再教育(1)
戻った自分の部屋の中にはすでに腕組みをして足を組んだラチェスタが待ち構えていた。
「ひぇっ」
その威圧感に思わず素直な悲鳴を上げたリュシュカを誰が責められよう。
「貴方はゾマドの元で、ほどほどにすこやかに……大変大らかに育てられたようですが、色々と足りない部分が多すぎます」
すっかり背を丸めていたリュシュカだったが、爺ちゃんの教育を馬鹿にされた気がしてムッとした。
爺ちゃんは読み書きや戦術や他国の歴史、算術から自然科学、医療まで多岐にわたって教えてくれた。
まぁ、酒の味や悪戯の仕方まで教わっていたが、それは今、ラチェスタにだけは絶対に言ってはならないので置いておく。とにかく、爺ちゃんの教育が足りないはずがない。
「足りてると思う。そりゃ、魔術のほうはもう少しちゃんと教わっておけばよかったと思うけど……」
ラチェスタは首を横に振る。
「よろしいですか。貴女には圧倒的に足りてないものがあるんです。ゾマドはそこだけまったく教育を施した形跡がありません」
「えうん?」
「淑女としての教育です」
「しゅく……じょ?」
しゅくじょ……淑女ってアレでしょ。
なんか気品のある、しとやかで品があって落ち着いた大人の女性……。
リュシュカは青ざめた。
そんなものにされてしまったらつまみ食いも好きなところで昼寝をすることも景色の良さそうな木の上に登ることも、何もできなくなってしまう。
ラチェスタは遠まわしに死ねと言っているのか……!?
「い、いらない! どう考えても絶対いらないでしょ!」
淑女教育なんて、もう嫌な予感しかしない。
リュシュカはぶんぶんと激しく頭を横に振った。
「何をどう考えたのかは測りかねますが、貴方が今後ここで生き抜くために必要なことです」
「やだやだ! それならこんなとこで生き抜かなくていい! やっぱ帰りたい!」
「貴方は私の庇護下にいるからこそ今、平和と安寧を手にできていることをお忘れなく」
「き、脅迫!」
「明日から勉強と鍛錬のほかに淑女教育の時間を設けます。淑女としての行儀作法や立ち振る舞い、ダンスの練習、それが終わったら成果を見るために夜会にも出席してもらいます」
「ヤ、ヤカイ?」
「ええ、夜会です。ちょうどよく五か月後に予定されているものがあるんです。社会勉強の一環として貴方の参加を申し込みました」
「い、一応聞いてみるけど拒否は……」
「もちろん認めません」
「ラチェスタの馬鹿! 悪魔!」
「上等な食事も出ます。貴方くらいの歳頃の子なら楽しみのひとつでしょうよ」
「ラチェスタのとんま! おたんこなす!」
何か言うたびにラチェスタの大天使みたいな顔に浮かぶうっすらとした笑みは深まり、状況が悪化していくのを感じる。
「夜会は貴方にとってきっといい出会いの場になりますよ」
ラチェスタはにっこり笑って言って出ていく。その扉がしっかり閉まったのを確認してから大きく息をすうっと吸った。
「そんなわけあるかあぁ!!」
扉に向かって思い切りクッションを投げつける。
クッションは扉にぼすんと当たって頼りなく落ちた。
「リュシュカ様〜! 失礼します」
そして、ラチェスタと入れ替わりで使用人たちがぞろぞろと入ってきた。見たことのない男性と女性もいる。
「おかえりなさいませリュシュカ様!」
「無事帰ってきてくれて嬉しいです」
メリナと、侍女頭のテレサに言われて素直に頭を下げる。
「うん……心配かけてごめんなさい」
それからぱっと振り返り、窓のほうを確認する。
テレサの瞳がぎん、と光った。
「お嬢様が逃げるよ! レンス、窓の前を塞いで! メリナ、捕まえて!」
「はいっ!」
「了解です!」
「ぎ、きゃあ〜」
ラチェスタの屋敷の使用人たちは暴力的な力はないまでも、チームワークが異様にいい。あっという間に捕獲された。
「リュシュカ様〜! 逃げたら駄目ですよう!」
野蛮な輩に拘束されていればリュシュカだって暴れて振り解こうとするが、にこにこしたメリナに抱きつかれているのを乱暴に振り解くことはできない。
「なに、なに、なんかしようとしてるでしょ?! その人たち誰?」
「怖がることはございませんよ! こちらは評判の仕立て屋と助手の方です。綺麗なドレスを作るために来ていただいたんですから!」
テレサがにーっと笑って言う。
なぜか恐怖を感じた。
簡易な衝立が置かれて仕立て屋の助手らしき女性がリュシュカの採寸を始める。そのすぐ近くで布を囲んだ使用人たちが話し合いを始める。
「まず、お色を決めましょう」
「リュシュカ様は黒がお似合いなのでは!」
「でもさすがに黒は差し色程度にしないとねぇ」
「リュシュカ様、どんなお色がお好みです?」
「ど、どれでもよくない……?」
「あっ、私はこのお色がいいと思いますけど!」
「あら、いいじゃない! 華やかだわ!」
「あ〜でもこっちも捨てがたいです!」
「なら五つくらいに厳選して、その中からお嬢様に選んでもらいましょう!」
テレサとメリナでどんどん話が進んでいく。リュシュカは死んだ顔で採寸された。
それから衝立から出ると、ドヤ顔の使用人たちの前に何種類かの生地が並んでいるのをうつろに見つめる。二秒後にはパッと目に入った艶のある翡翠色の生地を適当に指さして選んだ。
しかし、採寸が終わり生地を選んだあとは装飾品も靴も、それから髪型も決めなければならない。そのひとつひとつにあーだこーだと複数で意見を出し合っているのだ。なかなか終わらない。
「落ち着いた感じで少しでも中身を隠していくべきです!」
「でもこれ、こっちの、絶対可愛くなると思うんですう!」
気づけばリュシュカそっちのけで場は白熱していた。自分のですらどうでもいいのに……よくもまあ人の着るドレスなんかにここまで熱くなれるものだ。
「ねぇ、まだ終わらないの? 一日しか着ないものにそこまでこだわらなくてもよくない?」
リュシュカの言葉に、テレサは恐ろしい形相で言う。
「一日しか着ないからこそ全身全霊をかけて挑むのですよ!」
「ひっ」
「お嬢様の仕上がりはこの屋敷の沽券に関わりますからね! 普段のようにされたら台なしですから所作もしーっかり鍛錬させていただきますよ!」
「ひいぃっ」
悲鳴を上げて救いを求めるようにメリナのほうを見た。メリナの目はキラキラ輝いている。
「リュシュカ様は黙ってさえいればお人形のようなんですから! 絶対絶対、海よりも虹よりも夜空よりも素敵になりますよ! 黙っててくださいね!」
「うわぁん!」
リュシュカはそのまま再び遠い目をして永劫にも感じる長い時間を耐えた。
髪型を決めるため、メリナがリュシュカの頭をいじくりまわしている最中に初老の執事、アドニスがニコニコしながら入ってきた。
「リュシュカ様、よろしいですか?」
「え? なに?」
「こちら、明日からのスケジュールです。旦那様が先に確認をと」
差し出された紙に眉根を寄せ、口を尖らせながらまじまじと覗き込む。
相変わらず勉強だの体術だのが並んでいるそこに、淑女教育のメニューまで追加されていた。
げんなりしながらため息を吐いたあと、細部に視線を滑らせる。
リュシュカは「あ、あれ!?」と声を上げた。
よく見ると時間の割り方自体が大きく変更されている。
そこには休憩時間が細かく組みこまれ、大幅に増量されていた。休日も七日に一度から五日に一度になっている。
リュシュカは膝をついて崩れ落ちた。
「リュシュカ様! どうなさったんですか!」
「メ、メリナ、テレサ! これ見て……見てぇ! い、いっぱい自由時間ある! ラチェスタが……増やしてくれたぁ……!」
おうおうと咽び泣きながら周りに言う。
「あらあら、あの旦那様が……!」
「リュシュカ様……よかったですね!」
リュシュカが大喜びして、周りの使用人たちも一緒に歓声を上げた。
それは、完璧主義のラチェスタが人間というものに気づき、リュシュカに譲歩した最初の瞬間だった。




