番外・解決編 マカオのディーラー、召喚を追う
よその世界に神がいるように、地球にも神はおわす。しかも民族ごとに信じる神が違ったりするので、いっぱい
日頃信仰を捧げてくれている民をよその世界に拉致監禁されて、黙っているようでは信者に顔向けできないと思うのは当然だろう。地球神様会議があるかどうかはちょっとわからないが、召喚と言う名の誘拐に対し、救助に向かうのは当然の権利だ
いまここに立ち上がる、竜の姫君。がんばれ我ら地球の女神さま!
なお、応援にお応えして、サンダース少佐 (リーファ)にご登場いただきました
マカオは島だ。そして、多数のカジノがある場所として広く知られている。香港からフェリーにのって1時間くらい行くと、マカオにたどり着く。
海を見渡す高層マンションの16階では、カジノのディーラーとしてかなり有名なひとりの女性が広い浴室に設置した猫足のバスタブにゆったりと寝転び、足元にシャワーを浴びながらくつろいでいる。バスタブの縁に右ひじを突いて頭を支え、スピーカーから流れてくるジャズのサウンドに包まれている。
彼女の名は、李鈴、ただの通り名だが。
細い眉、アーモンド形の目、小さめの鼻、薄く横にスッと線を引いたような桃色の唇、いい位置にある耳、象牙のようでありながら滑らかな肌、腰にまで届く絹糸のような黒髪。パーツではなく、バランスで美しさを表している。とくに、からだから押し出されてくるような一種の覇気が彼女の特徴だ。
リンはディーラーとして、稀有の才能を持っていると言われている。普段はディーラーとして、黒のパンツ、白のシャツ、そして彼女は上級のディーラーだから、銀色のベストを着て仕事をしている。手つきはまるでマジシャンのよう。カードを配る手元も、ルーレットに球を入れる手指も、まるで踊りの手のように美しい。
そして、決して不正なディーリングをしない。カジノは不正をしなくても、客が掛けてくれる限り必ず稼げる場所なのだ。
彼女の真骨頂は大勝負を受けるときに発揮される。百万ドル以上の勝負になると、見ただけで掛け金より高いとわかるドレスと宝飾品を身に纏って受け方の席に着く。
カードの勝負で負けたことはない。レイズは夢のように嵌り、引き際は見事の一言。
もちろんこれには、秘密がある、というか、ミス・リンにとっては、児戯にも等しいことなのだ。
夕日が差し込む浴室で、組んだ足をバスタブの縁に掛け半分眠っているリン。その足がするすると伸び、深緑の鱗に覆われた人魚の尾のようになる。胸元からエメラルド・グリーンの鱗が立ち上がってきて顔を覆い、髪の間からは細く、枝分かれした角が2本、耳は尖った鰭のように形を変え、元は白っぽい翠に、先に行くほど緑になる。頭を支えている腕も次第に鱗に覆われ、爪が長く伸び、薄緑に染まる。髪だけが元の艶やかな黒だ。
大きく開いている窓からトビウオが飛び込んできて、ちゃぷん、とバスタブに落ちた。
「姫、姫、起きてください、竜王さまからお言葉です」
「え、うーん、おじいさまが何ですって?」
まだぼーっとしている竜姫は、目をしばたかせてトビウオを見た。
「ねえ、ピント、あなた海からここまで飛び上がったの?」
「嫌ですねぇ、姫君、さすがの私もこの高さまでは。
ジョナの背に乗ってきました」
「え、カモメの? よく食べられなかったわねぇ」
「ジョナは卵の時に巣から落ちて、姫君自らお助けになったカモメです。お仕えする私を食べるなどあり得ません」
「あらー、そうだったかしら。 そんなこともあったかしらねぇ。
まあ、いいわ。 おじいさまが何と?」
「はい、このところ星から女性が次々に異星に連れていかれていることは姫君もご存じのとおりです」
「ええ」
「竜王さまは、姫君に彼女たちを全員救出して連れ帰れ、との思し召しです」
「ええー、わたくしが? なぜ!」
「いやー、まあ、色々あったみたいでしてね、断り切れなかったとか何とか……」
「おじいさまが断り切れなかったのなら、ご自身でお行き下さいと伝えなさい」
「えー、竜王さまは、『儂はもう年でのぉ、到底異世界までは行けのうなった。ここは若い者にひとつ活躍の場を譲りたい』との思し召しでして」
「何ですって! 異世界から誘拐に来たの? どうなっているの」
「いえ、えーっと、よくわかりません。私が知っているのは、直接異世界から誰かが来て攫って行ったのではないそうでして。何ですか? 魔力というものを使って、界を越えてまで召喚したとか。下賤の身の私にはよくわかりませんで、申し訳もなく」
「はあ、何が年よ、異世界まで行けない? リーリエ界合の別荘潰すわよ、どうせ通過するし」
ピントは、いまのセリフは聞かなかったことにした。
「おひとりでとまではおっしゃっていませんでした。若頭のカイノさまへ姫をお助けするようにとの命が出ております」
「え、カイノ?」
カイノは、竜姫の婚約者候補筆頭だ。まだ候補なのに、異世界までついてこさせるとは、おじいさまはカイノに入れ込んでおいでね、と竜姫はげんなりした。竜神としてはまだ若いカイノはどちらかと言えば力で解決するタイプで、ちょっとおかしいほどの怪力だ。力の加減もできそうではなく、近づくのが嫌だ。
「仕方がないわねぇ、竜王の顔を潰す訳にもいかないし。お迎えに行きましょう。実際、放っておくこともできませんしね、誰かがやるしかないのですわ」
「さすが姫! このピント、どこまでもお供いたします」
「いえ、ピント、宇宙空間を行きますのよ、空気もないし水もないし」
「やあやあ、それはさすがに。残念です、ああ、水がないと生きて行けない我が身がつらい」
「ま、誰にでも苦手な領域はありますわ、元気をお出し」
「はい、姫君」
リンはケータイでカジノに連絡し、しばらく休む旨を伝えた。カジノのオーナーはリンだから、代理を指名していくつか注意事項を伝える。
「大勝負を仕掛けられないよう、私の不在は知られないようにしなさい」
「はい、いつも通りに」
竜身のままなので、ベルをチンと鳴らしてメイドを呼ぶ。メイドはタツノオトシゴの化身だ。
「姫君、御前に」
「竜王の命で、しばらく留守にします。若頭のカイノが従者です。
ここは任せます」
「承りました」
竜姫は、ピントを肩に乗せ、バスルームの窓から飛び出した。体が長く伸び、次第に竜形に変じていく。竜神の姿をとっている時には、人間からは見えない。体をわずかにくねらせて、悠々と空を泳いでいく。
「姫、いつもながらではありますが、まことにお美しいお姿にて」
やがて、ピントの為に高度を落とす。
「このあたりでいいかしら? わたくしは月の裏側で待つとカイノに伝えなさい」
「御心のままに」
ピントは、ひょいと海に飛び降り、一度海面をジャンプ、姫に片鰭を振って海に潜っていった。
竜神は、中半精神体で実体はその右手の珠の中にある。彼女には真空も、磁気嵐も、絶対零度も何ら影響を及ぼさない。月の裏側でカイノと待ち合わせ、この先の計画を打ち合わせる。
「なんだってこうも頻繁にうちの星から召喚されるのかしら」
「はい」
カイノは、あまり会話に向いていない。無口というより、感情にあまり振幅がなくて、感情表現が苦手なのだろう。竜姫もそれは心得ていて、話の出来ない奴とは思っている。だが、あまり気にしていない。人はそれぞれ、いや、竜神もそれぞれなのだ。
「召喚元は?」
カイノが黙って書類を差し出す。
「情報転送で」
「は」
頭に情報が流れ込んでくる。
「最初が真田愛希、日本人、高校生ね。行き先は……ああ、これはすぐね。
つぎが、アゼリア・ストルテンベルグ、オランダ人、大学教授、物理学博士ね。
この女性は、リーリエ界合から行かないと。異世界に手を出してまで誘拐とか何考えてるんのかしら、あちらは。
三人目は、リーファ・メイ・サンダース、アメリカ人、空軍少佐で宇宙飛行士? なんだってまた。
あ、サンダースは自力というか、あら、面白いわね、公式記録上初めて地球外知的生命体と接触して帰ってきた人間になったのじゃないかしら? しかも連れて帰ってもらったって? すごいわね、さすがというべきかしら? ああ、この少佐にちょっと仕事を依頼しましょう。
四人目は、えーっと? ミカエラ・ピーニャ・メンデス、スペイン人、闘牛場支配人補佐? これもリーリエ界合、あれ? ストルテンベルグ博士と同じ星ね。どうなってるのかしら」
「姫」
「はい?」
「エネルギー波が近付いています。次の召喚ではないでしょうか」
「この忙しい時に、次?
どこから?」
「銀河系中央方向です」
「じゃあ、ちょっと後回しになりそうね、えっと、よいしょ、これを渡して、しばらく凌いでもらうわ。
追うわよ」
「はい」
竜姫と従者は、エネルギー波を追って中東サウジアラビアにたどり着き、今しも召喚陣に捕らわれて連れ去られようとしている、今里健司とルース・ミーガンを特定した。そして、今里が日本人だったことで、用意した情報解析用のタブレットにいくつかの機能を追加して持たせることにした。
「あら、これは近くからね。
イマサト・ケンジとルース・ミーガン、救い出しに行きますけど、行き先で少し待っていてもらいたいのです」
「はあ?」
「私は竜王の孫です。今回の一連の転移について救出を任されました。
すでに取り掛かっていますが、今里とミーガンに掛かっている召喚は、異世界からではありません。銀河系内からです。異世界のふたりを先に救出したいので、少し時間がかかります」
「え? 異世界じゃない?」
「そうです。
スペインのケースは知っていると思います。イギリスのケースはストルテンベルグ博士で、このふたりは異世界から召喚を受けたのです。はあ……。
救出はわたくしと従者のふたりで行いますので少し時間がかかりますが、必ず行きますから、待っていてください。
これは、あなた方が言うところのステイタス・ボードに近いものです。ケンジなら自在に使えると思います。
ケンジたちの言うチートもたっぷりつけておきました、好きなように楽しんでいてください。わたくし共の庇護下にある民に手を出したのですから、あとは野となれ山となれで結構です。ふたりで思い通りにしていていいですから」
「はぁ」
召喚を途中で遮るのは危険だ。生体を素粒子分解して界渡りさせ、再び生体に組み上げるという複雑な手順を遮ると何が起こるかわからない。最悪、地球ごと爆砕する。見送るしかなかった。
面倒なことしてくれて、許さん。召喚陣破壊はとりあえずやる。あちらの神にケンカを売るつもりはないけど、っていうか、星間戦争始めるつもりはないけど、誘拐された我が星の民は取り戻す!
「カイノ、頭に来たわ!」
「当然です、目の前で民を攫われて黙っている我々ではありません」
「いくわよ、あ、そうか、まずサンダースね。
人間を生身で連れ帰るには、準備がいるわ」
アメリカ空軍少佐、宇宙飛行士、地球外知的生命体と遭遇して帰還した地球人、リーファ・メイ・サンダースは、操作していたパソコンに文字が浮かび上がるのを見ていた。最初はハックか同僚のいたずらかと思ったが。
「サンダース少佐、わたくしは連れ去られた五人を取り戻しに行きます。あなたの助けが必要です。銀河系共同マーケットで、スペースシャトル型の地球着陸用機体と、六人分の宇宙服を買いますので、選んでもらいたいのと、地球帰還時の着陸機操縦をお願いします」
はぁ?
「マーケットから、あなたを呼び寄せます。わたくしを信じて、来てください。
地球帰還地点は、あなたにとって着陸しやすいと思われるケープカナベラルとします。
依頼料として、空軍には宇宙服と着陸機、サンダース少佐個人には一億ドルを支払います。
帰還時で依頼終了とします」
呆然とするべきか怒るべきかよくわからなかったサンダースは、とりあえずその通信文を情報部と上司に転送し、呼ばれたら行くしかないので後はよろしく、と付け加え、その場で待機していた。
すぐに来た返信は、サンダースの給与振り込み口座に一億ドルの入金を確認した、と伝えていた。
百五十億円だよ! さすがマカオのカジノ・オーナー!
えーっと、アメリカの所得税の最高税率が二十五%くらいだったと思うから、百十億円くらいかなあ、いいなあ……日本なら、えーと、四十五%くらい? ほかに地方税と国民健康保険と年金を支払って~、五十億くらいは残るのでは……いいな~、エンがないけどな~、うらやましいなぁ~
「サンダース少佐、遠いところを呼びましたが、あなたは初めてではないのでこちらも気楽に呼んでしまいました。
今回はわたくしだけではヒトを連れ帰ることができないので、お願いします」
「は、ご依頼の件、承りました。軍の上部からも“行ってこい”“貴様なら何とかなるだろう”とのこと、出張扱いになりました」
「まあ、おほほ、出張ですか、行き先は異世界ですけれど、書類記載はどうなったのでしょうかねぇ」
「はあ、そのあたりはわかりません。
ところで、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ええ。人の形をとっているときの呼び名はリンです。普段はマカオでディーラーをしています。
あなたに支払ったのも、わたくしの個人資産ですから遠慮なく受け取ってください。不正資金などということはありませんので、安心してください」
「ええ?」
「人の形をして地上におりますが、竜王の孫です。唯一の孫なので、単に竜姫と呼ばれています。従者は、カイノと言います。一族では若頭をしています」
「はあ」
*竜という漢字は、龍の簡易体だそうですが、日本人の持つイメージはこんな感じではないでしょうか
龍:中国起源の青龍で、四神の一。東、青、春、風などを象徴
竜:鯉が滝を上って竜になる、だから、水を象徴している、十二支の辰
竜の子太郎の母は、村の掟に背いてイワナを食べ、罰として竜にされ
湖に住みますよね、龍とは少し違うイメージです
このお話では、竜は水を支配する神、竜王は海底にある竜宮城の主で竜神一族の長、と設定しています*
サンダースは困惑するしかない。これは神話の世界なのか、目の前にいる美しい東洋人は頭に二本の細い角を持ち、耳は鰭、手は鱗に覆われ爪は長く伸びた緑色をしている。
「あら、驚かせてごめんなさいね、人の形になりましょう」
竜姫はすっと“マカオの有名ディーラー、リー・リン”の姿になった。
「姿かたちや名前にそれほど大きな意味はありません。ですが、あなたの前ではできるだけこの姿でいましょう」
「はあ、よろしくお願いします」
サンダースは、二度と来ることはできないだろうと思っていた銀河系共同マーケットで、聖女召喚された五人の女性と、巻き込まれたひとりの男性のために地球帰還時に着用する宇宙服と、七人が乗れる着陸用機体を選んだ。
大変な金額になると思われたが、竜姫は特に気にしていない。
「マーケット管理者に、地球の情報を売りましたのよ。何しろ銀河系の端の端、辺境にありますのでね、地球は。ここに登録される情報としては初めてですわ。テラと登録して、知的生命体が現在八十億、衛星ルナにたどり着いたところで、百年以内にヴィーナス(金星)、マーズ(火星)、ジュピター(木星)に到達可能としましたの。管理者は大喜びでしてよ」
「そ、その情報で、これほどの買い物が?」
「やはり少し足りませんかしら? その時は、ボイジャー1号と2号の情報も売りましょう。
宝探しが始まりますわよ、未開文明からの通信となれば、市場価値は天井知らずですもの」
「はあ。 未開文明……」
「気にすることはありませんわ、民が幸せならそれでいいのです」
「はあ」
文明の最先端にいると自覚している宇宙飛行士が、「うちの文明は未開」「地球人は銀河系の端の端にある辺境の民」と言われたのだ。落ち込む以外の反応はないだろう。
「サンダース、これを操縦できますか?」
それは、地球産ではないものの、かなりスペースシャトルに似た構造の離着陸機だった。重力から離脱するときはブースターではなく大型双胴飛行機を使うそうだが、着陸だけなら楽にできると丁寧な説明を受けた。高価な買い物に客がついて、マーケットの商人は心なしか嬉しそうに見える。広い展示場に置いてあるのは説明用で、試乗もできるとか。
「竜姫、リーファとお呼びください。はい、これならばできます」
「そう、じゃあ宇宙服を積み込んで、リーファは乗りなさい。リーリエ界合へ向かいます」
「は」
機は、地下からパレットに乗せられて浮かび上がってきた。リーファは軽々と乗り込み、操縦系統を確認した。降りるだけでいいのだから、何とでもなる。宇宙飛行士は戦闘機で空母に離着陸できるし、ジャンボ機でタッチ・アンド・ゴーだってできる訓練を受ける。
竜姫と従者は竜の姿に戻り、リーファの乗る着陸船を精神体で包み込み、光流(*説明あり)に乗ってリーリエ界合へと急いだ。
「竜姫、リーリエ界合とは?」
リーファと竜姫は、直接会話しなくても意思疎通ができるようになっている。
「こちらの界と、ストルテンベルグ博士とミカエラ・メンデスが召喚された界が重なっている地域ですわ。祖父が若い頃に見つけて、祖母の名を付けましたの」
「はあ」
竜王の若い頃って、どのくらい前?
「さあ、リーリエにはいるわよ」
「はい」
「心配しなくてもいいわ、ここを通過すれば、質量保存の法則は適用されないのよ。
普通に界を移ろうとすると、一度こちらの界を出て、違う界に入ることになるけど、それはできないの。界から質量が失われるから。でも、界合では二界が重なっているから(ふたつの界がまず接触し、運よく反発し合わず穏やかにオーバーラップした:作者の妄想)、ひとつの界とみなされるのね。ここを通れば界の移動は自在よ。
召喚されたふたりも、ここを通過したはずね」
「はあ」
界合は、べつにそのあたりの宇宙空間と取り立てて変わったところはなかった。
「この界合は祖父のお気に入りなの。ほら、そこに小惑星が見えますでしょう? 祖父はあそこに別荘を持っておりますの。“宇宙規模の思索が捗る”とか言っておりますけど、どうせいい加減な言い訳ですわ」
「はあ」
リーファには、もはや「はあ」以外の言葉の持ち合わせがない。
「この星に、ふたりいますのよ。リーファは周回軌道で待っていてくださいます? 連れて上がって来るだけならわたくしひとりでできますの、上がってきたらお任せしますので説明係をお願いしますわ。ヒト同士の方が上手く説明できますでしょ?」
「お任せください」
事情説明は、リーファが最近たっぷり実戦を積まされた任務だ。いろいろな組織を連れまわされて、異星での出来事を何回も何回も、な・ん・か・い・も、繰り返させられたのだ。今や事実説明ならバッチコイレベルである。おまけに、この後帰国したら同じことの繰り返しだ。おそらく、いや、絶対。
1億ドルの報酬がなければ空軍を退職して逃げ回っていたかもしれない。
「カイノ、場所」
「は。 まず召喚場所になさいますか」
「召喚陣の破壊は任せます。ミカエラの場所を」
「召喚場所から近い、王都城壁の西にある迷宮入り口傍です。“闘魔場管理ハウス”という看板が掛かっている大きな建物内にいるようです」
「わたくしはそちらでミカエラと会ってみます」
「はい。終わりましたらすぐにおそばに」
「ちゃんと手加減しなさい、召喚陣と建物までは許しましょう」
「仰せのままに」
「ミカエラ・ピーニャ・メンデス、違いありませんか」
「はい? ええ、どなたですか?」
驚いて目を見張ってしまう。何の気配もなく、空気中からにじみ出るように美しい東洋人が現れた。
「わたくしは、依頼を受けてあなたを連れ帰りに来ました。あなたの神はその依頼人の内のひとりですが、あなたはどうしますか? 故郷に帰りますか?」
「おお、アベ・マリーア、神と御子と聖霊に感謝いたします、もちろんです。大天使様」
ミカエラの大きな瞳から涙が零れ落ち、ひざまずいて手を合わせる。
「いえ、わたくしは竜王の孫。依頼を受けただけです。
大変苦労させたでしょうね、お話は帰還機内でゆっくり聞きましょう。今はあなたに尋ねたいことがあります。
このままこの場所から帰還機に向かいますか?
もし、思うことがあるなら迎えが遅くなった詫びという訳でもありませんが叶えましょう。むざむざ民を異世界に攫われ、神はお怒りです。この都市ごと破壊しても構いません」
「え、はい。もちろん恨みは深うございます……。
ですが、竜の姫君、私は自分のできる限りのことは致しました。
この地の人々が自力でも魔獣を倒せるよう、訓練の手順を手配しましたし、その報酬は全く提示されませんでしたので、いささか卑怯な手も使い、金貨を山ほど稼ぎました。願わくは、この施設がこの先も運営を続けていけますよう」
「ミカエラ、悔しくないのですか」
「もちろん、最初はそのように。
ですが、彼らはなぜわざわざ異界から私を呼んだのでしょうか。自分たちでは手に負えないと思ったからです。
この地の人々は、方法を思いつかなかっただけではないのでしょうか。私は苦しみを娯楽に変えて、魔獣討伐が単なる苦難ではなく、稼ぎになるようにしました。神の御心に沿ったかどうかはわかりません、ですがこれが私のできる最上のことでした」
自分のやったことを、最大限“いいように言いつくろって”いるだけなのだが、まあいいだろう。結果的に見るならば、別に嘘というわけでもない。
「そうですか。それでは帰りましょう」
「はい。 ところで、ここで稼いだ金貨を成功報酬として持ち帰ってもよろしいですか?」
さすが交渉慣れした闘牛場支配人見習い、手落ちはないねぇ。
王宮近くの神殿がドッカーンと音を立てて崩壊するのを後に、ミカエラは金貨を詰め込んだ袋を抱え、竜姫に抱かれてサンダースの待つ帰還機へと上がっていった。
「つぎ、ストルテンベルグ博士」
「召喚場所からは遥かに離れた魔獣の森の真ん中にいます」
「……わかりました。 召喚陣はまかせます」
「は」
「アゼリア・ストルテンベルグ、違いありませんか」
「ええ、そうですけど」
ちょうど逆転転移陣の糸口をつかみかけていたアゼリアは、夢から覚めたように竜姫を見あげた。
「わたくしは、地球から召喚された人々を迎えに来ました。
アゼリア、そなたは地球に帰りますか」
「あ、はい。もちろんです。大学の後期講義が。今ならまだ間に合います」
「そうですか、このまま帰還機に乗りますか、もし心残りがあるなら叶えましょう」
「あー、そうですね。 そうそう、ここの者たちは、災害対策を依頼していながら報酬を出さなかったのです。公共事業を個人に無償でやらせようとか、ありえますか?
誘拐および監禁の慰謝料、および、災害対策依頼料・成功報酬として、二百万ユーロを請求します」
竜姫は頭が痛そうな顔をしたが、ちょっと待っていて、と言って王宮に行き、金貨の袋を持ち出した。
アゼリアは、金貨の詰まった重い袋を抱え、竜姫に抱かれて帰還機に入っていった。
はあ~
帰還機の中では、リーファが“最初の事情聴取”を始めていた。ミカエラとアゼリアは、地球に帰る場所が自国ではなくアメリカのケープカナベラルであることを知らされ、すぐには家にも職場にも帰れないことを悟った。まず隔離期間があり、経過観察で少なくとも半年程度は拘束されると聞いて、げっそりした。
そこから状況を事細かに、それこそ分刻みくらいに追い込まれながら説明させられたのだが。こんなのは序の口と言われて、一瞬ではあるが、帰りたくないと思ったほどだった。
リーリエ界合を通過するときは、アゼリアが竜姫を質問攻めにした。アゼリアとしては、ブラックホール理論のブレイクに繋がるのだから当然だった。だが、竜姫は、「あれは粒子の渦で、エネルギーの均衡が成立すれば自然に解消するもの」という物理学者には訳の分からない解説をするばかりだった。何しろ、”自然に解消する“のに必要な時間が数億年だというのだから、神の他にこれを見るものはいない。スパコンにひたすら計算してもらおう。あ、まず想定初期値と計算式を編み出さねば、がんばって~
面倒になった竜姫は、人形を解いて船外に逃げて行ってしまった。
何か月かぶりに“捕まえた”議論相手に逃げられたアゼリアは、心から残念に思ったのだった。
「ああ、疲れたわ」
「はい」
「アゼリアには近づかないようにしないと」
「はい」
「はぁ~」
「さあ、来たわね。三人は大丈夫そうね」
「お元気そうです」
元気っちゃこれほど元気な集団もあまりないだろう。膨張する宇宙同士がオーバーラップしているという、奇跡の空間というか。まず複数宇宙を認め、更にビッグバン説、その膨張域での“穏やかな重り合い”を認めないとありえない空間を通過したのに何も気にしていない。
アゼリア、理論物理学者的にはこれでいいのか? 熱を出して寝込んでもいいんだよ?
「じゃあ、行きましょう。
ここは、真田愛希ね。怒っているでしょうねぇ」
「当然です」
「真田愛希ですね」
「は、はい」
「わたくしは、地球の神、竜姫です。 愛希は日本人だから、わたくしの言うことも少しはわかるでしょう」
「え、はい。 誘拐されたので取り返しに来てくださったのですね、ありがとうございます、ありがとうございます。毎日神仏にお祈りしていました」
「では、帰りますね?」
「はい、もちろんです。ここの女神さまとかもう無茶苦茶横暴なんです、自分の国の民にやらせればいいのに、私を連絡係に使うんです、ひどいんです」
「そうですか、苦労させました、もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、うれしい!」
この質問は、できたらしないで済ませたいところではあったが、一応形式は踏む。
「愛希、ずいぶん悔しい思いもしたでしょう、この星で仕返ししたいとか、心残りがあるなら、立ち去る前に叶えてあげましょう」
「ええー、本当ですか、やった! 絶対に仕返ししたい奴がいるんです、いいですか」
「いいですよ、何だったら、王都ごと潰してあげましょう」
「いえいえ、そんなことどうでもいいです。
ここの王子を女性の真っただ中で素っ裸に剥いて当分立たせておきたいんです、お願いします!」
「はい?」
「カイノ! 転移陣の破壊をちょっと待ちなさい。愛希が王子にやり返すまで待ちなさい」
「は」
愛希は、竜姫とカイノを前に、切々と悔しさを吐露した。
ここの王子は、私が召喚された時に裸だったのを見て、男がいっぱいいる部屋の真ん中で立ち上がらせたんです! バカヤロー、ちょうど髪ゴムも消えていて、私は座っていたから、髪の毛で全身隠れていたのに、それをわざわざ手を取って立ち上がらせて、後ろに回ってからローブを着せかけたんですよ! 変態!
あいつのプライドを粉々にしないとこの先夢に出るほど悔しいわ、お願いします竜姫さま、従者さま!
よろしい、引き受けようじゃないか。うちの星のかわいい娘に何してくれるんじゃい、屈辱には屈辱を!
その夜は、タイミングよく王宮で舞踏会が開かれていた。貴婦人が華やかに踊っている中、聖女の手を取ってフロアの真ん中にネイテ・ゴリアン王子がでた。踊っていた紳士、淑女が一斉に場を開ける。
フロアを囲んで大勢の貴族が見守る中、突然愛希がしゃがみ込む。
ネイテ・ゴリアンの衣服が一枚ずつ剝がされていく。
あっけにとられて見守る人々は、何故か足が動かない。
上着のボタンがひとつ、ひとつ、と外され、上着が剥がされる。シャツのボタンがひとつ、ひとつ、シャツが剥がされる。ズボンの前立てのボタンがひとつ、ひとつ、ズボンが床に落ちる。
そのあたりで貴婦人の悲鳴が上がるが、誰も動くことができない。
最後に靴と靴下、下着まで剥がされた。
見えない手がネイテ・ゴリアンの裸の胸から腹に掛けて、派手にウインクしたまつ毛の長い大きな目と、緩やかなカーブで表現された口を次々に描く。口の端からは、ぺろりと小さく舌がはみ出している。最後に開いている方の目の下に小さくハートを書いて、落書きは終わった。
宴会芸?
愛希は、聖女のローブを脱ぐと、うっかり王子を見上げないように用心しながら目の前に積み上げられた王子の衣装をかき集めて包み込み、竜姫に抱かれて帰還機に上がっていった。
眼下には王宮の一棟が爆炎を上げて崩壊するのが小さく見える。
機の中では、話を聞かされた三人の女性が大爆笑を楽しんでいた。
「うっわははは! やるな、アキ、見たかったぞ」
下ネタに強い軍人、リーファである。
「ええ、リーファさん、見ていた人は、ネテイルゴリラを見るたびに、あの落書きが同時にフラッシュして、笑いをこらえるのに必死になるでしょう、ザマミロ、ヘンタイ!」
「大変結構よ、王家の持つべき慈愛を忘れた王子にはまだ足りないほどです、うふふふふ」
オランダ人のアザレアである。オランダには王家があり、父が政治家であるアザレアは、王家には常に厳しい目を向けている。
「はい、ありがとうございます。あの側近のハゲテルンも立場がないでしょう、ザマミロ・ツーです!」
自分の裸を正面で、しかも最も近くで見たハゲテルンについては、愛希も思うところが大きい。だが、彼自身の責任とまでは言えない。ぶん殴りたいところだが、殴る手が触るのすらキショイ。精々失脚するがいい、と思う。
「くくくくく、私も見て見たかったけど。ねえ、アキ、誘拐と幽閉、強制タダ働きの慰謝料はもらわずに来ちゃったの? もったいない」
「ミカエラさん、これを見てください。これ。本物の王子が着ていた礼装一式、靴と下着まで全部です、使用済み。それで、こっちは、異世界の聖女に与えられた衣服一式です。下着は嫌ですけど。
ネット・オークションに掛けたら、どのくらいの値が付くか想像もできません」
「はーい、なるほどねぇ。よくやったわ、ちゃんと集めてくるなんてえらいわ」
「アキ、ネットでなくとも、クリスティーズかサザビーズに依頼してはどうだ。大騒ぎになるだろうがな」
「へへへ、いいですね~、稼いじゃいましょ」
「いいわね!」
こいつらは!
最後にチャリオット・レースで盛り上がり、六人の地球外知的生命体遭遇者は、竜姫と従者に護られて無事に地球周回軌道に帰ってきた。
「ケープカナベラル、こちら、サンダース、帰還しました。着陸を要請します」
「え、いや、サンダース少佐? 本当に帰ってきたのか、すごいな。
すぐ報告して、手配するから周回して待て」
「は」
着陸は、大気圏突入時という危険な時間帯を竜姫が精神体で着陸機を包み込んで安全を確保、機はスムーズに着陸した。
おかえりなさい!
そして、事情聴取がんばって!
竜姫は、従者を竜宮に帰し、マカオのマンションに帰ってきた。
さっそくバスルームでシャワーとジャズを楽しみながら、ゆったりと寝そべる。
「ああ、よかったわ、年内に終わって。
年が改まったら巳年で蛇の担当になるもの。
蛇神さまが行くのはいいけど。ちょっと大変だったかもね、ふふ」
元気極まりない五人の聖女が巨大な蛇を恐れたかどうかはまあ、疑問を残すところではあるけれども……。途中で交代するにはかなり遠かったのは確かだよね。
竜姫はバスタブで半分眠りかけている。次第に足が尾に変わり深緑の鱗に覆われていく。
トビウオのピントが飛び込んできた時と同じように夕日が差し込み、バスルームを薄紅色に染めている。
お疲れさまでした、竜姫さま。
異世界教訓 番外:
自分の星のトラブルは、自分の星のメンバーで解決しよう!
End of this story, thank you for all of you, Granite
来年召喚されるかもしれないみなさま、お迎えは多分巨大な白い蛇神さまですね~
蛇さまがちょっと苦手だと思われる方々、心に備えあれば、未来に憂いなし。三十六計逃げるに如かず
空から差してきた金色の光に包まれそうになったら、全力ダッシュでその場から逃走! ですね!
再来年、お馬さんがお迎えに来てくれるなら、倉名は行ってもいいです~
チートモリモリ・タブレット付きならもっといいです
*に応えるコーナー:光流
作者が勝手に考えて名前を付けました。
えーっと、海に海流が、大気に気流があるように、宇宙空間には光流がある、と考えました。一応、フラクタル幾何学的に、大は小を繰り返す、という考え方を基にしています
陸に住んでいるときは気が付きませんが、一度大洋に出ると、海には引力と水温差を主な原因とする潮流があることがわかります。黒潮とかオホーツク海流とか名前が付いています
また、大気には自転と気温差を主な原因とする気流があります。偏西風という名前は天気予報を見ているとしばしば耳にするでしょう
だから、人類が太陽系を離脱することができたら、太陽系は一種の“島・静かな空間”であって、そこから離れれば海流のような、気流のような、光 (あるいはエネルギー)の流れ、つまり“光流”があって、恒星間飛行はワープを使わなくても意外と光流でイケルのじゃないか、と思っているわけです
宇宙は聞いても現実感がないほど凄いスピードで拡張していて(ビッグバン仮説。論拠は赤方偏移、ググってください)、銀河系は凄いスピードで回転しているのだから、それくらいはあるのじゃないかと思うのです
行ってみないとわかりませんけど
お読みくださってありがとうございます
リーファのお話を気に入ってくださった方々、一度諦めた完成にたどり着けたのは、皆さまのおかげです。リーファからも皆さまおひとりおひとりにお礼を
よい年をおむかえください
倉名依都