思ってる?≫
(うげっ、またその話題かよ!)
しらたま先生のツイートの影響だろう。だが、ここで下手に黙り込むのは不自然だ。俺はアカリになりきり、完璧な解答を繰り出す。
「はぁ? 社長? ……別に、どうとも思ってないわよ。まあ……アタシたち眷属のために、色々裏で動いてるみたいだし? ……感謝、してなくも、ない、んじゃないの……たぶん」
これぞツンデレの極み。ファンは「ツンデレキタwwww」「素直じゃないな~」「本当は感謝してるくせに!」と大喜びだ。
この時、俺は知らなかった。
この配信を、しらたま先生が固唾を飲んで見守っていたことを。
そして、彼女の脳内で、さらなる勘違いのレールが敷設されていたことを。
(アカリちゃん……! きっと、本当は社長に感謝してるのに、素直に言えないのね……! そして譲くんは、そんなアカリちゃんの不器用な優しさを分かっているから、どんな雑用でも文句ひとつ言わずにこなしているんだわ……! なんて健気な二人なの……!)
配信を終えた俺のスマホに、一通のDMが届いた。
差出人は、もちろん、しらたま先生だった。
しらたま:『譲くん、お疲れ様。今日のアカリちゃんの配信、聞いたよ』
俺の心臓が、ドクンと跳ねた。何か、まずいことでも言っただろうか。
譲:『お疲れ様です! 何か、おかしなところでもありましたでしょうか……?』
数秒の間。そして、返ってきたメッセージに、俺は自分の目を疑った。
しらたま:『ううん、逆。聞いてて、私、決心がついたの』
決心? なんの?
嫌な予感しかしない。俺がゴクリと唾を飲むと、追い打ちをかけるように、次のメッセージが送られてきた。
しらたま:『譲くんは、優しすぎるわ。一人で全部抱え込んじゃダメ。だからね、私が、アストラルノヴァの専属マネージャーになって、譲くんを手伝ってあげることにした!』
……マネージャー?
専属?
手伝う?
マネージャーの仕事場は、当然、事務所だ。
つまり、俺の、この四畳半の部屋に、しらたま先生が、毎日、来る……?
「ええええええええええええええええええええ!?」
俺の絶叫が、防音材を突き破らんばかりに響き渡った。
リアルバレを回避するための嘘と勘違いが、雪だるま式に膨れ上がり、ついにはリアルバレ不可避の最悪の状況を招いてしまった。
ワンオペVtuber事務所『アストラルノヴァ』、もはや、風前の灯火だった。




