第15話 ダブルブッキングと、鉄壁の契約書
「譲くん、これ、どうかなって思って!」
しらたま先生が俺の机に置いた企画書。それは、大手ゲーム会社と大手飲料メーカーからの、二つの巨大なタイアップ案件だった。
だが、その二つの案件は、俺、相田譲にとって決して両立し得ない『二つの爆弾』だった。
配信希望日時が、来週の土曜日の夜に、完全にかぶっているのだ。
「どうしよう……」
俺は、頭を抱えた。どちらかの案件を断るしかない。俺の身体は一つしかないのだから。
俺の深刻な様子を見て、しらたま先生が「なあんだ、そんなこと」と、こともなげに言った。
「だったら、二つの案件、同時にやっちゃえばいいじゃない! その日だけ特別に、キララちゃんとアカリちゃんに事務所まで出張してきてもらうのよ!」
出張。
このアパートに。
存在しない人間を、どうやって?
「そして、アカリちゃんにはこの事務所で、キララちゃんにはお隣の寝室で、同時に配信してもらう。そうすれば、お互いの声も干渉しないし、問題ないでしょ?」
問題しかない。俺は絶望的な状況に追い込まれた。
「で、でも先生! 二人をここに呼ぶなんて、そんな……」
「大丈夫よ! 私が二人をお迎えに行くわ! 譲くんは事務所のセッティングをお願いね!」
ダメだ。善意とやる気に満ちたこの人を、止められない。
その夜。俺は一人、事務所で頭を抱えていた。
どうする? どうすれば、この最悪の状況を乗り切れる? 存在しない人間を、この部屋に召喚する方法なんてない。
諦めかけた、その時。
俺の脳裏に、またしても、悪魔が囁いた。
――本当に、無理か?
――人間を召喚できなくても、『人間がいる』と、錯覚させることはできるんじゃないか?
俺は、PCに向き直った。
まず、Wordを立ち上げ、厳かなフォントで文書を作成する。
【件名:所属タレントのプライバシー保護に関する特別条項】
『第一条:所属タレント(星乃キララ、鬼灯アカリ)は、事務所内において、代表・相田譲以外の何人に対しても、素顔及びプライベートな情報を公開する義務を負わない』
『第二条:タレントの精神的安寧を確保するため、配信中のスタジオへの入室は、原則として代表・相田譲のみに許可されるものとする』
我ながら、完璧なデッチ上げ契約書だ。
次に、ボイスレコーダーを手に、玄関へと向かう。
ガチャリ。ドアを開け、小声で囁く。
「やあ、キララちゃん。ようこそ。こっちだよ」
カツ、カツ、と自分でスリッパの音を立てる。
「……おいアカリ、靴くらい揃えろって言ってるだろ」
「ふんっ、うるさいわね」
ボイチェンを通したアカリの声も、しっかりと録音しておく。
入室偽装用SE、完成。
さらに、部屋の中で、衣擦れの音、コップを置く音、ため息……様々な「生活音SE」を収録していく。
そして、キララのPR配信用に、ほぼ自動で生放送感を演出する『リアルタイム相槌インジェクションシステム』の構築。
俺は、配信日までの数日間、この狂気的な偽装工作の準備に、すべての時間を費やした。