ケース4 闘牛場管理職、聖女として召喚される:職業 闘牛場職員
召喚理由:魔獣が出る迷宮を破壊するための特別編成チームに参加して、癒しの聖女として働いてほしい (このケースでは、迷宮は異世界と通じている)
普通には見かけない、珍しい職業に就く女性が聖女召喚されるお話、その3です
ミカエラは、闘牛場を管理して生涯を送ってきた父の娘。斜陽業界化しつつある闘牛を維持・保存しようと奮闘する父とともにがんばっていたある日、召喚陣に捕らわれ、不本意ながら異世界転移。しかし、言われるままに魔獣討伐をするような娘ではなかった
闘牛場を管理する能力があるなら、こうするよねというオハナシです
ここで初めて召喚時の映像が残り、地球側がサンダース少佐からの聞き取りを事実かも知れないと思い始め、「人類誘拐事件」を認識し始めます
その日、ミカエラはトレドで開催されたスペイン闘牛場会議に父の助手として出席し、父の斜め後ろで書類を整えマーカーで重要点を強調し、必要に応じてパソコンのデータを呼び出し、父をサポートしていた。
人気のマタドール(正闘牛士)だった父は、いまでも新人のトレーニングなどに関わり鍛えられた体躯を維持している。生まれ持っての美貌は年齢とともに渋さを加え魅力を増し、ますます美しい。現役を退いて支配人となって協調性を手に入れ、美しい妻と娘を得て闘争心は柔らかな包容力へと変化している。
会議は順調にそして無感動に議題をこなしていた。議論の少ない項目から進めていて、荒れそうな項目は後半に出るからだ。
突然、ミカエラの周りに光の幕が立ち上がり、それが渦を巻いて彼女を包み込んだ。
父は斜め後ろへ身をよじって娘に手を伸ばしたが、光に阻まれて届かない。
「ミカエラ!」
娘の唇が、「パパ」という形に動くのが見えた。一瞬後には渦にからめとられるようにしてその場から消えてしまった。
会議は録画されており、この場面も映像に残された。
どこの機関がこれを分析しても、後を追うことはできなかったし、そもそもどういう現象だったのか誰にも分らなかった。
この時すでに、イギリスで物理学者が講義中に教室から消えた場面を学生が目撃していたこともあり、類似事件は直ちに国際機関への要報告対象となった。
米空軍のサンダース少佐が様々な機関に参考人招致されたのは、当然の事だった。
残念ながら、日本の女子高校生のケースは召喚時に目撃者がおらず、警察に訴えても家出少女扱い。その場に愛希の鞄や制服が残されていなかったこともよくなかった。事件化されておらず、大変残念なことになっている。
「ん?」
ミカエラは、ベッドの上で目覚めた。光が眩しくて目を閉じ、すぐに気持ちが悪くなって気絶してしまったのだ。
「お目覚めですか、聖女さま」
ミカエラは目をぱちぱちさせて声の主を見た。紺色のロングスカートとジャケットを着て、腰にベージュの布を巻き、髪をキャップで覆った若い娘が、椅子から立ち上がって近づいてきているのがわかった。
ミカエラは返事をしない。せいじょさま、とか言われても、何が何だか。
「Perdon, que,……donde estoy?」 (ペルドン・ケ……ドンデ・エストイ すいません、ここはどこ?)
ミカエラは母国語であるスペイン語と母の母国語であるアメリカ英語しか話せないので、とりあえず母国語を使ったが、唇から出たのは全く違う発音で、娘が話しかけてきたのと同じ言語のようだった。
「聖女さま、こちらは王城でございます。気を失っておいででしたので、神殿騎士がお連れいたしました」
「王城? ではここはマドリードですか?」
「いえ。
詳細は、神殿の神官様方より説明がございますので、食事をおとりになりましたら、お着替えをお手伝いいたします。ご気分はいかがですか、お食事はおできになりますか?」
「え、ええ。大丈夫よ」
ミカエラは、とにかく落ち着こうと水をもらい、軽食をいただき、されるがままに着替えさせられ、手を取られて廊下を進み、ふたりの神官と王の補佐官と名乗るひとりの役人が待つ部屋へと案内された。
「今の説明でわかったことを言いますので、間違っていたら教えてください」
ミカエラは長い説明を黙って最後まで聞き、相手の息が切れ始めたところで初めて声を掛けた。この手の人種は自分の言いたいことを全部言うまで決して納得しないし引き下がりもしないことは、イヤというほど知っている。さすがスペインに生きる女性である。
「まず、ここは王城ですね。
私は、神殿に設置されている召喚陣で、召喚された。
その召喚陣は、聖女を召喚すると言い伝えられている。
今回は、伝承と記録に従って数百年ぶりに発動させた。
その召喚によって、私は喚び寄せられ、召喚陣の上に気絶した状態で現れた。
ここまで間違いありませんか」
「間違いない」
神官ふたりが首を縦に振り、文官は何かを言いかけたが、ミカエラは続けた。
「召喚陣を稼働させた理由は、王城があるこの王都のすぐ近くにできた迷宮。
その迷宮ができてから五年が過ぎたが、まだ最深部に到達できない。
なぜ最深部に到達しなくてはならないかというと、最深部には迷宮を支配するイジルと呼ばれる何かがあり、そのイジルが別の世界から魔獣を呼び寄せ、迷宮を魔獣に支配させている。
過去の経験から、イジルを破壊すれば、迷宮は崩壊する」
ミカエラは、神官を見て、確認を促す。
「はい、その通りです」
「この国の王さまは、迷宮を制覇できない以上、王城を移すほかないとの仰せで、夏の宮がある地へと上位貴族ともども移ってしまった。
だが、この地にはまだ多くの民が残っており、これを放置してこの都を迷宮都市としてしまうことにもためらいがある。
窮余の一策として、神殿主導で聖女召喚の儀を行った。
ここまでいいですか」
「そうだ。それでだな」
王の補佐官が話しはじめようとしたが、ミカエラは美貌に物を言わせてにっこりと微笑んだ。天使の微笑みは、ここでも効果があるようだ。
「補佐官さま、続けさせていただいていいでしょうか」
「う、うむ」
「それで、ここまでは十分事情が分かりました。それで、ここからがよくわからないので、できるだけ簡潔に質問しますので、できるだけ簡潔にお答えいただきますか」
「質問してみよ」
「私を聖女と呼んでいますが、それは何故ですか」
「聖女召喚の陣で喚んだのだ、聖女が来るに決まっておる」
「次の質問です。
神殿は、聖女に何を望んでいますか」
「神殿は、聖女さまがイジルを破壊するために力を貸してくださることを望んでいます」
「補佐官さまは、聖女に何を望んでおいでですか」
「イジルの破壊だ」
「つまり、私が迷宮の最深部に到達して、イジルを破壊することができると思っておいでですのね」
スマイルはゼロ・ユーロだ。おもいっきり美しく微笑んで見せた。
歩き始めたばかりの乳飲み子からおじじ様おばば様の年齢まで、すべての層に恐ろしいほどの破壊力を見せた天使の微笑みに抵抗できるか!
「いや、そこまでは」
「では?」
「伝承は、召喚された聖女は時の第二王子殿下をリーダーとした迷宮探査に加わり、癒し、解毒、蘇生など、数々の魔法でメンバーを助け、イジル破壊を遂げて生還したと語っている。その同じ魔法陣で再び聖女が召喚されたのだ。同じことができるであろう」
「なるほど、補佐官さまのお考えはわかりました」
「では、補佐官さま、今回の第二王子殿下を中心とした迷宮探査隊は、すでに結成されているのですね」
「い、いや。それは」
「それは、とおっしゃいますと?」
「第二王子殿下は、いまだ御年三歳にあられる」
「それでは、あと十五年ほどお待ちするしかありませんね」
「いや、それは」
「それは、とおっしゃいますと?
殿下の代わりに王弟殿下とか?」
「陛下に弟君はおいででない」
「では、王兄殿下、あるいは王女殿下がリーダーに?」
「いや、それも」
「補佐官さま、申し訳ありません、現在の迷宮探査隊メンバー構成を教えていただけますか」
「いまだ候補に留まり、メンバーは決定していない」
「それでは、お役に立てそうではありませんので、いったん帰宅させてください。
隊が整いましたら、またお喚びください。
神官様、帰還の陣をお願いします」
一瞬、場を沈黙が支配したが、大慌てで補佐官がしゃべり始めた。
「待て待て、聖女殿、帰還の陣は存在しない」
「補佐官殿!」
神官の悲鳴のような制止がはいって、補佐官が口に手を当てたが、遅すぎた。
「なるほど。帰還の陣はないのですね。あるいは用意できない」
沈黙が答えだった。
ミカエラは、帰れないことにさほど驚きはしなかった。魔獣がはびこるという迷宮問題を自力で解決することができず、ここより進んでいる、あるいは違った進歩を遂げた文明を持つと推定できる場所に助けを求め、召喚に成功したのだ。帰らせる気などあろうはずもない。
使い潰し、持っている知識を絞り尽し、おまけに、できるかどうかは非常に疑わしいものの、子を産ませようと試みるだろう。
ミカエラは牛の繁殖に関わる知識を必要とする立場にいたので、発生と遺伝についてかなり突っ込んで学んだ。彼女は、なぜイノシシと豚の間には子ができるのに、牛と水牛の間には子ができないか理解している。
目の前にいる容貌の整った三人の男性を性的な目線で見ることはできない。たとえ姿かたちはほとんど同じでも、発生した星が異なる以上、進化過程も当然異なる。明らかに遺伝子組成や塩基配列が違うだろうとたやすく想像できる異界の男は、恋愛の対象とはなりえない。
迷宮を破壊できたとき生き延びていたとすれば、その後は誰かの妻にされるだろう。そんなこと御免だ。結果は最初から見えている。子ができないことを理由に石女と軽蔑されて放棄されるだろう。
「聖女」なんて、役に立つ間だけの仮の呼び名だ。
ミカエラ・ピーニャ・メンデスは、スペインの中規模の街で生まれ、父について闘牛場を走り回って成長した。父は、闘牛士として華やかな青年時代を送った人で、美人で有名だった母と結婚して祖父の仕事であった闘牛場の管理を引き継いだ。闘牛士の経験があるだけに関係者からのサポートは底堅く、彼自身闘牛士や関係者の立場や気持ちも理解しており、よき管理人として人生を送ってきた。
ミカエラは、幼い頃から闘牛場を遊び場のようにしていたが、よく心得た子で人の目障りになるような行動はしなかった。幼少時はペットのようにかわいがられ、出番前の集中と緊張で全身が強張っている新人闘牛士の邪魔をすることもなく、出番を終えて帰ってきたときにはそっと濡れタオルを差し出して、まだ闘争心で強張っている新人の心をほっこり慰めたりもした。
これは、かなり重要なポイントだと思うが、ミカエラはその名の通りまるで天使のようなかわいらしさと美しさが程よく混じった容貌に恵まれていた。
母から受け継いだ巻き毛の金髪と、父から受け継いだ緑の瞳、形の良いローズ色の唇、ビスクドールのように白く滑らかな肌、ほのかに色づいた頬。まさにダビンチが師・ベロッキオ工房の絵の左下に描いた「天使の頭部」を思わせる。それが、生きて歩いて、微笑むのだ。基本的にカソリックに帰依していると考えていいこの国の人々の心に、天使の微笑みは特別な好意を呼び覚まさす。
このことが、関係者の心を軟化し、ミカエラを闘牛場のマスコットとして受け入れさせていたことは推測に難くない。
ミカエラは次第に闘牛場運営の戦力となり、雇用関係を結び、いつか父の後を継ごうと努力を重ねていた。
闘牛は、近年、動物保護および、大型動物の殺傷を見世物にすることを厭う観点からの非難を受け、開催が危ぶまれる時代を迎えている。ただ、ミカエラが身に着けて来た対人能力、交渉力、つまり、観客を興奮に導くプログラムを組む力や、人気商売である闘牛士と交流して叱咤激励する技術、関係する諸産業の代表と話し合い説得する能力は本物だ。
「うーん、そうですね。
私は、迷宮制覇を補助するために呼ばれたのですよね。ですがまだ制覇を実行するチームは整っていない、それでいいですね。
では、こうしていただければ。
私はひとりで迷宮を制覇することはできません。ですが、補佐官さまがおっしゃる通り、お手伝いをすることはできると思います。
王宮に滞在させていただき衣食の面倒も見ていただくのですから、メンバーが決まるまで遊んでいる訳にもいきません。いくつか隊を強化する案があります。どれが最も有効か、みなさまとともに考えたいので、まず私に迷宮と魔法について教えてください。
ひとつは、迷宮の性質と実態です。迷宮の全体を把握している参謀のような方がもしおいでなら。
もうひとつは、迷宮内で有効な魔法についてです。魔法に詳しい方をお願いできれば」
「うむ、言うことは理が通っている。
私の権限でできるだけのことをしよう。隊の編成には手間取るだろう。
聖女とは友好的な関係を築きたいというのが我々の考えである」
劣悪な環境に放置されて、毎日神殿で異界の神にお祈りを捧げ続けるなんてごめんだ。衣食住を保証してもらえるよう、ここはひとまず相手に利のある提案をするのがいいだろう。
ミカエラは、三カ月ほどかけて迷宮とは何か、そこで何が起こっているか、魔獣とは何か、どう倒しているのかについて、更に魔法の種類と効果、使える人はどのような人なのかについて、じっくりと学習した。
講師側も、ミカエラの学習意欲に触発されて、求められた知識を惜しみなく与えた。ミカエラは交渉のエキスパートだから、講師の知識が誤っていると感じるときは、時間を置いて違うテーマで同じような講師を探してもらい、疑問点を違う視点で見直すことを繰り返した。
事業を始めるときは、あいまいな知識に頼ってはならない。初期投資は王宮か神殿が担ってくれるだろうが、プランが成功すれば自分に流れ込んでくる膨大な資産は、ミカエラがこの世界で生きて行くための命綱となるのだから。
ミカエラは案を練り終わり、再びふたりの神官と王の補佐官の前にいる。
「神官さま、補佐官さま、講師の方々に大変お世話になりました。知識の足りない私を一から導いてくださった皆さまに大変感謝しております」
「魔導士も、騎士団長、兵団長も聖女の学習意欲には驚いておった。
みな、好意的に評価しておる」
「お役に立ちたい一心です」 (心の声:確かに役に立つけどね!)
「そうか」
「それでは、聖女の考えを聞こう」
「はい、こちらに書き出しましたので、それを見ていただけますか、順に説明いたします」
ミカエラの説得レポート!
1.迷宮の魔獣と地上の魔獣の比較
地上の魔獣は、死ねば死骸が残り、それを解体して肉、皮、骨等を得ることができる。
これに対し迷宮の魔獣は、死ねばその心臓に当たるのであろう魔石を残して消え去る。イジルに回収されていると推定されている。
これは、地上の魔獣はこの世界の生物であるが、迷宮の魔獣はこの世界の生物ではないとことが理由だろう。このことは、イジルを破壊すれば迷宮が崩壊することと整合する。
神殿、王宮、魔導士、兵団は、ともにイジルが迷宮を作り、異世界から魔獣を呼び寄せていると考えている。
2.現在の迷宮踏破状況
迷宮は現在、34階まで踏破されている。
イジルが存在する最終の階が何階なのか、現時点で不明。
3.迷宮の魔獣分布
迷宮1階には、全く魔獣が出ない。
階段を下りた2階から魔獣が出る。
地下2階、3階と進むに従い、魔獣の種類が増えるが、20階、30階まで降りても2,3階で出ていた魔獣もでる。どんな魔獣が出るかは、まったくランダムに見えるが、記録を見る限り下に行くほど強くなる。
討伐が進まないのは、いわゆる「見慣れた、戦い慣れた」魔獣ではなく、初見の魔獣の討伐の仕方を学ぶのに時間がかかること、および、突然現れる桁違いに強い魔獣にすぐには対応できないからである。
また、見慣れた魔獣と未知の魔獣が同時に出現すれば、弱点の変化に即応できず、対応の切り替えがスムーズにいかない。特に弱点が正反対、たとえば水に弱いが火に強いものと火に弱いものが混在しているようなとき、個々の判断だけでなく、リーダーの命令も混乱する傾向がある。
また、桁違いに強い魔獣がランダムに出てくるので初めて出会った兵や冒険者が苦戦し、倒されることが多い。
見慣れた獣と初見の魔獣が混在していること、性質の異なる魔獣が同時に出現することで対応が混乱気味であること、その結果、迷宮滞在時間が長くなり心身の疲労が蓄積、頭の切り替えが遅くなる。
これが、死者が多く出、階を進める速度が遅くなっているもっとも大きな理由である。
以上
「講師の方々から学んだことのひとつのまとめですが、みなさま、間違いはありませんでしょうか」
「うむ、非常にわかりやすい。聖女、短い間によく学んだな」
そりゃま、命が掛かってますからねぇ。魔獣退治に参加しろとか、御冗談でしょ?
「解決案を聞かせてもらおう」
「はい。
私は、多くの人が安全な場所で魔獣と戦い、経験を積むことができる“闘魔場”を提案します」
「闘魔場? とは?」
「はい。 迷宮では、様々な魔獣がランダムにでます。場合によっては、強い魔獣、厄介な魔獣、弱点が異なる魔獣が同時に出現し、しかも、相手によって効果的な戦い方が違うことが問題となっています。
更に、はじめて見る魔獣の弱点探しに手間取り、前に進むのが難しくなることが挙げられていました。
もうひとつは、桁違いに強い魔獣に突然会うと、対応できなくなるということでした。
この問題を解決するには、ただもう慣れることだと思います。
そのために必要なのは、習熟訓練です。
いきなり未知の魔獣と戦うことがないようにするのです。
魔獣が出ない迷宮一階に魔獣討伐訓練場を作り、そこで、熟練者の指導を受けながら訓練を行います。 具体的には、まず柵で囲った訓練場を作り、柵の周りには冒険者や兵士が見学できる席を作ります。 そこへ、魔獣を放して戦闘訓練を実施します」
「いや、待て。確かに、未知の相手と戦うには、訓練が必要だというのはわかる。だが、魔獣を一階まで引き上げてくるのは、倒すよりも難しいのではないか」
「はい。それにつきましては、転移陣がよろしいかと思います。迷宮の罠の中に、転移の罠というものがありますが、それを錬金術士か魔法使いに作ってもらい利用する形ですね」
「魔獣を一階に転移させるのか?」
「はい、闘魔練習場の奥に魔獣の檻を作ってそこへ転移させます。入ったら直ちに結界を張って出られないようにします。
訓練時には檻ごと運び出して、闘魔場の入り口で結界を解除してはどうでしょうか」
動物園? サーカスの猛獣飼育エリア?
「うむ、檻は移動できるように作るのだな」
「檻の下部に馬車で使うような車軸と車輪を取り付けておき、柄で押したり引いたりできるようにしてはいかがでしょうか。また、多少の危険はありますが、檻から入口へと通路を作っておいて、追い立ててもよろしいかと」
「ふむ、なるほどな」
「こうしておけば、誰も見たことのない魔獣が相手でもいきなり戦闘に入る必要がなくなります。一階に転移させ、檻と結界で逃走を防ぎ、試行錯誤しながら弱点を探ればいいのです」
「訓練では、まず戦い慣れた方にこれから戦う魔獣の性質や弱点を風魔法で拡声しながら見学席に説明していただきます。
次に、魔獣を闘魔場に引き出し、実際に倒していただき、見学者に倒し方を見せていただきます。
それから、まだ慣れない方や、初見の方々に出ていただき、熟練者の指導を受けながら実際に倒して経験を積んでいくのです」
「うーむ。習熟訓練とのぉ、なるほど」
この案は合理的であり、実現可能でもあった。ミカエラの案を基に、冒険者や兵士から計画の実現性を問いながらプランが進み、修正されていく。
まずは、単独の魔獣からだ。攻略法を魔獣討伐者に順次学習させる。
水に弱い、火に弱い、風刃が効果的。初見でないならば、多少強くなっていても即座に対応できるようになる。
硬い殻で防御を固める魔獣は上から岩石で圧し潰す、どれも効かない魔獣に対抗する手段として、フリーズ、パラライズ、スリープ、スローなどで動きを制限してから攻撃を始める。このあたりになると対応が難しくなり、指導者の怒鳴り声が闘魔場に響き渡る。
単一の魔獣との戦闘から、複数の魔獣へ。
弱点が違う魔獣を組み合わせた時の対処へと、習熟訓練の難易度は上がっていく。
けがをしても、即座に救助され、あるいは治癒の魔法で回復する。迷宮深部と違って、癒し手の数に制限はなく、治癒ポーションも即座に補給される。死の恐怖がないところでの訓練だ、動きに無駄な力が入らず、逃げたい気持ちは克服しやすくなる。
実力と自信が積みあがっていく。
砂の闘技場を柵で円く囲んで見学させるだけの訓練場から、見学席が併設された闘魔場へと整えられ、多くの兵士や冒険者が「見て学ぶ」「熟練者が与えるアドバイスから戦いのヒントを得る」チャンスを得られるようになった。
ここで、ミカエラは、兵士と冒険者では戦い方が違うことを報告し、闘魔場の右に兵士、左に冒険者の控室を作り、入場門を二カ所にしてはどうかと進言した。
両者が順番に同じ魔獣と戦い、お互いに相手の戦い方を見せ合えば長所を吸収し弱点克服のヒントをもらい、双方ともに更に強くなるというのだ。
有効な討伐方法を兵士サイドと冒険者サイドが競って披露するようになるころには、より効果的な戦闘、より短時間で倒せる手法、チーム内の効率的な役割分担の研究、会敵する魔獣の習性によって素早く隊列を変える訓練。両者は討伐タイムや効率性を競うようになっていた。
“習熟訓練“は実戦に大きな効果があり、魔獣と戦う兵士や冒険者は戦闘の途中で数が増えてしまった時にも「訓練通りだぞ」「落ち着いていけ」などと声を掛け合うことで効率的に討伐が進み、制覇する階も進んでいった。
ここまで引っ張ってくれば後はたやすい。
ミカエラは、現在の闘魔訓練場はこれから対魔獣戦士になろうとする民への教育の場として使用し、兵士と冒険者の為に“より強い魔獣が捕獲されてきたときにも対応できるように”、“頑丈な大理石造りで、より強い結界を張ることができる見学席“を備えた、広い闘魔場を新設するよう進言し、受け入れられた。
何しろ魔法のある世界だ。建造は短時間で行われていく。
次は、これを一般公開に持ち込む。
ミカエラの進言とは。
「階が進むにつれ、魔獣はますます強くなり、桁違いの強さを持つ個体に出会う可能性も高くなります。迷宮攻略のために強い魔獣を生かしたまま一階に転移させてくれる兵士や冒険者は、討伐よりも危険な役割を果たしているのです。彼らに特別な褒賞を与えるために、週に一度、入場料を徴収して闘魔場を公開してはどうでしょうか」
「これによって、民にも迷宮攻略がいかに大変か、そのために兵士や冒険者が命を掛けて戦っているのがどれほど価値あることなのか広く周知できるでしょう。
また、その中から次代の兵士や冒険者が生まれてくるに違いありません。幸い、倒した魔獣は血飛沫をあげることなく、魔石を残して静かに消えてしまいます。兵士・冒険者側に被害が出ないなら、子どもに見せることもできます。つまり、将来迷宮戦士になる子は、少年少女の時からどのようにすれば効率的に魔獣を倒せるかを目の前で見て成長いたします。それは学習となって積み重なり、更に効果的な魔法、更によい作戦を生むに違いありません」
訓練と一般公開の間には実に深い溝がある。これが簡単に通る訳はないのだが。
ミカエラの目的は迷宮の征服ではない。流れるように自分の懐にお金が入ってきて、この世界で不自由なく生活し続けることにある。
そもそも彼女はこの国に何の恩もない。強制拉致されてきて、魔獣と戦う最前線に送り出そうとしている国や民に感謝など感じるはずもない。
闘牛場支配人の跡継ぎとして積んできた経験を十全に生かし、この迷宮が征服できたら次の大きな迷宮で人対魔獣の戦いを興行し続け、管理人として大金を稼ぐのだ。
闘魔場公開提案は、むしろ兵士や冒険者から大歓迎を受けた。ミカエラは迷宮深部から危険を冒して魔獣を生かしたまま一階に上げる者たちだけでなく、観客の前で「美技」を披露する「演技者」にも、「訓練外だから」という理由で、入場料から「出演料」を支払おうとしているからだ。
この案は、簡単に通ったわけではない。だが最終的には受け入れられた。いや、王都から、迷宮から、逃げ出してしまっている王は、兵士や冒険者、彼らを支えてともに戦ってきた商人や貴族からの強い圧力に屈した。 (それが嫌ならオレらは手を引くから、おまえやれ! とな~)
ミカエラが張る集金ネットが闘魔場を覆い始める。
まずは、入場券だ。
週に一度、兵士や冒険者の魔獣討伐を見に来るのは、はじめは家族や友人だった。「演技者」には、家族特典で数枚の入場券を無料配布する。
これが布石だ。
簡単に想像できることだが、公開魔獣討伐はすぐに賭けの対象となる。記録映像がないのだから、賭ける人はその目で結果を見るか信頼できる人を送り込んで勝ち負けを確認するしかない。
闘魔場の週一回公開一般観覧席の人気が出るようになったので、ミカエラは関係者に限り優先的に、しかも25%割引で入場券を購入できるように“配慮”した。
関係者は、それを欲しがる人たちにちょっぴり高く売ったり、何らかの利益を対価にプレゼントしたりするようになる。家族用無料入場券は、言うまでもなく優先購入権より大きな利益をもたらす。
「転売」である。
ミカエラは、入場券について表も裏もしっかり教えられていて、個人で行う初歩の初歩から権力が介入した実績がある大規模な不正まで、知り尽くしていると言っていい。もともとは、「不正の手口」という闘牛場管理職が受けるべき講習で学んだ知識である。だが、この地ではそれが「不正を行う手法」としてミカエラの集金作戦に役立っている。
家族用無料入場券も優先購入券も、意図的に正規に売った入場券と区別できないようにしてある。
無料入場券が権力者等により無理やり集められ高額転売が行われれば、「健全化」の名目で規制行動をとり(物理でね! 闘魔場では引退したもと冒険者や兵士が職員として働いているし)、上納金が運営に流れ込む後ろ暗い仕組みを作る。
家族用入場券を奪われた闘魔場関係者は、単にミカエラに申告するだけでいい。情報と解決法は彼女が掌握している。信頼はひとり占めで、裏では上納金を受け取り、被害者には補償金を握らせる。
観客が公開闘魔に慣れてくると、演技者の中から美技を披露する者、そう、マタドールのように華麗な演技で魔獣を倒す者が出てきて、人気を博すようになる。そのような演技者は、服装や髪型を美しく整え、微笑みを練習し、魔獣を翻弄してスリルを醸し出しながら勝つ。
独自の勝利ポーズを編み出すことも奨励されるようになり、やがてファイティング・ネームが付くまでになる。
ファンは、彼らに銀貨を投げる。それを拾って籠に集める“マスコット”には愛想よく手を振れる者や、筋肉自慢でポーズを取って見せる愛嬌のある者、つまり、観客からウケをとれる者が選ばれ、華やかな衣装や変わった意匠で服飾工房を宣伝しようとするデザイナーズを身に付け、時として投げられる銀貨を直接キャッチして歓声を受けながら、場を盛り上げていく。
彼らはやがて、ダンサーズを結成し、華やかに踊る姿で人気を取るようになる。
アドバイスを出しているのは、もちろんミカエラだ。
兵士・冒険者の両サイドから出るスター・プレイヤーのマッチは、歓声が渦を巻き地下二階にまで届くほどとなる。“娯楽”という概念についてまだまだ未熟なこの世界で、“闘魔場”は群を抜いたコンセプトである。
訓練自体も大いに効果を発揮した。魔獣は魔石を残すが、魔石は倒したチームのものとなる決まりだから、それ自体でも利益はある。
だからこそ。
訓練が進み、対魔獣戦士の数が増えるにつれて魔獣は常に適度に間引かれるようになり、討伐が楽になる。
やがて、イジルに到達した最初のチームがでた。攻略情報は闘魔訓練に関わる人間関係を経て拡散され、次第にイジルに到達するチームが増えていく。
だが、誰もイジルを破壊して迷宮を消失させようとはしなかった。
そこはすでに魔石生産牧場と化していたのだから。あたかも牛がミルクを、鶏が卵を生産する牧場や養鶏場ででもあるかように。
彼らにとって更にいいことには、魔獣を転移陣の罠に掛け一階に送り込むことに成功すれば、少なからぬ追加収入が手に入る。だれでも訓練場で指導を受けて闘魔訓練を受けることができるから、地下五階より深いところに出没する魔獣には常に需要がある。
ミカエラは、やがて訓練場も公開日に限って上級者の補助付きで観光客に開放し、簡単に闘魔のスリルを味わえる場に変えて行こうと計画している。
人間対魔獣の戦いは、大陸中からやってくる観光客から盛大な拍手を受け、膨大な利益をもたらした。
「闘魔場」というコンセプト自体が、この世界ではいわばミカエラのオリジナルであり、意図的に役割を分割・制御しているから、システムを統合して運営していく手法については、ミカエラにごく近い側近以外、誰も把握していない。これは、闘牛という特殊な興行を知り尽しているからこそできることだ。危険すぎて、誰にも真似できない。
迷宮は今や王国にとって、失い難い“資源”となったのだ。
凶悪な表情の魔獣がよだれを垂らしながら檻から解き放たれる。それを迎え撃つ戦士たち。
ことさらにスリルを煽る演技や、華麗な剣捌き、槍捌き、百発百中の弓技、珍しい魔法、指揮者の指示で流れるように形を変える陣容。
すべてが迫力十分で、興奮をそそる。
訓練ではなく、受けを狙う見世物なのだから、魔獣には薬が投与されたりしているのだが、そこはそれ“触れないお約束”だ。
最前列指定席、「スペシャル闘魔場お弁当、闘魔印特製ワイン、当日倒された魔獣の魔石お土産、人気戦士との握手券付き入場券」は、一枚金貨十枚で売れた。ミカエラは嬉々として闇売りの指定席券を定価の数倍で売ることを黙認し、売上金の半額をかすめ取った、いや、黙認の対価として上納させたのだった。
入場券の他にも収入の道は数多い。闘魔場内にレストランや屋台を認可して“上納金”を納めさせる、賭け屋に場所を提供して場所代を取る、周辺の土地に宿泊施設を作って利権を得る、有料で馬車を貸し出す。
現代の闘牛場では分割され、法が規制している利益が、すべてミカエラに流れ込んでくる。
ミカエラは金貨を抱え込みながら、待ち続けている。
いつか父の元へ、職場であり愛し続けてきた闘牛場へと帰る日を。
異世界教訓 その4:
召喚された聖女は、自分は被害者で召喚した者が犯罪者だとわかっている
やり返されるのは当然。そして、その復讐は、暴力ではなく巧妙な“心理罠”であることもありうる
ミカエラが帰還した後、闘魔場はおそらく賭け屋の不正がはびこる場になるだろう。それを防止する方法をこの地の民はまだ知らない
ミカエラももちろん救出されます。
自分の場所に戻ったミカエラは、元の生活を取り戻して安心して生きて行きますが、時として、自分が完全に差配して稼ぎ放題だった日々を懐かしく思い出します
ミカエラから異世界ライフについて聴取した人々は、うーん、と唸る以外なかったのでした~