いってきます。ただいま。(3)
リュシュカは昼過ぎに中庭でラチェスタと次の魔術の実践練習をどうするか話し合っていた。
「木箱の特訓ですが、数を増やしてはどうでしょう」
「増えると爆破させやすくなるんだよね……」
「最初は二つから。それから徐々に増やしていきます」
「うーん、そうだね。二つまでなら……クラングラン」
「……リュシュカ、ふざけているんですか?」
「クラングラン、クラングラン」
「リュシュカ……?」
ラチェスタが恐ろしげな顔で振り返ると庭の塀の上にいたクラングランがドサッと降りて入ってきた。
「クラングランだよね? よかった、ついに幻覚見えるようになったかと心配した」
「私も全く同じ心配をしてました」
クラングランは予定より三日ほど早く、ひょいっと訪ねてきた。
「……おひとりですか?」
「ああ。供の者たちは……三日ほど遅れて着く」
「一緒に来ればよかったのでは」
「なぜわざわざ遅い移動に合わせなければならないんだ」
「そんなに急いで会いたかったんですか?」
「……あんた本当底意地悪いな。婚約者に会いたくて何が悪い」
「いえ、悪くはありませんが、一国の王子が……せめて門から入ったらどうです」
「この屋敷の警備はガラ空きだ。もう少し強化したほうがいい」
ラチェスタとクラングランはわりといつもギスギスしていて険悪だ。ただ、険悪なのにそこそこ仲がいい感じもしていて不思議でもある。
三人で立っていると、バタバタとメリナが走ってきた。
「リュシュカ様──」
背後からリュシュカの腕を引いたメリナは目と口をあらん限りに見開いていた。
「リュシュカ様のおっしゃってた、幻みたいな方……本当に実在したんですね……あまりに非現実な設定だったので恋に浮かされたリュシュカ様がだいぶ美化して話されているんだろうと、話半分で聞いてたんですけど……本当にお綺麗な方で……じゃあ、ほかのお話も本当なんですね……?」
「そんな疑い持たれてたの!?」
「どんな話し方をしたんだ」
クラングランはリュシュカのほうを見て聞いたが、代わりにメリナが力強く答える。
「はい! 二人といない目を見張る美形で、ものすごく強くて、優しくて、賢くて、揺るぎない信念をお持ちの……!」
「そんなこと言ってたのか?」
「え? あ、うん……」
クラングランは満更でもない顔をした。
「それから意地悪で素直じゃなくて自信過剰でデリカシーがなくて……!」
「あっ、メリナ、そこは言わなくていい!」
騒いでいるとようやく集合がかかった使用人たちが集まってきた。
本来リュシュカの時のように総出で迎えるはずだったのだが、クラングランが本当にひょいっと来たものだから間に合わなかったのだ。準備もぜんぜんできていない。
しかし、クラングランが連絡を寄越していなかったのだから仕方ないし、彼はそんなことは少しも気にしない。
「セシフィールの第一王子、クラングラン・ファデル・アントワープ。リュシュカの婚約者だ」
クラングランは一応王子だから、ぞろぞろ出迎えられてもリュシュカの時のようにたじろいではいなかった。慣れた様子で簡素な自己紹介をする。
どこで会って、そうなったのかわからないけれど、最近よく名前を聞く国のものすごい美形王子。突然現れたリュシュカの婚約者の不思議物件に使用人たちはざわついた。
ラチェスタはまた使用人をひとりずつ丁寧に紹介してからクラングランに言う。
「そういえば……僭越ながら私からも貴方にお祝いを差し上げようと思うんですが、何か欲しいものはありますか?」
クラングランがラチェスタから欲しいものなどあるだろうか。金で買えるものをわざわざねだるとも思えないし……何もなさそうだ。
クラングランは思案した後に答える。
「そうだな……そこの騎士三人」
「誰ですか?」
「ヨルイド、ミュラン、スノウだ。うちにくれ」
「え、えぇえっ」
“そこの三人“が全員揃って口を開けた。
「そんなものでよろしければ、どうぞ」
「ええええええ! かっるい!!」
「あと、もし可能なら、メリナも」
さっくり聞いていたようでちゃんと覚えていて、全員を名前で呼んだ。クラングランはこういうところ、ラチェスタと一緒でしっかりしている。
「はいはい! 行きます!」と元気よく返事したメリナがリュシュカに抱きついてくる。
「え、やったー!」
リュシュカはメリナを抱き返してはしゃぐ。
そうしてから、二人揃ってラチェスタの顔を見た。
「ラチェスタ……いい?」
「……いいですか?」
ラチェスタは呆れた息を吐いてから頷く。
「許可します」
「やったー! ありがとう!」
「嬉しいです!」
「何を思って選んだのかは知りませんが……もともとその四人は、リュシュカをここに引き取ることを視野に入れた時に雇った人間ですから」
「そうだったんだ」
どうりで、馬が合うはずだ。
***
「ここを毎日鬼のように走らされてね……」
リュシュカはラチェスタ邸をクラングランに案内してまわっていた。
「あっちの……あそこはよくサボってたところ」
「…………」
「あそこは昼寝ポイント」
「…………」
「あ、ここで木箱を爆破する特訓をさせられ……」
「お前はここで一体何をしていたんだ……」
「ごめん、セシフィールでもやってた」
「いつの間に……俺にも言えよ」
使用人宿舎の近くで、ミュランが二人に気づいて駆け寄ってきた。
ミュランはクラングランに会釈をしてからリュシュカに向き直る。
「リュシュカ、ちょっといい?」
「ん?」
「……なんか、もしかしたら納得できないかもだから、ちょっと、スノウと話してやってくんない?」
「そ、そうなの?」
見ると、スノウは建物の壁際にどんより座っていた。ヨルイドは少し離れたところにいるが、何やら苛ついた顔でウロウロしている。
クラングランに断ってからスノウの前に行き、目の前に屈み込んだ。
「スノウ、納得できないって……セシフィール行きたくないってこと?」
スノウは顔を上げてリュシュカの顔を見た。
「行くし。べつに……納得できないことだって、ないよ」
スノウはどこかため息混じりに言う。
「リュシュカ、前に言ってたもんね……ゾマドより強い男にしかついていかないって……なら仕方ない」
「い、いや、クラングランが爺ちゃんより強いとはまだ思わないけど……」
そこで少し考えた。
「でも、きちんと魔術を覚えたわたしが一緒なら、そのうち同じくらいになれるかもしれない……」
スノウは力なく笑った。
「……ますます仕方ないなぁ」
近くにいたヨルイドが突如クソデカボイスで叫ぶ。
「スノウッ!! いつまでもウジウジしやがって! いい加減にしろ! お前はそうやって告白ひとつ満足にできないんだから、その時点で負けなんだよぉっ!!!」
「え? こくはく?」
「……最悪な暴露の仕方やめて」
流れに少し違和感を感じてはいたが、そこで状況を理解した。スノウは、リュシュカを憎からず思ってくれていたらしい。
「い、いやヨルイド、今のはいくらなんでも最低じゃない?」
ミュランを見るとうんうんと頷いた。
貶めつつ勝手に好意を暴露とか……デリカシーがなさすぎる。ヨルイドに思うさま引いてからスノウに向き直った。
「スノウ、ありがとう」
リュシュカがスノウの想いに応えられることはない。それは彼もわかっているだろう。だからといって変に気まずくなったり、避けたりはしたくない。
リュシュカは手を差し出した。その手をスノウが強く握る。
少し離れたところで黙って見守っていたクラングランが動いた。彼もなんとなくの事情は察したのだろう。
ヨルイドとミュランも静かに見守る中、クラングランはゆっくりと、リュシュカとスノウの間に来た。
何を言うんだろうと、周りが固唾を呑む。
「おい人の婚約者に気安く触るな」
「いやあんた結構度量狭いな!」
ヨルイドが思わずいささか無礼なツッコミを叫んで、リュシュカはけらけら笑った。
ミュランがクラングランに聞く。
「でも、俺らでよかったんですか。もっと優秀なのもいましたけど……」
「ああ、ミュラン……お前は周りをよく見ていて機転が効くし、ヨルイドは迫力がある。それにスノウは腕が立つしな」
スノウが顔を上げてクラングランを見る。
「スノウ、お前は頭の中で攻めの構成の絵を正確に描いているだろう。そのせいで一度ペースを崩されるととっさに立て直せない。それがなければもっと強くなる」
ミュランが首を捻る。
「……確かにそうですけど……なんか詳しいっすね。夜会の時もスノウは上にいて援護してたから、戦ってないし」
「一度、ルノイの大会で戦った覚えがある」
「あっ! もしかしてスノウが一発も当てられずにボコボコにやられたあの時の……!」
スノウが準優勝した剣術大会はクラングランがお忍びで出たものと同じだったらしい。
「リュシュカのことはともかく……いつか倒す」
スノウがぼそっと言って立ち上がり、クラングランを睨みつける。クラングランは挑戦的に笑った。




