謁見(2)
リュシュカは翌日も同じ時間、同じ部屋に、王に呼び出された。
これにはラチェスタが困惑を示した。断るわけにはいかないが、予定と違うことが起こっていることに警戒している。
「リュシュカ、貴方は昨日一体何をしたんですか?」
「なんもしてないよ……ただ、話をしただけ」
「念のため確認しますが、王位継承に関わること
は?」
ラチェスタは知っているであろうことをわざわざ確認した。
王も、その権力もまだ健在だが、そのエネルギーは荒々しかった全盛期とは程遠い。そしてこれから先、衰えていくことは確実だ。
そう遠くない日に訪れるであろう“その時“に向かって、ソロンとイオラスの水面下での継承争いはいよいよひりついているらしい。
ソロンとイオラス、両者の母親、その親類、兄妹、それと繋がる人間たち、評議会、騎士団、派閥に属する人間。彼ら以外にも不本意に継承権を外された王子や姫は多くいる。
あまりリュシュカの知るところではないが、多くの人間関係が複雑に絡み合い、水面下では危険な牽制が続いている。ラチェスタはちょっとしたことで危害が及ぶ可能性を懸念しているのだろう。
「わたしはエルヴァスカの王座には興味がない。それは王も知っているし確認済みだよ」
「……承知しました。呼ばれた理由に心当たりは?」
「ある……けど、大したことじゃない」
「要件は一体何ですか?」
「あ、それは今度かな。もう時間だから行くね」
リュシュカは長い廊下を小さく駆け出した。
王に呼ばれた理由には気づいていた。
昨日していた話は、いいところで謁見終了時間が来たのだ。
開けるのも一苦労な重く大きな扉の中に入っていく。
王はリュシュカが部屋に来たのに気づくと、すぐに言った。
「家を出たあと、猪に襲われたところからだ」
「……うん」
リュシュカは小さくふふっと笑った。王が思いのほか続きを楽しみにしていたようなので、嬉しくなった。
リュシュカは昨日とまったく同じ椅子に座り、続きを話し出した。
昨日から、爺ちゃんと暮らしていた時のことを手当たり次第、とりとめもなく話している。
山で暮らしていた頃の話、爺ちゃんと行ったたくさんの国の話、特においしかったものの話。山に行って一緒に罠を仕掛けた時の話。
王が話に口を挟むことはほとんどない。質問もしない。彼はただ、聞いている。相槌すらほとんどないのに、意識がしっかりと話に向けられているのはわかる。
王はことさら楽しそうに聞いているようには見えなかったが、翌日にはまた呼ばれ、話の続きを催促される。その繰り返しだった。
リュシュカは何日か、午後の時間に王の居室へと通った。途中からはラチェスタの付き添いもなく、前日と同じ時間にふらっとそこに行く。
王は必ずその時間に部屋にいたし、会話をしようともしない。リュシュカのくだらない話以外のものを要求することはなかった。
それは、静かな時間だった。
午後の日射しは柔らかく、合間には鳥の声ひとつ聞こえず、リュシュカの話し声だけが部屋に響く。
リュシュカは爺ちゃんとの話があらかたなくなると、クラングランとの冒険の話もした。ラチェスタの屋敷を家出したことも話した。
王はほんの時々だけれど、ふっと笑うこともあった。
一日に一時間だけ呼ばれる時間を、リュシュカはそうやって過ごしていた。
何かを得るためにしていたわけではなく、また、命令されたから仕方なくしていたわけでもない。
最初に抱いていた王に対する恐怖はなくなり、そこには確実に、彼との新しい人間関係が生まれていた。
エルヴァスカ王との謁見は六日間続いた。
王は以前と比べて出歩くことは減っていたが、それでも毎日玉座に座り、多くの決断を続けている。べつに暇なわけではない。それでもなおリュシュカを呼ぶのはおそらく、自分に残された時間がさほど多くはないと感じているからだろう。
そうして七日目に、王はふつりと終わりを告げた。
「明日からは来なくていい。さすがにこれ以上お前を呼ぶと、面倒ごとになりそうだ」
王の言葉を少し意外に思う。
そういうの、ちょっとは気にしてくれていたのか。いや、もしかしたら気にしてくれるようになったのかもしれない。
「わかった。じゃあ、明日からは来ない」
リュシュカは部屋を出ようと立ち上がる。
いつもと同じように出ようとしたけれど、ふいに、これが最後なのだと思って動きを止める。
「一回くらい、お父様……とか呼ぶ?」
王は面食らったような顔をした。
唐突に彼の人間の表情が出たので、逆にリュシュカのほうが驚いてしまう。
「お前は確かに私の娘だし、顔も似ているが……」
「うん……」
「なぜだかそんな気はまるでしないな」
不思議なことに、その返答で逆に血縁を感じてしまう。
「ゾマドを特例で後見人にしてやった時点で、お前のことはあいつにやったんだ。好きに生きろ」
「うん。そうするよ」
リュシュカは少しためらったけれど、手を伸ばす。
別れの抱擁をするほどの距離感にはなかったけれど、王との間には確実に小さな何かが生まれている。
けれど、リュシュカが伸ばした手を王が取ることはなかった。ただ、人間臭い顔で笑った。
「余計な気を遣うな……もう行け」
「うん」
「次にお前が私と会うのは、私が死んだ時だ」
リュシュカはそっと重い扉を出て、ゆっくりと閉めた。
出た瞬間に、今までのことがすべて白昼夢のように感じられる。
ラチェスタがそこに立って待っていた。
「お疲れ様でした。王から今日まで、と伺っております」
「うん……そう言われた」
リュシュカはラチェスタと共に城の長い廊下を歩く。その時初めて、毎日、王に何を話していたかを報告した。
ラチェスタは静かに聞いていたけれど、ふいに立ち止まる。
「あの方はおそらく生まれながらにして王たる器を持ち、前だけを見て修羅を進んでこられた方ですから……王として多くのものを得ながら、同時に自分が得られたかもしれない多くのものも全て犠牲にしていたでしょう」
王は普通の人間が一生得ることができない富も名誉も、権力も全て持っていた。
けれど、市井に普通に暮らしている一部の者が持っているもの。
親に愛されて育ち、兄弟とはしゃぎ、友人を持ち、結婚をして家族を作り、親に与えられたように、子を愛して育てていく。
そんなものはひとつとして持っていなかった。
一度として得ることはなかった。
リュシュカが爺ちゃんからたくさん与えられたもの。
笑って、泣いて、話して、時に穏やかな気持ちになったり、苛立って怒ったのにあとで後悔したり、そんな、家族との何もかもを、あの王は持ったことがない。
「貴方との時間は、あの方にとって晩年に、生まれて初めて与えられた“ただ家族と過ごす時間“だったのかもしれません」
リュシュカと王の不思議な逢瀬は七日目で終わり、それ以降は本当に呼ばれることはなくなった。




