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第三話:ちゃんと向き合って。考える

 修学旅行の一日目も終わり、旅館へ。

 京都名物と謳われているものの、絶品かと言われるとそうではない夕食を食べ終え、部屋に戻り、今はグループごとに割り振られた風呂の時間を部屋でだらだらしながら待っている。そんな感じだ。


 基本的に、修学旅行の班分けと部屋割りは一緒だ。同じグループのクラスメイトらがめいめいに時間を潰している。当然ながら浜口も一緒の部屋だ。

 連中を焦点の定まらない視界で眺めながら、俺は背中を冷や汗でびっしょりにしていた。


 理由は一つ。


(三日目のこと、どう言おう……)


 実のところ、まだグループのクラスメイトには何も言えていない。

 何をどう話そうか、なんて迷っていたら、あれやこれやという間に修学旅行当日になってしまっていたのだ。


 何度も言うが、カエデはなんやかんやで大人気の女子だ。同学年にとどまらず、学校中の連中がカエデをアイドルかなんかだと思っている。

 それでいて、女子から悪い噂が流れている様子もない。転入当初は、カエデの取り繕ったようにも見える態度や、人並み外れた容貌から、やっかみの声も聞こえてきたものだ。

 けれども、そんな声もカエデがやってきてからしばらくして消えた。


 あいつの人心把握術は半端ない。いつだったか「中学生の頃は、他人なんてどうでも良いと思っていたんですけどね」なんて、ちらっと漏らしていたのが信じられない。


 おそらくカエデは、非常に戦略的かつ戦術的に他者から向けられる自身の印象をコントロールしている。

 印象的なのが、最初の一ヶ月だ。


 カエデがやったことは、徹底的な男子との距離感のコントロールだ。

 当初カエデに言い寄る男は本当に多かった。


 そんな男どもにカエデがどう対処したか? 肯定でも否定でもなかった。そこがあいつの凄いところだ。


 話している最中は、「あれ? ワンチャンあるんじゃね?」と思わせるような態度なのだ。しかし、話し終えてみると、外から見ていた誰もが、話していた本人ですら、「あ、今やんわり拒絶されたわ」なんて思い返せてしまう。そんなやり方。


 さらに言えば、周囲の人間関係を推し量る技量も凄まじくて、「誰それが誰それのことを好きらしい」という噂を、何故かカエデは全て把握していた。

 話しかけられたり言い寄られたりしただけで、誰かかしらから恨みを買いそうな相手とは徹底的に距離を取っていた。そして、それすら相手と話している最中は悟らせないのだ。


 想像してみてくれ。話している最中はものすごくいい感じなのに、話し終えたあと思い返すと、「あれ? ノーチャンじゃね?」となる会話の流れを。

 衝撃的すぎて細かい部分は覚えちゃいないけど。でも、それが何よりの、カエデの凄さの証左だろう。


 今じゃ、カエデにあからさまに好意を示すのはお調子者筆頭の浜口くらいだ。

 浜口も浜口でめげないからな……。あの諦めない心は凄いと思う。見習いたいとは思わないが。


 兎にも角にも、すでに修学旅行一日目の夜。俺は、グループの連中に「三日目カエデと一緒に回るので、便宜を図ってほしい」旨を伝えねばならない。


 いや、しかし浜口がうるさそうだな……。どう切り出そうか。

 今日を逃したら明日。明日しかない。流石に前日になって言い出すってのは、人間としてやばい。いや、二日前でもやばいだろうけど。


 よし、と意気込んで、頬をパチンとたたき、だらだらとどうでも良い話をしている男どもの方を向く。


「あ、あのさ」


 スタイルがエロい女子のナンバーワンは誰か、なんて下世話な話をしていた連中が、「なんだなんだ?」と俺の顔を見た。


「三日目の自由行動なんだが……」


 重い口をこわごわ開いて、切り出す。


「あー、ヨウはそうか。忘れてた」


 すると、俺の二の句を待たずに、浜口が今思い出したかのように口を開いた。


「みんな、ヨウなんだけど、三日目の自由行動、デートするらしいから色々口裏合わせてくれ」

「は?」


 驚きで開いた口が塞がらない俺をよそに、部屋の連中が「おー、なるほどな。了解了解」だとか「ヨウも隅に置けねぇよなぁ」だとか言い始める。


「いや、浜口?」

「なんで知ってるかって? そりゃ、本人から直接聞いたからな」

「え?」

春夏冬(あきなし)ちゃんも、なんでこーんなヤツがいいのやら……」

「は? は?」


 聞いた? 浜口が? 直接?

 なして?


「いいか? ヨウ」


 混乱からまだ抜け出せずにいる俺に、浜口が険しい顔を向ける。


「別に春夏冬ちゃんを泣かすな、とかは言わねぇ。言える義理でもねぇ。結局お前の気持ち次第だ。でも、ちゃんと向き合ってくれ」

「お、おう……」

「言ったな。言質、取ったからな」

「い、いや、でも。お前……」


 浜口がずっとカエデに好意を寄せていたことを俺は知っている。その気持ちが、本気なのか冗談なのかまでは知らない。けれど、少なくともカエデが転入してきてからこいつはずうっとカエデと距離を近づけようとしてきたはずだ。

 そんな浜口が、『カエデとちゃんと向き合え』と言っているのだ。びっくり仰天だ。


 数秒ほど、普段の様子が嘘みたいに真剣な視線で俺を睨みつけた浜口だったが、ややあって唇の端を歪めて皮肉げに笑った。


「俺、振られたんだ」

「は?」


 再びの衝撃。

 同室の連中も固唾を飲んで浜口を見つめている。特に周りを見回したわけではないけど、雰囲気から感じ取った。


「さっき、部屋に来る前。ちょっとだけ時間あったろ?」


 浜口が遠い目をしながら言う。


「その時に、な。告白した。で、振られた」

「……いつの間に」

「で、そん時に、春夏冬ちゃんがお前のことを好きだって、聞いたんだ」


 一瞬全てカエデの策略なんじゃないかと頭をよぎったが、そうではなかったらしい。

 浜口自身が選んで行動した結果が、こうなのだ。多分。


 いや、カエデのことだ。浜口をうまいこと誘導させて、操っていた……。なんて言われても納得はするが……。

 ただ、カエデはきっとできるけどやらない。


 あいつは他人の真剣な想いを踏みにじる真似はしない。きっと。カエデはそういう人間じゃない。


「頼むよ」


 そう言った浜口の目には光るものがあった。涙までは流さないまでも、立派に泣いていた。男泣きとでも言うべきだろうか。


 浜口の独白によってしばらく止まっていた部屋の時間が一気に動き出す。男どもが浜口に歩み寄り、口々に励ましの言葉をかけた。

 ついでに、俺の肩や背中をバシンと叩くのを忘れずに。


 目元を擦りながら「う、うるせー! 泣いてねーから!」なんて浜口が強がる。それを周囲のクラスメイトらが慰める。

 いかにも青春というやつだ。俺に向けられる少しばかり冷たい視線以外は。


 いや、浜口の気持ちもわかる。痛いほどに、なんていうと大仰だけれどさ。


(でもなぁ……)


 別に俺だってちゃんと向き合ってこなかったわけじゃない。

 真剣に向き合って、それでしっかりと断った。


 勿論、春から今まで、カエデと一緒に過ごして気持ちが揺らいだことは何度だってあった。


 カエデみたいな綺麗な女の子が、俺みたいなやつのことを好きだって言ってくれている。


 白状しよう。密かな優越感があった。


 明後日、カエデと二人で京都を観光して。気持ちがぐらつかないなんて保証はできない。


 何しろ、頭の中にいる考えなしな俺が「とりあえずOKしちゃえよ」、「お試しで付き合ってもバチは当たらねぇぞ」なんて絶えず耳打ちしてくるのだ。

 まるで、漫画やらに出てくる天使と悪魔だ。違うところがあるとすれば、天使は出現しなくて、俺自身が悪魔に一生懸命反抗しているところだろうか。


 しかし、なんでこんなに俺は心の中の悪魔と戦っているのだろうか。

 なーんて思いもするが、答えはシンプルだ。


 ユリカさんだ。


 別にユリカさんをまだ好きだから、だとか、まだ諦めてない、だとかそういうんじゃない。

 すっぱり諦めている。そもそも、ユリカさんのお腹の中にいる赤ん坊がおぎゃあと生まれてくるまで、もう半年もないのだ。俺がどうあがいても、鈴川夫妻をどうこうできやしない。わかっている。


 それに、仮に、だ。俺がなんとか死力を尽くしたとして、ユリカさんがどうこうなって、俺のものになったとしよう。

 俺はきっとユリカさんに失望するに違いない。なんともわがままというか、自分勝手というか……。俺のこの心の(うち)を誰かが覗き込んだとして、その誰かから猛烈なそしりを受ける覚悟はある。何しろ自分でも「なんっつー矛盾」なんて思うのだ。ましてや、自分以外の誰かが知ったら理解できやしないだろう。


 とにかく、ユリカさんへの想いは置いておいて。


 ずっと、ユリカさんを好きだった。過去形にせざるを得ないのがなんとも悲しいけれど仕方がない。

 そんな俺にとって恋愛という人間関係は、恋人同士という間柄は、なんというかそんな簡単に扱えるものじゃなくて。


 もっと、お互いがお互いを心の底から必要であると感じていないといけなくて。

 きっと、ずっと、ユリカさんにも、そう俺のことを思って欲しくて頑張ってきて。


 そのためなら容易く人生を賭けられる。そんなもので。


 美しくて、儚くて、だからこそ強かで。

 そして、何にも代えがたい。そんなものだから。


 ……だから、気軽に「じゃあ、付き合おう」なんて。間違っても言えない。


 我ながらこじらせているとは思う。

 普通はこうじゃないのだと自覚もしている。


 けれど、結局のところ、俺の価値観はどうあがいても変わらない。


 だからこそ、多分カエデは、それこそ人生を賭ける(・・・・・・)勢いで俺を好いてくれているのだと思うのだけれど。

 カエデに対する想いに人生を賭ける覚悟があるかと問われると、俺は途端にわからなくなってしまう。


(……明後日……)


 そう。明後日に見極める。きっとカエデもそのつもりだ。

 ちゃんと答えを出す。もう一度。


 多分だけど。カエデも次が最後だと思っている。今までなんやかんやで、一緒にいた時間が長いからわかる。本当になんとなくだけれど。


 男どもに慰められながら、男泣き? している浜口の名前を呼ぶ。


「浜口」

「なんだよ。ぐずっ」


 鼻水すすってんじゃねぇ。もう涙腺崩壊ギリギリじゃねぇか。


「明後日、ちゃんと決着つけるよ」

「決着う?」

「ああ」

「いやいやいや、決着ってなんだよ。どういうこと――」

「お前には言わん」

「なんでだよ」


 鼻水をダラダラ流しながら、それでも涙は流さずに。内心とは裏腹にへらへらと笑って俺を小突く浜口に向かって。


 俺は言う。


「ちゃんと向き合って。考える」

「……そうか」


 俺を小突き回す手を止めて、浜口が神妙な声を出した。


 それから数秒後。俺は、同室の連中に多種多様な罵倒を浴びせられながら、もみくちゃにされたのだった。



 §



 それから数時間。修学旅行の消灯時間なんて、守る人間のほうが少ない。というのは、いささか独断と偏見がすぎるだろうか。


 家からわざわざ持ち出してきたゲーム機をテレビに繋いで、対戦格闘ゲームに興じるやつ。

 重たい麻雀牌とマットを広げて、何でも有りの三人麻雀に興じるやつ。


 そんな連中を尻目に俺と浜口は、敷かれた布団で隣同士寝そべっていた。


 浜口を横目で見る。寝ているわけではない。目を見開いて、天井をぼうっと眺めている。言葉はない。


 わだかまり、みたいなものは感じないが、それでも俺から浜口へかけられる言葉は少ない。

 少ない言葉の中から、どれを選べばよいか迷っていた時だった。


「なぁ、ヨウ」


 ぽつり、と浜口が俺の名前を呼んだ。


「なんだ?」


 問い返す。


「俺さ……。結構本気だったんだよ」


 数秒ほどかけて吐露されたのは、そんな心情。

 いつだっておちゃらけていて、どこまで冗談でどこまで本気なのかわからない男の、掛け値なしの本音だった。


「初恋、ってわけじゃねぇけどさ」

「だろうな」


 なんだかんだ口を開かなければ、浜口はそこそこのイケメンだ。軽薄な態度と、騒がしくも感じるテンションで相殺されてはいるけど。

 でもきっと、そういう浜口を好きな女子だって沢山いただろう。


 だから、浜口に過去付き合っていた誰かがいたとしても驚きはしない。


「春夏冬ちゃんはさ。俺とは違うんだ」


 浜口はきっと俺からの返事なんて求めてはいない。そう思った。

 だから、口を閉ざす。


「マジメってキャラじゃねぇからさ。俺は。でも春夏冬ちゃんは凄いんだ。ちゃんと全部に全力投球してるんだ。俺みたいに茶化して、へらへらして、誤魔化したりしないんだ」


 そう思う。カエデはいつだって本気だ。と言うと、ちょっと違う気もするけど、概ね合っているだろう。

 少なくとも、浜口が言うように誤魔化したりはしない。


「そういうとこが……さあ……」


 鼻をすする音が何度か聞こえた。その後で、浜口が「柄じゃねぇな。寝るっ!」と言って俺とは逆方向を向く。

 浜口の様子を見て俺は、小さくため息を吐いてから目を閉じる。


 眠れそうにない、と思っていたものの、案外睡魔は早く訪れた。

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