ケース5 ラリードライバー、聖女として召喚される:職業 スポーツカー・ドライバー
召喚理由:相手が何か言う前に召喚部屋から逃げ、王都からも去ったので、不明
普通には見ない珍しい職業の女性が聖女召喚されるお話その4です
カーレースといってもいろいろだが、ラリーは一般公道をはじめとして、積雪路・凍結路から砂漠・サバンナまで、主としてサーキットではないところを走る。指定された区間を指定されたタイムで走り、その正確性を競う。F1やGTではドライバーがひとり乗っているだけだが、ラリーではドライバーが運転席に、ナビゲーターが助手席に座り、ふたり一組で車をコントロールする***ルース・ミーガンと今里賢児は、砂漠のレースを走っている真っ最中に召喚された。ドライバーのルーが召喚されたのだが、レース中で車の中だったため、車とケンも巻き込まれた。今回は、度重なる召喚に怒れる地球の神が干渉した。神からタブレットをもらったケンは、ルーとともに召喚された地から逃げ出し、救助を待つ間、チャリオット・レースをエンジョイするのだった
「成功です、成功しました」
「ああ、何とありがたい」
部屋に居並ぶ神官服の人々は、立派な椅子に座る人物に体を向け、膝を突き、頭を垂れた。
「皆の者、よくやり遂げた。
だが、これはなんだ」
「は、聖女さまのお乗り物ではないでしょうか」
「では、お出ましいただけ」
「は」
部屋の床には巨大な召喚陣が描かれている。
陣の上には、四個の黒い車輪の上に覆いかぶさるように白と赤の金属板が立ち上がり、前方は長めに、後方はごく短く突き出し、中央部が柔らかな曲線で上にせり出したような形だ。見たことのない形で、せり出し部分の四方に窓がある。窓には半透明の板が嵌っているのだが、薄く色がついていて内部を覗いてもよく見えない。ただ、中に誰かがいるのはわかる。
乗り物の横腹には、いろいろと字のようなものが書いてあるが、全く読み取れない。
大神官に命じられ、補佐の者が近づき、軽くノックして呼びかける。
「聖女さま、お出ましを」
内部から返ってきたのは、低い男性の声だった。
「大聖女さまの身なりを整える時間をいただきたい。しばしお待ちいただけるだろうか」
「王がお待ちです、どうぞお急ぎいただけるようお願いいたします」
「わかりました、少々複雑な衣服をお召しで、着替えに手間がかかります。侍女が同乗しておりませず、わたしでは手をお貸しできません、どうぞお察しください。
準備整い次第、わたしが扉を開け、エスコートいたします」
「はい」
ルース・ミーガンは、ケニアでドイツ系の母とケニア人の父の間に生まれた。父母は結婚に至らず、母はルースを連れてドイツに帰った。祖父がカーレースの関係者だったため、ルーはサーキットを遊び場として育ち、やがてカートを運転するようになり、才能を見出された。
女性であり、黒人種の特徴を持ち、ドライバーの才能を見出されたとなれば、周りが放っておくはずもない。彼女がドライバーとして存在することそれ自体、カーレース業界が性差別・人種差別をしていないということの証となりうるからだ。まして、祖父がドイツ人で関係者なのだから、妙なことにならないように祖父が、あるいは祖父を通して“適切なアドバイス”をすることもできる。
だからと言って特別な待遇を受けたわけではない。ドライバーとして素晴らしい才能を持っていたが、なかなか結果を出せず、二十四時間耐久レースの補欠ドライバーとして登録されたものの、結局出番がなかったというのが最高の履歴だった。
ドライバーを続けるかどうか迷っているとき、日本の部品メーカーから派遣されていた今里賢司と出会ったことがルーの再出発点となった。
ルーとケンはプライベートな関係を結び、ケンはカーレース関係者としてルーの祖父に認められ、会社を退職してメカニカル・アドバイザーとなった。ルーの所属チームとしても、日本の部品メーカーとのパイプが太くなるというメリットがあった。
ケンはルーを公私ともにパートナーとして支えながらサーキットを巡り、やがて提言することになった。
「ルー、俺がナビをするから、ラリーに転向しないか」
「え? ラリー?」
「うん。どう?」
「どうと言われても。なぜ?」
「そうだね、俺はルーは素晴らしいドライバーだと思う。
でも成績が伸び悩んでいるね。理由をいろいろ考えたんだけど、やっぱりこれかなと思うんだ」
「理由があるの? 私の力が劣っているのじゃないの?」
「あのさ、ルーは瞳の色が黒だろう? おとうさんの血を引いているんだよね」
「そうよ、ケンと同じ色ね」
ここでちょんと目尻にキスされる。まあ、それはどうでもいい。どうでもいいけど、ちょいと抱き寄せて、髪を撫でる。スキンシップは大切。Ich liebe dich, Rue. (イッヒ・リーベ・ディッヒ、ルー。愛しているよ、ルー)も抜け目なく付け加える。パートナー円満のコツだし。
「レースに関係しているうちに、気になって調べたんだよね。
ヨーロッパの人って、目の色が薄いじゃないか。黒はあまりなくて、水色とかハシバミ色とか」
「それで?」
「それって何故だと思う?」
「さあ」
「それはね、ヨーロッパが北にあるからなんだよ。北は太陽光の差す角度の関係で夏でも光が弱いんだ。
難しい話は省いてしまうけど、赤道に近いところの人々は、強い太陽光に適応して、瞳の色が黒いんだよね。光で目がやられないようになっているんだ。
極に近い場所に住む人たちは、弱い太陽光でも十分見えるように瞳の色が薄くなったんだね」
「ふーん」
「君がレースで今ひとつ届かない成績になってしまうのは、瞳が黒いからじゃないかと俺は思うんだ。ヨーロッパでレースに参加すると、ほかのヨーロッパ系選手に較べれば視界が、ほんの少し悪くなってしまう。そのわずかな差が、時速300kmで走るときには致命的な差になってしまうのじゃないだろうか」
「え? 別にそんな。確かにシューマッハの瞳は色が薄いけど、セナもアロンソも濃い茶色だったよね」
「そうだね、たしかにそうだけど。
俺たち、もっと黒くない? ヨーロッパじゃなくてもっと明るいところでレースをしたらどうだろう。彼らは光が強すぎてサングラスを使っているだろう? でも弱い光を強くするグラスはないよね。
だから、ヨーロッパで負けるのは仕方がないと思って、インディとかパリダカのようなレースを狙ってみたらいいと思うんだ。」
瞳の色とは関係ないかもしれないけど、F1でいいところにいてインディに変わった日本のレーサーがいるんだよ。インディでは優勝もしている」
「ええ、知っているわ、ホンダのサトウよね」
「そう。彼の瞳の色って、俺たちと同じじゃない?」
「確かにね」
この会話から始まって、まずケンがナビゲーターにトライした。
ラリーのナビとは、助手席に座り紙を睨んで情報を提供している人のこと。コース状態、カーブの角度と傾斜、指定速度、走行時間、車のコンディション、走行している場所の環境、天候、備品、補給、レースに臨んだドライバーと車両が必要とするすべてのコンディションを把握していなくてはならない。そのためには、関係者との人間関係を円満に保っている必要性もある。
日本の部品メーカーは様々なカー・レースに製品を提供していて、ケンも多くのサーキットやコースに帯同してきた。カスタム(車をレース用に作り上げるのではなく、公道を走る車をレース用に改造する)には広範な知識と経験が必要だ。その現場経験を持つ彼は、多くの車に接し路面読みの経験も積んでいた。もちろん速度調整のメカニズムについてはまんまプロだ。
ルーの祖父の紹介により、引退した昔気質のナビゲーターに師事してそれほど時間をかけることなく訓練を終えた。周囲が驚くほどの学習速度だった。
祖父のみならず指導したナビゲーターが、高いレベルで訓練をクリアしたケンを認め、ラリーへの転向を支援した。ふたりはその尽力に応え、プライベートなパートナーでありながら同時にドライバーとナビであるという、この業界では非常に珍しい関係を一から築き上げた。
黒人系の女性ドライバーに黄色人種の男性ナビだ。ずいぶんからかわれたし、下品なジョークの対象にもなった。
だが、ここまで来たのだ、もう頑張るしかなかった。
そして、がんばり倒して、ついにサウジアラビアで行われるダカール・レースへの参戦が決まった。
ルーはケニアのナイロビ生まれ、ケンは日本の東京生まれ。暑い環境と強い太陽光への抵抗力はヨーロッパ人よりはるかに高い。ふたりは大きな希望とともにレースに臨んだ。
それなのに。
レース二日目、非常によいポジションでレースを進めていて、体調も気分もよく、自信に満ちてレースを進めていたのに。雲ひとつなく晴れ渡った空の彼方から金の光が差し、ふたりが乗るラリーカーを包みこみ、渦となってまつわりつくと車とともにスーッと消えてしまったのだ。
撮影クルーも、参加ドライバーとナビゲーターも、映像を見ていた関係者も、将に晴天の霹靂。大騒ぎになり、レースは直ちに中止された。
映像記録もスペインに続いて二例目、関係機関は頭を抱えこんだ。
一方こちらは、ルーとケン。
「何だこれは!」
「ルー、落ち着け、大丈夫だ」
「ケン」
「ちょっと待って、タブレットをもらったから。今確認中」
「タブレットをもらった? 誰に!」
「竜の姫君さ、まあ待ってよ、このままじっとしてて、これさえあれば勝てる」
「勝てるって誰に」
「ここのボー・シットどもにさ」
「はぁ?」
今里賢司は誉高きヲタクである。公言したこともないが、恥じたこともない。カーレースのメカニックがヲタクを恥じてどうする、というめちゃくちゃ開き直った人生を送っている。まして今やラリー・ナビ、別名をコ・ドライバーという尖った専門家、世界でも数えるほどしかいない特殊な職業に従事している。俺がヲタクを否定して、この世の誰がヲタク足りえる、というほどにプライドが高いヲタクなのだった。 *あくまでケンの主観を述べております*
そんなケンがヲタク職場から帰宅してリラックスモードに入るとき、やることはまず家事だ。彼はそれを全く苦にせず、軽い息抜きの一種という程度に捕らえている。料理は化学だ、燃料の配合と同じくらい研究の成果が味に影響する。家事は効率だ、ネジの締め具合と同じくらいバランスが掃除や洗濯のデリケートさを左右する、とか思っている。
ちなみに、一番好きなのは、模様替えである。頻繁に家具の位置を変えるので、ルーにはどこに何があるのかわからなくなるのが弊害かもしれない。
ルーとともにランニングやライディング(ロードレーサーで心肺機能と持久力を養う、100キロ以上走るのが普通)のトレーニングもする。そして、空き時間ができたら、今里のセルフィッシュな主張によれば、ヲタクの三種の神器「ゲーム・コミック(日本産限定)・ネット小説」でリラックス、リフレッシュする。
だから、ケンは、今更異世界転移くらいではびくともしない強い異常事態対応力を持っている。転移に入ろうとした瞬間に、竜の姫からタブレットを授けられる程度のことは通常運転、いや通常ナビの範囲で処理できる。 *いや、すいません、あくまでケンの主観を述べております*
選りにも選っていい成績を残せそうになっていたレース、しかもR2といえども名のあるレースの最中だった。目の前に金色の壁が立ち上がった時、今里は「クソ、なんでこのタイミングなんだ」と事態をきちんと把握していた。SNSの画像でスペインの例を見ていて、召喚だと思っていたからだ。
もちろん、もし自分に起こったら面白いと思って様々なケースを想像し、対処し、処理して“脳内ゲーム”として楽しんでいた。だが、仕事の最中、しかも掛け替えのないパートナーとともに上昇のチャンスを掴みかけているその瞬間に起こってほしくはなかった。
「今度にしてくれー!」
しかし、まあ、その叫びは受け入れられるはずもない。
抵抗のしようもなく連れ去られようとした瞬間、脳内にメッセージが入った。
なぜ脳内だとわかるか、それは、両耳のレシーバーには運営から「Ruth! Ken! What’s happening! Answer me just now! ルース、ケン、何が起こっている、返事しろ!」という絶叫が、ルースからは「Ken!!」という叫び声が入っているからだ。
「あら、これは近くからね。
イマサト・ケンジとルース・ミーガン、救い出しに行きますけど、行き先で少し待っていてもらいたいのです」
「はあ?」
「私は竜王の孫です。今回の一連の転移について救出を任されました。
すでに取り掛かっていますが、今里とミーガンに掛かっている召喚は、異世界からの物ではありません。銀河系内からです。異世界のふたりを先に救出したいので、少し時間がかかります」
「え? 異世界じゃない?」
「そうです。
スペインのケースは知っていると思います。イギリスのケースはストルテンベルグ博士で、このふたりは異世界から召喚を受けたのです。はあ……。
救出はわたくしと従者のふたりで行いますので少し時間がかかりますが、必ず行きますから、待っていてください。
これは、ステイタス・ボードに近いものです。ケンジなら自在に使えると思います。
ケンジたちの言うチートもたっぷりつけておきました、好きなように楽しんでいてください。わたくし共の庇護下にある民に手を出したのですから、あとは野となれ山となれで結構です。ふたりで思い通りにしていていいですから」
「はぁ」
ケンの膝の上に、ぽん、とタブレットが現れ、ほぼ同時に車ごと光と化して、次に気が付いた時には誰かが「成功しました!」と、大声を出していた。
ケンは、転移の到着地点でルーを宥めながら竜姫のタブレットをチェックしている。
「どうかな、収納は、うん、OK。ルー、面白いことができそうだよ、もうちょっと待って?」
「う、うん」
「言語OK、鑑定OK、マップ機能OK、よしよし。収納無限大に、ショッピング機能まで。やったね!
ルー、あと1分ね」
「うん」
「よし、いいだろう。
今は時間がないんだ。あとで何時間でも説明するから、質問はその時でいい?」
「う、うん」
「ルー、スペインの映像見せたよね、その時話したことを覚えてる?
きっとどこか違う世界にさらわれたんだよ、っていうやつ」
「うん、ありえないと思ったけど」
「そうだよね、で、たぶんこれがその誘拐先、こいつらは誘拐犯」
「ええー!」
「まあ、落ち着いて」
「落ち着ける理由がどこにある!」
「まあまあ、とにかく今を凌がなくちゃ、ね?」
「それはまあ。さっき誰かが王が待っているとか何とか」
「そうなんだよ、時間があまりないってわかるよね」
「わかった」
「よしよし、さすが俺のルー」
ここで当然頬にチュッと。これでルーも少し落ち着く。ナビを信じるのはドライバーの本性だ。
「さっきの人は、聖女さまって言っただろ?
たぶん、召喚されたのはルーだ。ここの汚ねぇヤロウどもは、ルーに何かさせようとしている。瘴気を浄化するとか、魔王を倒すとか、迷宮の魔獣を退治するとか、とんでもない仕事だ。しかも多分無料奉仕だ」
「何ですって? ラリーの優勝賞金を下回ったら許さないわよ」
「はいはい、もちろんそうだね。受ける気ない、俺も」
「受ける気がないというより、相手にする気がない。
すぐにこの場から消えてみせるし、この車も消す」
「ええー」
「いいかい、ルー、クサいセリフと思うだろうけど、この場は俺を信じてくれ。
ここから、そしてこの都市から、今日、今、すぐ、逃げ出す!」
「はぁ、オケイ(OK)。 ラリードライバーはナビゲーターを信じて前に進むのよ。何でも言って」
「よし、頼んだよ、ルー」
「ラジャー」
ケンは、タブレットの、“たっぷり盛ったチート機能”の中から、セル・アンド・バイを呼び出し、薄いレースの布を一メートル、更にこれでいいかとブツブツ呟きながら金色のクリスマス・リースをバイした。そして、レース・ヘルメットを脱いでもらい、レース布を頭に被せて胸まで垂らし、クリスマス・リースを優勝したレーサーに被せる月桂冠のように頭に載せた。
「ケン、何これ?」
「俺のルーをここの汚い男どもに見せないための防壁だよ、チュ。聖女らしく見えるだろうしね」
レースが顔を覆っているので、チュ、は音だけ。
「え、あ、うん」
発煙筒を2本、左手に持って、助手席のドアを開きゆっくりと外に出た。
日本人らしく、王だろうと思われる人に向かって礼をし、車の前を回って助手席のドアを開き、ルーの手を取ってしずしずと運転席から降ろす。ルーを自分の横に立たせて一歩引く。
「ルー、驚いてもいいけど、声を出すなよ」
「声を出さない、オッケ」
「手を引くから、ついて来て」
「ついて行く、オッケ」
静かな声に、確かな自信とわずかな緊張を乗せて、ケンが言葉を紡ぐ。
「ゲーム・スタート」
ケンは、タブレットをタップして、車を“収納”。次の瞬間に、左手に持った二本の発煙筒の紐を引き、煙とオレンジの小さいが鋭い炎を出し始めたのを確認して転移陣上に投げた。
そして“トランスパレンシス”と唱えて透明になると、ルーに被せたレースとクリスマス・リースを煙の中に投げ込んだ。
煙とともにオサラバさ! 見たか、忍法霧隠れの術でございー、とな。
「今、俺たちの姿は見えなくなっている。声を出すなよ」
「う?」
驚くルーの手を引いて、ゆっくりと扉に近づいていく。
煙と炎を見て、王の側近が大声を上げる。
「衛兵!」
扉がバン! と音高く開かれ、煙を目にした衛兵が、後ろの警備兵に声を掛けてなだれ込んでくる。
「水だ、水を運べ!」
「水魔法を使える者!」
「陛下をお守りせよ!」
声が交錯するなか、扉付近から人がいなくなり、室内の人々がもわもわと立ちのぼる煙と火が付いたレース布に目を奪われ、命を優先して逃げるか名誉を優先して留まるか選択に迷うその一瞬、ケンはルーの手を引いて、静かに外に出た。
タブレットに表示されている王宮の建物配置図を見ながら、壁の窪みで立ち止まる。目の前を兵が走っていく。
「俺たちは今、人の目に見えない状態だ。そうだな、光学迷彩と言えばわかりやすいか?」
「え、まあ」
「だから、日が当たるところに出るのはよくない。草や水のあるところを歩くのもよくない。影や足跡は消えないからね」
「ええ、日陰の石の上を歩くのね」
「そうだ」
ふたりは窪みから出て、慎重に歩いて行く。
「よし、いいぞ、王宮門はクリアだ。
つぎ、王都城壁だ。どうなってるかな」
ケンはタブレットを操作する。
「お、南門は広いな、貨物用の馬車が出入りする門が併設されている、ここにしよう」
「あ、うん」
「ルー、少し遠くなるが、簡単に出られる南門を目指すぞ」
「え、うん」
ふたりは、障害物を巧みに避けながら歩いて行く。
スポーツカー・ドライバーは一流のスポーツマンだ。持久力、集中力は言うまでもない。心肺機能、反射神経、瞬間の判断力も超一流。時速300kmで走る車を制御して、カーブを曲がり切れるぎりぎりまでシフト操作しないでいられる勇気と判断力も、恐怖を克服して接触を免る本能を超えたセルフコントロールも、人間としてありうる限界を極めている。
*参照:F1の平均時速は230km。このスピードで、1時間半以上走り続けます
サーキットは、Uターンに近い場所(スズカならHairpin・ヘアピン)
もある中でのこの速度です
最高瞬間時速は、マクラーレンにいた時のモントーヤ、非公式テスト
はっきり覚えていないのでネット検索したところ、372.6kmだったそうです*
そのふたりが、今しも人と馬車が入り混じり、進んだり停まったり、話し込んだり商品を見ている中を巧みにすり抜けていく。そして、南門の真正面にたどり着いた。
「よし、来たぞ、ルー」
「ええ、そうね。そうだけど、これからどうするの?」
「あの馬車門を突破する。運転は任せたぞ」
「え? え? 私?」
「ここに、さっき収納した車を出す。すぐに乗り込んで、エンジンを吹かしてくれ。
吹かしはじめたら、爆竹とロケット花火、あとカラー発煙筒を投げてこのあたり一帯を混乱させるから、ルーはなにも考えずに門を突破して外に飛び出すんだ」
「ふーん、それはいいね。やってみせようじゃない!
よくわかんないけど、ダカールを台無しにされたお返しくらいはしないとね!」
「その通りだ、さ、やるぞ」
「ラジャー」
車を門の方向に向けて出す、ルースが乗り込む。セイフティーベルトをセット、ヘルメットを被ってスタートボタンをポン。ペダルを踏みこむ。
この世界では怪物の咆哮に聞こえるだろう、排気音がとどろく。
ブオーン! ブブブオーン! ルースの顔がほころんでいる。
「喰らいやがれ!」
ケンは、助手席に乗り込み、ルースの準備が整うまでの間に素早くライターと爆竹、ロケット花火さらに数本の色付き発煙筒をバイ。エンジンがかかると同時に火をつけてあたりに投げ始める。
ババン! バン、バン、ヒューン、ヒィユーン、ポポン、バンバン。
そして、白、赤、青の色付きの煙が出ている発煙筒を、門に向かって次々に投げた。
悲鳴を上げて走る人々、驚いて一旦建屋内に引っ込む兵士たちを目で確認しながら、急いでセイフティーベルトを装着する。
「ルー、スタート! ぶちかませ!」
「行くわよ!」
ラリーカーにカスタムされた高性能車が、まるで怪物が後ろ足を蹴立てるように石畳に降り積もっていた砂ぼこりや、野菜くず、藁の切れ端を巻き上げながら、エンジン音をとどろかせて突進する。突然現れた奇妙な“獣”とその“咆哮”に、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々。進路に立ちすくんでいる人がいないように、追加の爆竹を投げた。
「きゃはは、かいかーん!」
「だな!」
車は難なく門を抜け、石畳の街道を爆走して行った。
後には、煙と花火の残骸、巻き上げられたゴミと埃。そして、何が起こったのか全く理解できず震えながら蹲る人々、少なくともすでに危険は去ったと判断しつつも次のアクションを取れず唖然として顔を見合わせる人々が残されていた。
次の日、ふたりはのんびりと酒場で向かい合っていた。
王都から爆走逃げした後は、ある程度走ると車を無駄に傷めないように収納、徒歩に変更した。
川べりの木の陰でコソコソとこちら風の服に着替え、街道沿いを宿場町まで歩いて見事宿を確保して見せた。さすがヲタクを自認する男である。
「ねえ、この先どうするの?」
「あ、うん。 竜のお姫さまは、タブレットを好きなように使って、楽しんでいいって言ってたよ。ルーはなにかやりたいことある?」
「ブッ飛ばしたい」
「だよね。ストレス解消だ。
あのさ、昨日の夜タブレットの説明をじっくり読んだんだけど」
「うん、うん、確かに読んでたね」
「へへ、まあね」
「で?」
「ここから宿場町を三つ過ぎた先に、大きな都市があるんだよ。
そこでね、チャリオット・レースをやっているらしい」
「チャリオット・レース?」
「うん。えーっと、ルーは古いハリウッド映画で“ベン・ハー”って見たことある?」
「ない」
「じゃああー、あ、そうだ。ヴァンセンヌの馬車レース知ってるでしょ?」
「うーん、知らない」
「うーん……」
「ケンってば」
「えーっとぉ、チャリオットってのは、馬が引く戦車なんだね」
「うんうん、それでレース?」
「そう。レース」
「行く!」
「はいはい、まあ行ってみようか」
その日、城塞都市アヴァンセはレースの日で、城塞外に常設されているチャリオット・レース場でルーとケンはチャリオット・レースを観戦していた。
試合は全部で五試合、一から三レースはスピード・スケートの短距離のように、スタート地点がトラックの両方にあり、馬や車が触れ合わないようになっている。コースは、ちょうど陸上競技のトラックのような形で、三周して早くゴールした方が勝ちだ。
これは、馬と選手が会場に慣れる期間に出走するレースともいえる。馬が声援に驚いて棒立ちにならないように、選手がコースとルールをきちんと把握できるようにという目的がある。
観客が有望な新人を見極める場でもある。
人気があるのは、やはり四レースと五レース。わずかずつ外側が前に出ているスタート・ラインから四輌が一斉にスタートし、競り合って走る。コースを四周して、先着を競う。
危険度が高く、馬を制御しきれなくなれば落車もある。接触を避けて外を回れば順位が確保できない。ぎりぎりのラインを探りながら馬をコントロールする。
ケンが知っている限り、戦場に出るチャリオットは二頭引きだ。
だが、アヴァンセのレースは一頭引き。戦闘ではなくレースなので、コース幅や安全性を考えて多頭引きは避けたのだろう。
さらに、ここのレースでは車体から突き出す木製の轅が木製の軛に繋がれている。ヴァンセンヌのレースでは、軽量金属の轅を直接車軸に接続していたのではなかっただろうか。摩擦の問題を解決できるケンにとっては、軽量化の要となるだろう。
ケンの頭の中では、ルーはすでにレースに全勝していた。
「ルー、やれそう?」
目を見開き、手を握りしめ、周囲の絶叫応援も耳に入らないようにレースを見つめていたルーは、第五試合が終わって、ようやく“こっちに帰って”来たようだった。
「すごい」
「どうする?」
「やる! 今日の試合は全部頭に入れたわ。ちょっと車の操縦性を上げれば……」
「さすがルー。じゃあ準備しようか」
ケンは、まずルーの護衛を依頼することにした。傭兵斡旋所に行き、護衛に慣れた女性をふたり、背が高くて威圧感のある男性をひとり、一カ月の予定、延長もありという内容だ。
「こちらの事情はまだよくわからないから、必ず護衛と一緒に行動してくれよ。特に化粧室には絶対にひとりで入るな、いいね」
「わかった」
次に、ルーがレースに出走できるよう、出場資格を確保しなくてはならない。
「ルー、これからいろいろ折衝して、馬の育成所に出資して練習場を確保する。次に騎手を抱えている厩舎を探してみる。
その間、乗馬の練習してきて。最初に乗馬、それから競技馬車の練習ね」
「乗馬はできる」
「え、そうなの?」
「うん、ケニアの父は牧場の経営者なんだ。サラブレッドのように大きな馬じゃないけど、小さい頃は乗っていたよ。ドイツでもたまに乗馬クラブのヴィジターで乗せてもらってた」
「馬は怖くないんだね?」
「もちろん。むしろ大好き。ケニアにいるころは、親に叱られたら馬に泣きついて一緒に寝てたわ」
ルーの目に、一瞬もうひとつの故郷を懐かしむ色が浮かぶ。
「よし、それなら大丈夫だ」
地球に帰ったら、一緒にケニアにルーの父親を訪ねよう。ルーを甘やかしてくれた馬はまだ生きているだろうか。
ケンは、競技用の馬の育成牧場を訪ね、相当金額を出資した。出資の条件は、ただルーに練習させてほしいということだけだったので契約はスムーズに進んだ。ルーは護衛とともに毎日牧場に通い、馬に指示を理解させるために選手が使う手法を学び、馬車操縦の練習を重ねていった。
次に、雇った護衛から話を聞いて、レースに出走する厩舎を探した。こういうことは急いでもいいことは何もない。よその厩舎からの回し者と思われては話すら聞いてもらえないことになる。ケンは慎重に立ち回り、ゆっくりと伝手を作り、ルーを預けた育成牧場の牧場主とも立ち話から始めてルーを出走させてやりたいと話を進めていった。
運が良かったというのは、怪我をしてしまった騎手には気の毒だ。だが、三度目に観戦したレースで馬車の接触があり、落車した騎手が骨折してしまった。
その頃には、珍しい女性騎手をレースに出走させたがっている物好きな金持ちとしてケンは知られ始めていた。
「ねえケン、すごくお金使ってるみたいだけど。噂になってるよ。
大丈夫なの? そんなにお金あるの?」
「あ、うん。人工ダイアモンドと淡水真珠だよ。タブレットに百万ユーロ入れてくれていたんだけど、足らないと思って。地球とこことで価値の差が大きいものを探したんだよ、やっぱり鉱物とか宝飾品がいいだろうと思って。
金やプラチナでどうかと思ったけどね、確かに稼げるけどあまり地球から他所に持ち出すのはよくないと思うんだ。オレたちは帰れるってわかっているからね、あとで報告すると非難されるかもしれない。だから、こちらで王侯貴族がバカ高く買いそうなダイアはどうかと思って。
こっちには人工ダイアは存在しないと思うんだ、科学が遅れているからね。人工ダイアというコンセプトがないということは、鑑定を持っていてもそれを表す用語がなくて、ただダイアモンドとだけ出るんだ。楽勝だったよ。
ネックレスとピアスをセットして二組、合計一千万ユーロだったね。まあ金属部分の細工もこちらでは考えられない繊細さだし。もう少しいけたかもね」
「淡水パールは?」
「地球では養殖技術が進んでいるけど、こちらではまだ十分な技術がなくて養殖真珠すらない。つまり、丸い真珠はあまり採れないってことさ。
地球ではすでに淡水でも海水と同じ大きさのパールができるようになっている。核にする貝殻も本真珠と同じ材料だから、やっぱり鑑定では見破れないんだ。
パールは賄賂に使ったよ。ネックレスはちょっとやりすぎかとおもって、ピアスやペンダント、ヘアクリップ。これがもう効果抜群。ものの価値もわからない金持ちの若造が、値段も気にしないでばらまいていると思われているようだねぇ、くくくく」
牧場主から落車・骨折した騎手の所属する厩舎に繋ぎをつけてもらうことに成功し、ケンは希望をもって厩舎を訪ねた。そこは、家族、親戚で経営している小さな厩舎で、落車した騎手は家族の次男、期待の新人だった。
ケンのバカ金持ち坊主ぶりが、恋人だか妻だかの女性をチャリオット・レースに出したいだけの散財だと知られているので、厩舎も金を落としてくれる客として扱ってくれた。そして、見事に一年と期限を切った共同経営者に納まった。
この厩舎が持っている騎手の枠を一時的に借り受ける形で、ルーの出走枠を確保することができたのだった。
それからのルーとケンはすさまじいスピードでレースを駆け上っていった。
まずは騎手試験に臨み、レースに普通に用いられている馬と車のセットで一発合格した。
新人戦では、車輪と車軸を変更した。レースの規定では、車両部分の仕様について細かいことは定められていない。ただ、車輪の大きさが決まっているだけだ。
ケンには、このレースの勝ち方がすでにわかっている。
馬が人をのせた車両を引く力に大した差はないのだから、車両を軽量化するだけで勝てる。
だが、すぐに大幅改良するのは悪手だ。ルーが勝ちたいのは、四輌レースであって、二輌のタイム戦ではない。とすれば、下手に大きな改造を見せて、ルール変更を呼び込むのは賢くない。目立たない改造で勝ち上がり、勝負のレースで超軽量車をぶち込み、伝説の勝ちを上げるのだ!
新人戦では、それまでのデータを分析して、車輪の幅と接地面に刻む模様を工夫し、車軸を軽量金属に変え木製に見えるように着色。さらに、手綱などの紐類を革製品から防刃テープに変更した。
ルーは、半周離れてスタートした相手騎手にほとんど追いつき、左手を大きく上げて「イエース!」と叫びながら楽勝した。
そのあとも連戦連勝だ。現代のスポーツ科学を踏まえて地道な訓練を積んだカー・ドライバーの運動能力はずば抜けている。これに車両の軽量化が加われば、負ける要素はどこにもないといっていい。
厩舎をあげて大喜び、祝勝会の連続となった。
ケンはメカニックであり、その習性に従い非常に注意深かった。改造した車輛は常に収納し、誰も詳しく素材や構造を見ることができないよう、巧みに立ち回った。出走前検査も、検査担当者が車輪の大きさの金属製の輪を持ってきて車輪に当てて大きさを確認するだけの簡単なものだったのは幸運だった。
いよいよ四輌レース初参加となる、その日。
「ルー、竜姫さまのお迎えだ。帰る日が来たよ」
「え? 今日? 今から?」
ふたりの目の前に、大気から滲みだしたように竜姫が現れた。
「ずいぶん待たせました。約束通り迎えに来ました」
「ありがとうございます、ですが」
ケンが、パートナーを見る。
「姫君、はじめてお目に掛かります。ルース・ミーガンです」
「竜王の孫で、唯一の竜王孫ですので名はありません。竜姫とお呼びなさい。
人間の姿をしているときは、リー・リンと名乗り、マカオでカジノのオーナー兼ディーラーをやっています。地球に帰ったら、遊びにおいでなさいね」
竜姫も自己紹介に慣れて来たらしい。
「え、は、はい。驚きました。でもありがとうございます、必ず行きます!」
「さて。ふたりは帰ることにためらいはないと思いますが? レースの途中で召喚なんて、ひどい目にあわされましたね」
「はい。もちろん帰ります」
「この地の召喚陣は、わたくしの従者が破壊しに行きました。もう召喚できませんので安心してください」
「ほっとしました」
「これは他の召喚された者たちにも聞いたのですが、なにかこの地でやり残したこととか、悔しいからやり返してやりたいことはありますか? よかったら王都ごと爆砕してもよろしいですよ」
「え、いや。 そうだ、ルー、レース!」
「そうね、ケン」
「竜姫さま、明日はルーが初めて四輌出走するチャリオット・レースに出る日なのです。私とルーは、竜姫さまにいただいたタブレットのおかげで、今日まで誰にも邪魔されずこの世界で楽しんで暮らしてきました。本当にありがたいと思っています。
この上さらにお言葉に甘えるようで申し訳ありませんが、どうぞ明日のレースにルーを出走させてください。私は、ルーがドイツの旗とケニアの旗を持って、ヴィクトリー・ランをするところを見たいのです」
「ふふ、よろしいでしょう」
「え、あ、ありがとうございます、竜姫さま。迎えに来ていただいたのに、一日お待ちいただくなど本当に図々しい願いです。申し訳ありません」
「あら、そう言われてみればそうかもしれませんね。ですが、強制召喚を妨げることができず、みすみす民を連れ去られたのはわたくしたちの不備でもあります。慰謝料と思ってよろしいですわ」
「それほどまでにご配慮いただけますとは。重ねてお礼申し上げます」
神と会話するのは妙な感じではあったが、ケンは日本人、正月とお祭りの日には神社で手を合わせてきた経験が少しだけ役に立ったかもしれない。一年の平安を祈るのと同じ敬虔でストレートな気持ちで、パートナーであるルーの幸せを願った。
竜姫もまた、ケンの願いが自分自身ではなく愛する人の幸せを願うものであることを嘉したのだった。
翌日。
帰還機には、すでに救出された三人と、帰還機の操縦の為に呼び出されていたサンダース少佐がいた。その四人がこんな楽しそうなイベントを逃がすはずもなかった。竜姫に頼み込んで、レース会場に連れて来てもらっていた。
リーファ、ミカエラ、アゼリア、愛希が大声援を送る。
「カモン、ルース! ゴーゴーゴー!」
「ヴェンガ、ルー! ヴェンガ、ヴェンガ、ヴェンガ!」
*venga:スペイン語、がんばれ
「コムオプ、ルー! ユー・キャン・ドゥ・イット!」
*komop:オランダ語、がんばれ
「ルーさん!ルーさん!ルーさん! がんばれがんばれがんばれ、行け行け行け!」
金管楽器のファンファーレとともに入場してきた四人の選手は、右手で手綱を取り、左手を高く上げてアピールしながら馬を進め、スタート地点に並んだ。
ルーのスタート位置は内側から二番目、不利と言えば不利な場所だ。だが、そんなことを気にするルーではなかった。
スタートの旗が降りると同時に、他の三輌を置き去りにしてダッシュで逃げた。何しろルーの乗る車は、ケンが精魂込めて軽量化し、車輪は木材の色に塗ってはいるが、アルミのディスク仕様。車軸から轅が突き出し、軛の代わりに防刃テープを馬の負担が少ないように左右にクロスして掛け、轅に接続している。
初手からまっしぐらに逃げ、半周リードしたところで後続との距離を見ながら調整し始めた。追いつけば、車輛が巻き起こす土埃をかぶるだろうし、他の選手から妨害を受けるかもしれない。半周離れていれば安全だ。
今日が四輌レース初出場の「稲妻ルー」については、観客は“所詮ここまで”と思っていた。わがままな金持ち娘が金の力で勝ちを攫っているだけで、このクラスで熟練の騎手と歴戦の馬に両側から挟まれて勝てるはずもない、と。酒場での賭け率は二百倍を超えていた。
呆然と見守る観客の中で、聖女 (?)の絶叫が響き渡る!
「ルー、ルー、ルー、いいぞ、いいぞ、いいぞ!」
「ルー、すごい! すごいぞ!」
「ルース、ルース、ルース! サイコーだ!」
愛希などは声も出せず、ただもう握りしめた両手を口元に当て、頬を伝う涙を拭うのも忘れて見入っている。
関係者のための車馬出迎え口では、前に出られるぎりぎりのラインまで出たケンが、ケータイの録画機能を使って記録し続けている。ルーの一生の宝物になるだろう。
ゴールの瞬間、左手を突き上げて「イエス、ウイ・ディド・イット」と叫んだルーは、手綱を車に結び付け、手早く腰に巻いた白い布を解いてバサッと開き、マントのように首に結び付けた。
それは、白地に赤い太陽、日の丸だった。
日の丸をなびかせながら、ケンが準備していた細長い三角形のドイツとケニアの国旗を結び付けた棒を左手に握り手綱を持ち直した。
驚いたケンが、録画を忘れてルーを見る。ルーは左手に二流の国旗を、日の丸を後ろにはためかせながら、ヴィクトリー・ランを続けている。
観客席の四人は、順にカイノに抱かれて帰還機に戻り、ルーとすばらしい成績を出した馬を出迎えたケンは、ルーを抱きよせて頬を摺り寄せた。
「ルー、なんていい女なんだ」
ケンは感極まっている。
ルーも少し涙ぐみながらケンの背に腕を回す。
「ばかね、表彰はドライバーとカー・メーカーが同じ表彰台に立つのよ、あたりまえでしょ」
異世界教訓 その5:
スピードにはかなわない、諦めよう……
ルースの名は、おそれ多くも文化人類学者ルース・ベネディクト氏からお借りしました
参考文献:文化の型、1934年
ルーとケンは、長い隔離期間と事情聴取を終え、再びレースに戻ることができました。
自分のためには何も望まなかったケンには、竜姫からタブレットがプレゼントされました。機能のほとんどは使えなくなっていましたが、セル・アンド・バイを残してくれたのです。
人工ダイアを売った金額の大半が残っていたので、そのお金をラリーカー改造と周辺機器更新に投資したケンは、遂にルースにvery punctual、 ほとんど設定タイムと同じ結果を出させることに成功。ドイツ国旗と日本国旗を振りながら車から表彰台まで歩くルーを涙ながらに見つめていたところを、ルーの祖父にどやされて、走ってルーを抱きしめに行ったのでした。
おめでとう、ルー、ケン。
その後、ふたりがマカオまで竜姫に会いに行ったことは言うまでもありません。
このお話は、“TRUTH ~20th Anniversary~” をBGMとして、過激に完成しました
ルーとケンが暴走するシーンにぴったりでした
いや、まあ、このふたりは人生ずっと暴走しているようなものですけど
現代の馬車レースについて:
現代の馬車レースは、正式には繋駕速歩競争というそうです。
“繋駕”は、繋ぐ、駕籠で、“速歩”は、馬のステップの種類で、トロット、かならず1肢が地面に着いていなくてはならない、という意味です
陸上競技の「競歩」と同じルールですね
倉名は映像でしか見たことがないのですが、フランス、ヴァンセンヌのレースはなかなか面白く、いつか見に行きたいです
日本でも、このレースは実施されているそうです
ヨーロッパでは多いレースとのことですが、ルールはかなり複雑というか、審判員がたくさん必要になりそうなルールとなっています。ゴールして仮結果が出た後も、映像で確認してトロットが何度形を崩したか、などというルール違反に該当すると、失格になります
結果が変わって、Oh, no! とかなっている人の映像もユーモラス
なお、出走する馬は、トロッターという引く力の強い馬種が適しているそうです
カーレースについては、全く知らない方が絶対多数だと思います
ご興味をお持ちになった方、ネット検索すると情報は大量に手に入ります