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第十八話:ヨウにとって、アタシはお荷物だったんだ……

 鈴川と一緒にカウンセリングとやらに行くのだ、とヒマワリが宣言した日曜日も過ぎ。月曜日の放課後。


 家に帰ったタイミングでスマートフォンがぶるりと震えた。ポケットから取り出して確認すると、「今日も行くね〜」というヒマワリのメッセージが通知画面に表示されている。


 鞄を片付けたり、着替えたりして、それから宿題やら予習やら復習やらに勤しもうと椅子に座って十分ほど。

 チャイムが鳴って、ヒマワリの「こんにちは〜」という声が聞こえて、そして数秒。

 ドタドタという足音の後、部屋のドアがバシーンと開いた。


「よっ!」


 今日もいつも通りヒマワリは騒がしい。

 いや、いつも通りというと少し違う。いつもの二倍増しくらいで騒がしいような気がする。


 今日もこいつは元気いっぱいだな、なんて思いながら「おう」と返事をする。


 返事をして、机に向かって数秒。あれ? なんて思った。


 ――月曜日は部活があって行けないかも〜。


 土曜日のヒマワリの言葉を思い出したからだ。


 その時は「別に、んな宣言要らねぇよ。来たきゃ勝手に来い」って思ったものだが。

 気になって、椅子をくるりと回して振り返る。


 すると、俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。


「お、おい」

「なによお」


 信じられるか? ヒマワリが。あのヒマワリがだぞ?


「お前、どうした? 熱でもあるのか?」

「しっつれーな」


 俺の部屋で勉強を始めたのだ。

 いつも、携帯ゲーム機をひたすらにいじっているヒマワリが、だ。


 今日は雪でも降るのか? いや、雪にしちゃ季節が早すぎる。

 この辺じゃ、冬でも雪なんてめったに降らない。


 でも、そんな天変地異さえ起こりそうに感じる。


「どういう心境の変化だよ」

「え? 聞く? 聞いちゃう?」


 訊ねると、ヒマワリがにやにやしながら俺を見た。

 別にそこまで興味があるかと聞かれたら……。いや、あるな。ものすごく興味深い。


「やりたいこと、見つかったの」

「やりたいこと?」

「うん。将来の夢」


 土曜日にはそんな話全然してなかったから、日曜日になにかあったのだろうか?

 だとしても、急展開すぎるとは思うが。まぁ、ヒマワリのことだからな。


 ヒマワリは即断即決だ。本人が「こう」と決めたら、目標に対して一直線。


 何もおかしくはない。「こう」と決めたきっかけの浅さに驚くことはあれど、一日そこらでこいつの考えがまるっと変わったりすることなんて、ままあることだ。


「なんだよ、やりたいことって?」

「うーんとね。ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「なにがだよ」


 何を今更恥ずかしがることがある?

 そう思いながらも、俺は目線で続きを促した。


「医学部」

「……ん?」


 なんだろう。ヒマワリの口からは絶対に出てこなさそうな単語が出てきた気がするけれど。

 幻聴?


「すまん」


 俺は聞き返す。


「もっかい」

「だから、ヨウに言うのはちょっと恥ずかしかったんだよお……」

「いいから、もっかい」

「だからあ!」


 ヒマワリが頬を桃色に染めて、もじもじとしながら俺を睨んだ。


「医学部!」

「お前……正気か? あ、そうか。医学部は医学部でも看護学科とか、理学療法学科とか、診療放射線学科とか、そういう?」

「ちっがーう! お医者さんになりたいのっ!」


 医者。ヒマワリが、医者……。


 まず、こいつが医者になんてなれるのか、と疑問に思う。

 それと同時に、医者になったヒマワリが脳裏によぎる。


 ――うーん、よくわかんないけど、重大な病気っぽいから、注射しまーす。


 やめろ。俺はただの風邪だ! 注射なんて必要ない。そのよくわからない、効果が強そうな薬品をしまえ。ほら、周りの看護師さんらが不安そうな顔してるからっ!


 はっ。トリップしていた。


「……正気か?」

「ひっ! ひっどーい! 二回も言った! 正気だよっ! だから、今こうして勉強してるんじゃんっ! 部活もやめたっ!」

「部活も、やめ……」

「ゲームもお母さんに預けたんだよ?」


 えっへん、と胸を張るヒマワリに、あくまでこいつが本気で言っているのだということを理解する。


「……そ、そうか。頑張ってな」

「うん!」


 ヒマワリが医者……。医者か……。


 なんでまた?

 いや、別にそこはどうでもいいのかもしれない。


 この、めっぽう向こう見ずな幼馴染に将来なりたいものができた。それ自体は非常に良いことだ。


 でも、医者かあ……。


 センターテーブルに向かって集中しようとしているヒマワリをまじまじと見つめる。


 まぁ、ヒマワリ自身は頭が悪いわけじゃない、はずだ。

 やらないとならないことはちゃんとやっている。宿題とかテスト勉強とか。やってるよな? やってたはずだ。


 なにしろテストも赤点がどうのこうのだったりとか、そういう話は聞かない。

 キリジョだって、上位と下位で差はあるが、なんやかんやでトップ大学進学者をウン十人レベルで輩出している進学校だ。


 ユリカさんは……まぁ、うん。勉強が苦手なタイプだったからあれだけど。


「そんな見られると集中できないんだけど?」

「……いや、すまん。ちなみに、どの大学の医学部に?」

「あ〜、それね」


 俺の問いに、ヒマワリが困った顔で頬を掻いた。


「今日、担任の先生に相談したんだけどね。アタシの学力だと、関東圏内の国立は難しいって」

「ほー」

「ウチもそんなにお金持ちなわけじゃないから、私立はちょっと」


 まあ、そうだろうな。

 私立医大ならまだしも、国立医学部となると最低でも偏差値七十くらいはほしい。それくらいが安全圏のはずだ。


「ま、今からの頑張り次第では、関東圏内以外ならなんとかなるかも、とは言われてるから」


 それなら頑張らなきゃでしょ、と笑う。


 ヒマワリが勉強に励む様子。なんとも想像しづらい。

 だが、部活もやめて、ゲーム機も手放したと言う。


 本気なのだろう。


「ま、頑張れよ」

「うん。頑張るっ!」


 鼻息荒くヒマワリが言う。


「ちなみに、医者は医者でも、色々あると思うんだが」

「うん」

「まさか、外科医とか言い出さないよな?」

「え? うん、まぁ。アタシがなりたいのは外科医じゃないけど……」


 ヒマワリがじろりと俺を見る。


「それってどういう意味?」

「もし俺が手術を受けることになって、担当医がお前だったら、迷わず死を選ぶだろうな、と」

「バカにしてる?」

「してないように聞こえたか?」

「ヨウのばかあ!」


 ヒマワリが目を三角にして俺を見た。


「心配されなくてもっ! 手術なんてしませんっ! アタシがなりたいのは、精神科医!」

「そりゃよか……。精神科医?」

「うん」


 何やら誇らしげにヒマワリが笑う。


「アタシはね。精神科医とカウンセラー、二つの顔を持つハイパー心理マスターになるのだよ」

「ハイパー心理マスターって……」


 その単語だけ聞くと、ひどく頭が悪そうに聞こえるが、本当に大丈夫だろうか。


 しかし……。精神科医ねぇ。


「お前……昨日だな?」

「ギクッ」


 ギクッ、て口にだして言うんじゃねぇよ。


「影響受けるの早すぎだろ」

「……それを言われると反論できないけどさあ」


 ヒマワリがそう言いながら唇を尖らせた。


 ま、でも。うん。

 本人にやる気があるのはいいことだ。


 俺の部屋も静かになるだろうしな。


「まあ……うん。改めて言うけど、頑張れよ」

「ありがと、頑張る」


 そう言って、センターテーブルに向かって教科書云々に向き合い始めたヒマワリから視線を外し、俺も机に向かった。

 ヒマワリのノートにペンを走らせる音が鼓膜を震わせる。なんとも奇妙な感じだ。


 しかし、ヒマワリが医学部、か。

 で、関東圏内は難しい、と。


 で、俺は東京大学志望。


「……ってなると、大学からは別々だな」


 ヒマワリのペンを走らせる音がぴたりと止まる。部屋がしん、と静まり返った。

 思いの外冷たい声が自分の口から出たことに驚いて、俺は続ける言葉を見失う。自分で言い始めたのにもかかわらず。


「……そう、だね」


 俺の言葉に、ヒマワリが「そこまで考えてなかった」とでも言いたげな声で返事をした。


 数秒ほど沈黙があって、一分くらい経ってから、ようやく口が動き始める。

 まるで操られているかのように、勝手に。


「ま、お前のお守りがなくなって、負担が減るから、望むところだけどな」


 脳みそが何故か心にもないことをペラペラと口から吐き出していた。


 まずい、と思った。こんな喧嘩を売るような声色で、こんなことを言ったら……。どうなるか……。

 一瞬そうは思ったが、とはいえヒマワリだ。ちょっと言い争ったりする程度だろうし、これくらいのやりとりいつもしてるじゃないか。


「……なんで」


 しかし、事態は俺の予測とは別の方向に進みはじめた。


「なんで、そういうこと言うの?」


 ヒマワリの出した悲しそうな声に、思わず振り返る。

 口元をきゅっと結んで、俺を見つめるヒマワリの瞳は僅かに揺れていた。


「そうだったんだ」


 ヒマワリが引き絞るような声で呟く。


「アタシだって……考えが浅いことも多かったけどさ……。ヨウにとって、アタシはお荷物だったんだ……」


 違う、とすぐに声を大にして言えばよかった。

 悪かった、と。ごめん、そんなつもりじゃなかった、と。


「そうだよね。そうだった。ごめんね」


 しかし、予想外のヒマワリの反応に頭の中が真っ白になった。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど。


「……帰るね」


 ヒマワリが手早くテーブルに広げた勉強道具をしまう。それから俺の顔をちらりと見て、立ち上がった。

 俺を見るその目は。失望に満ちあふれていた。少なくとも俺にはそう見えた。


「じゃ」


 ヒマワリはそう吐き捨てて、出ていった。

 俺の方を一瞥もせずに。


 扉がぱたりと閉まる。

 一階から、「あら? ヒマワリちゃん、もう帰るの?」、「あ、おばさん。ちょっと用事あったの忘れちゃってて。お邪魔しました!」なんてやり取りが聞こえる。


 俺は、ぴたりとしまったドアを見つめたまんま、しばらく呆然としていた。


「なんだよ」


 いつもの、軽口じゃねえか。

 いや、うん。客観的に考えて、全面的に俺が悪かった。確かに悪かったのは認める。


 でも、あそこまで傷ついたような顔しなくてもいいだろ。


 俺がこんなこと言っても、お前は少しだけ「なによお」なんて怒って。いつもならそれで終わりじゃんかよ。


「なんだよ」


 ぼそりと呟いた俺の声は、部屋の中に虚しく響いた。


 去り際に見えた、ヒマワリの裏切られたような横顔が、視界にいつまでも残る秋の陽光の残像みたいに、こびりついて離れなかった。



 §



「で、ヒマワリさんと険悪になった、と?」


 普段はたおやかな顔色を崩さないカエデが、まるで俺を非難するように言う。


 一日明けて、朝。

 学校に着いてすぐ、「ヒマワリさんと喧嘩しました?」と、カエデに詰め寄られたのだ。


 隠し立てすることでもないし、少しだけ罪悪感にかられながらも、一部始終を説明して。

 そして、出てきたカエデの一言がそれだった。


「いや、まぁ。うん」

「ヨウ君? 流石に……それは……」

「皆まで言わないでくれ」

「はっきり言ってデリカシーに欠けますよ?」


 皆まで言わないでくれ、って言ったはずなんだけどな。

 心中の小さな文句の代わりに出たのは、弱々しい弁解の声。


「う、うん……。わかってるんだけどさ……」


 カエデが小さくため息を吐いた。


「まぁ、ヨウ君らしいといえば、ヨウ君らしいですけれど」

「俺らしいってどういうこと?」

「言葉どおりの意味です」


 そう言ってカエデがにこりと笑う。笑顔に圧を感じるのは、俺にやましいことがあるからで、自分の脳みそが作り出した錯覚なのだと信じたい。

 ……いや、そうじゃないよな。カエデの笑顔は時に怖い。


 予鈴が鳴る。あと数分と待たずに朝のホームルームだ。


「早めに仲直りしてくださいね」


 カエデが怖い笑顔のまま、「お二人が仲違いしてると私が気まずいんですから」と言って、席へ戻っていく。

 その背中に俺は「わかってる」と答える。カエデは振り向きもしないで、肩を少しだけ竦めた。


 ほとんどそれと同時に、担任教師が教室へ入ってきた。

 教卓の奥に立った女性教師が、今週末に予定している三者面談や、修学旅行について話し始めたのをぼうっと聞き流しながら、俺は昨日のヒマワリの顔を思い出していた。

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