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第24話 六時間の果てに、奇跡の交差点

 地獄のオフラインイベント『VIRTUAL DIVE』が始まって、5時間が経過した。

 俺、相田譲の体力と精神力は、すでにとっくの昔に限界を突破していた。


 二つのブースを繋ぐ『秘密の通路』を、俺は何百回、行き来しただろうか。

 もはや、自分がキララなのか、アカリなのか、それともただの反復横跳びおじさんなのか、分からなくなってくる。思考は朦朧とし、ただ、インカムから聞こえる橘さんの指示だけを頼りに、身体を動かしていた。


『社長、キララブースへ! タイム、5.2秒! 遅れています!』

「くっ……!」


『アカリブース、対応良好! だが、もっとツン成分を! あなたは小悪魔です! 天使ではありません!』

「わ、分かってる……!」


 そんな極限状態の中、事件は起きた。

 キララブースに、一人の少女が入ってきたのだ。車椅子に乗った、小学生くらいの、儚げな雰囲気の女の子だった。付き添いのお母さんと一緒だ。


「こ、こんにちは……キララちゃん……」

 少女は、緊張しながらも、キラキラした目でスクリーンを見上げている。


 俺は、疲労困憊の身体に鞭を打ち、キララとして、精一杯の優しい声を絞り出した。

「はぁい、こんにちは! 会いに来てくれて、本当にありがとう。とっても嬉しいな」


 少女は、はにかみながら、小さな声で言った。

「私、キララちゃんの歌が、大好きです。毎日、病院のベッドで、キララちゃんの歌を聞いて、元気をもらってます」


「……そっか」

 俺の胸が、熱くなった。

 そうだ。俺が、この無茶苦茶なワンオペを続けてきた理由は、これだ。俺の作ったキャラクターが、俺の声が、誰かの支えになっている。その事実が、何よりの原動力だった。


「ありがとう。そう言ってもらえると、私、天にものぼる気持ちだよ。これからも、君のために、心を込めて歌うね」


 その時だった。

『社長!』

 インカムから、橘さんの悲鳴に近い、切羽詰まった声が聞こえてきた。


『大変です! アカリブースに、想定外の人物が現れました!』

「え……?」


『……しらたま女史です!』


 俺は、息を飲んだ。

 しらたま先生が……なぜ、ここに……?


『彼女、一般のファンとして列に並んでいたようです! くそっ、完全にノーマークだった……!』

 橘さんが、歯噛みするのが伝わってくる。


 まずい。

 しらたま先生は、アストラルノヴァの元関係者だ。俺が今、このキララブースにいることを知られたら? いや、それ以上に、彼女がアカリに何を話すか、全く予想がつかない。イベントを妨害しに来たのか……?


『社長! すぐにアカリブースへ移動してください! しらたま女史の対応は、あなたにしかできません!』


 だが、俺の目の前には、キララに会いに来てくれた、病気の少女がいる。

 この子との、大切な時間を、打ち切ってまで、移動しろと?


 俺は、一瞬、躊躇した。

 その、わずか一秒の迷い。それが、運命の分岐点だった。


 俺がキララブースから動かないと判断した橘さんは、即座に次善の策を取った。

『……やむを得ません! アカリブースは、録音ボイスで対応します!』


 Aスタジオのモニターに、しらたま先生が入ってくるのが見えた。彼女は、以前より少し痩せたように見えたが、その瞳には、強い意志の光が宿っていた。


 そして、アカリのブースから、橘さんが再生した、録音ボイスが流れる。

『……あら、アンタ。まだ、この事務所に未練があったの?』

 それは、以前の騒動の時に、俺が使おうとしていた、挑発的なセリフの一つだった。


 まずい。火に油を注ぐだけだ。

 俺は、目の前の少女に「ごめんね、ちょっとだけ待ってて!」と断り、キララの声のまま、インカムに向かって叫んだ。

「橘さん! それじゃダメだ!」


 だが、もう遅い。

 しらたま先生は、スクリーンのアカリを、悲しそうな目で見つめていた。


「アカリちゃん……。私は、あなたに、謝りに来たの」

 彼女は、深々と頭を下げた。


「私は、あなたたちの可能性を、自分のエゴで歪めようとした。本当に、ごめんなさい。……でも、これだけは、伝えたくて」


 しらたま先生は、顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいた。

「私は、今でも、あなたたちの『ママ』よ。世界で一番の、ファンなんだから……!」


 その時だった。

 アカリブースの録音ボイスが、最悪のタイミングで、次のセリフを再生してしまった。

『……くだらない。さっさと帰りなさい』


「あ……」

 しらたま先生の顔から、表情が消えた。

 違う。違うんだ、先生。それは、俺の本心じゃない。


 俺は、もう、我慢できなかった。

 キララの声のままでいい。この壁を、このルールを、ぶち壊してでも、伝えなければ。


 俺は、キララブースのマイクに向かって、叫んだ。

「待って、アカリちゃん!」


 俺の声は、キララブースのスピーカーから響き渡り、そして、壁を隔てたアカリブースのマイクにも、微かに拾われた。


 会場が、ざわめく。

 アカリと話しているはずのしらたま先生の耳に、キララの声が、届いた。


 俺は、続ける。キララとして。

「アカリちゃんは、そんなこと思ってないよ! ねぇ、ママ! 私たちのママ! 私も、アカリちゃんも、ママのことが、大好きだよ!」


 そして、俺は、最後の賭けに出た。

 キララブースに座ったまま、ボイチェンのダイヤルを、一瞬だけ、アカリモードに捻った。


「……そ、そうよ! アタシだって……別に、感謝してなくもないんだから……!」


 キララのブースから、アカリの声が聞こえる。

 前代未聞の、放送事故。

 だが、それは、俺の、魂の叫びだった。


 しらたま先生は、呆然と、二つのブースを交互に見つめていた。

 そして、やがて、全てを悟ったように、静かに涙を流し、微笑んだ。


「……そっか。……ずっと、一緒だったのね、あなたたち」


 彼女は、そう呟くと、満足したように、ブースを後にした。


 俺は、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。

 目の前の少女が、ぽかんとした顔で、キララを見ている。


「……ごめんね。お待たせしちゃった」

 俺は、キララの声に戻し、優しく微笑んだ。


 イベント終了の、アナウンスが鳴り響く。

 俺は、6時間の死闘を、乗り切ったのだ。


 バックヤードに戻ると、橘さんが、呆然とモニターを見つめていた。

「……社長。あなたは、本当に……最高の、芸術家だ」


 俺は、何も答えず、ただ、その場に倒れ込んだ。

 ワンオペVtuberの、最も長く、そして最も熱い一日は、こうして、奇跡のような結末を迎えたのだった。


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