求婚(4)
起きた時には用意されていた部屋の寝台に寝ていた。
たぶん、クラングランに戻されたのだろう。
時刻は既に正午をまわっている。明るい太陽の光が目いっぱい射し込んでいた。
戸がトントンと叩かれて、クラングランが訪ねてきた。
「眠れたか?」
「……うん、すごいよく寝た」
クラングランも寝たのはかなり遅かったはずだが、もう起きて動いていたようだ。
「そうか……じゃあ俺はまた仕事に行く」
何事もなかったかのような顔で言うクラングランにふつっと、強い怒りが湧いた。
このまま彼は何事もなかった顔で結婚して、どんどん新しい人間に変わっていき、リュシュカのことを忘れてしまうつもりなのだ。
「クラングラン」
「どうかしたか」
リュシュカはクラングランをじろりと見上げる。
「クラングランは、一昨日会ってたお姫様と結婚するんだよね?」
クラングランはたっぷりの沈黙のあと、やっぱり平坦な声で「ああ」と答える。
「王族は自分の人生よりも、家族や多くの家臣や、国民にとっていい形の婚姻を選ぶべきなんだよね。そう思って、クラングランが決めたんだよね?」
「……そうだ」
リュシュカは薄く息を吐いた。
「でも、あの人との結婚が本当に国にとって一番のものかはわからないよね?」
いくら周辺諸国の中で規模が大きいといえども、エルヴァスカの姫とシュトルブルクの姫では後ろ盾としては比べるべくもない。リュシュカは公式に王家としての好条件は用意できないが、紛れもなくエルヴァスカ王の子ではあるし、望まれれば大きな魔力があることだって公にしてもいい。
けれど、クラングランはそんなのは、はなから比べようともしない。
「クラングランは王族の結婚に感情は関係ないって言って政略結婚しようとしてるくせに、矛盾してる。わたしとは政略結婚しなかったのに……」
「…………」
「感情で、わたしとの結婚は拒絶してるのに」
クラングランは何も言わなかった。
リュシュカはクラングランを睨みつけ、窓枠に足をかける。
「リュシュカ……何を……」
そのままそこから身を乗り出した。
「……リュシュカ!?」
リュシュカは一階の渡り廊下の屋根に降りてから、支柱を使って下に滑り降りた。クラングランが慌てた顔で窓から顔を出していた。
リュシュカは一階の石畳から言う。
「クラングランのバーカ! これくらいの距離なら、もう行けるようになったんだよ!」
クラングランはリュシュカの移動範囲の限界を知っているつもりで焦ったのだろう。でも、ラチェスタのところで基礎体力も鍛えたし、多少の筋力もついた。以前より範囲は広がっている。もうあの頃とは違う。
でも、どんなにリュシュカが強くなったとしても、この先彼の国にとって武器になれるものを備えたとしても、何をしてもクラングランがリュシュカを選ばないのなら全部無駄だ。
「もういい。全部無駄だ」
「待て! 帰る気か?」
「……ふん」
拗ねた気持ちでそのまま走り出す。
クシャドを誘ってお酒でも飲んでしまおうか。
そんなことを思って、城門に向かう。
「王子! 何を?!」
背後で驚いた声が聞こえて、振り返る。
クラングランが一階の渡り廊下の屋根にいた。
そのまま目にも止まらぬ速さで下に落ちる。
「んひぇ!?」
なにあの暗殺者みたいな動き。こわ。
ただならぬものを感じて、リュシュカは足を速めた。
バーカって言っちゃったけど、それくらいでそこまで怒ったことあったっけ?
リュシュカが成長をひけらかしたから、お前など大したものではないと戒めようとしている?
いやさすがにそこまでガキでも不遜でもないだろう。
なんにせよ相手はクラングランだ。かなり距離は空いてるとはいえ、普通にしてたら速攻で捕まる。
求婚に来たのに暗殺されてはたまらない。
リュシュカはそのまま、近くの騎士団倉庫が集まっている区域に駆け込んだ。
小さな建物が乱立しているから、すぐには捕まらないだろう。リュシュカはそのひとつに入った。
中に入ると奥に木箱が積んであるのが見えた。その上をどんどん登っていく。
階段のように登り、追いつかれないように登ったあとに足をかけた木箱を下に落とす。必死だった。
そうして、天辺まで上がってから気づく。
「……あれ?」
降りられない。
おまけに下に落とした木箱を破損させている。下に人がいなくて幸いだった。逃げるだけのつもりが、取り返しのつかないことをしている自分に気づき青くなった。
「わあぁ〜降りられないよう!」
大声を上げると異変に気づいた騎士たちがわらわらと下に集まってきた。
「どうしたんだ?」
「脆くなった木箱積んであったろ」
「ああ、あの一帯全部濡れちゃって、腐敗して使えなくなったんだよ」
「あそこに登ったはいいが、降りられなくなったらしい」
「猫か?」
「いや、人だ」
「ひ、人ぉ!?」
「脚立を用意しろ」
「いや、あれは不安定だから、脚立なんてかけられない」
「なんだってそんなことを……」
一体どんな阿呆がこんな愚かなことを……とリュシュカの下でみんなが困り出した。だいぶ恥ずかしいが、そんなこと言ってられない。
「ひえぇ、助けてぇ〜」
クラングランが無言で入ってきて、リュシュカのほうを見た。はぁ、と息を吐く。周りはざわめく声を止めた。
「あ、王子……今」
クラングランは少し離れた場所に同じように積まれている木箱に足をかけた。そのまま、崩すことなくなめらかに登っていく。
ただ、その木箱の山の天辺は、リュシュカのいる位置より低かった。
リュシュカのいる天辺とクラングランの立つ天辺。その距離はちょうど、リュシュカがラクシャの街で捕まった時に抜け出た窓と、クラングランのいた隣の屋上くらいだった。
あの時、リュシュカは行けると思った距離で、クラングランは無理だと思った距離。結局二人とも無事だったけれど、クラングランが怪我をした距離でもある。
「リュシュカ、来い」
クラングランは両手を広げて見せる。
「王子! そこは二人乗ったら崩れますよ!」
「こいつの命くらい、俺がなんとかする。近くにいる者は避けてろ」
「でも……」
「わ、わかった!」
リュシュカは跳んだ。
やっぱり、以前より少し飛距離が伸びていた。クラングランがしっかりと受け止める。その瞬間、下の木箱が衝撃で割れて崩れていく。クラングランがリュシュカを抱え込むようにして、破片から庇った。
リュシュカはクラングランに固く抱かれたまま、落ちていく。
そうして、空中で一度、ぴたりと止まった。
そこから数秒、ふわりと落下速度が落ちる。
「リュシュカ……?」
「魔術もほんの少しだけど使えるようになった。わたしがクラングランを守ることもできる」
リュシュカが息を吐くと、そこからどすんと下まで落下した。
「クラングラン。大好き……」
「…………」
「政略結婚するならわたしとしようよ……」
「…………」
「わたしのほうが、絶対政略的にお得だよ」
クラングランの上に馬乗りになった状態で、リュシュカは彼の胸にぱたりと耳をつけた。
「リュシュカ……」
クラングランはリュシュカの髪を撫でた。
リュシュカは顔を上げ、彼の瞳を覗き込む。そうして、数秒、まっすぐに見つめ合った。
「お前だけは……何があっても断る」
やっぱりリュシュカは振られた。




