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第20話 慧眼のコンサルタントと、禁断の機械

「この機材……どこのメーカーのものでしょうか? 私の知る限り、市場に出回っているボイスチェンジャーで、これほどの性能を持つものは、存在しないはずですが」


 俺の心臓が、ドクンと、嫌な音を立てて跳ねた。

 そうだ。この男は、ただのファンじゃない。ITとセキュリティの、プロ中のプロだ。

 そんな男の目を、ごまかせるのか?


(どうする……? なんて答える……?)


 俺の脳が、猛スピードで回転する。

 このボイスチェンジャー『プロジェクトアフロディーテ』は、俺がネットの裏社会で、とある天才エンジニアから個人的に譲り受けた、市販されていない超高性能なプロトタイプだ。そんなこと、言えるわけがない。


 俺は、必死に平静を装い、用意していた言い訳の一つを口にした。

「……これは、海外の音響メーカーに特注した、事務所のオリジナルモデルでして。タレントの声を最高の状態で届けるための、うちの心臓部なんです」


「特注品、ですか」

 橘さんは、納得したのかしていないのか、表情を変えずに相槌を打った。そして、さらに踏み込んでくる。


「差し支えなければ、型番や開発メーカーの情報を、後ほど資料でいただけませんか? 事務所の資産管理と、今後のメンテナンス計画を立てる上で、必要になりますので」


「……ッ!」

 ダメだ。逃げられない。

 存在しないメーカーの、存在しない資料など、出せるわけがない。


 俺が冷や汗をかいていると、橘さんはふっと視線を逸らし、話題を変えた。

「……まあ、その件は追々で結構です。それよりも、まずは現状の立て直しが最優先でしょう」


(助かった……のか?)

 俺は内心で安堵のため息をついた。だが、それはあまりにも甘い考えだった。

 橘さんは、すでに疑いの種を蒔いたのだ。俺が何かを隠していると、確信した上で。


 その日から、橘さんの有能すぎるコンサルティングが始まった。

 彼はまず、今回の騒動で離れてしまった企業スポンサーへの謝罪と再交渉を、完璧なロジックでやり遂げ、ほとんどの関係を修復してしまった。

 次に、事務所の公式ウェブサイトを、まるで大手企業のように洗練されたデザインにリニューアルし、セキュリティを鉄壁のものにした。


 彼の仕事ぶりは、まさにプロフェッショナル。俺一人では、到底できなかったことばかりだ。

 事務所は、目に見えて立て直されていった。


 だが、その一方で、俺へのプレッシャーは、日増しに強くなっていた。

 橘さんは、毎日、事務所(俺の部屋)にやってきて、俺の隣で、静かに、しかし的確に、仕事をこなしていく。

 その慧眼から逃れるため、俺のワンオペ業務は、さらなる極秘作戦を強いられることになった。


 キララのツイートは、橘さんが昼食で席を外した、わずか15分の間に。

 アカリのファンとの交流は、橘さんがクライアントとの電話会議でベランダに出ている、数分間に行う。


 まるで、敏腕スパイと、それを監視するエージェントのようだ。

 この息の詰まるオフィス(四畳半)で、俺はいつまで秘密を守り通せるのか。


 そんなある日。

 橘さんが、一枚の企画書を俺に提示した。


「社長。来月、大型のVtuberイベントが開催されます。アストラルノヴァも、参加すべきです」


 それは、業界でも最大級の、オフラインイベントだった。

 多くのVtuberが、幕張メッセなどの巨大な会場に集い、ファンと交流する。


「オフライン……イベント……」

 俺の口から、呻き声が漏れた。

 しらたま先生の時と同じ、悪夢の再来だ。


「しかし、橘さん。うちは、タレントが顔を出さない契約でして……」

「問題ありません。最近のイベントでは、大型スクリーンにLive2Dモデルを映し出し、タレントは別室からトークを行う、という形式が主流です」


 橘さんは、淡々と続ける。

「会場に、アストラルノヴァ専用のブースを設営します。スクリーンを二つ用意し、キララ様とアカリ様、お二人に、同時にファンとの交流を行っていただきます」


 ……同時に?

 二つのスクリーンで?


「無理です」

 俺は、即答していた。

「う、うちの事務所の方針として、二人のタレントを、同時にオフラインの場に出すことは……」


「なぜです?」

 橘さんの、鋭い視線が俺を貫く。

「技術的な問題ですか? それとも、タレント間の不仲説でも? リスクマネジメントの観点から、正確な情報が必要です」


 詰め寄ってくる橘さんに、俺はたじろいだ。

 もう、嘘は通用しない。

 この男は、俺が納得できる理由を提示するまで、絶対に引かないだろう。


 俺は、観念した。

 だが、全てを話すわけにはいかない。

 俺は、一つの嘘を、真実の中に混ぜ込むことにした。


「……分かりました。お話しします」

 俺は、重々しく口を開いた。

「橘さん。実は……星乃キララと鬼灯アカリは、同一人物なんです」


「……ほう」

 橘さんの目が、わずかに見開かれた。


 俺は、続けた。

「一人の優秀な女性声優が、この二つのキャラクターを演じ分けている。それが、この事務所の、最大の秘密です」


 そうだ。

 『中の人は一人』という真実。

 しかし、その中の人が『男の俺』であるという、最大の嘘。


 これなら、どうだ。

 二人の同時稼働が不可能な理由として、完璧な説明になるはずだ。


 俺の告白を聞いた橘さんは、数秒間、黙り込んだ。

 そして、静かに、こう言った。


「……なるほど。そういうことでしたか」

「ええ。ですから、同時イベントは……」

「ええ、理解しました。ですが、問題ありません」


「……へ?」


 橘さんは、俺の目をまっすぐに見つめ、信じられない言葉を口にした。


「その『中の人』が、男のあなただということは、とっくに気づいていましたから」


 時が、止まった。

 俺の脳が、理解を拒絶する。


 橘さんは、無表情のまま、続けた。

「社長。あなたの声紋……プロジェクトアフロディーテを通したキララ様とアカリ様の声紋、そして、あなたが普段話している声の基底周波数。すべて、一致していますよ」


 俺の口から、乾いた空気が漏れた。

「あ……あ……」


 慧眼のコンサルタントは、俺が気づかぬうちに、俺の秘密の全てを、とっくに暴いていたのだ。

 そして、その上で、俺の隣で、働き続けていた。


 一体、何のために……?


 ワンオペVtuber事務所の社長、相田譲。

 彼の最大の秘密が暴かれた時、物語は、本当の意味で、始まりを告げた。


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