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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第二章 新しい生活
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夜会(2)


 夜会は確かにラチェスタの言う通り、なんか立派な会場だった。

 そこにはなんか金持ちそうな人たちがたくさんいたし、なんかすごそうな楽団がいたし、なんか高級そうな食べ物もあった。


 しかし、リュシュカにとってはやはり、なんかすごいだけで、ただ退屈で、どうでもよい催しだった。予想通り、馴染めそうにない。


 おまけに、なんか高級そうな食べ物ですら、ラチェスタに連れられて人に紹介されているとろくに食べられない。


「こちらは私が特例後見人を務めておりますリュシュカです。政界とは関わらせない養育を考えております」


 リュシュカはそんな文言で何人もの人に紹介されたが、誰の顔も覚えていない。興味も湧かず、脳内で出身地を推測して分類する遊びをするくらいしかできなかった。

 ラチェスタはラチェスタで、本当にひっきりなしに男にも女にも話しかけられる。そうして、紹介と挨拶が終わったあとも話し込んでいたりする。


 お腹は減るし……退屈だし……ここが地獄か。


 もう帰ってもいいかな。

 そっとそこを離れようとすると、ラチェスタが振り向いた。


「リュシュカ、もう少し待っていてください」


 外向けのやわらかな笑顔で言われて、怖くなってスンと背後に待機する。

 ラチェスタの話は終わらない。

 リュシュカは理解した。会場は広く、おめかしした若い女性の姿も、食事を楽しむ紳士の姿もあった。しかし、ラチェスタは完全に仕事でここに来ている。


 再びススス、とその場を離れようとすると、ラチェスタが振り返る。背中に目でもついているのだろうか。


「お腹減ったからちょっと何か摘んでくる」


 ラチェスタは無言で見てくる。圧がすごい。


「……勝手に帰ったりしないから」


「なら少しの間だけ、許可します」


 これ以上ここに待たせておくのも限界と判断したのか、ラチェスタが承諾した。


 リュシュカは歩きにくいスカートをそっと持ち上げ、いそいそとそこから離れた。

 ラチェスタといると、一緒になって挨拶しなきゃいけない相手が多いのだ。ひとりでいたほうがいくらかマシだ。


 リュシュカはいくつか『なんかすごい』食べ物を口に入れて腹を満たすと、壁際に寄りかかってまた息を吐いた。

 ぎゅうぎゅうのコルセットに歩きにくいドレス、走れないヒール。全裸になっても守り切らねばならない高価なイヤリング。

 この格好は生きてるだけで疲れる。

 少し休もう。リュシュカはここに知り合いもいないし、ひとりでいれば声をかけてくる人もいないだろう。


 しかし、その思惑は大きく外れていた。


 足元を見ていて、人の影が差したので顔を上げると、特徴的な光沢の入った黒髪に鮮やかな紅い瞳の男がいた。年齢は見た感じ二十代後半くらい。


 見た瞬間、全身に鳥肌が立っていた。壁を背にしているのに無意識に後ずさろうとしてしまった。


 顔立ちは整っていて、正装もさまになっている。

 それでも、ものすごく禍々しいものを感じる。

 これは、相当やばい奴だ。一瞬でそう確信する。


「イオラス・デル・エルヴァスカ・ブルームだ。リュシュカ、君とは腹違いの兄妹となる。よろしく」

 

 イオラス。ラチェスタによると、ものすごく好戦的で邪魔者全部消しちゃう系のサイコ王子。ソロンとは別方向でアレな王子。


 だって目つきがもう普通じゃない。

 この目は、ついさっき三人殺って死体は全部食べてきました! まだ食うけどさ! みたいなギラギラした殺人鬼のそれだ。

 身に纏う空気は真冬の豪雪地帯のように冷え冷えとしていて、ぞっとした。


 教わったはずの淑女マナーなんてどこかに飛んでいった。早急に逃げなくてはならない。


「ど、どうも……リュシュカ……でした!」


 適当に返事をして、へらへらしながら超速でシャーッと逃げた。こわいこわいこわい。


 なんだアレ。どんな育ち方をしたらあのくらいの年齢で、あそこまで醜悪で邪悪な生き物になれるんだろう。


 逃げたはいいが気にはなったので遠くから少し観察した。

 美形ではあるからか、それともあの見るからに嗜虐的な感じが魅力的に映る場合もあるのか、ほかの女性は普通にうっとりした視線を向けている。鈍感なのか、豪胆なのか。あの禍々しさにやられないのはすごい。


 ラチェスタが咎めるような顔で彼に声をかけているのが見えた。

 もしかしたらリュシュカに勝手に声をかけたのを見ていて、そのことについて何か物申してくれているのかもしれない。


 ラチェスタ、さすがだ。よくあんなのとまっすぐ見つめ合えるな。

 遠くから見ているだけで疲れるので、目を逸らすことにした。こういう時こそラチェスタに任せるべきなのだ。リュシュカはこの時初めて彼を、心から頼れる後見人だと思った。


 しばらくすると、意地悪そうな女が三人ほど連れ立って話しかけてきた。


「あなた、何番目かの姫なんですって? ずっと僻地にいらしたようですけど、夜会は初めてなんじゃなくて?」


「ふふ、初めてですわ〜。わかります?」


「お食事の仕方はご存知なのかしら? フォークの使い方は知ってますの?」


「はい〜、一応存じてますわ〜」


 適当に笑顔で返す。とにかく愛想良くしろと言われていたからだ。

 女たちはリュシュカに向かって一生懸命失礼な単語を混ぜながら嫌みを並べ立ててくる。

 でも、さっきのイオラスに比べたらただの人間だったので何も気にならない。へらへらと流すことができた。名前も覚えられなかった。


 それから知らない男が自己紹介してきた。ぼんやりと、異国の人だな、と思う。ああそうか。今日は外国からの来賓も多いんだっけ。

 そのあと、好色そうな男も話しかけてきた。

 その次は知らない男に「踊りませんか」と言われて断った。

 また別の嫌みな女たちが現れて、遠まわしで慇懃な悪口と自慢を遠まわしに述べると、満足したのかいなくなった。


 リュシュカに関心がなくても、存在が悪目立ちしているし、関心をよせられているようだった。


 夜会……びっくりするほど楽しくないな。


 ラチェスタは楽しいものだと言っていたけれど、こんな苦行みたいなものに頻繁に参加させられていたら心が死んでいく気がする。ラチェスタなら、リュシュカがそう思うことくらいわかりそうなものなのに。やっぱりあとでちゃんと言っておこう。


 奥の扉からたまに人が中庭に出ていく。

 男女二人で出ていったり、食べ過ぎてひとりで風に当たりにいくような男性もいた。

 リュシュカも中庭に出てみたいと思ったけれど、よく考えたらそれは禁止項目にされていた。

 ラチェスタは仕事をしながらもずっとさりげなくリュシュカの動きに目を光らせ続けている。アレに気づかれずに移動するのは難しい。


 今日は三馬鹿トリオも警邏の手伝いでどこかに来ているはずだ。

 探しにいこうかとも思ったけれど、仕事の邪魔をするのは気が引ける。三人とも、警邏で王国騎士団と混ざって働けることに張り切っていた。


 結局リュシュカは広間を見渡し、壁際の大きな柱の陰に立った。ここならばかなりの場所から死角になるので、人目につかずにやりすごせるかもしれない。


 目算はある程度身を結び、そこからはやたらと話しかけられることはなくなった。そういえば、こういう位置取りは爺ちゃんじゃなくて、クラングランといた頃教わったことだった。


 屋内の白い壁には、どこからでも見えるくらい巨大な時計が飾りのように備えられていたが、さっきからまったく動いていない気がした。


 人がたくさんいる。

 でも、ひとりでいる時よりも孤独を感じている。

 リュシュカはこんな孤独を爺ちゃんが死ぬまでは一度も感じたことがなかった。自分にとってのたったひとりがいれば、感じることのない孤独だ。


 さっきから時間は緩慢にしか進まない。


 ぼんやりと広間の時計を眺めて、爺ちゃんとの暮らしをうっすら思い出して反芻する。そのあとはクラングランとの旅を思い返す。


 そうしてじっと足元だけを見て、夜のしじまを抜けていく夜会の音だけを聞いていた。


 歓談の声。笑い声。演奏の音。

 誰か有名な人が来たんだろうか、女性たちの小さな歓声が広間のどこかで聞こえる。


 足元をじっとひたすら見て時間をつぶす。こつこつと、男の足が近づいてきていた。リュシュカの目の前でピタリと止まる。


「一曲どうですか?」


「踊れませんの」


 そちらを見もせずにすぐに返した。

 簡略化してだいぶ雑になった返事には、すぐにまた言葉が返される。


「……だろうな。だと思った」


 なんて失礼な奴なんだと驚いた。

 いや、この失礼さにも、声にも覚えがある。

 顔を上げると、そこには見知った美麗な顔があった。


「……っ、あ……わわ……!」


「相変わらずだな。リュシュカ」


 クラングランだ。


 彼も夜会に相応しい正装して、前髪も上げている。その通った鼻筋も、整った輪郭も、強い光を宿した翡翠色の瞳も、まぎれもなくクラングランのもので、心が一気に天井まで浮き上がる。


「クラングラン……」


「ああ」


「クラングラン……! クラングランだ!」


 本当に……生きていた!

 あまりに嬉しくて大きな声が出た。たぶん、淑女のマナーからは著しく外れているが、構いはしない。


 嬉しくて見つめる。

 白地に金で縁取られた詰襟型のジャケットの前はラフに開けられていて、黒のクラバットのついた黒いシャツが覗いている。あまり王子らしくない組み合わせだが、美しさの中に野性味のある彼によく似合っている。妙な色気を醸し出していた。

 会わない間に少しだけ大人っぽさが増した気がする。


「クラングラン、すごい格好いいね!」


 雑な旅人の服も似合ってしまうクラングランだったが、正装で決めてるともう完全無欠だった。今思えば、リュシュカが先ほど聞いた女性たちの小さな歓声も、彼への賞賛だったのだろう。


「ああ、腐るほど言われてきてる」


 相変わらずクラングランらしい物言いに笑う。

 でも、すました笑顔でありがとうなんて言われるよりはよほどいい。


「お前も似合っているな」


「えへへ、驚いた?!」


「いや、前からちゃんとした格好をすればかなり目を惹く仕上がりになるだろうとは思っていた」


「なんだなんだ。すごく遠くからものを言うね……もうちょっと、近くからお願い」


「わかったよ……」


 クラングランは咳払いしたあと言い直す。


「……思っていた通り、すごく綺麗だ」


「へへ……ありがとう。嬉しい」


 言わせた感満載だが、嬉しいので気にしない。


「……クラングラン、会えて嬉しい」


「ああ」


「ほんとに……すごくすごく……会いたかった」


 あまりに素直なリュシュカに、瞬間、クラングランの瞳が揺れた。


 クラングランは周囲に視線をやる。何人かの集団がちらちらとこちらを見ていた。彼はリュシュカに顔を近づけて言う。


「ここに揃ってると人目につく。少し抜けないか?」


「抜けるっても……どこに? あ、中庭?」


「いや、そっちじゃなくて、あっちから裏庭のほうに出れる」


「でもわたしには鋼鉄のお目付役が……」


「撒けばいいだろ」


 クラングランはニッと笑った。




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