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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第二章 新しい生活
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淑女教育(1)


 夜会に向けての淑女教育は、当初ラチェスタが厳しく決めた『淑女の立ち居振る舞い』が細かに設定されていた。

 しかし、日が経つにつれその目標ラインは少しずつ下げられたものが追加されていった。


 ラチェスタがリュシュカを見て現実的に考えた結果、妥協していったのだ。


 リュシュカの部屋にはラチェスタが書いた紙が貼られている。


 歩く時は歩幅を小さく。笑う時は口元を隠して。座る時の所作、礼の仕方などの文言がずらりと並ぶその下に新しい項目が追加されている。


 言葉使いは丁寧に。大声は出さない。

 食べる時は大口を開けない。

 すぐカッとなって怒らない。

 ゲラゲラ笑わない。


 これらは『淑女の立ち居振る舞い』とは少し違う、だいぶ目標ラインの下げられた『最低限の女性の嗜み』だ。


 それから、夜会中の禁止項目としても、

 ドレスで暴れない。

 手袋を投げつけない。

 中庭の樹には絶対登らない。そもそも中庭には出ない。

 物を壊さない。

 食べ過ぎない。また、食べ過ぎてもその場で寝ない。

 ダンスの最中相手を蹴らない。


 など、『良識的かつ常識的な人間の嗜み』の項目が追加で増やされていった。追加項目はラチェスタの手書きだったが、その字も若干荒れていっている。


 追加項目は日々、増え続けている。


 夜会の日が一週間後に迫ったある晩、ラチェスタの執務室で使用人頭のテレサがラチェスタに進言していた。


「お嬢様をこのまま出席させては、ラチェスタ様の今後のお仕事の進退評価に関わります。夜会の出席は次回に持ち越しては……?」


 ラチェスタは椅子に座ったまま、顎に手をやり答える。


「それは、テレサの意見ですか?」


「……え、ええ。そうです」


 テレサは曖昧に笑って言うが、ラチェスタは表情ひとつ変えずに言った。


「──リュシュカ、そこにいますね。欠席はしませんよ」


 リュシュカは動揺して、隠れて覗いていた棚の中でガタンと音を立ててしまった。


「それから、使用人に自分の悪口を言わせるのは感心しませんね。テレサも……リュシュカに甘すぎますよ」


「申し訳ありません……つい……」


「テレサは悪くないよ!」


 テレサが怒られては大変だとリュシュカは飛び出してかばうように前に出た。出た瞬間、勢いがよすぎて棚の扉は壊れた。


「あ……ごめん」


『棚に勝手に隠れない』あるいは『棚の戸を壊さない』の項目が増やされるかもしれない。


 テレサが困ったように微笑み、ラチェスタも呆れた息を吐いた。


「ラチェスタ……あの、棚」


「そのままにしておいてください。くれぐれも自分で直そうなどと考えないでくださいね」


 リュシュカはしょぼくれて「はい」と返事した。


「それから、いい加減無駄な抵抗はやめなさい。貴方の出席はもう決定されたことです。出ないと後々後悔することになりますよ」


「するわけないのに! 馬鹿!」


「もう少し大人を敬う心を養うカリキュラムを組むべきですかね……」


「ひ、ひぃ」


 心なしかラチェスタまで退行していっている。

 リュシュカには人をガキくさくさせる才能があるのだろうか。そういえば似たことはクラングランにも言われたことあった。ほんの少し気をつけよう……。


「今回の夜会は美瞑館と呼ばれる王城近くの会場が使われます。こちらは著名な建築家のゼノンが設計したもので、細部に意匠が施された歴史的な建築です。さらに、夜会当日には国随一の料理人が料理を振る舞い、国のトップの楽団が演奏をし、多くの来賓が訪れる大きな催しです。一流の食事、一流の音楽、そういったものに触れるのは貴方の情操教育としても有益なことかと……」


 ラチェスタは出席の必要性をくどくどくどくど説いてくる。

 リュシュカからしたら、そこら辺の木の実でも食べながら波の音でも聞いてるほうがよほど有益な時間なのだが。そのへんは価値観の相違だろう。


 夜会の日は目前に迫っていた。

 すでに、ドレスも靴も装飾品も問題なく仕上がっている。

 ただ、リュシュカ自身の準備だけがまったく整っていない。


 しかしこの頃になるとようやくリュシュカも欠席させてもらうのは無理かもしれないと思い始めてきていた。仕方ない。出るのだからほんの少しでも前向きに準備を進めるべきかもしれない。


 リュシュカは翌朝使用人宿舎を訪ねた。

 宿舎は敷地内に四つほどあるが、一番手前に護衛騎士の使う建物がある。


 目下一番の課題はダンスだろう。ほかと違ってごまかしがききにくい。

 これは数日に一度ラチェスタの知り合いに来てもらって教わっているため、練習頻度も低かった。ラチェスタもリュシュカの覚えがよくないのを見て危惧したのか、使用人で踊れる人間を使っての自主練が推奨されていた。ただ、それもちょうどいい相手がなかなかいないのだ。


 三馬鹿兄弟は建物前に三人で溜まっていることが多い。しかし、その日はヨルイドとスノウの姿しかなかった。


「ミュランいる?」


 聞くとヨルイドがさっと目を逸らして首を横に振り、スノウが宿舎の建物のほうを見た。


「なんだー、ダンスの練習付き合ってもらおうと思ったのに……」


 ぼやきながらスノウの視線を追うと、建物の陰に隠れているミュランと目が合った。


「ミュラン! なんでそんなとこ隠れてんの!」


「うわぁ! もう嫌だよ! リュシュカが蹴りまくるから俺の足アザだらけなんだから!」


「べつに蹴ろうとしてるわけじゃないんだよ。あたっちゃうだけで……わたしに打撃センスがないことはスノウがよく知ってるから」


 スノウがこくりと頷いた。


「足だけならともかく……この間は大事なところ蹴り上げられたからもうやらない……!」


「それはごめんよ……」


 おまけに前回は、男性の局所を蹴り上げ、触れてしまったのだと理解したリュシュカが驚き悲鳴を上げてミュランの顔に繰り出した掌底も、珍しくクリーンヒットしてしまった。


 スノウが頭をかきながら言う。


「リュシュカは反射神経も悪くない。相手の動きに合わせて動くこともできるはずだよ。できないのは嫌悪の感情が前に出過ぎてるから」


「嫌悪って……! スノウ! 俺にひどいこと言うなよ!」


 ミュランが嘆く。


「あ、いや、ダンスに対する嫌悪ね。あそこまで嫌々やっててうまく踊れるはずがないよ」


 確かに、いつも嫌だ嫌だと思いながらやっている。不本意なことをやらされてる怒りでムカムカしながらの練習だった。一応やろうとはしているのに、頭のどこかに、こんなもん覚えてなどやるかと憤慨してる自分がいるのだ。


「うーん……俺が付き合うか?」


 決死の表情でヨルイドが聞いてくる。

 ヨルイドも一応は踊れるし、前に一度だけ練習させてもらったことがある。


「ごめん……ヨルイドはリズム感ないから……その……こっちまで狂う」


「そうか……! そんな気はしていたぞ!」


「スノウはまったく踊れないしねぇ……」


 ミュランが思案顔で言ってスノウを見る。


「そもそもパートナーがいるわけでもないんだし……ダンスに誘われたからって断ってもいいんでしょ? もう、踊りを覚えるより、踊らないですむ方法を考えたほうがいいんじゃない?」


「さっすがスノウ! そうかも! そうだよ!」


 リュシュカは手を叩いて同意した。

 しかし、スノウは突然手のひらを返した。


「……いや、もう少し頑張ろう」


 ヨルイドも当然立ち上がって拳を握る。


「そうだぞリュシュカ! 踊りくらいなんだ! もう少し頑張れ!」

「お、俺も、ダンスはちゃんと頑張ったほうがいいと思うよ〜!」


 ミュランまで……こいつら、突然どうしたんだ……。

 振り向くとラチェスタがそこにいた。


「よーし! ダンス頑張るぞー!」


 リュシュカも空々しい声を出した。

 ラチェスタはしらっとした顔で言う。


「リュシュカ、少し出かけますよ」


「あ、いってらっしゃい……」


「いえ、今日は貴方にも同行してもらいます」


「えー、ダンスの練習しようかと思ってたんだけど」


「そちらも兼ねたものになりそうです。すぐに支度をしてください」


「……え?」


 珍しくラチェスタにお出かけに連れ出されることになった。




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