セシフィール市街(2)
リュシュカの朝食兼昼食を食べに店に入ると、奥にひとつだけある個室に通してもらえた。王室御用達ってやつなのだろうか。
ただ、店の人との様子を見ていると、どちらかといえばたんなるクラングラン御用達っぽかった。
たぶんクラングランはこういう店で普通に人と混じって食べることもまるで気にしないけれど、周囲が敬意を払って特別にしてくれている。
セシフィールの料理はエルヴァスカともルノイともまた少し違う。
臓物のトマト煮込みもキャベツのポタージュスープも、砕いたアーモンドを散らしたピラフも全部おいしかった。クラングランが一緒だから余計にそう感じる。
夢中でどんどん皿を空けていると、完全に心が一年前に戻っていた。クラングランとご飯を食べているのが、ものすごく自然なことに思えてしまう。
リュシュカはハッとした。
あれから一年経っている、今の状況を思い出したのだ。
同時にラチェスタからの指令も思い出す。
もちろんすっかり忘れていたわけではないけれど、無駄に動いていないがゆえの今の空気感が心地よくて、無意識に後まわしにしていた。
リュシュカはこれからクラングランに婚約破棄させて略奪しなければならないんだった。
そんなことできるんだろうか。
そもそもクラングランは既に一度リュシュカとの結婚を自らの意思でやめているのだ。その気はないと思ったほうがいい。
いやいや、でも、夜会の時、好きって言ってくれてたよね。
だいぶ選択肢を狭めてそういう答えにさせていった感じはあったけど、一応好きって言ってたよね。あんなに嬉しい言葉を忘れるはずもないし、あのあとめちゃくちゃ反芻したもん。でもあれはやっぱり言わせただけだったのかな。
ああでも、そもそもクラングランの基準だと、結婚に好き嫌いは関係ないはずだ。好きは無関係。
「クラングラン、政略結婚相手の候補はたくさんいたの?」
「……そうだな。実際に打診するところまではいってないが、どの国に可能性があって、どこまで条件を提示できるかはいくつか考えていた」
「そ、その全員に……甘い言葉をささやいていたの? こ、こわ……」
「会ったこともないのにささやけるか……お前マルセルあたりに妙なこと吹き込まれてないか?」
吹き込まれたし、だいぶ信憑性が薄いことも同時に察している。マルセルはだいぶ思考に癖がある。あれは自分が見たいと思えばそこにないものもくっきり見えてしまうタイプだ。そして、老人ゆえ、口走った端から無責任に忘れていく。彼がクラングランをしっかり見ているようにはあまり感じられなかった。
きちんと見ていると感じたのはむしろ──
「……昨日、クラングランの妹に会ったよ」
「アンリエッタか」
「クラングランの政略結婚に反対してた」
「……あいつはまだ子供なんだ」
「王族の兄ちゃんてみんなそれ言うの……?」
ややゲンナリした顔で返すリュシュカに、クラングランは怪訝な顔をした。
「わたしの目玉くりぬかせようとした奴の兄ちゃんも同じこと言ってた……」
「そんな猟奇的な犯罪者が“子供だから“ですむわけないだろ! 一緒にするな!」
「うーん、ごめん。確かにアレと一緒にしたらすごく失礼だった……」
でも、兄が妹を侮っているのは同じだ。
アンリエッタはまだ十五だが、彼女なりにしっかりと考えているように感じた。その考え自体は周囲の大人からしたら青いのかもしれないが、まっすぐな彼女自身の想いがあった。
***
店を出て城下街を歩いていると、昨日の少年が昨日と同じ場所に、何人かの子供たちと固まっていた。
「何やってるの?」
「あ、昨日のお姉ちゃん……わあ! クラングラン王子だ! お友達だったの?」
「うん。親友といっても差し支えないよ」
リュシュカがえへんと胸を張る。
クラングランが少年に「ここで何をやってるんだ?」と聞いた。
「あ、うん。鳥の雛が巣から落ちた。まだ小さいから、飛べないみたいで……大人に言ったけど人の匂いがつくと親鳥が世話しなくなるから放っておけって……」
「それたぶんデマだって爺ちゃん言ってた。戻してあげよう……どのみち放っておいたら絶対死んじゃうよ」
「戻してやりたいけど僕らじゃ届かないんだ」
鳥の巣は樹のかなり高い位置にある。登りにくい枝ぶりで、そうとう高い脚立がないと大人でも届かないだろう。
「俺が戻す」
クラングランは雛をそっと受け取り、胸元に入れた。
「え、じゃあ脚立を……」
「必要ない」
クラングランはあっという間に近くの建物の壁を蹴って屋根に登り、そこから太い枝に飛び移る。そこから巣の近くまで移動して雛をそっと巣に戻した。
「わあ! すごい!」
「クラングラン王子格好いい!」
子供達が喝采する中、クラングランはひょいと降りて戻ってきた。
「格好いいね! お姉ちゃんもそう思うよね!」
「うん。屋根に乗ったのに屋根を壊さないとこがすごい……なかなかああはいかないよ。普通は屋根が壊れる」
「壊したんだな……」
「そう。そのあと修繕を自分でやろうとしてさらに酷いことになって……」
クラングランは「目に浮かぶ」と言って楽しそうに笑った。
ふいに、振り向いた少年が首を捻る。
「……友達じゃなくて、恋人だったの?」
「なんで?」
「え、だってお姉ちゃんはクラングラン王子が大好きだって昨日言ってたし……」
「……言ったのか?」
「言ったよ?」
少年はまた二人をじっと見てからにんまり笑う。
「なんか、特別な感じがする」
べつに腕を組んでたわけでも抱き合っていたわけでもない。どこらへんでそう思ったのか。
すぐ背後にいるクラングランの顔を見ると、こちらも少し不思議そうな顔をしていた。
「早く来いよー」と声が聞こえて、少年は「またね!」と行ってしまった。
「そろそろクシャドを迎えにいくぞ」
「うん」
城に向かって歩き出す。すぐそばにある手に、そっと手を伸ばそうとしたけれど、それはもうしてはいけないことだと気づいて引っ込めた。
旅の始まりの頃のように、少し後ろを歩く。
日が暮れかけていた。




