第11話 社長のあだ名は「ロボ社長」
『社長さんがボイチェンのテストをしてたんだけど、その時の声がすごく面白くってね……あはは!』
しらたま先生が投下した、善意という名の爆弾。
その一撃は、俺、相田譲の平穏な(?)ワンオペ生活に、新たなる波紋を広げていた。
あの配信の後、SNSは「アストラルノヴァの社長」の話題で持ちきりになった。
≪アスのヴァの社長、ボイチェンで遊ぶとかマジかw≫
≪しらたまママのスパチャで暴露されてんの草≫
≪どんな声だったんだろうな。気になるわ≫
≪キララ様とアカリ様を育てた有能社長、実はポンコツ説≫
(不本意すぎる……! 俺のイメージが、俺の知らないところで一人歩きしてる……!)
俺は頭を抱え、エゴサの手を止めた。見れば見るほど胃が痛くなる。
だが、悪夢はそれだけでは終わらなかった。数日後、とあるファンアートがきっかけで、事態はさらに加速する。
それは、アストラルノヴァのファンの一人が描いた、一枚のイラストだった。
キララとアカリが楽しそうに笑い、その後ろで、顔に「社長」と書かれた紙袋を被ったスーツ姿の男が、無機質な表情のロボットのお面をつけて、棒立ちしている。そして、フキダシには、カタコトの文字でこう書かれていた。
『ワレワレハ、シャチョウデアル』
この一枚のファンアートが、バズった。
瞬く間に拡散され、「的確すぎるw」「これが社長のイメージ」「ロボ社長かわいい」といったコメントが殺到。
そして、いつしか俺――アストラルノヴァの社長は、ファンの間で『ロボ社長』という不名誉なあだ名で呼ばれるようになってしまったのだ。
◇
「おはよう、ロボ社長!」
「その呼び方はやめてください、しらたま先生……」
翌朝。俺の城である四畳半事務所に、手作り弁当持参で出勤してきたしらたま先生は、開口一番、俺の心を抉るあだ名で挨拶してきた。彼女は、この状況を面白がっているフシがある。
「だって、みんなそう呼んでるじゃない。なんだか親しみが湧いていいと思うけどな。ねえ、ロボ社長?」
「……おはようございます」
俺は抵抗を諦め、ぐったりと椅子に沈んだ。
しらたま先生がマネージャーとして常駐するようになってから、俺のワンオペ業務は、これまでとは比較にならないほど難易度が上がっていた。
例えば、キララとしてファンにリプライを送る時。
以前なら自分のタイミングでできたが、今はしらたま先生の監視の目がある。俺は「ちょっと、事務所の備品をチェックしてきますね」と不自然な言い訳をしてPCの前から離れ、トイレに駆け込み、そこでスマホを高速操作して返信する、という涙ぐましい努力を強いられていた。
アカリの配信準備も地獄だ。
ゲームのアップデートや設定チェックを、しらたま先生に「アカリちゃんのための準備」だと悟られないように、あくまで「事務所の共用PCのメンテナンス」という体裁で行わなければならない。
「譲くん、最近なんだかコソコソしてるわね。もしかして、また何か一人で抱え込んでるんじゃない?」
「い、いえ! そんなことは! 事務所のセキュリティ対策をですね、こう、色々……」
疑いの眼差しが痛い。だが、真実を話すわけにはいかない。
俺は、いつバレるとも知れない時限爆弾を抱えながら、スパイのような日々を送っていた。
そんなある日。事件は起きた。
しらたま先生が、一枚の企画書を俺の机に置いたのだ。
「譲くん、これ、どうかなって思って!」
タイトルには、こう書かれていた。
『【緊急企画】アストラルノヴァ箱推し感謝祭! キララ&アカリ、そしてロボ社長!? 初の三人(?)コラボ配信!』
「…………」
俺は、企画書を持ったまま、石のように固まった。
三人……コラボ……配信……?
「最近、ファンの間でロボ社長のことがすごく話題になってるでしょ? だから、この際、キララちゃんとアカリちゃんと一緒に、社長も配信に出ちゃうの! もちろん、例のボイスチェンジャーを使って、ロボットボイスでね!」
しらたま先生は、名案だとでも言うように胸を張っている。
冗談じゃない。俺には、キララとアカリの二人を同時に演じることなどできない。
「し、しかし、社長が配信に出るなど、前代未聞では……」
「だから面白いんじゃない! ファンも絶対喜ぶわよ! 『社長、ついに降臨!』ってね!」
ぐうの音も出ない。
ファンの期待、マネージャー(しらたま先生)の期待。それらが、巨大なプレッシャーとなって俺にのしかかる。
その夜。俺は一人、事務所で頭を抱えていた。
どうする? どうすれば、この最悪の企画を回避できる?
キララとアカリとロボ社長(俺)の三人同時配信。
物理的に不可能。
しかし、俺の脳裏に、あの地獄の三者面談の記憶が蘇った。
(……まさか。また、やるのか……?)
そう。録音だ。
キララとアカリのパートを、事前に大量に録音しておく。そして、配信当日は、俺は『ロボ社長』に徹し、二人の声はサウンドパッドで再生する。
だが、三者面談の時とはわけが違う。あれはクローズドな会話だったが、今度は不特定多数の視聴者がいる生配信だ。リアルタイムで流れてくるコメントに対応しなければならない。定型文の録音だけでは、絶対に乗り切れない。
(……いや、待てよ)
俺の脳が、限界を超えた思考の果てに、一つの狂気的なアイデアにたどり着いた。
――リアルタイムの相槌だけ、演じるんだ。
メインのセリフやリアクションは、事前にキララとアカリとして大量に収録しておく。
そして、生配信中、俺はロボ社長として喋りながら、コメントへの反応など、どうしてもリアルタイムで対応が必要な短い相槌――「うんうん!」「そうだね!」「えー!」――だけを、左手でボイチェンのプリセットを瞬時に切り替え、右手でマウスを操作しながら、光の速さで演じ分ける。
ロボ社長(俺)「ソウイウコトガ、アッタンダ」
(左手、ボイチェンをキララモードへ)
キララ(俺)「うんうん!」
(左手、ボイチェンをロボ社長モードへ)
ロボ社長(俺)「ワレワレハ……」
(左手、ボイチェンをアカリモードへ)
アカリ(俺)「ふんっ」
……人間業じゃない。
プロの格闘ゲーマーか、あるいはオーケストラの指揮者にでも匹敵する、超絶技巧だ。一つでも間違えれば、放送事故どころではない。事務所の崩壊を意味する。
「……やるしか、ないのか」
俺は、震える手で企画書を握りしめた。
ファンが、マネージャーが、望むのなら。
ロボ社長は、その期待に応えなければならない。たとえ、その先に待っているのが、栄光ではなく、破滅だったとしても。
ワンオペVtuber事務所『アストラルノヴァ』、史上最大にして最悪のライブパフォーマンスへのカウントダウンが、静かに始まった。