婚約者(1)
ラチェスタと別れたリュシュカは城に戻った。
クラングランは今日は外せない予定があると聞いていた。近くを従者のマルセルが通りかかったので訊いてみる。
「ねえ、マルセル、今日はクラングランは何してんの?」
「王子が半年後にご結婚されることはご存知ですか?」
「……うん。知ってる」
マルセルはニコニコしながら言う。
「今日はシュトルブルクの姫がご来訪なさるんですよ」
「初顔合わせをするの?」
「いえ、二度目です。両者意気投合してますから、さほど日をおかずして今日の面会が決まりました」
「へえぇ」
「そもそも政略結婚とは名ばかりで、今回の縁談は外交で訪問した際にあちらの姫が王子を見初めて王におねだりしたのが始まりなんです。ですからこちらとしても願ったり叶ったりの好条件ばかりで……いやあ、顔のいい王子のおかげで国が安泰ですよ……!」
ムフムフしてるマルセルの言葉に少しムッとする。
「マルセル、なんだよ、顔顔って、クラングランのいいところは顔じゃないよ!」
リュシュカの気色ばんだ顔に、マルセルはややたじろいだように付け加える。
「そうですね。普通なら流される条件の縁談が受諾されたのも王子が国勢を上向きに立て直してくださっていたからこそです。おかげで国にとって、一番利益のある相手と婚姻を結ぶことがかないました」
クラングランは王族の結婚に感情は加味されないと言っていた。だからやはり、利益、損得、決めるところはそこなんだろう。
「……どーせ政略結婚するんなら、あの時わたしとすればよかったのに……」
不満げにぼそりとこぼしたリュシュカを、マルセルはぽかんとした顔で見た。
「…………ええっ、それは聞いておりませんぞ! そんな話があったんですか?」
「すごく前に……あったけど、クラングランがなくした」
「なんと、リュシュカ様……すでにたぶらかされて振られてらっしゃったとは……まったく、王子も隅におけませんね」
「たぶらかされてはいるけど、振られてはない! ん……あれ?」
クラングランは婚約者をしれっと作ってるのだから、すでに振られているという見方も……できなくはないな。
マルセルはうんうん、と納得したように頷く。
「なるほどなるほど、惹かれ合う二人の前に、昔の女が鼻息フンフン荒くさせて押しかけてきて邪魔をする……これは市井で流行りの乙女向けの恋物語でよく見る展開ですね」
「え、わたしそのポジションなの!?」
リュシュカは不満げに鼻息をフンフン荒くした。
マルセルは目を閉じ、どこかしみじみした顔で首を横に振る。
「リュシュカ様……申し上げにくいのですが……王子はもう貴方様の知る王子ではありません……お変わりになられたんですよ」
「……どうお変わりになったの?」
マルセルは拳を振り上げ高らかに言った。
「あの方は……真実の愛に出会い、変わられたのです!」
「……しんじつの……あい?」
「ええ、ええ、そうなのです。そもそも以前のクラングラン様はあんなにそつなく女性をエスコートできる方ではありませんでした……無駄に正直で口を開けば余計なことばかり、せっかくのお顔が台なし……それが……それがですよ!」
「うん?」
「今回は顔合わせからそういったことがまるでなく……常に優しく! そつなく相手を思いやれる! 完全無欠のパーフェクトイケメンになられたんです!」
「それ単に大人になっただけじゃないの?」
「違いますよ! 恋に落ちたからに決まっているじゃないですか!」
恋。クラングランが? 恋愛遊戯なんて遠慮したいとのたまっていた魂がモテないノンデリ男のクラングランが? 王族の結婚に恋愛感情なんて絡めるか? それに、それなら……。
「クラングラン、前に、わたしのこと……好きって言ってくれたけど……」
マルセルはしばらく遠くを見て考え込んでいたが、オホンと咳払いをした。
「……あくまで私の想像にすぎず、申し上げにくいのですが……もしかすると王子は以前は……政略結婚できそうな相手の多くにそんなことを言ってらっしゃったんでしょうね……」
「えぇっ、そ、そうなの?! 思ったよりとんでもないんだけど……」
「はい。世のイケメンはろくなものではないのですよ! いい勉強になりましたね!」
「……じゃあやっぱりわたしがこれからたくさん政略価値を上げればいいってこと? そしたら政略結婚できる?」
「無駄に前向きですね……」
マルセルは顎髭を撫で、首を横に振る。
「しかし、それは過去のことです。何度も申し上げますが、王子は今や婚約者の姫に出会ってお変わりになられたんです! 真実の愛に出会った今、昔していた女性への数々の酷い言動はしれっと忘れて一途に目覚めておられるはずです!」
「ほん」
「こういってはなんですが、リュシュカ様……真実の愛に目覚めた二人の間に、昔ちょっと関係した女が大国から権力にものをいわせて政略結婚をねじ込み引き裂こうとするなんて……それはさすがに……お酷い……市井で流行りの恋物語でいうならば馬に蹴られて死ぬ役どころですよ……!」
「……真実の愛ねぇ」
「そうですそうです! 愛なのです!」
リュシュカはマルセルの襟首をぐっと捕まえて言う。
「ならそれ、見せてもらおうじゃないか」
「え?」
***
「王子にバレたら怒られますよ!」
「マルセルだって本当は気になってるんでしょ?!」
リュシュカはマルセルと共に城の見張塔の露台にいた。
近くには大砲があり、その陰から城の裏手にある小さな湖畔を見ている。
視線の先にはクラングランと、婚約者のシュトルブルクの姫がいた。
婚約者の姫は金色の髪と紫の瞳の、それはそれは儚げで美しく可愛らしい姫だった。マルセルが真実の愛を連呼するのもそのせいかもしれない。
クラングランが微笑みながら何か言うのに、姫もほんのり頰を赤くさせ、はにかみながら答えている。
確かに、クラングランとは思えないような表情をしている。
それは完全に御伽話の世界の絵面だった。
「ご立派になられました……」
マルセルはじんとした声でもらし、目頭をハンカチでそっと押さえた。
「あっ……リュシュカ様……!」
白目気味になって倒れているリュシュカに気づいたマルセルが慌ててリュシュカの肩を揺さぶる。
「リ、リュシュカ様! なぜそんな状態になるのに見たいなんておっしゃったんですか! ドMなんですか?!」
「ううう……」
「リュシュカ様! 白目の割合がさらに上がっておられますぞ! しっかりなさってください!」
「う、うるさい……耳元で叫ばないで……あと声がでかいよ! そんな叫んだらあの人すぐに……」
案の定はるか下方にいるクラングランがこちらを見上げた。
そうして、ふっと呆れたように微笑んで、また姫に視線を戻す。
「ほら気づかれたじゃん……」
「この距離で気づきませんよ」
「マルセル、わかってないなあ……アレ人外なんだよ!」
「な、何おう!? そんなことは幼少のみぎりから私のほうがわかっておりますとも! 王子は五歳の時にすでに護衛を振り切って勝手に市街を散策して城中大騒ぎにさせたんですよ!」
「えー、可愛いな。何してたの?」
「呑気に露店の焼き林檎を食べてましたよ」
「お金あったんだ」
「持ってませんよ。あの顔で店の人にタダでもらったんです……」
「あっはっはっ!」
リュシュカは笑った。そして急に現実を思い出す。
「はははっ……はは……はぁ……」
リュシュカは身を乗り出して叫んだ。
「クラングランの……ばかー!!」
大声で叫ぶと少しだけスッキリしたけれど、それは一瞬だけだった。またすぐに波のような怒りが押し寄せてくる。あと十回くらい呪詛を叫びたかった。
再度身を乗り出して息を大きく吸う。
マルセルが慌てた顔で背後から引き戻そうとしてくる。
「リュシュカ様! 国の王子への罵倒を大声で叫ばないでください! 聞こえますよ」
「聞こえないよ! さっき見つかったから十中八九もうそこにはいない」
マルセルが小さく身を乗り出し、きょろきょろとする。そこにはすでにクラングランの姿はなかった。
「ほらね」
「あら〜どこにしけこんだんですかねぇ?」
「やかましいわスケベジジィ」
マルセルと一緒に下を覗いていると、すぐ近くに人影がふっと現れた。
「お兄様のーーーっ、大馬鹿者ぉーー!」
「に、似たような呪詛を叫ぶ人が!?」
「アンリエッタ様?! なぜここに!」
そこには、亜麻色の髪に翡翠色の瞳の少女が怒った顔で立っていた。




