第4話 神のテーブルさばきと悪魔のささやき
「しらたま先生、お待たせしました! アストラルノヴァ社長の相田です!」
俺は営業スマイルを顔に貼り付け、しらたま先生が待つテーブルへと向かった。心臓は、大型のドラム式洗濯機のように激しく回転している。
「譲くん、こんにちは! こちらこそ、今日はありがとうね!」
ウェーブのかかった栗色の髪に、柔らかな雰囲気のワンピース。しらたま先生は、彼女が生み出すキャラクターと同じくらい、優しく可愛らしい女性だった。その笑顔に一瞬癒されかけるが、すぐに現実を思い出す。今日の俺は、ただの社長ではない。神の視点から二人のVtuberを操る、人形師なのだ。
俺はショルダーバッグから二台のタブレットを取り出し、テーブルの上に恭しく設置した。
「あの、先生。大変申し訳ないのですが……二人とも、極度の人見知りでして……。どうしても家から出られないと泣きつかれてしまいまして……。なので、本日はリモートでの参加とさせていただけないでしょうか……!」
俺は90度の角度で頭を下げた。これは俺が考えうる、最高の言い訳であり、唯一の活路だ。頼む、納得してくれ……!
すると、しらたま先生は「まあ!」と小さく声を上げた後、くすくすと笑い出した。
「ふふっ、なあに、そんなに緊張しないで! 大丈夫だよ、譲くんが謝ることじゃないわ。むしろ、そこまで人見知りな二人も可愛いなって思っちゃった! ねえ、キララちゃん、アカリちゃん!」
先生は、タブレットの画面に向かって優しく話しかけた。
今だ!
俺はテーブルの下で、ポケットのスマホを握りしめる。指先が、わずかに震える。サウンドパッドアプリを起動し、『キララ挨拶ボイス_01』のボタンをタップした。
『はい、こんにちは! 星乃キララです! 今日はありがとうございます!』
タブレットから、完璧なタイミングでキララの声が流れた。続いて、すかさず『アカリ挨拶ボイス_02』をタップ。
『……鬼灯アカリよ。よろしく』
ツンとしたアカリの声。完璧なコンビネーションだ。俺の指先は、もはやピアニストの領域に達しているかもしれない。
「わー! 本当に二人ともいるみたい! すごい!」
しらたま先生は、目を輝かせて喜んでいる。どうやら、この奇策は成功したようだ。
(よし……! 第一関門、突破!)
俺は内心でガッツポーズを決めた。店員さんが注文を取りに来る。俺はブレンドコーヒーを、しらたま先生はカフェラテを頼んだ。
「キララちゃんたちは、どうする?」
先生が自然にタブレットに尋ねる。
やばい、飲み物のボイスは用意していない。いや、待て。ある。ケーキ用のボイスが応用できるはずだ。
俺はテーブルの下で高速思考を巡らせ、『キララ汎用喜びボイス_03』をタップ。
『わぁ、メニュー、とっても綺麗ですね! 私は……お水で大丈夫です!』
続けて『アカリ汎用無関心ボイス_05』。
『……別に、いらない』
「そっか。二人とも、遠慮しなくていいのに」
しらたま先生は少し残念そうだったが、特に疑ってはいないようだ。冷や汗が背中を伝う。この会話、一つ間違えれば即ゲームオーバーの地雷原だ。
「改めて、二人ともデビュー三ヶ月おめでとう! すごい人気で、ママも嬉しいよ!」
先生が祝辞を述べた。俺は即座に反応する。テーブルの下の指が踊る。
キララ『えへへ、ありがとうございます! これも全部、しらたまママが、こんなに素敵な身体をくれたおかげです!』
アカリ『……ふん。まあ、感謝してなくもないわね』
「もう、アカリちゃんは素直じゃないんだから!」
しらたま先生は楽しそうだ。俺の額には脂汗が滲んでいる。まるで、超高難易度のリズムゲームをプレイしている気分だ。先生の発言という『ノーツ』に合わせて、適切なタイミングで『ボタン』をタップする。ミスは許されない。
「そういえば、二人は普段、どんなふうに過ごしてるの? 配信以外で、何か趣味とかあるのかな?」
来た。想定外の質問だ。趣味……趣味……。
キララの趣味は「お菓子作りと人間観察」、アカリの趣味は「ホラー映画鑑賞と眷属(ファン)いじり」という設定だ。そのボイスは、ある!
俺は慎重にファイルを探し、再生する。
キララ『はい! 最近は、新しいクッキーのレシピを試したりしてます! 今度、譲さんにもお裾分けしないとですね!』
(俺が作って俺が食うだけだがな!)
アカリ『……別に。アンタには関係ないでしょ。強いて言うなら、愚かな人間が絶叫する映画を観て、嘲笑うことくらいかしら』
「うーん、二人とも個性的でいいわねぇ……!」
会話は、奇跡的に成り立っている。俺の神業的なテーブルさばきと、三日三晩かけて収録した俺の血と汗の結晶のおかげだ。
しかし、安堵したのも束の間。
しらたま先生は、とんでもない爆弾を投下した。
「ねえ、譲くん。アストラルノヴァって、そろそろ新人さんとか考えないの?」
「……へ?」
俺は素で間の抜けた声を出してしまった。
し、新人……? これ以上、俺にどうしろと?
「だって、キララちゃんとアカリちゃんがこんなに人気なんだもん。第二期生がデビューしたら、きっとすごいことになるよ! 私、また新しい子のデザイン、描きたいなーなんて!」
しらたま先生は、悪意ゼロのキラキラした瞳で俺を見ている。
その隣で、俺が操るタブレットたちが、悪魔のささやきを奏で始めた。
キララ『わぁ、後輩ができるんですか!? 嬉しい! 楽しみだなぁ!』
アカリ『ふん、生意気なヤツじゃなきゃいいけど。まあ、アタシがビシバシしごいてあげるわ』
(お前らが言うなあああああああ!)
俺は心の中で絶叫した。自分で再生しておきながら、その言葉がブーメランのように突き刺さる。そうだ、俺は事務所の成長を願う二人を演じなければならない。社長として「いや、無理です」とは言えない。
俺は、引きつる顔を必死で笑顔に変え、答えた。
「は、はは……。そうですね! ぜひ、前向きに検討させていただきます……!」
検討できるか! 俺の身体は一つなんだぞ!
これ以上タレントが増えたら、俺は過労で死ぬ。物理的に死ぬ。
胃がキリキリと痛み、視界がかすかに揺らぐ。
地獄の三者面談は、なんとか乗り切れそうだ。だがその先には、さらなる地獄――『新人デビュー』という名の、絶望的な未来が口を開けて待っていた。
ワンオペVtuber事務所の明日は、どっちだ。




