ゆらりとした炎(4)
「突然麓に飛ばされたんだよ。何事かと思ってたが……なかなかの破壊力だな。ますます欲しくなった」
イオラスはゆっくりと近寄ってくる。
彼の紅い瞳はゆらりとした冷たい炎のようで、心が凍りついていく。
「死なないように丁寧に切り刻んで、小さくしてから連れて帰ってやる。そのための医者もいる」
クラングランがリュシュカの前に出た。
「……あの壮絶にヤバいのはなんだ」
「ど、どうも、わたしのお兄様らしい」
「──エルヴァスカの王子……黒髪に紅い瞳……イオラスか」
イオラスは既に抜刀している。
「邪魔だ」と言って薙ぎ払おうとした剣をクラングランの剣が受け止める。
リュシュカはいつも彼に言われていたように、邪魔にならない山際の近くへと走る。
イオラスが不愉快を滲ませた顔で言う。
「お前、誰だ」
「誰でもいいだろ。俺は生まれて初めて心底誰かを殺したいと思った」
クラングランが斬りかかる。
イオラスはクラングランの剣を避け、自らの剣を振りまわし、彼の首を掻き切ろうとする。クラングランは素早く後ろに跳んで避けた。
クラングランの太刀筋は素速く、多彩で整っている。
比べるとイオラスはそこまで動きに幅がない。しかし、その攻撃はどれもやられれば一撃で生命に関わるような急所ばかりを確実に狙ってきている。
殺すことだけに特化して鍛えられた剣捌きだった。
クラングランのほうは基礎が正当な場所で学び育てられた、騎士としての剣術なので、腕自体は上でも殺し合いでは不利になる。
イオラスの剣撃は動きがえげつなく、彼の性格の卑劣さがよく出ている。躊躇いも容赦も一切ないので見ているだけで何度もヒヤッとさせられる。
けれど、リュシュカは息を止め、決して声を上げないように耐えた。
苦い記憶が甦る。
あの時だって、そうだった。クラングランは、リュシュカに気を取られた隙にやられたのだ。助けられなくても、邪魔だけはしたくなかった。それでも、何もできなくて見守るしかできないのはあの時と何も変わってなくて辛い。
そして、気がつくと闇の中にいつの間にかもうひとりいた。
イオラスの配下だろう。黒づくめで闇に紛れていたため、突然出てきたように見えた。クラングランの背後から忍び寄って攻撃しようとしている。
「クラングラン! もうひとりいる!」
リュシュカは結局声を上げた。
クラングランは背後からの剣撃を避け、正面から斬りかかったイオラスの剣を弾いた。
連続して撃ち込まれる二人がかりの剣撃を、クラングランはすべて捌いていく。
二対一になってしまったが、それでもイオラスに少し疲れが見えてきて、クラングランは押してるように見えた。
息を吐いて見ていると、イオラスがこちらを見て、不敵に笑うのが見えた。
嫌な予感がして振り向こうとすると、背後からまた別の男に捕まえられた。
「リュシュカ!」
もがくが、喉元に剣を突きつけられ、動けなくなる。
「ほら、剣を捨てろよ」
どこか楽しそうな声で言ったイオラスをクラングランが睨みつける。
「おい、今度はその女は殺しさえしなければ目を潰そうが腕を切り落とそうが構わない。こいつはバカのようだから、片耳くらいなら斬り落とさないと状況がわからないかもしれないな」
「……わかった」
クラングランは剣を捨てた。
リュシュカの胸に小さな絶望が降りてきた。
結局、またこうなってしまった。
こんなのはもう絶対に嫌だから、リュシュカはそのために修行もたくさんしたし、練習もしたのに。
馬鹿みたいに感情を爆発させるばかりで、結局ぜんぜんできるようになっていない。
必要なことは全て教わっている。集中すればできることのはずなのに。
いつも魔術から逃げたい気持ちがどこかにあった。
今ならわかる。調整できない魔力の暴発で大惨事を招いた記憶。周りに誰もいなくなった記憶。そんなものが強い罪悪感と恐怖を生んでいた。
けれど、自分のせいで今度こそクラングランが死ぬかもしれない。こんな奴に殺される。それだけは絶対に嫌だ。
夢で見た爺ちゃんの言葉が甦る。
──怒るな。怯えるのもナシだ。そうすると全部がおじゃんになる。我慢しろ。心を整えろ。冷静に。そうすりゃあ、適度に発現する。
ラチェスタの声も聞こえてくる。
── 落ち着いて、魔力ではなく感情をコントロールするべきなんです。
リュシュカは押さえつけられながら片手をわずかに前に出した。
背後でリュシュカを捕まえてた男の剣が爆ぜる。
驚いて怯んだところに鳩尾に肘を入れて逃げ出す。
「クラングラン、早く剣を!」
イオラスが忌々しい顔で舌打ちして、地面にあるクラングランの剣を蹴飛ばした。剣は地面を滑り、傾斜から落ちていく。
「遅かったな。もう丸腰だ」
「丸腰でもお前よりはマシだ」
クラングランはイオラスの残虐な攻撃性に満ちた剣撃をなんなく避ける。そのまま背後で振りかぶっていた黒づくめの男を蹴り飛ばす。男は気絶して動かなくなった。
リュシュカが肘を入れた男が持ち直してクラングランのほうに向かった。
クラングランは夜会のとき、シャンデリアを落として援護したと聞いた。魔術で似たことができれば──
魔力量を調整して、すぐ近くにいるクラングランを傷つけることなく、敵の動きにだけ集中する。
クラングランに殴りかかろうとした黒づくめの男の足下で何かがパンッと爆ぜ、男は突然倒れた。
そのまま、続けてイオラスの足下が爆ぜる。
「……っ、なんだ? お前がやってるのか?」
イオラスはそれを避けた。しかしボコボコと、イオラスの跡を追うように、地面は小さく爆ぜていく。
集中が高まってくると、焦りはどこかにいってしまっていた。その時のリュシュカは魔術に集中しきっていて、人を傷つけてはいけないだとか、そんな感覚はまるでなくなっていた。
足を狙っていると効率が悪い。
胴や頭──どこかもう少しマトの大きな一部を狙って爆ぜさせてしまえばいい。やはり、頭が一番早いだろうか。
それは、自分のほうが魔術に呑み込まれていくような感覚だった。
イオラスは闇の中、片手を出してぼうっと立っているリュシュカを見て舌打ちする。
「先にあっちを動けないようにしたほうがよさそうだな」
リュシュカのいるほうへと一歩踏み出す。
その瞬間、跳び上がったクラングランがイオラスの顔の側面に向かって回し蹴りを入れる。
ぶしゅ、と鼻血が出てイオラスが吹っ飛ばされて倒れた。
クラングランは気を失って倒れたイオラスの足元に落ちている剣を拾った。身を屈め、イオラスの喉元にあてる。
「リュシュカ──こいつ、殺してもいいか?」
リュシュカはそこで我に返った。
「ダ、ダメだよ!」
小国の王子が大国の王子を殺したりしたら大問題になる。セシフィールは消し飛ぶかもしれない。そんなこと、わかってるだろうに。
「いや、悪い。お前に聞くことじゃなかった。俺が俺の意志で殺す」
「待って待って! わたしにも聞いて?!」
「リュシュカ……こいつは何をしても変わりようのないクズだ。生きている限り絶対にお前を利用しようとする。もう俺がどうなろうがどうでもいい。今すぐ殺す」
困った。何も言葉が出てこない。説得できる気がしない。それでも、彼に絶対そんなことはさせられない。それくらいなら──
「待って! わたしが殺すから!」
「何言ってるんだ。俺が殺る。お前が手を汚すことはない」
「絶対わたしのほうが問題小さく済むから! お願い! 殺らせて!」
「いや駄目だろ!」
「クラングラン、なんだかんだいつもお願い聞いてくれるじゃない! わたしが殺したい!」
クラングランはじっとリュシュカを見ていたが、ふいに息を吐いた。
「問答は終わりだ」
クラングランが再び刃を向ける。
「絶対駄目!」
それはもともと最初の魔術で緩んでいたのか、それとも集中がすっかり切れたのに魔力だけはまだ放出されていたからなのか。
叫んだ時、リュシュカの足下の地面が崩れた。
あっけなく崩れていく足場に、バランスを崩して膝をつく。
そのまま、さらに割れた地面の隙間へと落ちていく。




