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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第二章 新しい生活
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日々修行(3)


 修行は続く。毎日続く。どこまでも続く。


 勉強はリュシュカの基礎教養がラチェスタの思った以上に高かったので、より専門性の高いものを教えられる教師に変えられた。つまり、難しくなった。


 基礎体力の低さや体術はラチェスタの思った以上にできていなかったので、運動の時間は盛り盛りに増やされた。


 リュシュカは魔術のコントロールをできるようになりたいと、その手助けを頼んだ。これらのメニューはそのリクエストに対する返答であるから、文句は言いにくい。


 しかし、いくらやっても肝心の魔術の実践練習はない。

 リュシュカの魔力量は爺ちゃんが雑に見積もったもので山ひとつ吹き飛ばす危険域なので、容易にできないのはわかる。

 リュシュカ自身も怖いのでなかなかできる気はしない。進歩が感じられないのだから余計に実践したいとは思えない。


 けれど、成果がまるで見えない修行を続けるのはとても辛い。

 だから行き場のないストレスはどんどん溜まっていく。


 夕食後は自由時間だったが、毎日自分の部屋に戻る頃にはへとへとで、すぐに眠ってしまう。

 休日は一応七日に一度設定されていたが、そこでも疲れ切っていて何もできずに寝てばかりいる。

 悪戯する気力を削ぐという点では効果的だが、ラチェスタへの信頼は薄れていく。


 時々、何をしているんだろうと思うことがある。

 こんな修行をしたからといって魔術がちゃんと使えるようになるかわからないし、そもそも魔術が使えるようになったからといって、それで何をする予定もない。そこには何か、大切なものが欠けている。


 たぶんきっとそれはクラングランと行った、あの最後の山道で落としてきてしまった。


 もう会えない。


 だったら、自分は何をしているんだろう。


 勉強もする。体も鍛える。

 そんなことをしても、それを使って守りたい、大切にしたい人はもういないのに。


 鬱憤は溜まる。どこまでも溜まっていく。


 夜になると急激な寂しさが心を襲う。

 一応の平和な生活が手に入って、命の危険にさらされずに毎日過ごせている。自分で洗濯しなくても清潔な衣類が何枚も用意され、毎日おいしい食事が出てくる。掃除だってしなくていい。大きなお風呂にも入れる。

 ラチェスタの屋敷の人間は親切だし、友達のように話せる相手も増えた。


 けれど、それらすべてがどこか偽物のように思えてしまうことがある。


 毎日畑で採れたものを食べて、それ以外は爺ちゃんと山に野草や木の実やきのこを取りにいく。たまに爺ちゃんが肉料理を作ってくれる。服は上等じゃないし、毎日自分で洗濯も掃除する。風呂は爺ちゃんが外に作った小さくてボロい木製のものしかない。


 それでもあの生活で、それでよかったのにと思ってしまう。


 ここはやっぱりリュシュカの家じゃない。


 けれど、そんなことを思うのは自分によくしてくれているラチェスタの屋敷の人たちに対して悪いことだ。生まれた感情に罪悪感が湧いてくる。


 それとも、疲れているからこんなことを思うだけなんだろうか。きっとそうだ。リュシュカはゆらゆらと自問自答を繰り返す。


 毎日が星の瞬きのように通り過ぎていく。

 日の境目が薄い。どこかぼんやりしている。

 さっきご飯を食べていたはずなのに、気がついた時には庭を走っていたりする。というか、走っている時に我に返ることが多いのだろう。


 溜まり切った鬱憤はもう爆発寸前だった。


 限界を感じたリュシュカはその日、ラチェスタに修行を止めてもらおうと決意した。


 夕食を終えたあと、ナプキンで口元を拭っているラチェスタに意気揚々と苦情を捲し立てる。


「だからね! あんな意味のない修行はもう全部やめてほしいんだ! そこまで根拠もないんでしょ? ぜんぜん進歩も感じられないし!」


 ラチェスタは冷静な顔で淡々と諭してくる。


「確かに、全く進歩していないようですね」


「……え?」


「ゾマドも言っていたと思いますが、貴方の問題は精神なんですよ。落ち着いて、魔力ではなく感情をコントロールするべきなんです」


「う、うん」


「ですから規則正しい生活に適度な運動、メディテーションを組み込んだ生活が一番効果的なはずなんです」


「はずって……」


 いや、もちろん理論としてはそんな感じがしなくもないし、ラチェスタの狙いはわかっている。

 けれど、体感としてはとても意味のないことをやらされてる気がするのが問題なのだ。


「ただ、貴方はまだ感情が昂りやすく、そこに進歩が見られない以上、魔術の実践練習は危険です。成果を知りたいのならまず落ち着いてものごとを考えられるようになってください」


「あの……やっぱいい。魔術使えなくていい。もう普通に過ごさせて」


「いえ、貴方は魔術のコントロール術は学んでおくべきです。後見人としてもいつ感情で発露するかわからない危険な力を放置しておくわけにはいきませんから」


「でも今のやり方が正しいかはわからないんでしょ?!」


「ええ、ですから膨大な書物を探っているところです。ただ、知力をつけること、体力を増すこと、精神を落ち着けることは貴方にとって無益なものはひとつもありませんよ」


 何が無益で何が有益かはリュシュカが決めたい。

 それに、根拠が見つかっていない以上、ラチェスタのやり方はリュシュカを使って実験結果を得ようとしているのと変わらない。それはこちらの負担が大きすぎる。その割にスケジュールがギチギチすぎる。不満はぽんぽん浮かんだ。


「じゃあ! せめて休みや自由時間を──」


 反論しようとしてラチェスタの顔を見る。

 ふっと寒気が襲った。


 ──いや、よそう。


 リュシュカは吐き出しかけた言葉を飲み込んで、結局部屋に戻ってきた。


 なんだろう……持っている気力の余剰値の桁が違いすぎる。

 あの男はおそらく、くだらないことでもいくらでも討論を続けられる心の体力を持っている。何か言えばきっと何日かけてでも、こちらがうんと頷くまで淡々と諭し続けてくるだろう。


 その時悟った。ラチェスタが政治家として恐れられているのはその知力などではない。


 まず、彼は攻撃的な対立や無駄な争いにまるで疲れを覚えない。加えて容易に苛立ったり傷ついたりもしない。

 そして冷静に敵となった他者を貶める方法を探し、しっかりと実行にうつすことができる。怒りや憎しみは持続しないが、ラチェスタのそれは怒りでも憎しみでもないのでどこまでも執念深く続けられることができる。

 それこそが彼の強さで、恐れられているところなのだ。『鋼鉄の男』と言われる由縁は感情の起伏の薄さではなく、そのメンタルの強靭さだった。


 本能的に感じる。あんなのと言い合いをしたくない。言ったらたぶん百倍になって返ってくるのが予想できる。ラチェスタもまた、別方向で爺ちゃんやクラングランと同列の人外であったのだ。


 だんだん彼の天使のような容姿が人知を超えた邪悪な生物の化身のように感じられてくる。


 リュシュカは人並みに無駄な闘いや争いに疲れを覚える。人間だから。これ以上何か言ってもこちらが疲れるだけだ。そしてそれをする気力は湧かない。ラチェスタの組んだメニューのせいですでに疲れ切っていた。


 まずい所に来てしまった。


 しかし、そのことに気づいた時にはすでにリュシュカは逃げられない鍛錬と修行の繰り返しの檻の中に押し込まれていた。


 爺ちゃんの馬鹿。


 爺ちゃんのいった通りにしたら、安全になったし、難しいことも考えなくてよくなった。いろんなものを手に入れられた。でも、リュシュカの本当に欲しかったものは、結局手に入っていない。


 清潔な衣類も、心地よい寝床も、おいしいご飯だっていらないのに。


 リュシュカの求めているのは、ただひとりを守りその人のために生きる人生だ。


 リュシュカは長く、大人は爺ちゃんしか知らなかった。彼以上に敬意を抱ける相手も、信頼を寄せられる相手もこの世界には誰もいない。


 だから彼が人生の終盤に、リュシュカの目の前で身を持ってそうしていたそれこそが、リュシュカの望む“人生“だった。



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