躍進
夜会の夜から半年ほど経ち、影の薄い消えかけの弱小国であったセシフィールは目覚ましく国力を増していた。
国境沿いの小競り合いから発展した戦争で喧嘩を売ってきた相手を驚くほどの短期間で、最小限の被害であっさりと返り討ちにして領地とし、その後危機感を募らせ潰してこようとした周辺諸国相手に次々と戦略的な成果を上げ、経済的にも伸びている。
セシフィールは軍事的、経済的、文化的にも、時代に合わなくなった旧体制の様式を廃止し、他国の新しい制度や様式をどんどん取り入れて国そのものが急激に変わっていっている。
あまりの変貌に、少し前までの王と人が変わったようだと噂されている。
リュシュカは確信していた。それは、クラングランだ。
ラチェスタは以前はリュシュカが聞くたびにセシフィールとクラングランのことを教えてくれていたが、最近は聞かなくても教えてくれるようになった。
ラチェスタはセシフィールの政治的、戦略的な動きに対しても、次はどう動くか予想して、覆された時にも楽しそうにしている。
その態度から察するに、クラングランの動きを見るのは面白いのだろう。少し前まで無名の小国だったセシフィールは注目を集めていたし、今あの国を侮る人間はそういない。
そしてそれはおそらくラチェスタだけではない。クラングランはその美麗な姿を衆目にさらさずとも、人目を惹く若々しく精力的な魅力を発揮していた。
陽の当たる部屋で、リュシュカはラチェスタの執務室の彼の椅子で身を丸めて日向ぼっこをしている。
窓のそばに立っているラチェスタが楽しそうに話していた。
「……正直ここまでとは予想外でした。もちろんエルヴァスカには及びませんが、今のあの国はわざわざ貴方を武器として備えずとも、立派に周辺諸国とやりあえる器になりつつあります」
「そう……なんだあ」
リュシュカはずっと、変わっていない。よく知らない人のところに嫁ぐくらいならクラングランの役に立ちたいと思っていた。
けれど、クラングランには、リュシュカはもう必要ないらしい。
「そしてこのタイミングで、半年後にベンクルラン王の生前退位が発表されています。大躍進の最中にこの決断があったことから、ここ最近の動きは全て次期王によるものだったと思っていいでしょう」
つまり、半年後にはクラングランが王になる。
それは喜ばしいことなのかもしれない。
そして、ラチェスタが続けた言葉にリュシュカは呼吸を止めた。
「それと同時に王位継承予定の第一王子はシュトルブルクの姫君との婚姻も予定されているそうですよ」
「シュトルブルク?」
「ええ、あの周辺に乱立した国々の中ではルノイを除けば最も大きな国です。少し前ならば婚姻は成立しなかったでしょうが……波に乗った状態でうまくことを運びましたね。今後の貿易や経済政策も絡んだかなりの好条件で進んでいるようです」
「そ……そうなんだ」
答えながら胸がツキリと痛む。それを言うラチェスタの顔は驚くほどいつもの無表情だった。
「夜会ではてっきりまだ貴方を取り込むことを諦めていないのかと思っていましたが……私の見当違いだったようですね」
「え? なにそれ」
「彼はもともと貴方と結婚しようとしていたんですよね? 私の前で、まるで貴方を愛しているかのように振る舞っているのではないかと考えたんですよ」
クラングランはリュシュカを嫁にしようとしていた。今はもう後見人のラチェスタの許可がなければできない。
けれど、逆にいうと、ラチェスタの許可さえあればまだ可能だった。
国に政治的な強さが欲しいと言っていたクラングランが、リュシュカを愛しているかのように振る舞ってもおかしくない、ということらしい。ラチェスタはわかりやすい利益や損得でものごとをはかる傾向がある。
その時ようやく、先ほどからの無神経にも感じられるラチェスタの言葉の数々の理由を理解した。
ラチェスタはずっと、リュシュカのクラングランに対する感情を測りかねていたのだろう。個人的なことではあるし、そこに直接触れてきたことはない。
ただ、ラチェスタは夜会で彼を見て、リュシュカが最も敬愛する人物とどこか似ている彼の個性の一端に触れた。そのことでリュシュカが彼に抱く感情が思いのほか重いものだと理解しはじめている。
だが、その上でまだ、クラングランのことは信頼に足る人物ではないと思っている。だからリュシュカに釘を刺しているのだ。
「ラチェスタ……クラングランはそんな奴じゃないよ」
リュシュカは、クラングランには縁もゆかりもないのに世話になった。
命を助けられたし、話もたくさん聞いてもらった。優しくしてもらったし、友達にもなってもらった。彼に恩返しをしたい気持ちはあったし、なにより彼のことが好きだ。クラングランが国のために結婚したいというのなら、リュシュカは構わない。でも、彼はそれをしなかったし、きっとこれから先もする気はないのだと感じている。
あのキスだって、リュシュカがねだったものだし、もう会わないという決意表明のようにも感じられた。だから嬉しいはずなのにいい思い出になりきれず、どことなくほろ苦い記憶として想起しにくい場所に置かれている。
「クラングランは……わたしを利用することは、考えたことはあったかもしれないけれど……ずっと迷っていたし、結局そうする気はなかったよ」
「なぜですか?」
「爺ちゃんがわたしに与えたがっていたものを、理解したから」
「…………」
「結局ラチェスタのところに送るって言ってたんだよ。わたしが嫌がってるのにね」
「それは……初耳ですね」
「……嫌な奴だよ」
「為政者としては青すぎるほど青いですが……人としては誠実かと」
「わかってるよ」
リュシュカはクラングランが変わり始めているのを感じていた。
夜会の時はまだ前と同じように話せた。
けれど、結局最後は突き放されたような感覚だった。
もし、次に会うことがあったとしても、その時にはもう他人みたいな顔をしているかもしれない。そんな恐怖がうっすらと湧いている。
──もう、二度と会えないかもしれないしな。
あの日つぶやくように言ったクラングランの言葉が頭にこだましている。
そしてそれはじわりとした焦りとなり、リュシュカの日々を浸食している。
このままだと、彼は手が届かないくらい遠くにいってしまう。
「エルヴァスカ王の落とし子」第二章・了




