報告(3)
クシャドが居酒屋で咽び泣いていた。目の前にはイザークもいる。
二人は大柄なので、長椅子が置かれている四人がけのテーブルに座っていたが、イザークがリュシュカの向かいに、隣にクシャドが座っていた。
「本当に……クラングラン様がくだらない意地張るのやめてくれて……よかった」
クラングランが結婚を承諾してくれたことを伝えたら、よほど嬉しかったのか、クシャドはさっきからだいぶ飲んでいる。
「クラングラン様、あれで独占欲むちゃくちゃ強いだろ。俺は……よくもまぁ、あそこまで嫉妬深いくせに自分から拒絶できるもんだと、前から思ってたんだ……」
クシャドがあまりにパカパカ酒を飲むので、リュシュカは心配になって、隙あらば水を飲ませている。
「独占欲? そんな感じはそこまでしないけどなぁ」
「いや、ゼルツィニで会ったときから、俺がリュシーに少しでも触れそうになるとクランは絶対邪魔してくるんだ……その時は俺も一応、目玉を狙わないといけない立場だったから、守ってんなぁと……思ってたんだが……」
不穏な単語が混ざり、イザークが「め、目玉?」と引いていたが、クシャドは気づかない。うっかり敬称を忘れて出会った時の名で呼んでいるのにも気づいてない。
「……でも、別にこっちで会ってからも……特に変わってねぇし」
イザークが小さく吹き出した。
「あの方は異様に運動神経がいいし、野性味が強いから、動物的な縄張り意識が強いんじゃないのか?」
あ、否定はしないんだ……。
「……クラングランにはなりゆきで出会いからずっと守ってもらってたから……癖になってんじゃないのかな」
「……いや、きっと違うよ」
クシャドは言って、何かを思い出したようにくすくす笑う。
「リュシー、ありがとう。あのままだと、あの人は絶対幸せになれなかった。俺は……」
ゆらん、と揺れてクシャドは言う。
「俺は……絶対、あの人にだけは……幸せになってほしかったんだ……」
クシャドの震えてにじんだ声に、イザークが優しい目で頷く。
「ぜ、絶対にっ……!」
──ゴッ。
クシャドはテーブルに頭をぶつけ、ぴくりとも動かなくなった。
「急につぶれたけど……大丈夫かな」
リュシュカはクシャドを覗き込んで言う。イザークが笑いながら答えてくれた。
「大丈夫。寝てるだけです」
イザークはしみじみした口調で言う。
「クシャドは……来た時とだいぶ変わりましたね」
「うん。わたしも、来てすぐに思ったよ」
「来た時からパワーはあったんですが、やみくもに自分を守ろうとしてるかのようで、まるで周りが見えてなかった」
イザークがクシャドを見ながら思い出すような目で話す。
「最初の頃はクラングラン様としか飯も食わなかったし……いつも辛そうにしてるから、無理に団に入れるのは止めたほうがいいんじゃないのかと、クラングラン様にも何度かかけあってたんです」
「…………」
「ただ、三か月目くらいかな、急に俺を飯に誘ってきて」
イザークは酒のコップを口に運び、ふっと笑う。
「こいつは、自分から誘ってきたのにずっと黙っていて……俺も無理に話そうとはしなかったから、結局その日はほとんど話はせずに帰りました」
「……うん」
「しばらく落ち込んでいたようでしたが……そのあとまた誘ってきて、ぽつぽつと自分のことを話すようになった。そのあとは、鍛錬自体は変わってないのにめきめき力をつけていったんです」
猪人たちが、クシャドは一時、見世物小屋にいたと言っていた。彼はおそらく蔑まれ、貶められて生きてきた。きっと、騎士団で突然多くの人間に囲まれて、最初は誰を信用すればいいのか、わからなかったのだろう。
けれど、きっと、自分を変えようとして、ものすごく勇気を出したのだ。
テーブルにつぶれているクシャドに視線をやる。
だいぶ遅い時間になり、周りのざわめきは少しだけ静かになってきている。
「ああ、ようやく来ましたよ」
イザークの声に扉のほうを見ると、クラングランが入ってきた。
クシャドも目をこすりながら顔を起こす。
普段の公務に加えて婚約破棄、結婚準備、加えて王位継承も控えているクラングランはここにいる誰よりも圧倒的に忙しい。今日はもう来れないかと思っていた。
クラングランは来るなり腕をまわしながらクシャドに言う。
「体がなまる。クシャド、よかったらこのあと……」
一日働いていたというのに、鍛錬に付き合わせようとしているようだ。しかし、すぐに諦めたように言葉を止めた。
「……だいぶ飲んでるようだな」
クシャドを見てこぼした言葉にイザークが答える。
「ああ、二人の婚約がよほど嬉しかったみたいですよ」
クラングランは頷いて、クシャドの腕を軽く引いた。
「こっちに座れ」
「ああ、うん」
クシャドをイザークの隣に移動させると、クラングランはリュシュカの隣に腰掛ける。
その一連の動きを見ていたイザークが口元を押さえて噴出した。
「……何か面白いことでもあったのか?」
イザークの笑いにつられたように、クシャドまで腕に顔を埋めて小さく震え出した。大柄な二人が揃って笑いを噛み殺すようにして震えている。
「二人、笑い上戸なとこも似てるよね……」
「そうだな」
「クラングランて……みんなに頼られてると思ってたけど……思った以上にみんなに心配されてるね」
普段頼りにしている分、彼自身が間違えた時に意見できる人が少ない。みんな彼の動きを止められずにずっと心配している。そんな気がする。
クラングランはリュシュカを見た。それからほんの少しの沈黙のあと、静かに言う。
「そうだな……そんなことにも、お前に会って気づかされた」
「みんな、クラングランに幸せになってほしいって、そう思ってる」
「ああ」
「だから、わたしが幸せにしてみせるんだ」
ふんすと息を吐くと、クラングランは片方の眉を軽く上げリュシュカを見る。
「頼むからあまり張り切るなよ」
「……それくらい張り切らせておくれよ」
「なら教えておく」
「うん?」
「俺は、お前が幸せなら、幸せだ」
リュシュカがクラングランを幸せにするのは、わりと簡単そうだ。




