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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第三章 めざせ政略結婚!
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報告(2)


 アンリエッタに適当な服を見繕ってもらい、野良猫から飼い猫くらいに小綺麗に身なりを整えたリュシュカは、最初に現セシフィールの王、つまり、クラングランの父親に会いにいった。

 彼は思った以上にものすごい昼行燈だった。


「あら、お父様は……?」


 まず、まだ王なのに、玉座にいない。

 アンリエッタは近くの家臣に聞く。


「お父様はどこにおられますか?」


 それなのに誰も探していない。居所を把握してる者すらいない。


「大丈夫ですわ。お父様のいそうな場所でしたら、わたくし、見当がついてますから」


 アンリエッタに連れられて書庫に行くと、なんと王は書棚と書棚の細い隙間、その一番奥で地べたに座り込んで本を読んでいた。しかも、近くに靴が脱ぎ散らかされていて、裸足だ。


 国の王のその、あんまりな姿に衝撃を受けた。


「お父様」


 アンリエッタに呼ばれて王は顔を上げる。

 焦茶色の髪に、ヘーゼルの瞳。その顔立ちはアンリエッタに似てどこか優しく、おっとりしている。


「エッティ、どうしたんだい?」


「お父様、彼女はお兄様の新しい婚約者のリュシュカ様です」


「そうか。こんなところで悪いが、よろしく、リュシュカ」


 愛想笑いと共に驚くほど小さな掠れ声が返された。

 声、ちっさ……!

 リュシュカはこんなに声が小さい王族を初めて見た。


「お兄様の婚約者が変わったのに、驚きませんの?」


「……彼が決めたんだろう? なら、問題はないさ」


 その声はやはり聞き取りづらく、ものすごく小さい。

 この王からはやる気も覇気も感じられない。意志が弱そうだし気が弱そうだ。あと胃腸も弱そうだ。


 たぶん、悪い人ではない。もしかしたら、そこそこいい人なのかもしれない。少なくともリュシュカはこの人の雰囲気自体は嫌いじゃない。


 ただ、“王“ではないと感じた。


 エルヴァスカの王に感じた強烈な威圧感、エルヴァスカの王子たちが持っていた鼻持ちならない王族の傲慢さ、そんなものも一切ない。

 逆に王族でどうやったらこんなほんわかした人が育つのか疑問に思うくらいだった。

 しかし、リュシュカ自身、辺境でムキムキの爺さんに育てられて、王族とは思えないだらしなさと気品のない成長をとげていたので、そんなことをいえる立場の人間ではない。


 セシフィールの王室には側室の習慣もないようだし、おそらく、彼の即位時にほかに王位を継げる人間がいなかったのだろう。

 セシフィールだから王になれた人だ。もしエルヴァスカ王家にいたら暗殺抗争に巻き込まれて標的になってもないのにどさくさ紛れに死んでそうな儚さがある。


「彼は、私にはできた子だ。どうか、支えてあげてくれ」


 王は掠れた声でそれだけ言うと、死にそうに元気のない笑みをこぼした。それにしても、声、本当に小さい……。


 アンリエッタが、用は済んだとばかりに出ていこうとするので慌てて追いかけた。


「会う必要あったのかな……」


 ぜんぜん話さなかったけど。


「お父様はあれで、子のことは意外と気にかけてらっしゃるんですよ」


 アンリエッタはふふ、と笑う。それから俯いてゆっくりと言う。


「以前からまつりごとは家臣に任せきりの方ではありましたけど……それでも以前はあそこまでじゃなかったんですのよ」


「……何かあったの?」


「正式な継承はまだですけど、お兄様が実権を引き継いでから、お父様は安心して一気に気が抜けてしまわれたんです」


「ああ……」


 それを聞いて納得した。

 あの王は自分が王の器でないことくらい、知っているのだろう。そもそも、王になどなりたくなかったのかもしれない。けれど、王家を守るために逃げることはせず、ずっと分不相応な重責を背負っていた。


 長年背負わされていたものをようやく下ろせたのだ。それは腑抜けるかもしれない。


 今まで遠くから話だけ聞いていて、勝手に、クラングランは無能な父親を馬鹿にしているのかと思っていたが、そんな単純なものでもないかもしれない。

 クラングランはきっと父親の気質を知っていて、彼が適正のない場所で、それでも多くを支えるために長く耐えてきたことも知っている。

 だから、国政を奪うことで楽にしてやりたい気持ちもあったのではないだろうか。



   ***



 クラングランの母のルイーズ殿下は城から少し離れた離宮に住んでいる。

 とはいえ、馬車で十分ほどの距離なので、その後リュシュカはアンリエッタと共に短い時間馬車に揺られた。


 クラングランの母親は、彼にそっくりのものすごい美人だった。

 雰囲気も浮世離れしている。実は妖精であるとか、あるいは魔女と言われても納得したかもしれない。

 あの覇気のなさそうな王が、死にものぐるいで、取り憑かれたように権力を振りまわして泣き落として結婚してもらったというのも頷ける。もしかしたらあの王はこの人を落とすのに力の全てを使い果たしたのではないだろうか。


 ルイーズはものすごくゆっくり、独特な調子で喋る。その声も、美しかった。この人は全身が『美しい』でできている。


 アンリエッタが事前に伝令で伝えていたからか、彼女はお茶の準備をして待っていてくれた。


「お母様……彼女がお兄様の新しい婚約者のリュシュカです」


 ルイーズは「そう」と答えたが、さほどの関心もなさそうで、ほっそりした白い指でお茶のカップを弄び、そ、と一口だけ口に含む。

 その、何気ない所作にすら見惚れてしまう。

 会ってから何度思ってるか忘れそうだけれど、綺麗な人だなあ。


「その髪と、瞳は……もしかしてエルヴァスカ王家の子かしら」


「はい」


「あの子は……次から次へと……よく見つけてくるわね」


 ルイーズは少し呆れた調子で言う。

 周辺で一番大きな国の姫の次が大陸で最も大きな国の姫へと変わったことに驚いているようだった。


「あの子は、昔から……ずっとそんな調子だったわ。何度言っても、わたくしの言うことを聞こうとしない」


 何度言ってもって、何を言っていたんだろう……。


「リュシュカ、あなたにもひとつ、大事なことを教えてあげるわ」


「は、はいっ」


 ルイーズはたっぷりの間を置いてからゆっくりと言う。


「気の向かない結婚はしてはいけないわ……」


 何その答えにくいやつ……。それ、気の向かない結婚をした人がいうやつじゃないの。


「ベンクルランとは会った?」


「はい、ついさっき」


「あの人、どこにいたの?」


 質問に、アンリエッタが代わりに答える。


「書庫ですわ」


 ルイーズはげんなりした息を吐き、「本当に……仕方のない人ね」とこぼした。

 たぶん仕方ないから結婚してあげて、仕方ないから一生一緒にいてあげるのだろう。

 エルヴァスカ王家の気風に慣れているリュシュカにとって、セシフィールの王家はまったくもって不思議に見える。絶妙なバランスで、権威が成り立っている。



   ***



 アンリエッタによる王家謁見巡業を終えたリュシュカは、彼女と共に城に戻ってきた。


「ちょっと、ちゃんとしてなくて申し訳ないですけど、あれがうちの王家なんですの……」


「い、いや、ちゃんと王家してないのはむしろわたしのほうだし……」


 アンリエッタはリュシュカをじっと見て、それから感極まったように言う。


「リュシュカ……本当にありがとう」


「え、何が?」


「お兄様を婚約破棄に導いてくださり、ありがとうございます」


「わたしはお礼を言われることはなんもしてないよ。なんか……自分の気持ち押し付けて泣き喚いてただけだから」


「いえ、それがいいんですのよ……お兄様はずっと、誰かと対等に喧嘩をしたり、ぶつかり合うことなく生きてきた方ですので……両親の分まで……わたくしに御礼を言わせてくださいませ」


 アンリエッタはうっすら瞳を潤ませている。


「リュシュカ、兄と出会ってくれて、ありがとう」


 アンリエッタの言葉にリュシュカはびっくりした。

 クラングランと出会ったことはリュシュカにとっての幸運であっても、彼の属する側の人間からの感謝を受けるとは思ってもなかったからだ。

 それも、アンリエッタが言っているのはおそらく政略的価値ではない。リュシュカは胸が苦しいくらいの喜びを感じた。


 こんなことで簡単に泣いてはいけない。そう思い、リュシュカは俯いてアンリエッタの手をぎゅうっと握る。


 気づけばあたりは陽が落ちてきていた。リュシュカは一度だけ目元を擦ってから顔を上げ言う。


「わたし、そろそろ着替えて、クシャドのとこ行かなきゃ。アンリエッタ、今日はありがとう」


「こちらこそ」


 リュシュカは手を振ってアンリエッタと別れた。



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