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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第二章 新しい生活
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大脱走(1)


 リュシュカが脱走したのはラチェスタの屋敷に来て三十日目のことだった。


 夜明け前に起きてすぐ、天啓のように思ったのだ。


 自分の家に帰ろう。


 ラチェスタが特例後見人になったのだから、きっともうあんなところに誰も来ない。それに、後見人と一緒に住まなければならないということはないだろう。こんなところでギチギチに管理される生活にはこりごりだ。


 見つからずに国をひとつ越えた経験が妙な自信になっていたのかもしれない。逃げられる気がしていた。


 けれど、その時の逃亡はひとりではなかった。

 あの時クラングランがいなければ、リュシュカはあっけなく目玉を取られるか、別の人間にさらわれていたのかもしれない。


 ラチェスタの屋敷を出て市街地に入ったリュシュカが見つかるまでは早かった。


 動きやすい旅人の服を買って着替え、店を出ると見慣れた三人組が外にいた。


「リュシュカみっけー!」


「ええええええ!」


 ヨルイド、ミュラン、スノウの三人だった。

 そういえばこいつらには以前も見つかっていた。

 普段はお間抜けだし、ほかの護衛騎士たちと違ってふざけているように見えるが、ラチェスタが雇ったわけだし、やはりすごかったのかもしれない。


 ヨルイドが得意げに言う。


「はっはっはー! ミュランは剣の腕も大したことないし、さほど頼りにもならないが……目がよくて人を見つけるのは異様にうまいんだ!」


「なんか……あまり褒められている気がしないなぁ」


「わたしはあんなとこ帰らないよ!」


「いやいや、連れて帰るのが俺らのお仕事だもーん」


 へらりと言ったミュランをキッと睨みつける。


「あんたらは確か、女の子を酷い目に遭わせる奴のところに届けるのは信条に反するって言ってたよね」


「え、ああ……うん」


「なら、あんな酷いところに強引につれ戻すなんてしないよね?」


「い、いやぁ、酷いって言ってもさ……」


「わたしはあんたらと違って給金もらってるわけじゃないんだ。それなのに自由を奪われてる」


 リュシュカの意外な剣幕の強さに、三人はややたじろいだ顔をした。


「い、いや、でもラチェスタ様の屋敷はだな……!」


「うん、なに?」


 ヨルイドが拳を握り力強く言う。どんなフォローがくるのか黙って聞いていた。


「飯がうまい……!」


「あとは?」と言ってほかの二人を見る。


「そうだな。飯うまいよな〜」

「うん、飯がうまいよ」


「ご飯以外にないの?!」


「いや、俺の経験則によるとそれが一番大事だ。あの人はそれをわかっているから料理人の質が異様に高いんだよ!」


「残念。わたしが一番大事にしてるのは自由なんだ。おいしいものは二番目に好きだけど、一番が犠牲になるならいらない! さらばだ!」


「あっ、リュシュカ、どこ行くんだよ!」


 リュシュカはさっさと歩き出す。

 ちらりと振り返ると三人は少し遅れてついてきている。


 撒いてやろう。

 リュシュカは建物と建物の隙間の細い通りに入り、一気に反対側の太い通りに駆け抜けた。そこからあたりを見まわして、積まれている木箱の裏に隠れた。


 ヨルイドとミュランが走ってきて、キョロキョロしてから通りの二手に別れた。


 リュシュカはそれを見届けてから、そろそろと来た道を引き返した。


 元いた通りに出ると、壁に寄りかかって立っていたスノウが「おつかれ」と言う。くそ。三対一だと分が悪い。


「リュシュカさぁ……出ていって、行くとこあるの?」


「家に帰るんだよ」


「家って? 身寄りがないからラチェスタ様が後見人になったんじゃないの?」


「爺ちゃんがいなくても……あそこはわたしの家だもん……」


「ならそう言って、許可をもらえばいい」


「あそこで暮らす許可が出るわけないよ」


「無理なら無理な理由があるでしょ」


「そんなの……わかってるよ!」


 リュシュカが家に帰れない理由はひとえに“安全のため“だろう。なぜだかわからないけれど、生きているだけで悪い奴に利用される星の元に生まれてしまったからだ。


「それでもわたしは、爺ちゃんと暮らした家に帰りたいんだよ!」


「帰ってももういないのに?」


「うるさい! 身寄りが誰もいなくなったわたしの気持ちはスノウにはわかんないよ!」


「なんで? 親がいないのは俺らだって変わらない」


「全然違うよ! あんたたちにはずっとお互いが……本物の兄弟みたいな親友がいるじゃないか!」


 スノウは目を見開いて、言葉に詰まった。


 リュシュカはまた歩き出した。


 爺ちゃんは親代わりになって育ててくれた。だが、爺ちゃんと比べて歳の近いラチェスタに親代わりは難しいのだろう。ラチェスタは無機質な“あるべき教育“を与えようとしている。そう感じられる。


 それに、そもそもラチェスタは爺ちゃんに頼まれたから仕方なくリュシュカの面倒を見ているだけだ。


 ラチェスタの屋敷の人間は優しくしてくれるけれど、それは仕事だ。三馬鹿が連れ戻そうとしてくるのも仕事。


 義務。仕事。

 リュシュカには“そうじゃない“人間関係がひとつもない。

 あるいはラチェスタの中に、ひとかけらでも“そうじゃない“部分が見えたならもう少し違ったかもしれない。けれど、彼はああいう人だ。それを期待するような相手じゃない。


 人がたくさんいてもひとりぼっちなら、本当にひとりぼっちで暮らしたほうがいくらかマシだ。


 振り向くとスノウの姿はもうなかった。


 さっさと辺境の家に帰ろう。

 しかし、その前に強い空腹を覚える。

 リュシュカは昼から営業している大衆酒場に入った。ご飯でも食べて帰りのルートを決めよう。


 むしゃくしゃしていたリュシュカは酒を頼んだ。

 エルヴァスカの法律では飲酒は十六歳からとされている。よく考えたらもう飲める歳だ。


 ──久しぶりに飲んでやる。


 リュシュカは実際は爺ちゃんに教えられて十二歳くらいから酒の味は知っていた。爺ちゃんはほんの少ししか飲ませてくれなかったが、自分はそこまで弱くないほうだと自負している。


 パンと煮込み。それからアニスという香草やスパイスで香りをつけているウーゾという蒸留酒の水割りを注文する。エルヴァスカではよく飲まれている酒だ。


 酒のコップを一気にあおり、半分くらいにしてからテーブルに突っ伏した。


「爺ちゃんに会いたい……」


 自然に口から言葉が溢れて、泣きそうになる。


 涙を飲み込むように、パンを付属のヨーグルトソースにつけて頬張る。

 残念なことに同じものがラチェスタの屋敷のほうが数段おいしかったけれど、そんなものは自由の前には無意味だ。

 そうしていると、誰かがテーブルの近くに来る気配があった。


 今度はミュランか? それともヨルイドか? と思って顔を上げるが、全然知らない顔だった。一見穏やかそうな笑顔の男だ。


「ひとりで飲んでるんだね。よかったらご馳走するよ」


「断る」


 前髪の奥に切り傷の痕。異様なまでの笑顔の瞳は虫みたいでどこか胡乱だ。一目見てこれは悪いことをたくさんしてきている顔だなと思う。

 リュシュカは汚いものを見たように目を逸らし、また酒をあおり言う。


「家出娘を捕まえて騙して売春宿に売り払う犯罪者。それとも路地裏で輪姦まわして捨ててく犯罪者。お前はどっちだ?」


 男の顔が気色ばんだ。


「さっさとどっかに消えろ」


「……っ、ずいぶんな物言いするなぁ、このガキ」


 男がリュシュカの手首を掴もうとしてくる。その顔に残りの酒をぶっかけた。


「っ、この野郎!」


 憤慨した顔でまた捕まえようとするのを避けると、男はテーブルに激突した。


「このガキ! 表に出ろ!」


 男がリュシュカの顔に腕を振り上げた時、その腕を背後から掴む者がいた。


「俺たちの連れだ……何か用か」


 ヨルイド、ミュラン、スノウの三人がそこに揃っていた。

 だいぶ体格のいいヨルイドが低い声を出して、ミュランも何やら懸命に悪い顔をしてみせている。男は罵倒の言葉を吐いて逃げていった。


「まー、リュシュカは機転が効くから、あれくらいならひとりでどうにかできただろうし、余計なお世話だったかもだけどねー」


 男の背を見送ったミュランがニコニコしながら言う。


 リュシュカはぶすったれた顔で言う。


「……ありがとう」


「飲むなら俺らも付き合うよ。座ってもいい?」


「……いいよ」


 答えると三人が同じテーブルに座った。



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