第21話 共犯の契約と、悪魔の設計図
「その『中の人』が、男のあなただということは、とっくに気づいていましたから」
橘朔也さんの、あまりにも静かで、あまりにも衝撃的な告白。
俺、相田譲の世界から、音が消えた。
声紋……? 基底周波数……?
この男は、俺の秘密の全てを、とっくに暴いていたのだ。
「な……なんで、それを……黙って……」
俺は、かろうじて言葉を絞り出した。俺がワンオペの男だと知っていて、なぜ、彼は俺を助けた? なぜ、事務所のコンサルタントになった?
橘さんは、初めて、そのポーカーフェイスをわずかに崩し、ふっと息を漏らした。それは、ため息のようでもあり、感嘆のようでもあった。
「……なぜ、ですか」
彼は、ゆっくりと口を開いた。
「それは、私が『キララ様の執事』だからですよ」
「……は?」
「私は、星乃キララという存在に、心からの敬意を抱いています。そして、その完璧なアイドルを、たった一人で、男手一つで創り上げ、演じきっている『相田譲』というクリエイターの存在を知った時……私は、畏怖を覚えました」
「い、畏怖……?」
「ええ。あなたの情熱、技術、そして覚悟。すべてが、常軌を逸している。これは、もはや単なるVtuberごっこではない。一つの、狂気的な芸術です。私は、その芸術の行く末を、特等席で見届けたくなった。……そして、できることなら、その共犯者になりたい、とね」
共犯者。
その言葉が、俺の胸に突き刺さった。
この男は、俺を糾弾するでも、軽蔑するでもなく、俺の『共犯者』になりたいと言っているのか?
「で、でも、オフラインイベントは……! 俺一人じゃ、どうしたって……」
「ええ。そこが、あなたの限界であり、私が介入すべき領域です」
橘さんは、再びコンサルタントの顔に戻り、淡々と告げた。
「社長。あなたがキララ様とアカリ様、両方の魂であることは理解しました。その芸術性を、私は断固として支持します。ですから、やりましょう。オフラインイベントで、あなた一人で、キララ様とアカリ様、二人を同時に演じきるのです」
「……む、無理です!」
俺は即座に叫んだ。「分身でもしろって言うんですか!」
「ご安心を。分身はさせません。移動していただきます」
橘さんは、一枚のタブレットを取り出し、画面に一枚の図面を表示させた。それは、イベント会場に設営される、アストラルノヴァ専用ブースの設計図だった。
そこには、ファンから見える表側には、キララ用の部屋とアカリ用の部屋、二つの個室が並んでいる。
だが、その裏側。バックヤードの部分で、二つの部屋は壁一枚で繋がっており、そこには『防音仕様・緊急時脱出用隠し扉』と書かれた、秘密の通路が設計されていた。
「名付けて、『スイッチングルーム』作戦です」
橘さんは、悪魔のように、にやりと笑った。
「あなたは、この二つのブースを、物理的に超高速で行き来し、一人で二人を演じるのです。キララとしてファンと会話し、会話が途切れた隙に、この秘密の通路を通ってアカリのブースへ移動する。そして、またキララのブースへ……」
……人間業じゃない。
それは、もはやサーカスか、あるいはエクストリームスポーツの領域だ。
「もちろん、あなた一人にはさせません。私は、司令塔として、両方のブースの状況をリアルタイムで監視します」
橘さんは、自信に満ちた声で続けた。
「『社長、キララ様のブース、会話が30秒途切れます。その間にアカリ様を15秒お願いします!』……というように、私が完璧な時間管理と情報操作を行います。あなたが移動している間の『無人のブース』は、私が事前に収録した定型ボイスを再生し、時間を稼ぎます」
狂っている。
この男も、そして、この作戦も、完全に狂っている。
だが。
(……面白い)
俺の心の奥底で、そんな感情が湧き上がってくるのを、止められなかった。
ワンオペの限界。その壁を、壊せるかもしれない。この男と一緒なら。
「……分かりました」
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた。
「やりましょう。その、スイッチングルーム作戦とやらを」
「話が早くて助かります」
橘さんは、満足そうに頷いた。
「では、契約成立ですね。社長」
差し出されたのは、業務提携契約書。
こうして、俺のワンオペVtuber事務所は、存続することになった。ただし、そこに、最強の『共犯者』が加わって。
社長兼タレントの俺と、顧問兼プロデューサー(兼司令塔)の橘さん。
奇妙な二人三脚の事務所『アストラルノヴァ』が、本当の意味で、産声を上げた瞬間だった。
オフラインイベントまで、あと一ヶ月。
俺の、体力と精神力の限界に挑戦する、地獄の特訓の日々が、今、始まろうとしていた。




