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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第三章 めざせ政略結婚!
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求婚(3)


 アンリエッタと別れ、リュシュカも用意された部屋へと戻り、就寝の支度をした。


 寝台で天井を見上げる。

 眠気はやってこなかった。馬並みとの激しい下山で、脳の一部が興奮してしまったのかもしれない。

 クラングランの顔や、アンリエッタの言葉、そんなものたちがずっとぐるぐるとまわっている。


 リュシュカは結局起き上がって部屋を出た。


 城の廊下にはランプが点々と灯っていたが、それ以外はどこも暗く、静かだった。


 クラングランの執務室の前に行き、そのまま扉を背に寄りかかるように座り込んだ。

 彼の寝室はかなり離れた場所にあったが、彼はこちらの奥に置いている仮眠用の寝台で眠ってしまうことも多いようだ。少なくともリュシュカが来てからはいつもこちらで寝ているようだった。


 特に話があるわけではない。状況を打破する案があるわけでもない。なぜ来てしまったかというと、もう会いたくなってしまったからだ。


 久しぶりに会えたし、今日は一日傍にいられた。だから満足するかというとそんなことはまったくなかった。

 一緒にいたことで余計に離れがたくなって、もっと長く、もっと近くにいたくなっている。


 エルヴァスカにいた時とは違って、そう思った時に近くにいる状況は今だけだったし、別れへの焦りもあって、結局来てしまった。


 けれど、リュシュカだって婚約者のいる男性の部屋を夜中に訪ねてはならないことくらいはわきまえている。だからこそ、扉の前で座り込んだまま戸を叩けずにいた。


 一度立ち上がってノックのための拳を作ったリュシュカだったが、結局戸は叩かず、また膝を抱えて座る。


 感情に動かされてうっかりやってしまうこと。最近は脳内でラチェスタのお説教が聞こえて踏みとどまることも増えた。リュシュカだって少しだけれど成長している。さすがにやめておいたほうがいいと判断して戸を叩くのはやめた。


 それでも、扉のすぐ向こうにいるとわかってるだけでも心が少し落ち着く。だから結局動けずにいた。


 そうしていると、先ほどはまったくやってこなかった眠気がやってきた。

 うつらうつらしていると背中の扉が動き、戸がわずかに開けられた。


「リュシュカ……さっきからずっと、そんなところで何をしてるんだ」


「中には入らないから……駄目?」


 クラングランはため息を吐き、「駄目だ」と言ってリュシュカを部屋の中に引き込んだ。


 ひとりがけの肘付きの椅子に座らされ、上に毛布が掛けられる。クラングランは背の低いテーブルを挟んだ向かいにある椅子に腰掛けて足を組んだ。


「こんな時間に何をしてるんだ。ひとりになりたかったんじゃなかったのか」


「ひとりになりたい時間は終わって、今はひとりでいたくない時間。異国でひとりぼっちは寂しい」


「なんて我儘なんだ……」


「会いたくなったんだ」


「いや少しは我慢しろよ」


「これでもいろいろ我慢してるんだけど」


 本当はずっと、クラングランが勝手に婚約者なんて作ったことに怒り散らかしたかったけれど、クラングランはリュシュカのものじゃないから、我慢した。


 エルヴァスカでは会いに行くのをずっと我慢していた。


 さっきは部屋の中に入るのを我慢していた。


 今だって抱きしめてもらいたいのを我慢している。


 クラングランは黙り込んでいる。頬杖をつき、美しい彫刻作品のように、どこかをぼんやり見ている。部屋は静かだった。


 リュシュカは寝台の前に移動した。


 昨日姿を見てしまったから、クラングランの婚約者に悪いと思う気持ちは湧いている。

 彼女の人柄が聞いた通りなのかは知らないけれど、たとえ真実悪い女だったとしても、勝手にこんなことをしているリュシュカが紛れもなく悪人であることは変わらない。


 けれど、そもそも彼の婚約者に罪悪感を抱えるのは馬鹿らしいことだ。

 表面的に善人ぶったところでリュシュカはラチェスタに略奪の指令を受けているし、自分の意思でそれをしようとしている。

 そこは倫理に背いた悪事を働くと決めたのだから、誰かが傷ついたり、迷惑がかかることにだって、覚悟を持たなければならない。


 それに、彼女はクラングランと結婚できるのだ。

 リュシュカには、今しかない。国に帰れば、そのあとはおそらく一生会えない。誰かと結婚してしまったクラングランに、会いに来ようとも思えない。後悔はひとつも残したくない。


「クラングラン、こっち来て」


 リュシュカはクラングランの寝台にぼふんと沈んだ。そこはほんのり温かい。リュシュカが来るまではここで寝ていたのかもしれない。


「何をやってるんだよ……」


「……今日だけここで一緒に寝たい」


「それはさすがに無理だ」


「前にも隣で寝たことあったでしょ?」


「あれは外だったし、寝台ではなかった」


「あれ〜、寝台だと我慢が効かなくなるってことかな?」


 小さく笑いながら言うと、クラングランが真顔で頷いた。


「そういうことだ。もう戻れ」


 リュシュカは真っ赤になった。寝台で丸くなったまま顔を覆う。


「リュシュカ、戻れ」


「やだ……クラングラン、隣に来て」


「駄目だ」


「お願い……婚約者がいるのはクラングランのほうなんだから、クラングランが我慢すればいいだけじゃないの?」


「………………はぁ」


 結局、クラングランは寝台の横に来てくれたが、だいぶ間を空けて寝転んだ。


「だってさ、明日からまた忙しいんでしょ」


「そうだな……三日くらいは公務が詰まっている」


「そうしてたらわたし、あっという間に帰る日が来ちゃうし」


「十三日くらいとは言ったが……後見人とも連絡がついているようだし、可能ならいくらでもいればいいだろ」


「ううん。帰るよ…………それでお別れだ」


「…………そうか」


 リュシュカはクラングランに手を伸ばして、衣服の胸の辺りをぎゅっと掴んだ。


「リュシュカ……」


 クラングランが咎めるような声を出す。


「わたしは、もういっぱい我慢したよ……」


 そのまま、身をすり寄せる。


「クラングランのために生きるのだって……我慢してる」


 リュシュカはクラングランをぎゅっと抱きしめた。温かくて硬い体は、彼の匂いがほのかにして、懐かしいような、泣きたい気持ちになる。


「だから……これくらいなら、きっと許される」


「誰が許すんだ?」


「…………爺ちゃん」


「お前への判定がガバガバに甘い奴を審査基準におくなよ……」


 リュシュカはクラングランに身を擦り付け、少しの隙間も許さないように懸命に抱きつく。密着した衣服、その先の皮膚、さらにその内側にある自分の心臓の鼓動が暴れていた。


 やがて、クラングランの服の胸の辺りがだんだん湿っていく。


「……また、泣いてるのか?」


 リュシュカは滲んだ声で「泣いてない」と言った。わかりきった嘘なので、そこには触れるなという遠まわしな要求でしかない。


 クラングランが無理に引き離そうとしなくてよかった。だって、こんなにも離れたくない。


 結局リュシュカはクラングランに巻きついて、服の背中の部分をぎゅっと掴んだまま眠ってしまった。



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