第四話:私としばらくの間、一緒に歩いてはもらえませんか?
『今日、カエデちゃんとデートなんだって?』
三日目の朝。突然スマートフォンがぶるりと震えた。
通知画面にこうこうと表示されたのは、ヒマワリからのメッセージだった。
ぎょっとして硬直して、数秒。何故俺がやましい気持ちになる必要があるのだろうか、というそもそもの前提に対する疑問が湧き上がったところで、俺はメッセージアプリを開きあいつからのメッセージに既読をつけた。
ヒマワリとカエデの仲は良好だ。どうせ、カエデが話したのだろう。
『まあな』
疑問を抱いたものの、やましい思いは消えることはない。結果として俺からの返事も意図せず素っ気ないものになる。
『そっか』
間髪を入れずに、返ってきたメッセージはそれだけ。
ヒマワリと俺との間で交わされるメッセージは、互いに普段から素っ気ない。しかし、今日は群を抜いている。
そう思ったのは、俺の中に湧き上がる理解不能なやましさからなのか、実際にヒマワリからのメッセージが客観的に見ても素っ気なかったのか。
十秒ほど悩んで、結論が出ないことに業を煮やしていたところ、再度スマートフォンがぶるりと震えた。
『ま、楽しんできなよ~』
「……気にして損した」
いつも通りのヒマワリのメッセージだ。少なくとも俺にはそう見えた。
「おーい、ヨウ! まだかかるか!? 俺もそろそろ限界なんだけど!」
「あー、すまん」
扉の向こうから浜口の声が聞こえた。
そういや、ここトイレだった。
手早く済ませて外に出ると、浜口は声にならない声を上げ情けない顔で尻を押さえていた。
申し訳なさを感じると同時に、少しだけ笑ってしまった俺を誰が責められようか。
いや、マジですまないとは思ってる。ごめん。
§
「おはようございます、ヨウ君」
「おはよう」
待ち合わせ場所。五分前。
お互い時間にはきっちりしているタイプだ。いや、五分前に目的地に到着してカエデが俺を出迎えた形になっているから、カエデのほうが時間に厳しいのだろう。
「悪い、待たせたか?」
「いえ、ついさっき着いたところです」
今まで何度か交わしたやりとり。でも、何故か今日は付き合いたての恋人同士みたいに感じられる。いや、今までもそうだけど、客観的に考えると気持ち悪いし、恥ずかしい。主に俺が。
しかし、カエデは気にした様子もなく――といってもいつも通りのやりとりだから当然なのだけれども――、「じゃ、どこに行きましょうか?」なんて微笑む。
「そうだな……」
考える素振りは見せるが、正直に言えばノープランだ。
本来一緒に行動するはずだった班のメンバーになんと説明したものか。そこに思考リソースの大部分を割いていたため、デートプランなんて一切考えていない。
「さては、何も考えてませんね?」
うっ、と息を詰まらせる。
図星をつかれたのもあるが、ふふん、と言わんばかりに唇を歪めて俺の顔を覗き込むカエデが十分すぎるほど魅力的だったから。
「……え……っと。はい、すみません」
「ふふ、ヨウ君らしいです」
くすりと、少しだけ笑い声を漏らしてからカエデが人差し指を立てる。
「だろうな、と思って、私がちゃんと考えてきました」
「いや、なんか、すまん」
「いいんですよ。大した計画じゃないです。どこそこに観光しましょう、とかじゃなくて……」
そこまで言って、カエデが恥ずかしそうな素振りを見せる。
「普通に、普通の男の子と女の子みたいな、そんなデートがしたいんです」
「せっかく京都なのに、か?」
「せっかく京都だから、です」
そう返したカエデの顔は、俺よりも一足先に次の目的地へ向かおうとしていたから見えなかった。
弾むように、まるでスキップでもするように、楽しそうに。
五歩くらい歩いてから、カエデが少しだけこちらを振り向く。
「さ、ヨウ君! 行きましょう!」
カエデの横顔は、弾けんばかりの笑顔だった。笑顔のはずだった。
なのに、どうしてか、俺はカエデが笑っているとは思えなかった。
カエデが宣言した通り、デートコースは至って普通のものだった。
本当に俺たちは京都にいるのだろうか、とふと疑問に思ってしまう程度には。
ただ、街並みは京都以外の何物でもないし、たまにすれ違う地元民の訛り言葉も京都特有のものだし、京都であることには間違いないのだろうけど。
最初は、待ち合わせ場所から他愛もない話をしながら歩いた。
大通りよりも裏通りのほうが風情がある、というカエデの言葉に従って、ぐねぐねと碁盤の目を縫うように。
一度だけ移動中の舞妓さんと出くわした。
俺は声をかける勇気がなかったけれど、カエデが控えめに「すみません。大変失礼なお願いなのですが、写真よろしいですか?」と訊いた。
丁重にお断りされてカエデは残念がっていたが、あとからスマートフォンで調べたところ、舞妓さんへの声がけはマナー違反らしい。
カエデなら、事前に調べていそうなもので、逆に俺が「写真撮らせてもらったら?」とか言って、「それはマナー違反なんですよ?」なんて苦笑いを返されそうだけど。なんだかんだで、カエデも舞い上がっているらしい。
しばらく歩いたら、適当な喫茶店へ入る。観光雑誌などで紹介されているような、名物デザートがあるような喫茶店じゃない。
年老いたマスターが老後の趣味でやっているような、こじんまりとした店。「年老いたマスター」までは合っていたが、想像と違って店主は女性だった。
コーヒーを一杯ずつと、カエデがケーキを頼む。
注文する時、お婆さんに「あらあ、随分お可愛らしいアベックで、よろしおすなあ」なんて言われて、顔を見合わせる。
普段のカエデならさらりと「恋人同士に見えますか?」なんて返しそうなものだが、何故だかお互い返事に困った。
そんな俺達の様子を見てお婆さんが豪快に笑い、「修学旅行生でしょ? ちょっと京都の人間っぽく話しかけようとしたんだけれど、駄目だったみたいね」なんて言って。
二人で「そんなことは」と否定して。
しばらく、のんびりとお婆さんの昔話を交えながらあれこれ話して。喫茶店を出て。
また、どちらが何を言うわけでもなく、ふらふらと京都の街並みを歩く。
ルートはある程度カエデがコントロールしているのだが、それでも「行く宛もない」という修辞がぴったりと当てはまる程度に。
カエデと二人で出発して三時間は経っただろうか。休み休みの道程ではあったけれど、男の俺でも流石に足が多少疲れてくる。カエデは大丈夫だろうか。
「結構歩いたけど、疲れてないか?」
「ああ、そう言えば、結構歩きましたね。気づきませんでした」
恥ずかしそうに笑いながら、カエデが時計を見て悩んだ。
「お昼ごはん、どうしましょう?」
「いや……うーん……」
特段食べたいものも思いつかない。
「特にないなら、こういうのはいかがですか?」
§
カエデの提案は、コンビニで適当にサンドイッチを買って、鴨川を眺めながら食べよう、というものだった。
鴨川といえば、鴨川等間隔の法則で有名だが、カエデもそこに混ざりたかったらしい。
歩いていくには流石に遠すぎたため、バスと電車を乗り継いで、祇園四条まで向かう。
駅構内の売店で、適当にサンドイッチとおにぎりを買った。
駅を出てすぐに、鴨川が目に飛び込んでくる。
「わっ! テレビで見たそのまんまですよ!」
きゃあきゃあ、と騒ぐカエデがパタパタと駆けていく。
一方の俺だが、鴨川云々は知識として知ってはいるものの、実際の映像や画像を見た記憶はない。
へぇ、ここが、かの有名な……。なんて、あっさりとした感想しか出てこない。
「ヨウ君! こっちです!」
いつの間にか、鴨川の川べりまで到達していたカエデが振り返って手を振る。
返事代わりに軽く手を挙げて、歩みを早めた。
「うーん、意外とデートスポット感ないですね」
「まぁ、そりゃあ……」
今日は平日の真っ昼間。まともな人間なら仕事があるし、大学生であっても授業があるだろう。
人がいないわけではないがまばらだ。
それにどうも、座っている人々は同性同士だったり、三人以上だったり、カップルらしい姿は見られない。いないことはないのだけれど。
「……ま、些末なことですね。ヨウ君、座りましょう?」
うん、と返す間もなく、カエデが川べりに腰掛けて振り向く。
それに倣って俺もカエデの左隣に腰掛けた。
「もう、ヨウ君? 遠いです」
腰掛けるやいなや、カエデがそう言った。
そんなことない、なんて言う前にカエデは体をずらして俺の横にピッタリとくっつく。そよ風にふわりと、甘やかな香りが鼻をくすぐった。
「少し肌寒いですね」
南に下ったとは言え、もうすっかり秋だ。そりゃあ、肌寒くもなる。
そして、肌寒さを感じれば感じるほど、身体の右側から伝わるカエデの体温がいやに熱く感じる。
なんとなく身体がこわばった。右側から感じる圧力は、精神的なものではない。物理的なものだ。
カエデが俺にもたれかかってきているが故の。
はたから見れば、俺達二人はどう見えているのだろうか。仲の良い初々しいカップルにでも見えているのだろうか。
別に付き合っているわけではない。俺にそのつもりはないし、カエデも今この瞬間はそんな歪んだ認識を持ってはいないだろう。
けれど、いくら考えないようにしたところで脳裏によぎる。このあとの展開は、容易く。
俺の予測と相反せずに、カエデがややあって口を開く。
「ヨウ君?」
「うん」
「春に私が言ったこと、覚えていますか?」
覚えている。しっかりがっつりと。というか、あれからカエデとはずっと一緒だったわけで、顔を見れば当然思い出す。思い出さざるをえない。「思い出す」という言葉が陳腐に思えるほどには、常に頭の片隅にあった。
「私は諦めません。そう言いました。その言葉に嘘はありません。これまでも、これからも。今だってそうです」
俺はカエデの独白に何も言えない。ただ黙って聞いていることしかできない。
「ですが、物事には始まりがあって終わりがあります」
絞り出すような声。
「私がいくら『諦めない』なんて言っても、終わりはきます」
それでいて、自分の感情を押し殺し、軽やかに聞こえるよう意識された声。
「わかってるんです。わかってるんですよ。始まりがあれば終わりがあります。恋だって同じです。私がどれだけ、それこそ一生懸けてヨウ君を好きでいても、その想いが成就したとしても……。どうあっても転がる先次第では終わりがやってくる」
カエデが俺を見つめる。潤んだ瞳で。
「ヨウ君。私は、今日。最後の決着をつけようと思っています」
決着。
その言葉に、どれだけの万感の思いが込められているだろう。他人の気持ちを全て理解できるなんて言えるほど、俺は傲慢じゃない。傲慢ではいられない。カエデが俺のことを今どんな想いで見つめているのかなんて、俺にはわからない。
ただ、一つ。一日目の夜、浜口が言った言葉が頭の中をリフレインしていた。
――ちゃんと向き合ってくれ。
俺は向き合えているだろうか。カエデから向けられる想いに。
一度目はしっかりと向き合った。そのつもりだ。
けれど、それから「諦めない」とはっきりと言われ。その後は、カエデの気持ちとちゃんと向き合えていただろうか。
きっと、向き合えていなかった。カエデに甘えることなんて数え切れないほどあった。カエデなら、多少の無理を聞いてくれるだろう、と無茶なお願いをすることがあった。
俺は、ともすれば最低最悪なクズ男なんだろう。
だからこそ、今日、カエデから向けられるこの視線にちゃんと答えなければいけない。
応えるべきだ。
俺は、カエデとどうなりたいんだ?
正直に言おう。カエデから向けられる好意はものすごく心地が良かった。
無条件に向けられる信頼も、多少のことは許容してもらえる優しさも。
春、カエデから好意を告げられた時、「俺はカエデのことを心から好きだなんて言えない」とかいう理由で断った。
しかし、今はどうだろう。
カエデといっしょに過ごす日常は、俺にとって手放し難いものになった。嫌いではない。むしろ、好ましく思っている。
知れば知るほど、カエデは素敵な女の子だと、そう思う。
だから。
――カエデの気持ちにそろそろ応えてあげてもいいんじゃないか?
一瞬だけそう思った。
「ヨウ君。私は、まだ変わらずヨウ君のことが好きです」
カエデがその桜色の唇を小さく動かして、それでもなおはっきりと言った。
秋の風が、ひゅうっと、俺とカエデの間を通り過ぎる。
「きっと、それはずっとずっと変わりません。それは許してください」
カエデが儚げに微笑む。
「今日、決着をつけさせてください。ヨウ君。未来永劫なんて重たい話は申し上げません。私としばらくの間、一緒に歩いてはもらえませんか?」
上気した頬と、濡れた唇。風に舞う柔らかな髪の毛。
そして、星のきらめく夜空を思い起こさせるような、真っ黒な瞳が俺を刺し貫いた。
「……俺は……」
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