セシフィール王城(2)
クシャドの手引きで研究棟に忍び込んだリュシュカは秒速で、そこを歩いていた老人に見つかり揉めていた。
「だーかーらー! コソ泥とかじゃないの! ただ、クラングランに……!」
「だーまらっしゃーい! お前のような怪しいコソ泥ストーカーを王子に会わせるわけにいきますか! この従者マルセルに成敗される前に出ていきなさい!」
「またそれ? そういうんじゃないんだってば! 恥ずかしいからやめてよ! 本当に友達なんだってば!」
「友達がコソコソ忍び込みますか! 王子に見つかる前に追い出してあげる優しさに感謝なさーい!」
老人が大きく杖をブンと振りまわしてくるそれをひょいと避ける。
「あ、会わせてもらえれば証明できるって!」
「そうやって会おうっていうんですね! 騙されませんぞ! このコソ泥ストーカーめ!」
「もー、なんで話通じないんだよ……!」
「いやいや! わかってるんですよ! どうせあの顔面に懸想する不埒な輩でしょう! かわいそうに! 中身を知ったら失望しますよ! さっさと出ておいきなさい! 不審者め!」
従者を名乗る老人がさりげなくクラングランにまで失礼なことを言いながら、またへっぴり腰で杖をバシバシ振りまわす。
「うわ、危ない!」
「くっ、ちょこざいな!」
ひらりと避けると、老人の振り上げた杖がそこにあった置物の大きな羅針盤に直撃し、ガシャンと倒れた。
「器物破損ッ!」
老人が怒りでプルプルし始めた。
「ど、どう考えてもわたしがやってない!」
「み、皆の者! 曲者ですぞ! 誰か捕まえろー!」
老人が叫ぶと近くの扉がいくつか開いた。
「助太刀いたしますぞー!」
中から長いローブを身に纏い、書物や物差しやハタキを武器に構えた人たちがわらわらと出てくる。
しかし皆研究者なのだろう。時間帯なのか、エリアなのか、見事に老人ばかりだった。
「儂が来たからには……! もう観念するといい!」
「ひゃ、白昼堂々王子を狙うとは……不届き千万じゃあ!」
「ちょちょいと捕まえて追い出してしまいましょうぞ!」
目の前では物差しやハタキをヒュンヒュンと構えようとして取り落としている老人たちが鼻息荒くしている。少し遠くの部屋の扉も開いて、その数はまだ増えてきている。
うわあ、ちょっと大事になってきた。
本気で捕まって牢にぶち込まれたらどうしよう。
クシャド……本当に脱獄させてくれるだろうか。
これ以上の問答は無駄と判断したリュシュカはそこから駆け出す。
「ああっ逃げた!」
「捕まえろ!」
「ま、まちゅなさぁ〜い!」
追っ手は全員かなりヨロヨロしていて、ものすごく遅い。追いつかれる心配はまずなさそうだ。
リュシュカは背後に老人たちをぞろぞろと引き連れながら走った。
「はぁ、ぜぇ、ひゃくまんねん牢屋にぶちこんで……はぁ、やり、まふ、ぞ……!」
背後からは瀕死気味の声でだいぶ物騒な言葉が聞こえてくる。リュシュカは連絡通路を目指すため、階段を駆け上がる。
「階段は足腰に堪える……」
「ヒィ……もう……無理です……」
「ひ、ひゃたしはここで、あとは……頼みっ、ました」
追加で来た老人たちが早くもポロポロ脱落し始めている。
「ひゅぎょうッ!」
「あぁっ、エドモント殿が転んだぞ!」
「大丈夫ですかエドモント殿!」
「ひぃっ、おっ……お迎えがぁ……」
「エドモント殿ー!!」
なに、ちょっと……大丈夫なのか。心配だぞ。エドモント殿。気にはなるが立ち止まるわけにいかない。
リュシュカは走りながら窓の外を見て確認する。たぶんここが外から見えた連絡通路だ。
大丈夫。だいぶ異様な状況ではあったけれど、それでもちゃんと城のほうに来れている。
背後からは相変わらず老人たちがゼェハァ言いながらヨロヨロと追ってきていたが、だいぶ距離が空いていた。
これなら一度別方向か、どこかの部屋に身を潜めて全員撒いて、それから改めて移動したほうが投獄のリスクは減るかもしれない。
そんなことを考え、あたりを見まわしていると、背後から悲痛な叫びが聞こえてきた。
「んごぁッ! 腰がぁっ!!」
振り返ると先頭にいる従者を名乗っていた老人が壁に手をつき、プルプル震えていた。
リュシュカは立ち止まって口を開け、しばらく老人の悶絶を見ていたが、だんだん心配になってきた。
「だ、大丈夫……? ふだん運動不足なのに急に走るからだよ」
リュシュカはなんだかんだ爺ちゃん族には弱い。
結局引き返して駆け寄り、余計なお世話を言いながらそっと横向きに寝かせる。老人はされるがままで、プルプルしていた。
追加の爺さんたちも遅れてやってきたが、全員汗だくでゼハゼハいっててフラフラだ。すぐにはしゃべることもできないし、もちろん捕まえることなんてとてもできそうにない。
「うわあ。みんな水飲んだほうがいいよ。あのね、うちの爺ちゃんは百歳過ぎても毎日スクワットしてたよ……こんなふうになるならもう少し普段から……」
「だっ、だまらっしゃ……んいったぁぁあ!」
「あー、腰はちゃんとしないと癖になるよ……毎日椅子に座りっぱなしの仕事だと姿勢にも気をつけないとね。毎日少しずつ運動することで急激な運動にも体が痛みにくくなるし、頭脳労働でも基礎体力をつけることは集中力の上昇にもつながるから……」
このへんはいつもラチェスタに言われていることだ。自分の弁舌のようになめらかに披露してしまっている。
そっと老人の腰をさすりながらお説教をかましていると背後から声がした。
「なんの騒ぎだ。マルセル」
「あぁあっ、王子! 怪しい不審な侵入者ですぅ! す、しゅぐに牢にぶち込みますから!」
マルセルがひっくり返った声を出す。
「侵入者? どこにいるんだ?」
「この、目の前で私の腰をさすってるこいつです!」
リュシュカは振り返れなかった。
焦がれて止まない相手がもうそこにいるのがわかっていたからだ。
クラングランだ。
心臓が一気に速くなる。
あんなに会いたかったのに、怖くて顔が見れない。
「……き、急に大人しくなりましたが、さっきまでものすごい勢いで器物を破損させながら爆走しておりましたぞ!」
「エドモント殿は果敢に戦って散りました!」
色々余計な尾鰭がついて、エドモント殺しの冤罪までかけられている。
クラングランの足音がゆっくりと近づいてきた。
「あっ、王子、こいつは王子を狙う変態女ですから! あまり不用意に近寄らないほうが……!」
クラングランはすぐ傍まで来て屈み込み、リュシュカのフードをはらりと下ろす。
現れた黄金の瞳と鮮やかな光沢ある黒髪に、リュシュカを追いかけていた老人たちが息を呑む。腰を抜かした老人もいた。
「リュシュカ、お前……なぜここに」
「あ、あのね……」
リュシュカは少しためらったあと、顔を上げて言う。
「会いにきちゃった」
クラングランの瞳が揺れた。




