第5話 油断の先に、リアバレフラグ
地獄の三者面談から数日。俺、相田譲は、燃え尽きた灰のようになっていた。
あの後、俺は奇跡的なテーブルさばきで約一時間半のお茶会を乗り切り、しらたま先生を満足させて帰すことに成功した。帰り際に「キララちゃんもアカリちゃんも、譲くんのこと、すごく信頼してるのね!」なんて言われたが、俺のライフはもうゼロよ。
「新人……第二期生……」
悪夢のように、しらたま先生の言葉が脳内でリフレインする。キララとアカリを演じるだけで、俺のスケジュールはすでに破綻寸前だ。これ以上タレントを増やせば、俺は睡眠時間を削るどころか、光合成でもしない限り生きていけない。
(……いや、今は忘れよう。まずは目先の配信だ)
俺は頭をブンブンと振り、目の前の現実に向き合う。
今夜は、星乃キララの記念配信。チャンネル登録者数10万人突破を祝う、大事な配信だ。
「よし……! 気合入れていくぞ!」
俺はボイチェンを『清楚天使(記念配信スペシャル)』モードにセット。いつもより少しだけ感情を乗せやすくチューニングした特別仕様だ。
「はぁい、こんキララ~! 天界からみんなの心を照らしにきたよっ、星乃キララです!」
いつもの挨拶をすると、コメント欄が祝福の言葉で埋め尽くされる。
≪10万人おめでとう!!!≫
≪キララ様あああ!待ってた!≫
≪銀の盾だ!すごい!≫
≪今日のキララ様、いつもより声が弾んでる気がする!≫
(だろうな! この日のために調整したからな!)
俺は内心でドヤ顔しつつ、完璧なキララを演じる。
「みんな、本当に本当にありがとう……! 私がこうしてここにいられるのは、いつも応援してくれるみんなのおかげです。今日は、感謝の気持ちを込めて、新曲を初披露します!」
この日のために、俺はボイトレ教室にまで通った(もちろん男として)。そこで得た知識を総動員し、キララとして最高の歌声を響かせる。コメント欄の熱気は最高潮に達し、スーパーチャットの嵐が止まらない。
配信は、大成功のうちに幕を閉じた。
俺はヘッドセットを外し、ぐったりと椅子にもたれる。疲労感は凄まじいが、それ以上に達成感が身体を包んでいた。
「……やってやった」
SNSを開けば、ファンたちの絶賛の声が溢れている。「#星乃キララ10万人記念」がトレンド入りまでしていた。
その時、スマホにDMの通知が来た。キララのガチ恋勢筆頭、『キララ様の執事』からだ。
執事:『キララ様、10万人突破、誠におめでとうございます。今宵の歌声は、まさしく天上の調べ。我が魂は、貴女様の光によって完全に浄化されました』
いつも通りのポエム調のメッセージに、俺は苦笑しながらも返信を打つ。
キララ(俺):『執事さん、いつもありがとう♡ 貴方の応援が、私の力になっています!』
すると、すぐに返信が来た。
執事:『勿体なきお言葉。ところでキララ様、先日お断りになられたプリンの件ですが、どうしても貴女様に召し上がっていただきたく。もしご迷惑でなければ、事務所のポストに投函させていただく、という形ではいかがでしょうか?』
(うっ……まだ諦めてなかったのか……!)
ポスト投函なら、まあ、バレることはないか。無下に断り続けるのも心苦しい。俺は少し考えて、承諾することにした。
キララ(俺):『そこまで言ってもらえるなんて……嬉しいな。じゃあ、お言葉に甘えようかな? でも、本当に無理はしないでね!』
これで一件落着、と俺は一息ついた。
この時の俺は、知らなかった。この小さな油断が、数日後に特大のリアバレフラグとなって俺に襲いかかることを……。
◇
数日後の昼下がり。
俺は近所のスーパーで、夕飯の材料を買い込んでいた。特売の豚肉ともやしをカゴに入れ、レジに並ぶ。今日の夜はアカリのゲーム配信だ。スタミナをつけなければ。
アパートへの帰り道、俺はふと、例のプリンのことを思い出した。
(そういえば、そろそろ届いてる頃かな)
俺は少しだけワクワクしながら、アパートの集合ポストを覗いた。
すると、そこには確かに、有名パティスリーのロゴが入った小さな紙袋が入っていた。
だが、それだけではなかった。
紙袋の隣に、一枚の封筒が添えられていたのだ。
差出人の名前を見て、俺は血の気が引いた。
『しらたま』
(な……なんで!?)
しらたま先生が、なぜ俺のアパートのポストに手紙を!? 住所は教えていないはずだ! パニックに陥る俺の脳裏に、数日前のカフェでの会話が蘇る。
しらたま先生『事務所の近くにおしゃれなカフェができたって聞いたから』
そうだ。先生は、この近辺に俺の事務所(アパート)があると知っている。そして、今日、何か別の用事でこの近くに来て、ついでに手紙を投函しに来たのかもしれない。
俺は震える手で封筒を開けた。中には、可愛らしい便箋と……一枚の写真が入っていた。
写真は、しらたま先生が、例のカフェのテラス席で笑顔でピースしている自撮りだった。そして、その背景。写真の隅に、ぼんやりとだが、見覚えのある建物が写り込んでいた。
俺が住んでいる、このオンボロアパートだ。
便箋には、こう書かれていた。
『譲くんへ。先日はありがとう! また近くに来たので、カフェでお茶してます。もし時間があったら、顔を出さない? P.S. 新人ちゃんのデザイン案、いくつかできたよ!』
(今、この近くのカフェに、いる……!?)
背筋が凍る。俺は反射的に周囲を見回した。幸い、先生らしき姿はない。
だが、問題はそこではなかった。
俺は、自分の格好を見下ろした。
よれよれのTシャツに、スウェットパンツ。寝癖のついたボサボサの髪。手にはスーパーのビニール袋。どう見ても、急成長中のVtuber事務所の社長には見えない。ただの冴えないニートだ。
そして、最大の過ちに気づく。
俺は今、キララ宛の高級プリンの紙袋を、手に持っている。
まずい。
もし、この姿でしらたま先生に会ったら?
『あら譲くん、奇遇ね! そのプリン、どうしたの?』
どう言い訳する?
『え、ええと、これは……自分へのご褒美で……』
信じるか? この風体の男が、自分用に一個数千円の高級プリンを買うと?
いや、それよりもっと最悪のシナリオがある。
もし、しらたま先生が、俺がポストからプリンの袋を取り出す瞬間を見ていたら?
その場合、先生の頭の中では、こう繋がるはずだ。
『譲くんが、キララちゃん宛のプレゼントをポストから受け取った』
↓
『つまり、このアパートが事務所で、譲くんがプレゼントを管理している』
↓
『あれ? でも、キララちゃんはここに住んでるはずじゃ……?』
思考が、じわじわと真実に近づいていく。
その時だった。
「――譲くん?」
背後から、聞き覚えのある、柔らかな声がした。
悪魔の呼び声だった。
俺は、壊れかけのブリキ人形のように、ギギギ……と音を立てて振り返った。
そこには、スマホ片手に微笑む、しらたま先生が立っていた。
その視線は、俺の顔と、俺が手に持っているプリンの紙袋とを、交互に行き来していた。
終わった。
俺の脳内に、その二文字が、高らかに鳴り響いた。




