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第十九話:……でも、うん。謝ってくる

 金曜日。三者面談の日。


 学校まではるばるやってきた母さんに立ち上がって軽く手を挙げる。

 普段とは違って、よそ行きの格好をした母さんが返事をするように「おっ」と口を開けた。


 そのまま近くまで来た母さんが、順番的に俺の前であるクラスメイト親子に小さく会釈をする。


「ウチの番はあとどれくらい?」

「んー、次の次、かな?」


 母さんが、ふうん、と鼻を鳴らして教室の前に用意された椅子に腰掛ける。

 俺もとなりの椅子に座った。


「そういえばヨウ?」

「ん?」

「ヒマワリちゃん。医学部目指すんだって。聞いた?」


 ぎくり、と音が鳴った気がした。


 カエデに「早めに仲直りしてくださいね」と言われたにも関わらず、あの日以来ヒマワリとは一切会っていない。


 勿論会話なんて一言もしていないし、メッセージのやりとりもしていない。


 っていうか、俺とあいつが喧嘩したのっていつぶりだろうか。

 中学に上がって一度疎遠になるまでは、喧嘩なんてしょっちゅうしていた気がするが……。


「どうしたの?」


 口ごもった俺を訝しく思ったのか、母さんが言う。


「あー、なんでもない。ヒマワリが医学部目指すって話ね。聞いた聞いた」

「まー、そうよね。あんたとヒマワリちゃんは、しょっちゅう話してるもんね」


 五日間くらいほとんどコンタクトすら取っていないのだが、言わぬが花だろう。

 曖昧に笑ってごまかす。母さんもそれ以上追求してくるようなことはなかった。


 仲直り、か。しないとな、しないとな、とは思っている。


 でもなんだろう。

 考えれば考えるほどわからなくなってくるのだ。


(仲直りってどうやるんだっけ?)


 心の底から、わからない。そこに尽きるのだ。


 どうしてた? 小学校の頃は。


 そもそも、俺達ってどんな喧嘩してたっけか……。


 ――いーっだ! ヨウなんて知らない!

 ――俺だって知らないよ! ヒマワリのバーカ!

 ――バカって言ったほうがバカなんです~! ヨウとはもう絶交だから!

 ――絶交で結構! 僕もヒマワリなんて知らない!


 なんとなく記憶に残っていた思い出が蘇るも、全然参考にならねぇ。


 大体いつもくだらない言い争いだった気がする。

 俺の分のおやつをヒマワリが食べてしまっただとか、ゲームのルールを守らなかっただとか。


 で、激しく言い争って、帰って。

 母さんに「ヒマワリが!」なんて泣きついて。「あらあら」なんて言われて。


 次の日。母さんとおばさんのとりなしで、「ごめんね!」、「いいよ!」という、なんの解決にもなってない、形だけの謝罪をして。

 それでも煮えくり返る腹の中は、気づいたらどっかいってて。


 そんな感じだった。


 そもそもヒマワリだ。あんなふうにしおらしく、傷ついたような顔をすることなんて無かった。

 いつだって、喧嘩といえば、最後は取っ組み合いで。そんでもって、ヒマワリが勝って。


 泣きを見せるのはいつも俺だった気がする。


 だから、ヒマワリが俺に向かってあんな顔をすることなんて無かった。


 始めてのことだし、当時と状況が違いすぎる。本当にどうすればいいのかわからない。


 シンプルに謝るか? 悪かったって?

 勿論それが一番ベストな選択であることなんて、俺もわかってる。


 でも、だ。なんで俺は、あいつにあんなことを言ってしまったんだろう。


 ――ま、お前のお守りがなくなって、負担が減るから、望むところだけどな。


 文字に起こせば、単なる軽口にも見えるだろう。ただ、酷く冷たい声色で言い放ったなら話は別だ。

 ヒマワリにとっては本気に聞こえただろう。聞こえてしまっただろう。


 なんで、わざわざあんなことを言う必要があった?

 その問いに俺はまだ答えを見つけられていない。


「――ウ」


 だから、謝るのは簡単だけれども、何をどうして、何に対して謝ればよいのかがわからない。

 単純に心無い言葉をぶつけた、ということに関してじゃないのだと思う。それだけならば、ヒマワリだってあんな顔はしなかった。はずだ。


「――ウって」


 自分自身がどういう気持ちであんなことを言ってしまったのか、俺は知る必要がある。

 きっとそうなのだ。それをわからないままでただ謝っても、本当の意味で仲直りしたことにはならな――


「――ヨウってば!」

「うわっ! な、なんだよ、母さん」

「あんたがよ。なーに、ボケっとしてるの。呼ばれてるわよ」


 母さんが俺の顔を「しょうがないわね」とでも言いたげに見ている。教室の扉の奥からは担任教師の「春原(・・)さん」の声。

 いつの間にか、俺の番になってしまったらしい。


「あー、ごめん」

「いいから、ほら」


 すでに椅子から立ち上がって、教室に入る気満々の母さんに促されて俺は立ち上がった。






「ヨウ君の第一志望は東京大学とのことですが……」


 母さんと担任教師が軽く挨拶を交わしあって、三者面談は始まった。


「今の学力から鑑みても、決して無理ではありません。授業態度は真面目であると評判ですし、テストの点数も、模擬試験の偏差値も悪くないです」

「はい」

「ただ、今年度に入ってから学力が少しずつ下がっているのが気になるところではあります。特に学校での態度や、学習に対する姿勢に問題があるようには見えないのですが……」


 それはあれだ。俺が初恋を見事に散らせて、モチベーションが下がったことに起因するものだ。

 原因がわかってるもんだから、対策のしようはある、と思いたい。


 母さんが意味ありげに俺をちらりと見た。ユリカさんと鈴川の婚約を報告された時、というかほんの数週間前までは、父さんと母さんに、俺がユリカさんを本気で好きだったということを知られているとは夢にも思わなかった。


 が、ネタバラシを食らった今としては、母さんから向けられる視線の意味は理解している。

 やめろ、そんな目で俺を見るな。抗議するように母さんを少しだけ睨みつける。母さんは、ふふ、と口の中だけでちいさく笑った。


「大丈夫です。原因がわかってるので」


 母さんが言う。女性教師は目をまんまるにして、「あら、そうなんですか」と返した。


「その、原因がなんだったのか伺っても?」

「本人が言いたくないような、恥ずかしい理由、とだけ申し上げておきます」


 おい、やめろ。


「あ、そういうことですか……」


 担任教師が何かを察したかのように言う。

 いや、ほんと。マジでやめて。


 まず、母さん。にやにやしながら俺を見るな。

 して、教師。気の毒そうに俺を見るな。


 いたたまれなくなるだろ。


「いや、あの。話、先に進めてもらってもいいですか?」


 俺の言葉に、担任教師がはっとした顔をする。


「あ、ああ。そうですね。現時点での実力から鑑みても、今からしっかりと頑張って対策を立てれば、可能性は大いにあります」

「そうですか」


 母さんが担任の言葉に、にこやかに頷いた。


「ヨウ君の志望に関して申し上げることは他に特にございません。今まで同様しっかりと励めば、目標を達成することはできると思います」



 §



 そんな塩梅で、特筆すべき波乱も無く三者面談は終わった。

 いや、特筆すべきところはあったか。シンプルに俺が恥ずかしかった。


 終わった後に母さんが、「大丈夫よ、お母さんはわかってるから」みたいな顔で俺を見つめてきたのも腹立たしかったし。


 ま、ともあれ、だ。

 目標に対して、担任のお墨付きももらった。


 浦園学園は、こと受験勉強となると下手な予備校よりも効果のある授業をする、なんてもっぱらの評判だ。

 あと一年とちょっと頑張れば、なんとかなるだろう。ひたすらに勉強すれば。


 なんとかなればいいな。


「あっさり終わったわねえ」


 母さんがひとりごちる。その後で、俺を見た。


「塾とか予備校とか、行く?」

「……いや、いらね」

「そうよねえ。あんたならそう言うわよねえ」


 少しだけ考えたが断る。

 今までだって塾に行かなくてもなんとかなった。これからも、別に必要ないだろう。


 自信があるわけじゃない。ただ、塾や予備校にまで通って対策をしないと入れないのであれば、自分がそこまでだっただけ。


 今の浦園学園に入学するときも、塾だとかは行かなかった。

 そもそもが、中学の時浦園学園を受験することを決めたのも、自分の実力を試したかったからだ。


 今も感覚としては近いものがある。


 塾や予備校に行ってがむしゃらに勉強して、目標に向かう他の人間を揶揄するわけじゃない。ただ、俺が、自分ひとりの力でどこまでやれるか見てみたい。


 今日の授業はもう無い。あとは親と一緒に帰宅することになっている。


「そういえばさあ」


 玄関を出て、校門まで歩く道すがら、母さんがぼそりと呟いた。


「あんた、ヒマワリちゃんと仲直りしたの?」

「うえっ!?」


 なんで知ってるんだよ……。

 父さんにも母さんにも、ヒマワリのことなんて一言も伝えていない。


 驚いて顔を見ると、母さんがにまりとした笑顔をこちらに向けた。


「なんで? って顔してるわね」

「いや、うん。そりゃあ」

「言ったでしょ?」


 母さんが、ニヤリと笑った。


「何年あんたの親やってると思ってんのよ」


 それを言われると、そうですね、としか言えないんだけど……。


「で? 原因は?」

「えっと……」


 そして、突然訊ねられても答えにくい。


「答えにくいのね」


 母さんが、やれやれ、とでも言わんばかりに小さくため息を吐いた。


「どうせ、あんたが悪いんだから、さっさと謝っちゃいなさい」

「いや、わかってるんだけど……。謝ってすぐ解決しました、じゃない気がするんだよ」

「そんなのあとから考えればいいでしょ?」


 ぽん、と母さんの手のひらが頭に乗せられた。

 少しだけ恥ずかしい気もするが、反抗期はとっくの昔に終わらせた。


「悪いことをしたら、謝る。悩むべき問題だとしても、しっかり考えるべき問題だとしても、それはあとからの話。仲直りしたくないわけじゃないんでしょ?」

「うん」

「じゃあ、さっさと謝りなさい。ごめんなさいするの。こういうのはね、時間が経てば経つほどこじれるんだから」


 もうすでに相当こじれているような気もするが、母さんの言うことは、うん、正しい。


「今日」

「え?」

「今日、帰ったらすぐに謝ってきなさい。謝ってくるまで、家に入れないからね」


 母さんが俺の頭に乗せていた手を、すっと下げて、頬をつねり始める。

 やめろ、痛い。


 あと、「終わらせるまで家に入れない」というのは、高校生に対する脅し文句にはならない。

 結局、家に入れられずにふらふらして、補導されて、出張らなければならないのは母さんだ。


「……でも、うん。謝ってくる」

「よし、それでこそ私の息子だ」


 にかっ、と母さんが笑う。


「どーせ、くっだらないことで喧嘩したんでしょ?」

「くだらなくは……ねぇよ?」

「で、ヒマワリちゃんが普段と違った怒り方したから、戸惑ってるだけなんじゃない?」

「そんなことは……ねぇよ?」


 なんで、親という生き物はこうまで子供のことを理解しているのだろうか。

 うちの親がおかしいのか? まぁ、良い両親だとは思う。思うけど、流石にこうも見たかのようにバシバシ当てられると、心でも読めるのか? なんて思い始めてしまう。


「やれやれよ」

「『やれやれ』とか言うな」

「別に馬鹿にしてるわけじゃないわ」


 母さんの肘が、脇腹に突き刺さった。「うりうり」じゃねえ。


「ヨウもどんどん大人になっていくのねえ、って」

「……は?」


 言ってる意味がわからない。


「ま、とにかく、帰って、ヒマワリちゃんに謝ってきな」


 多少強引さがあったことは否めないが、異論はない。

 俺は「わかった」と言って、頷いた。


「じゃ、お母さんは一足先に帰るから。ヒマワリちゃんにちゃんと謝るのよ」

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