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第六話:本当はわかってました……

「俺は……」


 返すべき言葉を持たないままに口を開いてしまった俺は、続けてどんな単語を発すればよいのか迷った。

 カエデの柔らかな目元がいつにもまして真剣な色を帯びて俺の目をじっと見つめている。視線から直接浮力を与えられたように、身体はふわふわと宙に浮いていく。


 少しだけ口角を上げたカエデの口元が俺の返事を待っている。

 何か言わなければ。そう思えば思うほど瞬間接着剤で貼り付けられたかのように、上唇と下唇はくっついて離れない。


 ――カエデの気持ちにそろそろ応えてあげてもいいんじゃないか?


 だろうな。


 ここまで俺を好いてくれる人間なんてそうそういないだろう。なんて思ってしまうのは、俺自身の自己肯定感の低さからくるものだろうか。


 自問自答する。


 自信がないわけではない。

 今までずっと努力してきた。頑張ってきた。その自覚がある。


 しかし、ある人は「努力したなんて思ってるうちは努力のうちに入らないよ」なんて言ったりもする。

 逆説的に、ずっと努力をしてきた俺は、全く努力なんてしてこなかったことになる。


 いや、そうじゃない。俺が「努力してきた」ことは、周囲からの評価も鑑みての客観的事実であって、主観的なものではない。はずだ。


 ――ヨウは頑張ってるね。


 両親に言われた。学校の先生に言われた。

 ああ、俺は頑張ってるのだ、とその時気付いた。

 俺はただ、ユリカさんに似合う男になりたい、その一心だった。


 待て待て。話がとっ散らかってる。

 なんでこんなことを考えてるんだっけ?


 そうだ。カエデのことだ。


 ここまで俺を好いてくれる人間なんてそうそういないだろう、という仮説を検証し始めたのだ。

 ただ、そもそも仮説自体が未来のことに言及している以上、未確定であり、検証することにさえ意味がない。

 ってか、なんで俺はこんなことを考えている?


 いや、理由はわかってる。今、ここでカエデに「改めて結論を出せ」と言われて、迷っている。悩んでいる。シンプルにそれだけなのだ。結論を出さねば、という状況からのはたらきから脳みそが逃げているの……かもしれない。


 カエデのことを嫌いじゃないから。むしろ好ましく思っているから。


 春に想いを告げられたときは、正直カエデと二人でどこかに出かけたりだとか、二人で過ごしたりだとか、そういう具体的な想像はできなかった。

 でも、今は想像できる。きっと楽しいのだろう。きっと喜ばしいのだろう。


 だから、俺の中の俺がささやいてくる。「首を縦に振ってしまえ」と。「カエデと付き合ったりなんてしたら、人生バラ色だぞ」と。


 じゃあ……。


 なんで、俺は悩んでいるのだろう。


 俺を射すくめるカエデの瞳を見返す。こうやって改めて見ると、虹彩が僅かにブラウンがかっている。意外と気づかないもんだな。


 息を吸う。そして吐く。


「俺は……」

「はい」


 カエデの銀鈴のようなが耳朶を打った。


「俺はさ。カエデのこと、好きだよ。それは間違いない」


 俺の言葉を受け止めたカエデの顔が歪んだ。

 悲しそうに。「やっぱりか」とでも言わんばかりに。


 それは、きっと。俺の顔を見て、顔色や表情から次に何を言うのか想像がついたのだろう。


「でもさ。おかしいんだよ」


 カエデからの相槌はない。


「なんでなんだろうな……」


 そう。

 本当に、なんでなのかわからないのだ。


 なんで、今、この瞬間、さっきから、ずっと。ヒマワリの顔がちらつくんだろう。


 どうして、ヒマワリの言葉が頭の中で鳴り響くんだろう。


 ――修学旅行から、帰ってくるまでに。なんでヨウがあんなこと言っちゃったのか、ちゃんと答えを出して?


 鴨川に来るまで全然わからなかった。というよりも、考えてすらいなかった。


 ヒマワリのことなんて、なんとも思っちゃいないはずだった。

 あいつは、ただの幼馴染で。ずっと疎遠になってしまっていたけど、それでも家が隣の腐れ縁で。


 ただ、それだけだったはずなのに。


 今、結論を出したとして、それで帰ったとして。

 想像の中のヒマワリは何故か一人で泣いている。


「……ごめ――」

「その先は……」


 俺の謝罪を遮って、カエデが蚊の鳴くような声を出す。目に一杯、溢れんばかりの涙を湛えながら。


「言わないで、ください……」


 にこりと微笑んだ。その拍子に、一粒だけ涙が頬を伝う。


「言われずとも、わかります。いえ……」


 すう、と大きく息を吸って。ひときわ大きな、震えるため息を吐いて。


「本当はわかってました……」


 直前のため息よりも、もっともっと微振動を繰り返す声で呟いた。


「わかってたんです……。本当は……。わかってたんですよ……。でも一縷の望みを捨てきれなくて。今なら、私のことをよく知ってもらった今なら。大丈夫だって……。自分に言い聞かせて……」


 その独白に対して、俺は何も返せない。


「でもっ……。受験が始まって、大学に進学して……。そしたら、今のままじゃ、ヨウ君はきっと私と会ってくれなくなるって……。ヨウ君のお部屋にもいけなくなるって……。だから……だからっ……」


 当たっている。きっと、俺はカエデと距離を置く。不誠実な真似はしたくない。


 一度お断りした相手と二人きりで、なんて考えないだろう。


「ヨウ君?」


 口を閉ざしたまま、俺はカエデの呼びかけに首肯する。


「私のこと、好き、なんですよね?」

「……うん。好きか嫌いかで言ったら、好きだ」

「でも、私を選んでくださらないんですよね?」


 肯定の言葉を返す代わりに、少しだけ俯いた。靴のつま先をぼんやりと見つめる。


「私、わかってます。わかってるんです。ヨウ君の頭の中には、きっと私じゃない別の誰かがいらっしゃいます。その別の誰か(・・・・)がどなたなのかも、わかってるんです……」


 しゃくりあげそうになりながらも、すんでのところでそれを食い止めるような、震える声が俺の耳朶を打つ。


「ユリカさんではない、別の誰か、ですよね?」


 顔を上げる。まるで内心を覗かれたように感じて。


「……それは……」

「いいんです。わかってます」


 わかっている、なんて言われても。正直俺自身どうしてあいつの顔が思い浮かんだのか全然わからない。


 俺は、ヒマワリをどう思っている?


 わからない。わからないのだ。


 深い悲しみを湛えた横顔から目を離せないまま、何も言えずにいると、ゆっくりとカエデが立ち上がった。

 腰のあたりについた土をぱんぱんと手で払って、小さく言う。


「今日はありがとうございました」


 先程までとは打って変わって、どこか晴れやかなものを感じさせる声だった。


「ここで解散、でいいですよね?」

「……いいのか?」

「本当は、この後のプランも考えていたんですけどね。無駄になっちゃいました」


 では、と遠ざかるカエデの足音が背中を叩く。


 振り向かない。振り向いてはいけない。

 きっと、そうしてしまうと、カエデを深く傷つけるから。



 §



「で?」


 三日目のすべての日程が消化され、夕飯も食べ終わり、ホテルで。

 浜口が藪から棒に声をかけてきた。


 他のルームメイトどもが耳をそばだてているのが、雰囲気で伝わる。

 興味津々じゃねえか。


「お前に言われた通り、ちゃんと向き合ったよ」

「……そうか。なら許す」

「なんでお前に許されないと……」


 まぁ、でも……。


「……そうだな」


 カエデには向き合ってきたつもりだ。初めて想いを告白されたあの日から。

 でも、浜口と比較すれば負けるだろう。


 しん、と部屋が数秒静まり返った後、思い出したかのように他の連中が騒ぎ始める。

 気になるんだったら直接訊けばいいのに……。

 なーんて。俺と浜口の様子をみりゃ声をかけるのに躊躇したくなるのはよくわかる。俺だって逆の立場なら、今の俺達にわざわざ声をかけようとなんてしない


「なぁ……」


 各々が今日の思い出に対して喧しく騒ぎ立てる中、浜口がぼそりと、俺だけに聞こえるくらいの音量で言った。


「お前は、どういう女子がタイプなんだよ?」

「は?」

「いや、だからさ」

「なんでいきなり普通の恋バナっぽくなるんだ? 今の流れから」


 呆れた。もうちょっと、なんというか、シリアスな感じだっただろ。今の流れは。


「いいじゃねぇか。そういや、ヨウのそういう話全然聞かねぇなと思ってよ」

「そりゃ、話してないからな」

「聞かせろよ」


 ため息を一つ。茶化した声色ではあるが浜口の顔は真剣だ。


「わかった」


 気づけば、再度部屋の中の喧騒は無くなっていた。見回すと、他の連中も近くに寄ってきている。


春原(すのはら)のそういう話、俺も興味あんだけど」

「早く聞かせろよ」


 あー……。こりゃ本格的に逃げられなさそうな雰囲気だ。

 仕方ない。


「あー、なんだ……。その。俺はさ。隣に住んでた幼馴染のお姉さんのことが好きだったんだ。お姉さんには、俺と同い年の妹もいてさ。小さい頃からいつも遊んでた」


 そこまで言い切ってから一息ついて、俺を見ている同室の男どもの顔を見回す。

 なんか言ってくれよ。


「……ずっと、その人が好きで、そのためになんっつーか、色々頑張ってさ。でも、ちょっと前、春くらいにそのお姉さんが結婚して……。で、今もうお腹に赤ちゃんがいて……」


 まだ、リアクションはない。

 頬をかく。


「まぁ、そんな感じ」


 しばしの静寂。その後で、一気に部屋が騒がしくなる。


「よ、ヨウ! お前脳破壊されたのか!?」

「い、いや、脳破壊ってほどまでは……」

「それよりも、その幼馴染の妹ちゃんの話詳しく!」

「いや、別に話すほどじゃ……」

「ってか、そのお姉さんってどんな人なんだよ! もっと情報をくれ!」


 雨のように質問が飛んでくる。俺の目は見事に白黒していただろう。


「なるほどな。今でもその初恋の人が好きだから、春夏冬(あきなし)ちゃんとも付き合わない、と」


 ひとしきり質問攻めが終わった後で、浜口が俺の顔をみて苦笑いした。


「いや、実はもうユリカさん……その人のことは吹っ切れてて」

「吹っ切れてんのか?」

「多分?」

「疑問形かよ。じゃあ、なんで……ってのは野暮か」


 なんで、ってのは、「なんでカエデと付き合わなかったのか」ってことだろう。

 俺は未だに苦笑いを続ける浜口に、同じような苦笑いを返した。


「結局、俺も春夏冬ちゃんも失恋したってわけか」


 いや、まぁ。端的に言うとそうなるけどさ。そのうえで、すべての関係性が俺に帰結するのが嫌なところだ。






 その後は、他の男どもの恋バナに移行していって、聞きたくもない「誰が好きだ」だとか、「こういう女子が好きだ」だとかを強制的に聞かされることとなった。

 誰が巨乳派で、貧乳派で、むしろ尻が良いだとか、脚がよいだとか、そういう話は全くもって聞きたくなかった。無駄な情報すぎる。


 話半分に聞きながら目を閉じる。一ミリも興味の沸かない話題は、時として大きな睡魔を呼んでくる。


 さて、眠りに向かいながら考えよう。

 カエデの言う「決着」に対して、俺はしっかりと答えを出した。

 ただ、その答えにプロセス(・・・・)がないことも理解している。


 直前まで揺らいでおきながら、俺は結果的にカエデの想いに応えなかった。

 それは、色々と理由はあると思うけど、最終的にはヒマワリの顔が思い浮かんだからで……。


「……え?」


 ちょっと待て? つまり、俺は、ヒマワリがいたからカエデを振ったのか?

 いやいやいや。ないないない。ないだろ。


 それはないはず。


 でも客観的に見れば、状況証拠としてそうとしか言えないわけで。


 あれ? つまるところ、ヒマワリが大学進学で遠くに行くって言ったときも。


 そういう……?


 いやいやいやいや。ないないないない。


 でも、そう考えると何もかも辻褄が合うわけで。


 え?


 眠気で鈍っていた脳みそが急激に高速回転を始める。


 え?


 マジで?

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