セシフィール王城(1)
セシフィールの城下町に入ってすぐ、リュシュカはラチェスタに短い手紙を出した。
【リュシュカです。
セシフィールにいます。元気です】
断固として連れ戻されたくはない。
かといってあまり無駄な心配はかけたくないので仕方ない。
セシフィールは王子自ら田舎というだけあって、そのほとんどはのどかな牧草地だった。けれど、市街地は建物のひとつひとつが色鮮やかで美しく風景と調和している。
街には可愛らしい色合いの屋根の建物が立ち並び、軒先に花を咲かせている家も多い。
エルヴァスカのような華美なキラキラさはないが、それでもこぢんまりとした綺麗な国の印象を受ける。
甘い匂いの漂う通りを抜け、賑やかな目抜き通りに出ると、少し先に城の屋根が見えた。
リュシュカは気持ちが急いて走った。クラングランがすぐ近くにいるかもしれない。早く会いたい。そう思うだけで、心臓のドキドキがおさまらない。
城門前まで来て辺りを見まわす。王城周りは思ったより警備が厳重だった。
これまたなんとなくもう少しのどかな城を想像していたので意外に思う。
いや、防壁や大砲のいくつかは真新しい。これはきっと最近になって改築されたものだ。
それにしても困った。
たとえばすぐそこに立っている門番の騎士、おそらく爺ちゃんと比べたら大した強さではないのだろうが、それでもリュシュカがそこをするりと抜けられるかというと、できない。だって人間だから。
どう言えば中に通してもらえるんだろうか。
なんて名乗ればいい。正直に友達に会いにきましたって言って国の王子に会わせてもらえるもんなのだろうか。
リュシュカはとりあえず、そうしてみることにした。
「あのー、リュシュカと申します。クラングラン王子にお会いしたいんですが」
門番は上から下までリュシュカを見たあと生温かい目を向けて言う。
「帰りな。そういうのは受け付けてない」
「そ、そういうのって何? あっ、わたしはそういうんじゃないよ!」
「はぁ……あんた、クラングラン王子が好きなんだろ」
「す、好きだけど……わたしは憧れとかじゃなくて真剣なの! 一緒に旅もしたんだから!」
「あ、危ねえやつだな……」
「ち、違う……違うの!」
これ以上何を言っても藪蛇にしかならないと、リュシュカは真っ赤になってその場を引き上げた。友達に会いにきただけで、なんでこんな恥ずかしい思いをしなきゃならないんだ……。
別の門はないだろうか。今度は変なことを言わずにちゃんと友達だって言えばいい。
……同じことな気がする。
門以外から入ってしまえばいいと考えたが、たぶんクラングランが改装してるっぽいから、怪しい人間がやすやすと侵入できるような場所はないだろう。
わりと早急に詰んだ。
しかしここまで来て、このまま帰るのは論外だ。
リュシュカはうんうん考えながら城の周りを歩きまわった。そうすると、先ほどとは別の門があり、中から騎士たちが何人かぞろぞろと出てくる。
リュシュカはその中に、ひときわ大きな男を見つけた。
「──クシャド?」
思わずその名前を口に出して呼んだ。
振り向いたその人はリュシュカに気づくとすぐにニカッと破顔してくれた。
「リュシーじゃないか!」
「わああ! やっぱりクシャドだ!」
二人は互いに駆け寄って再会を喜んだ。
「本当にセシフィールに来てたんだ!」
「ああ、あのあと……数日後にはもう向かったよ」
クシャドは前に会った時とは全然違っていた。
いつもどこか小さな怯えを含む胡乱な瞳をしていた彼は、明らかに生き生きしている、瑞々しい笑顔だった。こちらに来て生活が充実しているのだろうというのが聞かずともわかる。
「今は第二騎士団の副団長補佐をやらしてもらってるんだ」
「えっ、すごい……!」
少なくともあの旅が終わってから訪ねているはずだから、どんなに早くとも一年位しか経っていない。ずいぶんと早い出世だ。
「リュシーはどうしてここに? あのあとエルヴァスカに帰ったって聞いてたが……」
「うん、しばらくエルヴァスカにいた。それで……今日はクラングランに、こっそり会いにきたんだ」
クシャドは面食らった顔をした。
「こっそり? なんでまた……」
「後見人に言うと、公式になっちゃって色々面倒なんだ。そういうんじゃなくて、もっと……ただ、友達として会いたくて……」
「ああ……」
「……そしたら門番が通してくれなくて……クシャドと一緒なら入れる?」
「中に騎士団本部があるから敷地の中には入れられるけど、城の中のほうは……今ちょっと厳しいんだよなあ」
「そうなんだ……」
「あ、急だとあれってだけで、もちろん先に話を通せば会えるよ。一日、猶予をもらえれば……俺が、なんとか隠れて会えるように……」
「わ、本当!?」
それは、ありがたい申し出だった。
ぜひお願いしようと口を開けたリュシュカだったが、ふっと動きを止めた。
「……やっぱいい」
「え、なんでだ?」
「それだと……会えないかも」
クシャドは不思議そうな目で、リュシュカを覗き込むように小さく身を屈める。
「あのね、少し時間が空いたから……もう友達じゃなくなってる気がして……それが怖いんだ」
そうやって先に情報を与えると理由をつけて避けられるかもしれない。そんな危機感が過ったのだ。
「それは……大丈夫だよ」
クシャドは穏やかに笑って言う。
「ゼルツィニの街で三人で飯食って、遊んだ時……あの時、クラングラン様はすごく楽しそうだった。俺はこっちに来て彼が笑ってるのは何度も見たけど……それでもあそこまで楽しそうな顔は一度も見てない」
「…………」
「あの笑顔はリュシーが作った」
「……でも今、クラングランが何考えてるかわかんない……」
クシャドは少し考え込んでから言う。
「まぁ、わからんでもない……最近は俺もめっきり会えてねえんだ。来たばっかの頃はよく二人で飲んだりもしてたんだが……ここんとこはなんだか忙しそうで……」
クシャドは小さく息を吸ってから、「少し、変わった気がする」と言った。
「ましてや他国にいて話だけ聞いてたんじゃ、不安にもなるよな……」
すんなりとそう言ってくれるクシャドはやっぱりとても優しい人だと感じる。
「うん。怖くて……でも、会いたい」
「うん……」
「わたし…………クラングランが好きなんだ」
すごく小さな声で、だけどはっきり言った。彼を知る人に、直接言葉にして言ったのは初めてだ。口に出すだけで、頬がわずかに熱を持つのを感じる。
婚約者のいる王子のことが好きで、会いたいのだと。
この国でほかの誰に言ったとしても“だからなんだ“と言われてしまう言葉だ。
けれど、クシャドなら、きっとそこに込められた切実さも、意味も、痛みも、きちんとわかってくれる気がした。
クシャドは黙って、頭をかいた。
「おーいクシャド、そろそろ店に行かないと、昼飯食い逃すぞ」
いつまでも立ち話をしていたから、離れた場所で待っていた騎士たちがせっついてくる。
「あ、悪い。先に行っててくれ」
クシャドが仲間たちに言った。
それからリュシュカに向き直って言う。
「とりあえず、城の中に入って、探してみるといいんじゃないか」
クシャドはリュシュカを連れて城門を入ると、少し離れた建物を指して言う。
「俺が今、研究棟の前までは連れていってやる。あそこの二階の連絡通路を経由すれば城の中に入れる」
クシャドは研究棟の前に着くと連絡通路を指差し、先に位置を教えてくれた。
「研究棟って人少ない?」
「そこそこはいる。けど、あそこなら見つかっても撒ける」
「っ、うん?」
「万が一不審者として牢に入れられたら、その時はどんな手を使っても俺が出してやる」
「ありがとう」
「会えるといいな」
「絶対会う!」
リュシュカはクシャドと拳をこつんとぶつけ合い、研究棟に向かった。
入口をそっと覗き込む。確かに人通りはあるが、途切れる瞬間もあるし、大した警備もない。
よーし、見つからないようになんとか城まで行くぞ。
フードを目深に被り、リュシュカは研究棟に足を踏み入れた。
クラングラン、待っていろよ。




