求婚(2)
「どこに行くんだ? 部屋まで送る」
クラングランが後ろからついてきて言う。
「えっと、あのう……振られたし、わたしこう見えてちょーっと落ち込んでるから、あそこの小さい山に行きたいんだ」
「駄目だ。もう遅い。明日にしろ」
「クラングラン……振った相手をそうやって心配するのは思わせぶりだよ。夜明けまでには必ず帰るからさ」
リュシュカの足は止まらない。クラングランはぴったりとついてくる。
「わかった。俺も行く」
「話聞いてた?」
「聞いていた。俺のほうがあそこは詳しい。お前は慣れてるとはいえ、それは別の山だ。俺も行く」
これ、聞いてない人の目だ。
リュシュカは諦めて歩き出す。
城から少し離れると途端に灯りはなくなるが、しばらく行けば目が慣れて星が明るかった。二人で移動した短い旅行きを思い出す。
必要以上に困らせたくないと思う理性的な自分もいる。自由恋愛の果てに振られたわけじゃない。彼の事情や気持ちだって聞かせてもらえて大体わかった。
けれど、クラングランといると、すぐに胸の奥が騒いで、駄々をこねてしまう。
昔から感情をすぐに爆発させてしまうリュシュカはラチェスタのところに行ってから、魔術を使うために感情の抑制ばかりを言い聞かせていた。
それは、なかなかうまくいっていない。
怒るなというのに怒っている自分がうるさくて、悲しむなというのに泣いている自分もいる。いつもバランスがうまくとれていない。
だから早くひとりになりたかった。それなのに、無神経でノンデリなこの男はまったくもってそれをさせてくれない。なんの因果か振られたあとに振った相手と山登りだ。
おまけに、その相手は頂上に近い道に誘導して絶妙なタイミングで手を差し出してきたり背を押してくれたりするものだから、異様な速さで山頂へと着いてしまった。
なんだこいつと思いもするが、自分の趣味の悪さによる自業自得感もうっすら感じている。
「この山の何が気になってたんだ?」
「クラングランには関係ないよ」
「……拗ねてるのか?」
「そうだよ! 少しほっといてくれない?」
リュシュカはあたりを見まわす。
「……あんなところに洞窟があるんだ」
見たところ動物の巣穴でもなさそうだ。
「あそこはそこそこ広い。柄の悪い人間が入り込んでることが稀にある。近寄るな」
「クラングランに指図されるいわれはないよ。関係ないんだから」
心が際限なくいじけていく。
クラングランはリュシュカには嘘をつかないと言った。
彼にとってリュシュカは以前から特別な存在だと教えてくれた。好意だって持ってくれている。
だとしたらその上でクラングランの出した答えはやはり変わらない。飲み込むしかないのだ。
それなのに、油断すると涙がじわりと湧いてくる。クラングランに早くどこかに行ってほしかった。
今はここにいるけれど、エルヴァスカに帰ればきっともう二度と会うことはない。
クラングランはほかの人と結婚してしまう。
結局彼も、リュシュカの人生からいなくなってしまうのだ。
悲しい。寂しい。愛しくて、苦しい。
感情が暴れ狂っている。
「リュシュカ、そろそろ帰るぞ」
「クラングラン、わたし今、ひとりになりたいんだってば!」
「なら、部屋にこもれ。こんなとこで拗ねるな」
「ド正論やめて。辺境暮らしだったから拗ねる時は山がいいんだよ……」
「俺がいるのに危険に遭わせられない」
「いないの!」
「…………」
「わたしはこの先の人生で拗ねることがあればやっぱり山にこもるよ。その時は誰もいないんだから」
「…………」
「クラングランは、この先……ずーっといないんだから。ここで帰って」
クラングランは数秒黙った。
リュシュカは、このまま彼が帰ってくれるかもしれないと期待した。
「お前がなんと言おうと……今は俺がいる。帰るぞ」
クラングランはリュシュカの前で背を向け、膝をすくって強引におぶった。
「え……? えぇ!?」
クラングランはあっという間に走り出す。
「……っ、離せ! ちょ、は、はやい!」
人間を背負ってる時に出していい速度じゃない!
いや、出せる速度じゃないんだって。
そのまま猛烈な速さで下山していく。
しかも、来た道と違う。なんで舗装された道が向こうにあるのに、そっちに行くの!?
「えっ、そこ、降りるの? 正気?」
「しっかり捕まってろよ」
体がぐらん、と揺れる。土をこそげながら傾斜を滑り落ちる。それから、またものすごい速さで風を切っていく。顔に当たる風がちょっと痛いくらいだ。
「ぎゃあぁー!」
何この速さ。馬!? 馬並みなの!?
殺される! 久しぶりにクラングランに殺される!
「わ、わああ! クラングラン! 人を背負ってその距離を跳ぶのはちょっ……わ、わひゃあぁ〜」
そこから、だいぶ意識が飛び飛びになった。
周りの風景に注意を払わないほうがまだ耐えられる。クラングランにぎゅっとしがみつき、ちょっと泣いた。
***
「な、なにごとですか!?」
クラングランが、汗だくでぐったりしてるリュシュカをおぶって帰ってきたので、マルセルは腰を抜かした。近くにはアンリエッタもいて、二人で駆け寄ってくる。
「なんのことはない。駄々をこねられた」
「だ、駄々を!? クラングラン様に!?」
「リュシュカ、着いたぞ。降りろ」
「やだ」
リュシュカはクラングランにしっかりとしがみついている。
「リュシュカ……」
クラングランが困った声を出す。
「クラングランが強引におぶったくせに! 何困った空気出してるんだよ!」
「お前が言っても帰らないからだろ。降りろ」
「いーやーだー、もう降りない。ここで生涯を終える。お前はこのまま生きて結婚でもなんでもしろ」
「馬鹿なことを言うな……」
「……お兄様? リュシュカ?」
アンリエッタが目を丸くして、声を上げる。
「お兄様……お兄様が……女性と喧嘩を……?」
アンリエッタを困らせているかもしれないと思ったリュシュカは彼の背から降りた。目をごしごし擦る。
「あ……ごめん。喧嘩してないよ」
アンリエッタは二人をじっと見比べた。
そうして、ぽつりとこぼした。
「……お兄様は、リュシュカとご結婚なさらないの?」
「なぜそうなるんだ」
「今みたいに生き生きしてるお兄様、見たことありませんもの」
「アンリエッタ、感情と結婚は別だ」
「別じゃありません! お兄様の馬鹿! そんな顔しておいて!」
アンリエッタが感情的になって叫ぶ。
「こいつといると気が抜けるだけだ……」
「では、お好きではないんですの?」
クラングランは黙った。彼はリュシュカには嘘は吐かないと言っていた。リュシュカはクラングランの顔をじっと見つめる。
「……こいつは俺に限らず……人の緊張感を解く特技があるんだ。お前だってマルセルだって、すでに毒されてるだろ」
「なら、なおさら……お兄様には気を抜く時間が必要です!」
「アンリエッタ……少し頭を冷やすんだ」
クラングランはそう言ってその場を後にした。
あ、逃げた。そう思った。
マルセルが慌ててその背を追いかけていく。
「逃げましたわね……!」
アンリエッタも舌打ちせんばかりの憎々しい声音で言った。
アンリエッタはリュシュカに向き直った。
「リュシュカ、わたくしは今日、あなたの素性……出自や兄と出会った経緯をマルセルに聞きました」
「あ、そうなの?」
「わからないのです。兄はなぜあなたと政略結婚をしなかったのですか?」
アンリエッタは眉根を寄せて唇を震わせた。
「今日、お二人が一緒にいる姿を見て……ますますわからなくなりました」
そう、彼はリュシュカとの政略結婚を自分で手放し、結局政略結婚をしようとしている。そして、彼はリュシュカを頑なに選ぼうとしない。
なぜか。
彼は今日はっきり理由を言っていた。それは、国のためでもなんでもない。
── 俺は、お前だけは国のために利用しないと決めたんだ。
それはクラングランの、我儘だ。




