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第二話:私はこの想いを死ぬまで持って行くのだろう、と思います

「カエデちゃん。そろそろ行くよ~」

「あっ。はい、すみません」


 遠藤さんの声に、はっと私は意識を取り戻す。

 全体行動で訪れた清水寺――の中の所謂清水の舞台から見える景色をぼんやりと見ていたのだ。


 景色を見ていたとは言っても、舞台から見える京都の景色に見とれていたわけでも、古式ゆかしい街並みや建造物から日本の歴史に思いを馳せていたわけでもない。


 私が考えていたことはただ一つ。ヨウ君のことだ。


 修学旅行一日目。明後日にはヨウ君と二人で、京都の街を見て歩く。つまるところデートだ。

 私の隣を歩く彼が、どんな表情を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。


 それと同時に、僅か……ではない、大きな焦燥感が胸の内を占めていることにも気づいていた。


 ヨウ君は東京大学を目指すらしい。それ自体は素晴らしいことだと思う。

 そして、私の目指す大学は東京大学ではない。いくつか候補があって、まだ優先順位を決めきれてはいないが、東京大学ではないことだけは確かだ。


 ヨウ君は義理堅く、誠実な人だ。

 だからこそ、私の「好きです」という告白に対して、時間がかかりながらもしっかりと「ごめん」という答えを出してくれた。

 謝罪の言葉と併せて告げられた理由というか、釈明みたいなものに関しても、全く彼らしい。そんなヨウ君だったから私は好きになった。


 だからこそ、彼が私と距離を取ろうとするのは必然であって。私がどれだけ「ヨウ君のことを諦めません」なんて放言しても、変わらなかった。


 ヨウ君のお家にお邪魔するのも、飽くまで私はヒマワリさんのついで。彼は私と密室に二人きりでいるような状況を許さない。

 本当に見事なまでに、悲しいほどに、誠実で、頑固で、真面目だ。


 でも私は諦めが悪い。

 そもそもが、何かに対して諦めた(・・・)経験が無い。


 お金で買えてしまうもの、お金の制限で買えないものはおいておいて、欲しいと思ったものは全て手にしてきた。

 実力も、知恵も、知識も、評価も、人間関係も。自身の努力によって。


 美しさだってそうだ。中学の頃の私を知る人間は、今の私を見れば驚くに違いない。

 勿論もともとの顔は崩れてはいなかった。けれど、お化粧も落として、無表情にして、どんくさい眼鏡をかけた私を百点満点中百点の美女だと言う人間はいない。


 私の美しさの根本は、笑顔と愛嬌、そして何よりも内面からにじみ出るものだ。それがなくなって空っぽになった私は美しくなんてない。


 話がそれたので戻そう。


 私は諦めが悪い。であるからして、ヨウ君のことも諦める気はさらさら無い。

 けれども、全て努力で掴み取ってきた私でも、特定の他人の心だけは、彼の心だけは、どうにもならない。わかっている。


 彼に想いを告げてから半年とちょっと。つまり、はっきりと振られて「諦めない」と宣言してから半年とちょっと。


 彼との間にある距離を少しずつ詰めてきた。私のことをよく知ってもらえるように。私のことを好きになってもらえるように。

 少し自分を出しすぎて引かれた瞬間もあっただろうけど、些細なことだ。私の本質を知ってもらっていない状態で、彼とそういった(・・・・・)関係になっても、長続きはしないだろうから。


 そして、今回の修学旅行で私は彼との関係に一定の決着をつけるつもりだ。

 そのつもりで、三日目のデートに誘った。


 そろそろ手段を選べない時期が訪れている。そろそろ答えを出さないといけない時期が訪れている。


 もう時間がない。時間がないのだ。


 受験勉強が本格化すると、流石にヨウ君のお部屋でヒマワリさんも含めて三人仲良くお勉強する余裕は無くなってくる。

 ヨウ君の邪魔にもなりたくない。


 勉強で忙しくなった私と彼は、話す回数も減り、顔を合わせる機会も学校で、くらいになってしまうだろう。

 ちゃんとした実のある会話ができるのも、あと数ヶ月くらいだ。


 そして、大学進学が決まったらどうだろう。

 彼の性格だ。間違いなく私達の縁は途切れる。


 なにしろ、彼と私をつなぐ唯一の接点であり、ライバルであるヒマワリさんが遠くへ行ってしまう。

 ヒマワリさんがいなくなった時、彼は私の誘いに対して中々首を縦に振らないだろう。


 彼の部屋へお邪魔したいと言っても、やんわりと拒絶されるだろう。

 二人きりでデートをしようと言っても、全てではないが断られてしまうだろう。


 待っているのは、彼と築いた関係性の自然消滅。

 勿論可能性の話でしかない。だけれども、その可能性が一番高いことを私はよく知っている。


 ヨウ君という人間をよく知っているから。ヨウ君のことが大好きだから。


 そして、もう一つ。彼のことを大好きで、よく知っているからこそもう一つ理解していることがある。


 彼はヒマワリさんに惹かれている。


 数日前の、ヨウ君とヒマワリさんの諍い。諍いと呼ぶにはあまりにも些細な言い争いだと思ってしまったけれども。

 でも、きっとヨウ君はヒマワリさんと離れたくない。


 彼が本当の意味でヒマワリさんを好きかどうかと言えば、そうではないと思う。まだ。

 ヒマワリさんは良くも悪くもヨウ君に女性として見られていない。幼馴染という存在が私にはいないものだから、そこあたりの機微に関してはよくわからないけど。


 今の二人の関係は、どちらかというと親友であったり、兄妹であったり、そんなふうに見える。


 それがただの兄妹(・・)であるなら良いのだろう。しかし、ただの兄妹という関係性では決して無い。


 ヒマワリさんがヨウ君を好きだからだ。きっかけは私が与えた。自分でも非合理的なことをしていると思っている。けれど、必要なことだった。


 とにかく、ヨウ君がヒマワリさんを一人の女性として好意を持つ前に。私は手を打たなければならない。


「どうしたの? カエデちゃん、ぼーっとして」


 ぼうっと歩いていたのが丸わかりだったのだろう。遠藤さんが心配そうに私を覗き込んでいた。


「ああ、ご心配をおかけしてすみません。少し考え事してまして」

「あっ、春原(すのはら)くんのこと~?」


 にやりと唇を歪ませた遠藤さんが、私の脇腹を肘で小突く。


「えぇ、まぁ」

「うわっ。さらっと言った。カエデちゃん、すごっ」

「隠すのはやめましたので」


 ゆるりとした微笑みを作って、遠藤さんに向ける。

 遠藤さんが何故か意外そうな顔で私を見た。


「カエデちゃんって、もうちょっとそういうの恥ずかしがると思ってた」

「あら、そう見えました?」

「うーん……」


 私の問いかけに遠藤さんが少しだけ難しい顔をする。


「いや、よく考えてみたら、別に見えてなかったわ。解釈一致」


 おちゃらけた様子をよく見せるけれど、実のところ遠藤さんは人間の本質をちゃんと見ている女性だ。

 三日目に控えているヨウ君とのデートを円滑に進めるため、大いに協力してもらった。


「……ってか、カエデちゃんさあ」

「はい」

「春原くんのどこが良いの?」


 ヨウ君のどこが良いのか……か。


「いや、カエデちゃんと春原くんを横に並べてもさあ。ちょーっとそういうイメージ湧かないっていうか……」


 そして、遠藤さんは良くも悪くも素直だ。


「ふふ。ズバッと言いますね」

「気悪くしたならごめん……」


 そのうえで、別に悪気があるわけでもない。


 そんな彼女の性質を私は好ましく思っている。私の意図であったり、腹の中のものをある程度察してくれつつ、慮ってくれる。

 全く気を使わないわけではないけれど、細心の注意を払って接しなければならない人間じゃない。有り体に言ってしまえば、付き合いが楽だ。


「いえいえ。遠藤さん。大丈夫ですよ」


 口が裂けても、「そう見られるのはわかってます」とは言わない。確かに一般論として、ヨウ君はものすごく顔が整っているだとか、学年で大人気だとか、大勢の女の子から懸想されているだとか、そういうタイプではない。


 だがしかし、ヨウ君と私が並んだ時、釣り合っていないのはどちらかと言うと私だ。少なくとも私はそう思っている。


「で、ヨウ君のどこが良いのか、でしたっけ?」

「あ、そうそう」


 ヨウ君の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。

 どのような美しい比喩を使っても、巧妙なレトリックを使っても、私が彼を好きな気持ちの十分の一も伝えることは敵わないだろう。


「全部、です」

「……全部、かあ」


 全部。ありふれた単語ではある。


 そのひとのどこが好きなの? 全部。


 ここまでありふれた回答なんて無い。


 でも、それ以外言いようがないのだ。

 私は、ヨウ君の全てが好きだ。


「なんか、うん。いいなあって」

「はい?」


 私の言葉に数秒ほど呆けた表情を浮かべた遠藤さんがしみじみと言う。


「いや、カエデちゃん『全部』って言ったじゃん?」

「はい、言いました」

「誤魔化してる風でも、適当に煙巻いてる感じでもなかったからさ」


 こういうところが、遠藤さんの好ましいところだ。


「ウチだってまだ高校生だし、人生なんてよくわからないけどさ」

「はい」

「人生百年いかないくらい。その中で、『その人の全てを肯定できる』なんて、簡単に言っちゃえるくらいの恋って何回できるだろうなって……」


 ぼうっとした瞳で、遠藤さんが私を見る。

 そんな遠藤さんをみて、私は少しだけおかしくなった。


「ふふ」

「ウチなんかおかしいこと言った?」

「いえ、すみません。馬鹿にしてるわけじゃないんです」

「いや、それはわかってるけどさあ」


 くすくすと笑う私に、遠藤さんが不満げな声を出す。


「私の観測範囲上、最大でも一生に一人、です」

「え?」

「少なくとも、私の人生で、これから先ヨウ君以上の方は現れません」

「えー? それって本当に言い切れんの?」

「言い切れますよ」


 恋の病、なんて昔の人は本当に上手いこといったものだと思う。

 その例えを知らなかったとしても、私も同じ意見で、私も同じ比喩を思いつくだろう。恋は熱病のようなものだ。


 熱病。つまり感染症。流行り風邪。

 一般的に、ウイルスや細菌を原因とする感染症は、未知のものでない限り、歳を取れば取るほど免疫の都合上伝染しにくくなる、なんてどこかで聞いたことがある。


 勿論、年齢による体力の衰えからくる免疫力の低下だとか、そういった複雑なファクターがあるからして、一概には言えないのだろうけど。


 けれど、その点で恋と熱病はよくにている。


 きっと、きっとだ。

 年齢を重ね、経験を積めば、恋というものに大きく心を動かされることはなくなっていくのだろう。

 相手の全てを肯定できるほどの、激しい感情なんて生まれなくなっていくのだろう。


 若さゆえの盲目さ、なんて大人は切って捨てるのだろうけど。

 大人になればなるほど、恋に対する免疫は上がっていって、鈍感になっていく。


 父と母の馴れ初めを訊ねたことがある。

 両親はお見合い結婚だったのだという。今どき珍しいな、と思ってしまうのは私だけではないはずだ。


 母は父が担当を任されていた取引先の重役の娘だったらしい。


 母に一度訊いたことがある。


 ――どうして、お父さんと結婚したの?


 母は柔らかに微笑みながら私に言った。


 ――お父さんが良い人だったからよ。


 今思い返せば、母の表情に激情はなかった。

 きっと父も母もお互い、打算やしがらみによって結婚に至ったのだろう。それでも夫婦仲が良好なのは、互いの人柄に所以しているのかもしれない。


 つまるところ、全ての夫婦が恋をして結婚して、なんていうのは嘘っぱちだ。

 愛がないなんて野暮なことは言わない。打算から始まる愛も、しがらみから始まる愛もあるだろう。

 愛のカタチなんて様々だ。


 でも、年若い私でさえ感じるのだ。

 恋だの愛だのに対する冷めた感情が年齢とともに肥大化していくのを。


 だから、私は幸運なのだと思う。ヨウ君という、唯一無二に出会えたことが。


 私は茶化すような笑顔を浮かべている遠藤さんに、胸を張って答える。


「もし、ヨウ君との恋が成就しなかったとして、私はこの想いを死ぬまで持って行くのだろう、と思います」


 若者特有の熱病だというなら、言えばよい。


「これは、絶対です」


 少なくとも、この言葉に嘘はない。


「さ、行きましょう、遠藤さん」


 私の言葉に驚愕の表情を浮かべていた遠藤さんに、笑いかける。

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