セシフィール市街(1)
「リュシュカ、起きろ」
「んん? メリナ……まだ早くない?」
「寝ぼけてるな……あと、まったく早くないからな。もうすぐ正午だ」
「……クラングラン!」
がばりと跳ね起きる。枕元にクラングランがいた。開いた扉のところには従者のマルセルがいて、困った声で言う。
「わ、私は寝ている淑女の部屋に勝手に入るのはお止めしましたよう……」
「クラングランとは十日以上寝食を共にした関係なんだよ。そんなこと気にするわけがないよ」
あくびまじりで髪をかきあげるリュシュカの声にマルセルがわずかに青ざめた。
「おはよ。すぐ着替えるから出て」
「ああ、扉の外で待ってる」
「あ、そこは気になさるんですね……よかった」
クラングランがマルセルをじろりと睨んで言う。
「お前の思うような関係ではないからな」
「は、はぁ……どういう関係と思えばいいのか私にはさっぱりわかりませんが……」
困った声を遮るように、扉が閉められた。
クラングランはちゃんと、約束通り時間を作ってくれた。
友達として過ごす最後の日々の一日を使って、リュシュカと遊んでくれるつもりなのだろう。リュシュカは張り切って準備して外に出た。
「……そんな服も持っていたのか」
「うん。一応持ってきてた」
リュシュカが着ているのは綿でできた白いワンピースだ。青みがかった薄い緑色の糸で襟元と裾に花と草の刺繍が入っている。簡素ながら可愛くて動きやすくて気に入っていた。
クラングランは王子だから旅の時と違ってちゃんとした格好をしているし、リュシュカも少しでも並んでおかしくない格好にしたのだ。お姫様のドレスには程遠いが、着てきた旅人の格好よりはいくらかましだろう。
「……だってデートでしょ?」
リュシュカは両手を軽く上げて服を見せるようにする。
「そこは答えにくいな……」
「あ、ごめん」
確かに婚約者がいる身でデートとは答えづらいだろう。不用意な発言だった。
「これはラチェスタのとこで買ってもらったんだ」
「……そんなものデートに着るなよ」
「デートじゃないんでしょ!?」
「じゃないとは言ってない」
「じゃあ……デートだったの?」
「……答えにくい」
なんて面倒臭い男だ。苦み走った顔をしているとクラングランがふっと笑う。
「そういえばドレスもその刺繍と同じような色だったな……好きなのか?」
「え……べつに……いつも適当に選ぶとだいたいこの色に……」
リュシュカは話しながら自分の服の糸の色を確認するように見る。それから顔を上げると、クラングランの翡翠色の瞳と目が合い、はっと動きを止める。じわじわと赤くなっていく。
「……な、なんで選んでたか、わかった」
「ん?」
「あの……クラングランの……」
リュシュカは自分の瞳のあたりを指差して、また赤くなり、口をぱくぱくさせた。
「クラングランの……ね、その……目の……っ、ぐぅっ」
「ああ……もう伝わった。そこまで恥ずかしいならそれ以上は無理しなくていい」
「っ、うん。無理しない」
「……服はよく似合ってる。行くぞ」
「うん」
そういえば、クラングランも今日は、旅人とまではいかないが、少しだけ崩した格好をしてくれている。これなら王子と小間使いみたいにならずにすむ。
クラングランと王城内を歩くと、たくさんの人に声をかけられる。
「おはようございます王子」
「王子、ご機嫌麗しゅうございます」
幼い頃から知っている人も多いからか、扱いはそこまで大袈裟でないが、それでも愛されているのが伝わってくる。
クラングランは、偉そうなおじさんに呼び止められて少し話し込み、騎士団の人間に相談事をされ、そのあと料理人らしき人にも何か聞かれていた。
「クラングラン、頼られてるんだね」
「俺は生まれてからずっと、そういう星まわりなんだ」
クラングランは城のエントランスを出るとすぐに騎士団の演習場に向かった。
「イザーク」
そこでは演習の真っ最中だったが、クラングランが呼ぶと、かなり大柄な男がこちらに走ってきた。
「第二騎士団の副団長のイザークだ。昔から世話になってる。イザーク、リュシュカだ」
「ああ、この方が」
どんな話し方をしたのかは知らないが、イザークはリュシュカのことは先に聞いて知っていたようだ。
「あ! もしかして、クシャドとちょっと似てるって言ってた人?」
「ああ」
「似てますかね?」
イザークはくしゃりと笑った。
クシャドに全員で視線をやる。彼は演習に真剣で、こちらに気づいてはいないようだった。
クシャドはずいぶんな早さで出世しているとは思っていたが、その理由は見ればすぐにわかることだった。
リュシュカは長年爺ちゃんだけ見ていたせいで、そこらへんにいる騎士の動きの鈍さや悪さはよくわかるようになっている。
ただ、そんな観察眼がなかったとしてもクシャドが周りと違うのはわかっただろう。
彼は明らかに目立っていた。体が大きいだけでなく動きに無駄がない。周りの動きをよく見ているし、反応速度も速い。爺ちゃんがいたら間違いなく「あいつはセンスがあるな」と言っていただろう。
「さっき、王子が昔から俺に世話になってるって言ってましたけどね」
「うん?」
「確かに幼児の頃は世話してましたけど……ちょっと大きくなってからはまったく動きについていけなくなりましたよ」
イザークはそう言ってまた、くしゃりと笑う。
この、気負いのない感じ。それから目がすごく優しいところも似ている。さっき走ってきてくれたのも人柄が出ている。
少し知っただけですごく好きだと思ったし、この人を好きなクラングランのことがまた好きだと思う。
「今日はお二人でどこかに行くんですか?」
「うん。久しぶりに会えた友達と、ぜんぜんデートじゃないけど、そうじゃないとも言い切れないやつに」
イザークは少しだけきょとんとした顔をして首を傾げる。
クラングランが小さく笑って「リュシュカは、こういう奴なんだよ」と説明にならない説明をした。
「そうだ。イザーク、クシャドはいつから空く?」
「クシャドなら、今日は夕方には全行程が終わります」
「なら夕方にまたここに来る。夕食を一緒に食べたいと、伝えておいてくれ」
「はい」
「ありがとう。よろしく」
城門を出て通りをぶらぶら歩きながら、クラングランに街を案内してもらった。
思えばクラングランと一緒にいる時には常に狙われていたのでここまで緊張感を手放して一緒に歩けるのは初めてだ。
花のたくさんある通り。賑やかな商店街。
街路に渡る煉瓦でできた小さな橋。
クラングランによる場所の解説は歴史的な由来のこともあったし、彼自身の思い出の時もあって、どちらも楽しい。
「クラングラン、一番のお気に入りの場所とかないの?」
「それならあそこだな」
クラングランはすっと指差す先は城の後ろにある小さな山だった。辺境の家の裏にあるのよりもさらに小さい。
「……山好きだったの?」
「よくひとりで行って探検していた……あ、お前のところの危険な山と一緒にするなよ? あれは平和な山だ」
その山はリュシュカの家の裏山とは違い、歩道はすべてきちんと木と石で舗装されている。なんなら馬車も通れる、太い道から外れなければ遭難することはまずないような山だという。
「ふうん」
それでも王族のやることとは思えないけど。
「あの山で夜に寝転んでいると、周りが星しかなくて、海のようだった」
しかも夜! 夜勝手に山に行ってんの!?
リュシュカはたまらず吹き出した。
クラングランはやっぱり昔からクラングランだったんだなと嬉しくなった。




