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第一話:……忙しい修学旅行になりそうだな……

 十月も下旬を過ぎ、もうすぐ十一月。

 先々週までぎりぎり半袖で外を出歩けていたのが嘘みたいな肌寒い気温が、暖房をオンにするかオフにするか迷わせた結果、鉄道会社はオフにすることを選んだらしい。

 冬の香りすら感じさせる乾いた空気がカラカラに乾いた喉を刺激して、俺は少しだけ咳き込んだ。


「ヨウ君。お菓子、食べます?」


 少し前、ヒマワリから出された宿題についてはまだ答えを出せていない。


 ――ま、お前のお守りがなくなって、負担が減るから、望むところだけどな。

 ――なんで、そういうこと言うの?


 売り言葉に買い言葉……とは少し違う。俺のよくわからない感情から発されたよくわからない発言による、ちょっとした仲違い。


 謝罪した俺に出されたのは、ヒマワリからの「なんであんなことを言ったのか答えを出して」という宿題だった。


「ヨウくーん。聞こえてます?」

「カエデちゃん。ダメ~。春原(すのはら)くん、完全に集中してるわ。春原くんこういうとこあるよね」

「ヨウ君らしいですね」


 カエデと仲の良いクラスメイト――遠藤ミユキという陽気な女子だ――の呆れたような声が鼓膜を震わせた。

 あー、こっちは考え事してるってのに。ちょっとくらい浸らせろよ。


春夏冬(あきなし)ちゃーん。俺ともお菓子交換しない?」

「浜口、ウザッ」

「いいですよ? はい」


 隣の浜口が、だらしなく鼻の下を伸ばしながらカエデとお菓子の交換をする。遠藤から罵倒されていても全く意に介していないのが流石すぎる。

 浜口が差し出したのは大きめの箱菓子。一方でカエデから浜口に渡されたのは、ポッキー一本。


「ありがとう! 大事にする!」

「いえ、お菓子なんで、食べて下さい。湿気りますから」

「大事に食べるよ!」


 ポッキー一本でここまで幸せそうな顔をできるとは、浜口は頭の中身まで幸せらしい。

 そして、箱菓子を渡されたカエデが「こんなのもらってどうしようかな」という表情をしたことにも気づいてないらしい。


 浜口、お前な。ちょっとした交換のつもりが、予想以上の貰い物をすることになった人間の「なんだかなぁ」という気持ち、理解しているのか?

 カエデを見ろ。すっげぇ微妙な顔をしてるぞ?


「ヨウ君、食べます?」


 カエデが再び笑顔で俺を見る。

 色々と考え事をしていたとは言え、流石にそろそろ返事をせねば男がすたるだろう。


「ん、ああ。もらうよ」

「そうですか、はい」


 そう言って、カエデがポッキーを俺に差し出す。持ち手じゃない方を。


 あのー、カエデさん? こっちを差し出されると、俺受け取れないんですけど。手がべたべたになるんですけど?


「カエデ?」

「お口開けて下さい? ほら、あーん」

「カエデ!?」


 浜口が唖然とした顔で俺とカエデの顔を交互に見ているのが、視界の隅でちらちら映る。はっきり言って煩わしい。

 ついでに、遠藤が「カエデちゃん、だいたーん」なんてニヤニヤ笑っている。


「ふふ、冗談ですよ」


 そう言ってカエデがくるりとポッキーを持ち直して、チョコレートのついてない方を俺の方に向けた。

 隣では何やら浜口と遠藤が言い争っている。なんでも旧知の仲らしい。両者口を揃えて言うには、仲が良いというわけではないとのことだ。


「心臓に悪いって」

「しかし、新幹線速いですね」


 俺の言葉を無視し、すっとぼけた表情でカエデが呟く。


「あれ? 別に初めてじゃないだろ?」

「いえ、初めてです。移動は飛行機ばかりだったので」


 なんという、セレブリティあふれる回答。流石カエデさんだぜ。


 兎にも角にも。俺達は今新幹線に乗っている。

 そう。修学旅行という大イベントだ。やはりというかなんというかクラスメイトらの盛り上がりようは激しい。


 カエデですら少しばかり舞い上がっている様子だ。「修学旅行って初めてなんです」とのこと。あんまり楽しそうにふわりと笑うものだから、目一杯楽しんでもらいたいと全力で思った。


 向かうは京都。修学旅行といえば定番ではなかろうか。定番すぎてつまらない、という最初の印象は青い春によって瞬く間にかき消される。そういうものだ。


 俺? 俺だって、こういったイベントごとがあれば多少なりともテンションが上がりもする。

 何しろ京都だ。京都だぞ!?


 別に俺は歴史マニアではない。でも、それなりに勉強を頑張ってきた身だ。歴史だってその中に入っている。


 日本の歴史の中心には、必ず京都がある。鎌倉時代や戦国時代、江戸時代であっても、日本の中心は京都だったのだ。と思っているけど、間違ってないよな?

 とにかく、歴史深いその街並みなんて、きっと見るだけで素晴らしい。


「ふふ」


 カエデが俺の顔を見て、小さく笑った。


「ヨウ君も楽しそうですね」

「まぁ、そりゃあ」


 学校行事というのは基本的には強制参加であって、楽しめば楽しんだだけ得なのだ。逆につまらない意地を張って斜に構えただけ損。


「約束、覚えてます?」

「ん? ああ」


 カエデの問いに俺は頷く。

 そりゃ覚えてる。衝撃的すぎてバッチリと。



 §



 修学旅行のグループ決めやらなんやらをするためのホームルーム。

 ひとしきり計画もし終えて、浜口を代表とする同じグループのクラスメイトと他愛もない話をしていた俺のポケットの中、スマートフォンがぶるりと震えた。


『ヨウ君』


 画面を見るとカエデからのメッセージだった。


 カエデの方を見る。教室の隅の方で同じグループの女子達と談笑していたカエデが楽しげな瞳をこちらに向けていた。


 なんだろう、と疑問に思っていると、追加でメッセージが飛んできた。


『放課後、ちょっとお付き合いいただけませんか?』


 画面を見てから、再度カエデの顔を見る。カエデが俺と視線を合わせて茶目っ気たっぷりにウインクをした。


「っ……!」


 思わず目をそらす。久しぶりにカエデの可憐さにやられた。

 あいつの悪いところは、自分の容姿が整っていることを自覚し、すべて計算づくでああいう仕草をしやがるところだ。


「どした? 春原?」

「い、いや、なんでもない」


 いきなり慌てた動きをし始めた俺を怪訝に思ったのか浜口の声がかかる。とっさに誤魔化した。


 机の下でスマートフォンを操作してメッセージを返した。


『わかった』





 放課後、学校の最寄り駅から数駅離れた駅で降りて、歩いて数分のコーヒーショップで待ち合わせる。

 カエデの家からも俺の家からもアクセスが良いから、二人で話したりするときは――と言ってもそういった機会はあまりないのだけれど――この場所をよく利用している。


 俺が着いてから数分して、カエデがやってきた。


「あ、すみません。待たせてしまいましたか?」

「いや。そこまで待ってないよ」

「そうですか?」


 そう言ってカエデが、ポケットの中に突っ込んでいた俺の右手を引っ張り出して両手で握りしめた。


「冷たいじゃないですか。すみません」

「い、いや。ほんとにそこまではっ」

「ふふっ、そうですか? でもすみません」


 カエデが俺の右手を握りしめたまま微笑む。


 決して怒らせてはならない強かさを持ちながらも、カエデは本当に可愛い。そう思う。

 普通の男ならこの二面性にいちころだろう。そう考えると、カエデを振った俺は何様なのだと少しばかり疑問に思いもする。


「待たせてしまったお詫びに、ここは私が払います。ホットドリンクでものんで温まりましょう?」

「待て待て、支払いは……」

「だめです。今日は私が払いたいんです」


 頑固なところもユリカさんによく似ている。本当に俺、なんでカエデを振ったんだろうか。


「じゃあ、ちょっとだけ待ってて下さいね」

「うん」


 カエデがパタパタとレジへ駆けていき注文をする。にこやかに店員の女性とやりとりをする姿が、周囲の男どもの視線を集めていた。

 きっと、あの大勢から注がれる熱視線さえも、カエデにとっては日常なのだろう。


 ややあって、注文を済ませ、コーヒーを二つ携えたカエデが戻って来る。


「お待たせしました」


 微笑むカエデ。周囲から集められる「あいつ誰だよ」という視線。

 心の底からいたたまれない。


「うん、ありがとう。サクッと座ろうか」

「はい」





「それで」


 カエデにもらったコーヒーをひと啜りしてから、用件を訊く。


「突然ちょっと付き合ってくれって、どうした?」

「あら? ヨウ君は何かご用事がないと放課後一緒にデートしてくれないんですか?」

「デートって……」

「恋人同士じゃなくても、私にとってはデートです」


 ふふ、とカエデが満足げに笑う。

 諦めない、なんて言われてしばらく経ったけれども、未だにこうしてはっきり言われると、俺は何も言えなくなってしまう。


 何と返せばよいのか迷っている俺に向かって、カエデがいたずらが成功した子どもみたいに小さく笑った。


「冗談です。用件があるのはヨウ君の言う通りなんですけど」

「用件はあるんだ」

「そりゃあ。ただ、『デートしましょう』って言っても、ヨウ君、首を縦に振らないでしょう?」

「まあ」


 振った相手の好意に甘えて、キープしているみたいな感じになるのは俺としても避けたいところだ。

 主にここ半年くらいで知り合った年上のお姉様、岡平キョウコさんから「クズ」なんて言われてしまう。あの人が発する言葉の殺傷能力は高い。


「もうすぐ修学旅行ですよね?」

「そうだな」

「三日目の自由行動、一緒に回りませんか?」


 自由行動を一緒に回ろう、か。二人きりでこっそり会って、何を言われるかと思ったら……。


「多分大丈夫だと思う。浜口も他の連中も、カエデと一緒なら文句は――」

「いやですねえ」


 ふふ、とカエデが冗談めかして笑う。


「わざわざ、私のグループとヨウ君のグループで一緒に回りましょうなんて、ここで話すと思います?」

「え?」

「二人きりで回りませんか?」


 二人きりで……って。


「ちょっと待て。確か、自由行動でもグループで固まって動けって」

「そんなの律儀に守ろうとする真面目な方、少数派ですよ? グループで固まって動く以外の選択肢を持っていないなら別ですけれど」


 いや、まぁ。確かにカップル二人で回る自由行動なんて修学旅行の醍醐味ではある。

 クラスメイトの男が、同学年の恋人とこっそり二人で行動する約束をしているらしい、なんて話は浜口からも聞いているし。それも、一人や二人どころじゃない。


「って、カエデは真面目じゃないのか?」

「私は真面目ではありますが、ルールを守るかどうかは時と場合によります」

「いや……でも……」


 結論を出しきれない俺に、カエデが少しだけ黒いものを感じさせる笑顔を向ける。


「実は、こちらはもう同じグループの子達に根回し済みなんです」

「は?」

「『自由行動はヨウ君と二人で回りたいから協力してくれ』って」

「いやいやいや」

「これで断ったら、ヨウ君、クラス中の女の子から白い目ですよ?」


 うわぁ。外堀から埋めてきやがる。流石のカエデさんだ。


 カエデは転入してからこの半年とちょっとで、クラスでの立ち位置を確かなものにしている。

 つまるところ、男子にも女子にも大人気だ。


 可憐な見た目や人目を引くスタイルは男子からの人気を、ときに物怖じせずにはっきりとものを言う性格や他者を慮り助け導く性格は女子からの人気を。もはやカエデのクラスでの人気は不動のものとなっている。


 そんなカエデのお誘いを袖にしたとあっては……。どんな事態が待ち受けているのか、想像に難くない。


「う……」

「そんなげんなりした顔しないで下さい。傷つきますよ?」

「いや、ごめん」


 恐らく本気ではないのであろう「傷つく」という言葉に、とっさに謝罪をする。

 そのうえで俺が出すべき答えも、すでに一つしか残されていない。


「わかった」

「ふふ、約束ですよ」

「うん」


 カエデが花が咲いたような笑顔を見せる。

 キレイな薔薇には棘がある、なんて言うけれども、カエデの棘は最高に悪辣だ。


「では、ヨウ君は、ヨウ君のグループの方々への根回しをお願いいたしますね」

「……う、わかった」



 §



 というのが、少し前の話。

 実のところ、同じ班の連中への根回しはまだ済んでいない。


(さぁて。どうするかなぁ……)


 浜口あたりがわめきたてそうだな、とうんざりする。


 ヒマワリから出された宿題についても考えないとならないし……。


「……忙しい修学旅行になりそうだな……」


 俺は口の中だけで噛み殺すように小さく呟いた。

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