第1話 俺が社長で、俺がVで、俺が事務所だ!
「はぁい、こんキララ~! 天界からみんなの心を照らしにきたよっ、新人Vtuberの星乃キララです! みんな、今日もキラキラしてるかな~?」
俺――相田譲は、完璧なソプラノボイスで挨拶を繰り出す。ディスプレイには、銀髪ロングに天使の輪を浮かべた、それはそれは可憐な美少女――『星乃キララ』が、にこやかに手を振っていた。
コメント欄が、凄まじい速度で流れていく。
≪キララ様、今日も天使!≫
≪こんキララ!待ってた!≫
≪声が国宝≫
≪俺と結婚してくれ≫
(よしよし、今日も出だしは上々……!)
口角をキュッと上げ、俺は内心でガッツポーズを決める。俺の城である四畳半の防音室。壁には吸音材がびっしりと貼られ、机の上にはハイスペックPCと複数のモニター、そして高性能マイクが鎮座している。そのマイクに繋がれた小さな箱こそが、俺の生命線――最新型ボイスチェンジャー『プロジェクトアフロディーテ』だ。
この魔法の箱のおかげで、俺の冴えない成人男性ボイスは、天使の如き美声へと変換される。
「ふふっ、みんなありがとう。今日はね、先日リクエストをもらった歌枠にしようと思います! みんなの心が、ぽかぽか温かくなるような歌を、心を込めて歌うね」
そう、星乃キララは、新興Vtuber事務所『アストラルノヴァ』の看板タレント。清楚でおっとりした性格と、透き通るような歌声が武器の、今まさに人気急上昇中の天使なのだ。
そして、その事務所の社長兼運営兼タレントが、何を隠そう、この俺、相田譲ただ一人。
つまり、『アストラルノヴァ』とは、俺による俺のための、完全ワンオペVtuber事務所なのである!
◇
「――はぁ~……疲れた……」
キララの感動的なバラードで配信を締め、最後の投げキッスまで完璧に演じきった俺は、ヘッドセットを外して机に突っ伏した。ボイスチェンジャーのスイッチを切ると、部屋には俺の低い、気の抜けた声だけが響く。
モニターの向こうでは、数千人のリスナーが「おつキラ~!」「最高の歌枠だった!」と余韻に浸っている。その熱狂ぶりとは裏腹に、俺の現実はあまりにも侘しい。夕食はさっき急いでかき込んだカップ麺。洗濯物は部屋の隅に山積みだ。
(キラキラしてるのは画面の中だけだっつーの……)
しかし、感傷に浸っている暇はない。俺が突っ伏してから、わずか15分後。今度は別の配信が始まるのだ。
「う、うぉぉぉ……! 急げ俺!」
俺は勢いよく顔を上げると、神業的な速度でマウスとキーボードを操作する。キララのLive2Dモデルを閉じ、配信ソフトの設定を切り替え、ボイスチェンジャーのプリセットを変更する。
プリセットナンバー2番、『小悪魔ツンデレ(高音域強め)』。
ディスプレイに表示されたのは、黒と赤を基調としたゴスロリ衣装に身を包み、小悪魔的なツノと尻尾を生やした少女――『鬼灯アカリ』だ。
「……っ、……んんっ! はーっ……てめぇら! 待たせたな!」
咳払いを一つ。声帯をキュッと締め、意識を切り替える。先程までの天使ボイスとは似ても似つかぬ、少し高めで、棘のあるツンとした声。これもまた、俺の声だ。
鬼灯アカリは、キララとは同期デビューのタレント。FPSゲームが得意な、口の悪いツンデレ小悪魔という設定で、キララとは全く違う層のファンをがっちり掴んでいる。
コメント欄が再び活性化する。
≪きたあああああ!≫
≪こんアカリ!遅いぞ!≫
≪今日の獲物(ゲーム)は何だ?≫
≪罵ってくれ!≫
「うるさいわね、眷属ども! 今日の獲物は『Apex Predators』に決まってるでしょ! あんたたちをキャリーしてやるから、せいぜい感謝しなさいよね!」
(やべぇ、キャラ切り替えがギリギリだった……!)
心の中で冷や汗をかきながらも、完璧にアカリを演じてみせる。清楚のキララと、ツンデレのアカリ。この二枚看板のおかげで、弱小事務所『アストラルノヴァ』は、デビューしてたった三ヶ月で、業界でも注目される存在になっていた。
ファンたちは誰も知らない。まさかこの二人が、同じ部屋で、同じ機材で、同じ男によって演じられているなんて。
まさに自転車操業。いや、一輪車操業だ。少しでもバランスを崩せば即、転倒。事務所の崩壊、そして俺の社会的な死を意味する。リアルバレだけは、絶対に、絶対に避けなければならない。
そう固く誓った、その時だった。
ピンポーン。
静まり返った部屋に、無慈悲なインターホンの音が響き渡った。
(はぁ!?)
背筋が凍る。時刻は夜の9時。ゲーム配信の真っ最中だ。マイクが、この音を拾っていないか?
≪ん?なんの音?≫
≪ピザの配達員か?w≫
≪アカリ様、腹減ったんか?w≫
拾ってる! めちゃくちゃ拾ってる!
やばいやばいやばい! 天使のキララなら「あら、天界からの郵便かしら?」とか可愛くごまかせただろう。だが、今は地獄から来た小悪魔、鬼灯アカリだ。生活感は最大の敵!
俺の脳細胞が、フル回転する。
「……ふん。今の音? 地獄の釜が煮える音に決まってるでしょ。そろそろアンタたちみたいな下等な魂を煮込む時間なのよ。集中なさい!」
≪草≫
≪地獄の釜、めっちゃ電子音なんやなw≫
≪さすがアカリ様!≫
≪魂煮込まれたい≫
(よ、よし……乗り切った……!)
冷や汗だらだらで、心臓はバクバクだ。とりあえず宅配は無視だ無視。再配達を頼めばいい。俺はゲームに意識を戻し、敵をなぎ倒していく。
配信を終え、ぐったりと椅子にもたれかかった俺は、SNSを開いてエゴサーチを始めた。ファンたちの喜びの声は、俺にとって何よりの活力剤だ。
「キララちゃんの歌声、マジで浄化される……」
「アカリ様のキルムーブ、かっこよすぎ!」
「アストラルノヴァ、箱推しだわ。キララ様とアカリちゃん、性格は正反対なのに、お互いをリスペクトしてる感じがいい」
そんなコメントに、俺は一人、頬を緩ませる。
(だろ? 俺が考えた最高の関係性だからな……!)
しかし、その中に、俺の心臓を再び凍りつかせるようなツイートを見つけてしまった。
「そういえば、キララちゃんとアカリちゃんって、配信時間が絶対被らないようにしてるよね。新人同士でリスナーの取り合いにならないようにっていう、運営の配慮なのかな? だとしたら、社長さん、マジで有能」
「……」
俺は、乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。
(配慮じゃねえよ! 俺の身体が一つしかねぇからだよ!)
胃がキリキリと痛む。この秘密を、俺はいつまで守り通せるのだろうか。
そんな不安に駆られていると、スマホにピコンと通知が入った。イラストレーターさんからのDMだ。
この人こそ、星乃キララと鬼灯アカリという最高の身体を生み出してくれた、いわゆる『ママ』である。神絵師『しらたま』さん。俺にとっては、足を向けて寝られない存在だ。
しらたま:『譲くん、お疲れ様! 今日の配信も最高だったよ!』
譲:『しらたま先生! ありがとうございます! 先生に描いていただいた二人のおかげです!』
しらたま:『ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいな。それでね、ちょっと相談があるんだけど……』
相談? なんだろう。次の衣装のことだろうか。それとも、まさか新人Vtuberのモデリング依頼!? それは嬉しいが、これ以上ワンオペで回せるか……?
期待と不安が入り混じる中、俺は送られてきた次のメッセージに目を見開いた。
しらたま:『キララちゃんとアカリちゃん、すごく人気出てきたじゃない? だからさ、そろそろ二人のオフラインコラボ、企画しない?』
……オフライン?
……コラボ?
一人と一人が、同じ場所に集まって、同時に配信する……?
「…………は?」
俺の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
無理だ。
絶対に無理だ。
物理的に不可能だ。
どうやって? 俺の分身でも作れって言うのか?
「ええええええええええええええええええ!?」
静かな防音室に、社長兼タレント兼運営である俺の、魂の絶叫が響き渡った。ワンオペVtuber事務所『アストラルノヴァ』、設立三ヶ月にして、最大にして最悪のピンチの到来だった。
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