第2話 言い訳の果ては、地獄の三者面談
「オフラインコラボ……オフラインコラボ……オフライン……」
俺、相田譲は、フローリングの床に大の字になって、呪文のようにその言葉を繰り返していた。ディスプレイには、神絵師『しらたま』先生から送られてきた無慈悲なDMが、煌々と輝いている。
しらたま:『キララちゃんとアカリちゃん、すごく人気出てきたじゃない? だからさ、そろそろ二人のオフラインコラボ、企画しない?』
物理的に不可能だ。俺の身体は一つしかない。ドッペルゲンガーでも召喚しない限り、清楚天使とツンデレ小悪魔が同じ空間に立つことは絶対にない。
(どうする……どう断る……!?)
しらたま先生は、うちの事務所――というか俺にとって、ただのイラストレーター様ではない。まだ実績ゼロの俺の熱意だけを信じて、破格の値段で星乃キララと鬼灯アカリという最高のガワを生み出してくれた大恩人なのだ。無碍に断ることなどできるはずがない。
かといって「実は二人とも俺なんで無理です」とカミングアウトすれば、事務所は即日倒産。俺はネットの海から追放され、しらたま先生からの信頼も失うだろう。
(そうだ、言い訳だ! 角が立たない、完璧な言い訳を考えるんだ!)
俺は床からむくりと起き上がると、PCに向かった。指を組み、瞑想するように目を閉じる。脳内で、星乃キララと鬼灯アカリのプロレスが始まった。
キララ『譲さん、正直に話すのが一番です! きっと先生も分かってくれますよ』
アカリ『バカ! そんなことしたら全部終わりでしょ! 適当な嘘で誤魔化しなさいよ!』
(どっちも俺の意見だけどな!)
数時間に及ぶ脳内会議と、ネットで「うまい断り方」「ビジネスメール 文例」などを検索しまくった末、俺は一つの結論に達した。
『デビューしたばかりで、まだお互い人見知りなので』作戦だ。
これならどうだ。性格が真逆の二人だ、人見知りという設定も不自然じゃない。むしろ「てぇてぇ(尊い)」と感じるファンもいるかもしれない。俺は慎重に言葉を選び、しらたま先生への返信文を打ち込んでいく。
譲:『しらたま先生、素晴らしいご提案ありがとうございます! オフコラボ、ぜひ前向きに検討したいです! ただ、キララもアカリも、ああ見えて結構な人見知りでして……。もう少しオンラインでのコラボを重ねて、二人の仲が深まってからの方が、より良いものをお見せできるかと思っております!』
完璧だ。我ながら完璧な言い訳だ。やる気は見せつつ、やんわりと先延ばしにする。これならしらたま先生も「そっか、じゃあ仕方ないね」と納得してくれるはず……!
俺は祈るような気持ちで、送信ボタンをクリックした。
◇
翌日。しらたま先生からの返信がまだ来ないことにヤキモキしながら、俺は日課のワンオペ業務に勤しんでいた。
まずはキララとして、ファンアートに「いいね」とリツイート。ファンからの「おはよう」リプに、天使のような笑顔の絵文字付きで返信する。
『キララちゃん、おはよう! 今日も一日頑張ろうね!』
『みんな、いつも素敵なイラストありがとう♡ 宝物だよっ!』
作業を終えると、即座にアカリのアカウントに切り替える。こちらでは、ファンからの「おはよう」リプは基本無視だ。それがアカリのスタイル。代わりに、昨日のゲーム配信の切り抜き動画を「ふん、まあまあの出来ね」という一言と共にリツイートする。
(危ねぇ……キララのアカウントでアカリの切り抜きをリツイートするところだった……)
このアカウント切り替えミスは、ワンオペVtuberが最も恐れる事故の一つだ。一度やれば最後、事務所のイメージは地に堕ちる。俺は指差し確認を徹底し、なんとか業務をこなしていく。
昼食のコンビニ飯をかき込みながら、事務所の公式メールをチェックする。企業からの案件依頼も増えてきた。嬉しい悲鳴だが、スケジュール管理は地獄だ。キララの歌枠とアカリのゲーム配信は被れない。案件の収録も、声のトーンを間違えれば大事故。俺の手帳は、分刻みのスケジュールで真っ黒だった。
そんな中、一通のDMが目に留まる。キララのガチ恋勢として有名な、『キララ様の執事』と名乗るアカウントからだ。
『キララ様。いつも僕の心を照らしてくださり、ありがとうございます。突然ですが、キララ様が配信で「最近プリンにハマってる」と仰っていたので、僕が知る限り日本で一番美味しいプリンをお贈りしたいのですが、事務所の住所を教えていただけませんか?』
(ひっ……!)
思わず声が出た。事務所の住所、つまり俺のアパートの住所だ。教えられるわけがない。
俺はキララになりきり、必死に断りの文章を考える。
キララ『わぁ、執事さん、ありがとう! とっても嬉しいけど、そのお気持ちだけで十分だよ♡ みんなからの応援が、私にとって一番のプレゼントだからねっ!』
送信ボタンを押した後、俺はどっと疲れて椅子にもたれた。
ファンはありがたい。本当にありがたいんだが……距離が近いと、心臓に悪い。
その時、スマホが軽快な通知音を鳴らした。画面には『しらたま』の文字。
(きたっ……!)
俺はゴクリと唾を飲み込み、震える指でDMを開いた。そこに書かれていたのは、俺の浅はかな希望を打ち砕く、予想の斜め上を行く提案だった。
しらたま:『譲くん、返信ありがとう! そっかー、二人とも人見知りなんだね! 可愛いところあるじゃん!』
(よしよし、第一関門は突破……!)
しかし、本当の地獄は次の文章にあった。
しらたま:『だったらさ、ますますママの出番じゃない? よかったら、今度の週末にでも、私とキララちゃんとアカリちゃんの3人で、お茶でもしない? 私が二人の仲を取り持ってあげるよ!』
「…………は?」
俺の思考が、完全に停止した。
さんしゃめんだん……? 俺と、俺と、しらたま先生の……?
混乱する俺の脳天に、とどめの一撃が突き刺さる。
しらたま:『場所は、事務所の近くにおしゃれなカフェができたって聞いたから、そこでどうかな? 詳しい場所、あとで送るね! じゃ、楽しみにしてる!』
事務所の近く。
つまり、俺のアパートの目と鼻の先。
オフラインコラボという名の、時限爆弾の処理を先延ばしにしようとした結果、もっと即効性の高い、対人地雷を踏み抜いてしまった。
「ああ……ああ……あああああああああああああああ!」
俺の絶叫が、防音材に虚しく吸い込まれていく。
どうする? どうすればいい?
キララかアカリ、どちらか一人だけ連れて行って「もう一人は急用で来れなくなった」と言うか?
いや、ダメだ。しらたま先生は、二人に会いたがっている。どちらか一方だけでは、絶対に納得しない。
かといって、俺が社長として一人で行けば「タレント二人はどうしたの?」となる。詰みだ。八方塞がりだ。
週末まで、あと三日。
俺は頭を抱え、現実逃避するようにモニターに視線を移す。そこには、俺が演じる二人の美少女が、屈託のない笑顔を浮かべていた。
――なあ、キララ、アカリ。
――お前たちなら、こんな時、どうする?
もちろん、答えは返ってこない。
だって、お前たちは、俺なのだから。
ワンオペVtuber事務所『アストラルノヴァ』、リアルバレまでのカウントダウンが、今、静かに、そして確かに始まった。