求婚(1)
二人はクシャドと合流して、彼がよく行く大衆居酒屋へと移動して、円形のテーブルを囲むように座っていた。
「二人がちゃんと会えたようで、安心したよ」
「ありがとう。クシャドのおかげだよ」
リュシュカははっとした顔でクラングランを見た。
「あれ、でもよく考えたら城に不審者を招き入れる手引きをしたことに……なる?」
クラングランに、クシャドに手伝ってもらったって言っちゃったけど。
クシャドが笑って言う。
「クラングラン様に会いにきたリュシーを城内に入れたことを、この人が責めるわけないだろ」
「……う、うん」
そういや、言った時笑ってたしな。
「みんなで飯が食えて嬉しいよ」
クシャドはそう言ってから、リュシュカとクラングランの顔を見比べる。
「……ただ、俺もいてよかったのか?」
「もちろん。わたし、今日はクシャドに応援してもらおうと思って」
「応援?」
ラチェスタから指令を受けていたというのに、普通にデート(ではない)を楽しんでしまった。
そろそろ何かしないとまずい。
何かしなければ、本当に会えるのがこれで最後になってしまう。リュシュカはとりあえず、素直に説得してみることにした。
リュシュカはクラングランに顔を向ける。
「クラングラン、わたしと政略結婚しよう!」
「あがっ」
直球勝負に出たリュシュカに驚きの悲鳴を上げたのはクシャドのほうだった。焦った顔でクラングランとリュシュカを交互に見ている。
「ああ、悪いな。ちょっと先に政略結婚の予定があるんだ」
しれっと即答で断られた。
そんな、明日のお出かけの予定みたいに言われると余計腹立つな……。
「そもそも、お前にそれを決める選択権はないんじゃないのか?」
「上の許可が出たんだよ〜だから結婚して!」
「ラチェスタの……? そうなのか」
リュシュカはうんうんと頷いてクラングランをじっと見つめる。
「王族の結婚は感情とは無関係だ。俺は国同士の関係を担保するための婚姻の直前で、自分で決めたそれを今更反故にすることはできない」
つらつらと述べられる言葉は言い訳っぽくも聞こえるけれど、クラングランは以前からそう言っていた。
「直前なら大丈夫じゃない? まだしてないならなんとでもなる! ねぇクシャド」
「そ、そ、そうだな……?」
「なるわけないだろ」
「いや、なせばなるって……!」
「お前は政略結婚を何だと思ってるんだ」
クシャドは話の規模の大きさに口を挟めず、手元の塩漬け肉と発酵キャベツの煮込みを小皿に分けながら苦笑している。
「……そしたら、わたしが国にとってもっとたくさん利用価値上げたら気が変わる?」
「いや、断る」
「なんで?!」
「エルヴァスカの王位継承争いに利用されないために、別の国で政治に利用されるならば本末転倒だろう。俺は……お前だけは国のために利用しないと決めたんだ」
リュシュカとクシャドはクラングランをじっと見る。
「前にも言ったはずだ。俺はお前には、誰かに利用されたり、国同士のごたごたとは無関係に自由に生きてほしい。俺は、それを阻む立場には立たない。それだけは……旅をしていた時に、決めたことだ」
クラングランが旅の終わりにラチェスタのところに送ると言った時に、そういった彼の気持ちは聞いていた。けれど、それはあの時ずっと迷っていた彼にとってのきっかけであって、そこまで強いものとは思っていなかった。
彼はあの時にはもう、どうあっても政治的価値が生まれてしまうリュシュカとの結婚はしないと決めていたということだ。
クシャドが塩漬け肉を頬張り、天井を見ながらもくもくと咀嚼した。ごくりと飲み込んでからのんびりと言う。
「リュシーは、ほかに結婚の予定はないのか?」
クラングランは一瞬、「ん?」という顔をした。
「今んとこクラングランを落としてこいって言われてるけど、それがなくなったら……たぶんわたしの自由意思に任されるんじゃないかな。わかんないけど」
ラチェスタが、リュシュカが頼みもしないほかの縁談を用意するとは思えない。
「恵まれてるなあ」
「うん! 爺ちゃんのおかげですっごく恵まれてるんだ」
「いや、その前には大勢に追われて目玉をえぐられそうになってただろ。苦労した自覚を持て」
「それはクラングランと会えたから、全部楽しい思い出だよ」
「じゃあ、リュシーのほうには結婚の予定はないんだな」
「予定はないけど、いつかは誰かと……結婚したい、かも」
「リュシーは結婚願望強いのか。少し意外だな」
「結婚じゃなくてもいいんだけど、わたしは誰かひとり、一生大切にできる相手が欲しい。それで、その人のために生きたい……爺ちゃんが、わたしにそうしてくれたみたいに」
クラングランは黙ってコップの水滴に指を這わせながら聞いている。
「ああ、でももし、自分で見つけられなかったら、わたしもラチェスタに頼んで政略結婚の相手用意してもらおうかなぁ……」
「……っ、おい。なんだよそれは……お前を利用したい奴はたくさんいるんだぞ。自分から利用されにいってどうする。するなら政略以外の……」
「クラングランはわたしのこと振ったんだから関係なくない?」
リュシュカはしらっとした顔で言う。
「そうだな。自分は結婚するくせに、振った女の結婚阻止すんのはちょっと小さすぎる」
クシャドが笑いながら後方支援してくれた。
「くっ……お前ら……」
クラングランはため息混じりに言う。
「お前が俺にこだわるのは、どうせ、初めての友人だからだろ……」
「そうだよ。わたしには、もう友人はたくさんいるんだ。いつまでもクラングランだけと思わないほうがいいよ」
「リュシー、今度は脅迫か。やるなあ」
「わたしはもしその人を愛するって決めたらクラングランのことなんて忘れて……その人を全力で愛せるようにするし、その人に請われればセシフィールにだって攻め込む手助けをするよ。国のためによく考えてみて。わたしを敵にする覚悟はあるの?」
「ふん。お前が魔術を戦争に使うはずがないだろう」
「ぐっ……」
クラングランはリュシュカをよくわかっている。無駄な信頼がアダになった。
「その程度の脅迫で揺らぐようでは王になれない」
どこか勝ち誇った顔をしているのがなおさら憎らしい……。リュシュカはため息を吐いて一度お手洗いへと向かった。
ついでに酒のコップをもらい、戻ってきてまた座る。仕切り直しだ。
「そういえばクシャド、昼間わたしたちが来てたの気づかなかったの?」
「ああ、今日の演習はかなり実戦の作戦に近いからぼうっとしてるとやられるんだ」
「あの演習……クラングランが作ったんでしょ」
「よくわかったな」
「え、そうだったのか?」
「クシャドはあの演習でまだ一度もやられたことがないからな」
クラングランが少し誇らしげに言う。クラングランがクシャドのことを自慢げにしてるのが嬉しい。
「わたしもああいうのと似たやつ、昔ちょっとだけ爺ちゃんにやらされてたんだけど……今思うと軍部で使ってた資料の写し家にたくさんあったな」
「ゾマドの作った演習か。それは見てみたいな」
「わたしと結婚するなら全部あげるよ!」
よく考えたら爺ちゃんの残したものがリュシュカのものかどうか怪しいけれど、たぶんそういうのはラチェスタが回収してるし、頼めば持ち出せるだろう。
「…………まぁ、いつまでもゾマドの背を追っていても仕方ない。見るのは諦める」
「バカ! バカバカ!」
「リュシュカ……酒飲んでないか?」
「もうとっくに十七だし。エルヴァスカの法律では十六から飲めるし」
「いや、そういうことじゃなく……」
その時、店員が来て、リュシュカに手紙を渡した。リュシュカはそれを広げて、表情を変えていく。
「ラチェスタからだ。う、うわ……怒ってる…………うん? これ…………」
クシャドも手紙を覗き込む。
「わたしが言うこと聞かないし、クラングランが承諾しないならもう結婚先決めるって。帰ったら即結婚するって」
「誰とだ?」
「えーとね、エルヴァスカの貴族で……商売やってる……」
「ほう……その白紙の紙にはそんなことが書いてあるのか」
「あるんだよう……」
さっきお手洗いに行くふりをしてわざわざ店員に頼んだというのにバレバレだった。まぁどうせバレるだろうとは思っていたが。
あの手この手で籠絡しようとしたものの、あっという間に打つ手がなくなったリュシュカは目の前にある野菜をひよこ豆のディップにつけて頬張った。とてもおいしい。
「そういえばクシャドは? 結婚の予定」
クシャドは一瞬動きを止めた。彼もリュシュカの食べていたディップをスプーンですくって硬いパンにのせようとしていたが、動揺したのかぽろりと落とす。
「………………えっ、あるんだ!」
「ああ、いや、まだ、そんな感じでも……ないような……あるような……」
「ええっ」
クラングランは知っていたようで頷いている。
それから、照れてしゃべれない彼に変わって説明してくれた。なんでも、危険物の除去の仕事で行った先のお嬢さんがクシャドに懸想して、向こうの父親にも気に入られているらしい。
クシャドは「うおお」と唸って両方の手で赤くなった顔を覆った。
その太い筋肉質な腕には、クラングランを庇って斬られた時の傷痕がまざまざと残っている。
あの時泣いていた彼の顔を思い出したら、胸がいっぱいになった。
「ク、クシャド!」
リュシュカはガタンと勢いよく立ち上がる。
「ななななんだ?」
「わたし、嬉しい……嬉しすぎる……」
リュシュカは咽び泣いた。
こんなに嬉しいことが思いがけず聞けるとは思わなかった。それだけでも来てよかった。クシャドが幸せそうなのももちろん、あの頃と違って個人的な話を隠さずに言い合えるのも、すごく嬉しかった。
「ううう、わたしの分まで絶対幸せになって!」
「いやリュシーもちゃんと幸せになれ」
「難しい! ねーもっとクシャドの話聞かせて!」
そこからはクシャドの恋話を根掘り葉掘り聞いて、お祝いの言葉を何度もぶつけて過ごした。とても幸せな時間だった。
店を出て、クシャドに手を振る。
そうすると、ふっと現実を思い出してしまう。小さくため息を吐いた。
城の近くまで戻ってきた時、リュシュカは立ち止まる。
「クラングラン、わたし嘘ついた……」
「ん?」
「ラチェスタのところに行って、たくさん友達はできたけど……たぶんきっと、クラングランみたいに大切にしたいと思える人はこの先も現れないや。だから、この先何があってもわたしが敵にまわることはないよ」
「…………」
「それじゃね」
リュシュカはクラングランに手を振って王城の門とは別方向に歩き出した。




