第二話 平泉夫人
●第二話 場面一 平泉夫人の私室 昼間
応接を兼ねた執務室。カップやペットボトルがいくつも乗っている大きな机と、個別ソファふたつと長ソファが向かい合う応接セットが置かれていてもまだ余裕のある広さ。
執務机には煌びやかな装飾が施されたグラス型スマートギアを装着し、黒いシンプルなドレス風の衣装を着た美女が座っている。
半分開いたままの重々しいドアをノックして執務室に入ってきた克樹が、机に就いている美女に目を向ける。
平泉夫人「少し待っていてね」
顔も動かさず、机の上に出している両手もそのままに克樹に向かってそういう平泉夫人。
克樹はお盆に乗ったティーセットを応接セットに置き、ふたつのカップに紅茶を注ぐ。克樹の方の上にはアリシアが座っている。
平泉夫人「お待たせしちゃったわね。どうぞ座って」
スマートギアを外し机の上に置いた平泉夫人は、応接セットのひとり掛けのソファの方に座り、カップを手に取った。向かいのふたり掛けソファに座った克樹も、自分のカップを口元に寄せた。
平泉夫人「しばらくぶりにまともな紅茶を飲んだわ」
克樹「お粗末様です」
平泉夫人「芳野がいないといろいろ不便で仕方ないわね」
カップを口元に寄せて香りを楽しんでいる夫人。克樹は苦笑いを浮かべていた。
克樹(芳野さん…メイドさんは来週までお休みだっけ)
カップを飲みながらそんなことを考えている克樹。
カップを置いた克樹は、お盆に乗せて持ってきた指輪を手に取り差し出す。
克樹「あの、これでいいんですか?」
克樹の手のひらから優しく指輪を手に取った夫人は、それを見つめて目を細め愛おしげに笑みを浮かべた。
平泉夫人「えぇ、これよ。本当にありがとう、克樹君」
指輪を包むようにして持った右手を胸元に当て、左手で包むようにしている平泉夫人は、何かを思い出すかのように少し目を伏せて笑んでいる。
克樹(でもあれ、プラスチック製だよな)
机の上こそカップやペットボトルが散乱しているが、趣味の良い調度品や絵画があり、広く綺麗な夫人の執務室。
克樹は若干険しそうな表情を浮かべている。
そんな克樹に気づいた夫人は、目を大きく開いて口元に笑みを浮かべた。
平泉夫人「これはあの人との思い出の品なの」
克樹「なるほど」
平泉夫人「まだ何もなせていなかった頃の、ね」
一度立ち上がり、机の引き出しに指輪をしまい込んだ平泉夫人。再びソファに座りカップを手に取る。
平泉夫人「あの人の墓参りから帰ってきた後、着替えをしている間になくなってしまったのよ」
リーリエ『ネズミが持って行っちゃってたんだよ!』
克樹の肩に座るアリシアの足をバタバタと動かしながら、リーリエが言う。
平泉夫人「そう。リーリエちゃんが見つけてくれたの?」
リーリエ『うんっ』
アリシアに満面な笑みを浮かべさせるリーリエ。
平泉夫人「ありがとうね、リーリエちゃん」
リーリエ『んっ!』
腰を浮かして手を伸ばした平泉夫人は、アリシアの頭を優しく指で撫でてやる。
ソファに戻った平泉夫人は、口元に笑みを浮かべつつも、見透かすような視線で克樹のことを見つめる。
平泉夫人「でも本当に、リーリエちゃんは百合乃ちゃんに似ているのね」
一瞬眉根にシワを寄せた克樹は、斜め下に視線を逸らした。
克樹「まぁ、そういう性格付けをしていますから」
さらに口元の笑みを深くする夫人。
平泉夫人「私も、リーリエちゃんのような人工個性がほしいのよね」
克樹「人工個性を、平泉夫人が?」
その声に夫人のことを見て目を丸くする克樹。
平泉夫人「えぇ。スフィアドールの操作は、リーリエちゃんのようにできるし、曖昧な指示の仕事もやってくれるんでしょう?」
克樹「えぇ、まぁ」
突如、突き刺すような視線を克樹に向ける夫人。
克樹はそれに驚き身体を少しのけぞらせる。
平泉夫人「まるで、人間のように」
息を呑む克樹に対し、夫人は口元に寄せたカップに視線を落とす。
平泉夫人「人工個性のシステムが購入できるか話をしてみたのだけれどね」
克樹「システムを? それは無茶な…。あれはスフィアロボティクス社で実験中ですよ」
傾けたカップから片目だけで見つめてくる夫人に、克樹は慌てた仕草をする。
克樹「僕はほら、ショージさんの大学のツテで旧システム買えただけなんで…」
平泉夫人「そうね。もう返済してもらったけれど、あのときはずいぶんな金額を貸したものね」
克樹「うっ」
顎を引き、口ごもる克樹。
克樹「僕は…、百合乃を…」
言いながら克樹はパーカーのポケットに右手を入れる。
途端に身体を大きく前に出してきた平泉夫人は、克樹の手を服の上から包む。
平泉夫人「まだそんなものを持っているの?」
克樹「……」
克樹が握っているのは、折りたたみのナイフ。
平泉夫人「止める権利は私にはないけれど、あまりお勧めできないわ」
そんな彼女の言葉に、克樹は若干不機嫌そうに目をそらすだけだった。
平泉夫人「それに気をつけなさい、克樹君」
ポケットから手を出した克樹に、平泉夫人は身体をソファに戻して険しい顔つきになる。
平泉夫人「貴方が通り魔に遭遇しないとも限らないのだから」
克樹「例の、ピクシードールを壊したって言う?」
平泉夫人「えぇ。昨晩、二件目の事件が起こったわ」
右肩に乗ったアリシアに視線を飛ばす克樹。
克樹『リーリエ、事件記事を検索』
リーリエ『うん』
跳ね上げていたスマートギアのグラスを下ろすと、すぐさま事件記事が表示される。
被害者は男子高校生のソーサラーで、殴られ軽傷。ピクシードールだけが奪われ、近くで破壊されスフィアだけが抜き取られていると記事に書かれていた。
克樹(一件目とほぼ同じか)
平泉夫人「貴方が襲われたら、どうなってしまうのかとても心配よ」
目を細め、克樹に心配そうな視線を向ける平泉夫人。
けれどすぐにいたずらな笑みを唇に浮かべる。
平泉夫人「もし怖かったら、この家に泊まっていってもいいのよ? できる限りもてなすから」
近づいてきて克樹の頬に手を寄せる平泉夫人。明らかに楽しんでいる彼女の言葉に、克樹は克樹の顔は赤くなる。
克樹「がっ、学校もありますから!」
リーリエ『ダーメ! おにぃちゃんはあたしのなの!!』
ふたりの反応ににっこりとした笑みを浮かべる夫人。
平泉夫人「残念ね。でも克樹君には女の子関係であまりよくない噂も聞くのよ」
再びいたずらな笑みを浮かべる夫人。
平泉夫人「不満があるなら、いつでもいらっしゃいね」
もてあそばれている克樹は、夫人から目をそらした。
克樹「も、もう僕は帰りますっ」
言って立ち上がった克樹に、夫人は優しく笑む。
平泉夫人「でも今日は本当に助かったわ」
扉に向かおうとした克樹に近づき、夫人は彼の頬に手を添える。
平泉夫人「貴方の顔も、見ておきたかったからね」
●第二話 場面二 駅前広場 夕方
夕暮れが近づく駅前の広場。
スフィアロボティクスのロゴが描かれた、中型のバスのような車が停まり、屋根の上には大型モニターが展開され、その前には一メートル四方のリングが台の上に設置されている。リングの左右に置かれた台に向かっているのは、若干小太りでヘッドギア型のスマートギアを被った大学生くらいの青年と、高校生くらいでポニーテールに髪を結った夏姫。
広場には数十人の観客が集まり、駅の出入りする人数よりも多い。
改札に向かう階段から駅の広場に降り立ったのは、グラスを跳ね上げた状態のスマートギアを被っている克樹。
リュックを肩にかけパーカーのポケットに両手を突っ込んだ克樹は駅前の人だかりに目を向ける。
克樹「ローカルバトルか」
リーリエ『なになに? ピクシーバトル?』
車の上に展開されたモニターには、これから始まるだろう選手のふたりとまだ空のリング、それからトーナメント表が表示されている。
参加者十人小さなバトルは、これから決勝戦。
克樹「これから決勝戦が始まるところ。見るか?」
リーリエ『うん、もちろんっ』
少し離れたところに立った克樹は、スマートギアのこめかみのところに指を走らせる。
リングの上に置かれた二体のピクシードール。
リーリエ『どっちが勝つかなぁ』
克樹(解析始めたな、たぶん)
男子がリングに置いたドール、ユピテルオーネは、アニメ調の重装鎧で、ピンクや黄色を基調の色合いをし、防御効果もないだろう布地で飾り立てられ、身長を超えるハルバードを手にしている。
克樹(第五世代パーツを使ってるな。全部最新パーツか)
女子の方のドールに目を向ける。
濃紺の軽装鎧で、飾り気は少なく動きやすそうな形状。男子のドールに比べ頭ひとつ分大きい。
克樹(Fカップバッテリー?)
胸の大きなヒルデに、克樹は眉根にシワを寄せる。
克樹(重心高そうだし、重いし、何か理由があるのか?)
腕を突き出したユピテルオーネは重々しいハルバードをクルクルと回転させ、対峙するヒルデは両刃の長剣を右手に持ち、それを前に出すように半身に構えている。
克樹「どっちが勝つと思う?」
リーリエ『わかんないの? おにぃちゃん』
リングを挟んで対峙しているふたりを見る克樹。
男子の方はヘルメット型のスマートギアを被っているが、女子の方はスマートギアは被っておらず、携帯端末を左手で持ち、右手の三本の指を構えている。
克樹(ユピテルオーネの方はフルコントロール。ヒルデはセミコントロールか)
険しく眉根にシワを寄せる克樹。
克樹(セミコントロールじゃ細かい操作は難しいし、ユピテルオーネの方が有利だよな)
唇に親指を当て、克樹は考え込む。
克樹(武器の重さからして、第五世代パーツのパワーで叩き込まれたら、一撃で決着だ)
ゴングが鳴った。
その瞬間、ユピテルオーネは腰だめにハルバードを構え、槍になっている先端をヒルデに向けた。
キャンパスを蹴り、一気に距離を詰める。
リーリエ『終わるよ』
克樹「え?」
突き出されたハルバード。
わずかに身体を横にズラしてそれを躱したヒルデ。
克樹(ん?)
リングの上をいくつかの角度から表示しているモニターで、克樹はブリュンヒルデが左手でハルバードの先端に近い柄をつかみ、後ろに引くのが見えた。
ユピテルオーネのソーサラーの口元が引きつったときには、二体の距離はぶつかり合うほどに接近していた。
克樹「あ……」
流れるような動作ユピテルオーネの突き出された脇に右腕を滑り込ませたブリュンヒルデは、身体をくるりと回転させ背中をユピテルオーネに密着させる。
ブリュンヒルデが落としていた腰を伸ばすと、ユピテルオーネはそのまま投げ飛ばされた。
克樹(背負い投げ?!)
ユピテルオーネはそのままリングの外へと落ちていき、決着を告げるゴングが鳴った。
リーリエ『ふっふーん! やっぱりヒルデって子が勝ったねっ』
克樹「どっちが勝つか言ってなかったじゃないか」
克樹が勝った女子の方を見ると、胸に手を当てて安心したように息を吐いていた。
克樹(セミコントロールでここまでできるのか?)
眉根にシワを寄せ、女子のことをじっくりと見る克樹。
克樹(どこかで見たことあるような気がするな、あいつ)
ポニーテールを揺らしてギャラリーの方に向き直り、不適な笑みを見せる女子。
モニターには飛び入り参加募集、勝利者には商品券贈呈の文字が表示されている。提供は商店街。
リーリエ『飛び入り参加募集してるよ。行く?』
リーリエの声にポケットを両手に突っ込んだ克樹。
克樹「僕はもうこの手のバトルはやらないよ」
リーリエ『……そっか』
カウントダウンが終わり、飛び入り参加する人がいなかったためにヒルデの勝利をたたえる文字が鬼ターに表示される。同時にリングなどの片付けが始まった。
克樹「帰ろう」
リーリエ『うんっ』
きびすを返して歩き始めた克樹。
克樹(でもこれからは、戦わないわけにはいかないんだよな)
克樹は雑踏に紛れていく。
雑踏に紛れていく克樹の背中を見つめている女子。
夏姫(見つけた)
彼女は鋭い視線を克樹に向けていた。