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第十六話:結局のところは人間同士。わかりあえない時はありますし、気持ちが通じないこともままあります

「ヨウ~」

「ヒマワリさん?」

「いや、だってえ」


 鈴川とユリカさんの間で感動的なやり取りが繰り広げられてから数日ほどが経って、今日は土曜日。

 俺は頑張った。頑張ったと思う。自分で自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだ。


 しかし、現実は残酷も残酷だ。俺の頑張りはきっかけを提供するにとどまり、最終的な決め手は、カエデの手腕とユリカさんの優しさだった。


 やはりというか、予想通りというか。ユリカさんがあの場にやってきたのは、カエデの差し金だった。


 ――さて、ユリカさん。今すぐにヨウ君を追いかけてくださいますか?


 俺がユリカさんの病室を出てから、三十分ほど。カエデがユリカさんにそう告げたらしい。


 ご丁寧に、医者から退院の許可までもぎ取って、だ。


 つまるところ、俺は勿論、鈴川もカエデの手のひらで転がされていただけで。

 そんでもって、最終的に鈴川の心を優しく溶かしたのはユリカさんで。


「ヨウ~? 聞こえてる~? お菓子~」

「ヒマワリさん?」

「いや、だって、カエデちゃん。小腹がさあ」


 ささやかに文句を言ってやろうとしたのだが、そんな俺にカエデは、「全部、ヨウ君の尽力のおかげですね」なんてしれっとのたまったものだ。

 満面の笑みで手柄を渡された時、人間というのはこれほどまでに何も言えないものなのだと、思い知った。思い知ってしまった。


 とはいえ、カエデがどれだけ手柄を譲ってくれたとしても、そんな俺の頑張りは、ユリカさんの優しさにあっさりとかき消されてしまったわけで。


 いや、別に不服なわけじゃないよ?

 めでたしめでたし、だと思ってる。


 でもなんか。


「釈然としねえ」

「ほら、ヒマワリさん。ヨウ君だってこう言ってますよ?」

「え~? でも、いくら勝手知りたるなんとやらと言ってもさ、アタシがヨウんちのパントリー開けてお菓子持ってくるってのはないじゃん?」

「そうじゃなくて、お菓子をねだるものじゃない、と言ってるんですよ」

「でも、食べたいじゃ~ん」


 だー、もう……。うるせぇ。


「菓子だな、持ってきてやるよ!」


 せっかく人が感慨深く先日のことを思い出してたってのに。

 この二人は……。


「やたー! さっすが、ヨウ!」

「ヨウ君、ヒマワリさんを甘やかしすぎるのもどうかと……」


 あー、うるせぇうるせぇ。

 いや。……うるさいのは、ヒマワリだけか。カエデにはなんの罪もないな。心の中だけで謝罪する。ごめん、カエデ。





「で?」


 自分の勉強も一段落し、少し休憩しようと、くるりと椅子を回す。

 いつもどおりの光景。ベッドに背をもたれたヒマワリが夢中でゲームをしている。部屋中央のテーブルでカエデが正座で勉強をしている。


 こうもいつも通りだと、数日前までのなんやかんやが遠い日のように感じてしまう。


 俺が遠い日のように感じているということは、きっと二人も少なからず同じ気持ちのはずで。

 うん、そろそろ色々と訊ねても良い頃だろう。


「なに?」


 ヒマワリが俺の「で?」に返事をした。


「鈴川の様子は?」

「あ、そうそう! 聞いてよ!」


 鈴川の名前を出した途端に、ヒマワリが更に騒がしくなる。

 何をそんなに聞いてほしいのやら。


「お姉ちゃんに、私にも協力できることない? って訊いたのよ」

「ほう」


 感心したような声を出しはしたが、ヒマワリらしいっちゃヒマワリらしい。

 それで? と続きを促す。


「で、明日なんだけど。鈴川さんと二人でカウンセリング行ってきます!」

「お二人で、ですか?」


 えっへん、と胸を張ったヒマワリに、カエデが怪訝そうな声を出す。

 カエデの気持ちもよく分かる。


 なにしろ、ユリカさんの妹だとは言え、ヒマワリは完全なる部外者だ。

 どう頑張ればそれで、鈴川と二人でカウンセリングに行く、なんて話になるのだろう。


「いや、お姉ちゃんがたまたま休日出勤で、しかも休めないらしくてさ」

「普通は日程をずらすのでは?」


 カエデから出てきたのは、しごくもっともな疑問だ。


「それが、鈴川さんさ。病気としてはそこまで酷くないっていうか、そもそも病名すらつかないくらい軽度、ってお医者さんは言うんだけどね?」


 ヒマワリが難しそうな顔をする。


「ただ、性格だったりとか、気質だったりとか。つまり、ものすごく『頑張っちゃう人』なんだって」

「まぁ……鈴川だしな」

「お聞きした限りでは、そんなイメージのお方ですよね」


 俺とカエデが揃って納得したような声を出す。


「から、そもそもの根本にある鈴川さんの考え方を変えないと、またすぐに悪い方悪い方へ行っちゃうって。初回のカウンセリングで言われたらしいのよ」


 思い出すように目を閉じながら、ヒマワリが言う。


「だから、カウンセリングは別の支援センター? みたいなところで受けることにして……。で、なんっていったっけな……。メガトロン音痴?」

「もしかして、メタ認知のことですか?」

「そうそう、それ!」


 メガトロン音痴って……。どこの、ト◯ンス◯ォーマーだよ。しかも音痴なんだろ? やべぇな。


「その、メタナイト近畿療法? ってやつをやるんだって」

「メタ認知な」


 また間違ってるから。なんで、さっきの今で覚えられないんだよ。

 近畿にいるメタナイトってなんだよ。カー◯ィもびっくりだよ。ププ◯ラ◯ドから出てくんなよ。俺はお前が心配だよ。ヒマワリ。


「で、結構な頻度で、支援センターでカウンセリング受けなきゃなんだって」

「大変そうですね」

「って言っても、私は付いていくだけだから。なんだかんだで、カウンセラーさんも『一人にしないであげてください。特に外出するときは』って」


 一人にしないであげて、か。そりゃあれか? 一人で外出させると、よからぬことをし始めるからってことだろうか?


 俺が腑に落ちてない顔をしていると、カエデが俺を見て苦笑いした。


「薬が身体に馴染まないうちは、ふらふらしたり、ぼーっとしますから」

「そうなのか?」

「はい。父も薬の飲み始めは、結構辛そうでした」


 カエデが一呼吸おいて、「日常生活にも影響出たりしますから」と付け加える。


「強い薬なんだな」

「いえ、脳に直接作用する薬って難しいらしいんです。強い弱い関係なく」

「ほー」

「あと、相性もありますから」

「そうなのか」


 カエデの博識さに、本気で感心していると、ヒマワリが「むー」と唸り声を上げた。


「ヨウが聞いてきたんでしょ! アタシの話もきーいーてーよー!」

「うるせぇな。悪かったって。で?」

「で、ってなに?」

「続きは?」


 俺が続きを促すと、ヒマワリがしばらく黙ったあとで、「あ、あはは」と乾いた笑いを上げた。


「続きはありません。それだけです……」

「それだけなんじゃねぇか!」

「うるさいなー」


 ぶーたれたヒマワリが、テーブルに広げたポテトチップスをぱくつく。


「でも、思いの外順調そうで良かったですね」


 そう言ってカエデが微笑む。


「うん。なんか、結局お姉ちゃんと鈴川さんって、ちゃーんと深いところでつながってたんだな、って」


 もごもごと咀嚼しながらヒマワリがつぶやいた。確かに俺も思った。


 すれ違っても。話せないことがあっても。

 結局は、あの二人なら何もしなくても、俺達が手を出さなくても解決したんじゃないか、と思ってしまう。


「いいえ、少し違いますよ。ヒマワリさん」

「なに?」

「夫婦でも、仲がどれだけ良くても、結局のところは人間同士。わかりあえない時はありますし、気持ちが通じないこともままあります」

「そう……かなぁ」

「そうですよ。ヒマワリさん自身がよく知ってるんじゃありませんか?」

「……あー、そういうことね?」


 何やら二人だけでわかりあった様子のカエデとヒマワリが意味ありげに俺を見る。


「な、なんだよ」


 なんでお前らそんな目で俺を見る?


「なんでもなーい」


 ヒマワリが少しだけ不機嫌そうに言う。

 カエデが心底おかしそうに笑い声を漏らす。


 色々あったけれど、今日も俺の部屋は平和っちゃ平和だ。



 §



 日曜日。お姉ちゃん達のマンションの前。

 アタシは、インターホンのチャイムを鳴らす。


 数秒とかからずに、鈴川さんが出てきた。


 数日前よりも、少しだけ良くなった顔色。

 数日前よりも、少しだけふっくらしたほっぺた。


 ただ、数日前と変わらないのは、ものすごく申し訳無さそうな顔をしているということだ。


「こんにちは、お義兄さん」

「悪いね。忙しいだろうに……」

「いえいえ。アタシが志願したことですから」


 鈴川さんを不安がらせないように、にっこり笑って、「さ、行きましょ?」と言う。鈴川さんが、「ああ」と苦笑いしながら頷いて出てくる。


 そう言えば、本人の前では鈴川さんを「お義兄さん」と呼ぶようになった。

 なんでか、って訊かれてもうまく説明できないけど。


 なんとなく、アタシがそうしたかったから、そうした。


 あれは、確か……。

 ああ。ヨウのことを好きなんだ、って気づいて、しばらくしてからだ。


 心理支援センターは、お姉ちゃんたちの家から駅に向かって歩いて、数分のところにある。


 私は歩きながら、鈴川さんの横顔をなにとなく眺めた。


(……こんな顔も、するんだなぁ)


 鈴川さんのことが大好きで大好きでたまらない、なんて思ってた頃のアタシを思い返す。

 あの頃のアタシなら、鈴川さんのこんな顔を見てどう思っただろうか。


 幻滅……はしない、と思う。

 でも、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ「思ってたのと違う」なんて思っちゃったかもしれない。


 ――トウジさんはね。繊細な方なの。


 鈴川さんと同行することをお願いしたときのお姉ちゃんの言葉が蘇る。


 繊細、か。アタシは鈴川さんのそんな一面、知らなかった。


 想像もしなかったし、知ろうとも思わなかった。

 やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだな、って思う。


 アタシはお姉ちゃんには敵わない。生まれたときからきっとそうで、死ぬまでずっとそう。


 勝ち負けの問題じゃないんだ。お姉ちゃんは勝負すらさせてくれない。


 活発さではアタシの勝ち。

 運動神経でもアタシの勝ち。

 頭の良さも、うーん、それはどっこいどっこいかな?


 性格の良さならお姉ちゃんの勝ち。

 思慮深さでもお姉ちゃんの勝ち。

 物事を深く見つめることについてもお姉ちゃんの勝ち。


 こうやって、「勝ってるところ」、「負けてるところ」を列挙したら、そりゃ人間なんだし優劣はどっちも同じくらいあって。アタシはアタシ。お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだって、思っちゃいそうになるけど。


 でも、お姉ちゃんはそういうのじゃないんだよね。


 勝負を始めた時にはもう、舞台からおりていて。それで、「ヒマワリは凄いわね」って微笑んで。観客は皆、お姉ちゃんに拍手喝采で。


 だからどうってわけでもないけど。少しだけずるいな、とは思う。


 そんなお姉ちゃんだから、ヨウも大好きになったわけだし。


 結局、お姉ちゃんに勝たないと、アタシはヨウに自分の想いを伝えられないのだと思う。


 そんな感じで、アタシにしては珍しくうじうじ考えていたら、支援センターの前についていた。


 鈴川さんと顔を見合わせてから、中に入る。エレベーターに乗って四階へ。

 しばらく、ういーん、とエレベーターが登って。そして、ゆっくりと扉が開く。


「お待ちしておりました。鈴川様」


 受付のお姉さんがニッコリと笑って、一礼をした。


「ご案内します」





 アタシと鈴川さんは小さな部屋に通された。

 もう少ししたらカウンセラーさんがやってくるから待っててくれ、と。


 あれ? と思った。


「お義兄さん。アタシ、ここにいていいんですか?」

「あ、いや、いたくないなら、出てってくれてもいいんだけど……」


 鈴川さんが「しまった」みたいな顔をする。


「ごめん、伝え忘れてたね。俺のカウンセリングは一人じゃなくて、別の誰かも一緒に受けるんだ。勿論、タイミングタイミングで一人になったりもするんだけど」

「そうなんですか?」

「自分を客観視するためのトレーニング、らしい」


 鈴川さんが、不安そうにアタシを見る。


「でも、嫌だったら――」

「アタシは嫌じゃないですよ。お義兄さんこそ」

「俺は……。うん。最初に『そういうのを恥ずかしがってしまうところから直していきましょう』って言われたから」

「ええ?」


 カウンセラーさんってそんなことまで言っちゃうの?

 驚くアタシの顔を見て、鈴川さんが笑う。


「俺の場合はあんまり良くないんだそうだ。人間の性格に良いも悪いもないけれど、でも度が過ぎると毒になるって」

「そうなんですね……」


 カウンセラーさんってどんな人なんだろう。

 少しだけ緊張する。


 緊張を抑えるために、深呼吸を一つ。

 そのタイミングで、ノックの音が聞こえた。


 鈴川さんが「はい」と言って、ドアが開く。


 優しそうな女の人が入ってきた。


「鈴川さん、二日ぶりですね。あらあら、そちらのお方が?」

「はい。妻の妹で……」


 アタシは鈴川さんの紹介を巻き取った。


「秋野ヒマワリと申します。よろしくお願いします」

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