新生活(1)
ラチェスタの屋敷は王城にほど近い高級住宅地にあった。
パッと見て、あー豪邸だな、と思うくらいには豪邸だ。彼と共に馬車を降りると、エントランス前のポーチにはずらりと使用人が並んでいた。
「おかえりなさいませ。旦那様」
「こちらがリュシュカです。皆見知りおきなさい」
ラチェスタが使用人をひとりひとり丁寧に紹介していく。
執事、侍女頭、侍女、従僕、料理人、厩番、護衛騎士、ぞろぞろ総勢二十人以上。二人でしか暮らしたことのないリュシュカは早速不安になる。
生活ってこんなに人が必要か……? 寝て起きて食ってまた寝るだけでしょ?
眺めているとその中に知った顔を発見する。
護衛騎士の列にしれっと並んでいる三人。
黒髪のでかい男、金髪の軽薄そうな男、目つきのきつい童顔赤髪の男──
「ヨルイド、ミュラン、スノウ?!」
かつて、ラクシャの街でリュシュカをさらって閉じ込めたのに詰めが甘く、すぐ解放してくれた三人組だった。なんでこんなところにいるのだ。
ヨルイドがきりっとした顔で答える。
「俺たちは今はここで働いているんだ! よろしくだ! リュシュカ!」
「な、なんでまた……」
その質問にはミュランがへらりと答えた。
「あん時さあ、リュシュカが七人評議会のラチェスタ様が怪しいって名前出していただろ?」
「い、いや、そんなつもりでは……」
ヨルイドが重々しく頷き力強く言う。
「俺たちはあのあと、女の子の目玉をえぐらせようとする悪い奴を成敗しにここに来たんだ!」
「そしたらすぐ捕まってさぁ……」
ミュランが言って、三人はそこで顔を見合わせて恐ろしげな顔をした。一体どんな目に遭わされたのだろう。
黙っていたスノウが口を開く。
「でも、そのあと揃って雇ってもらえたんだよね……」
リュシュカは目を白黒させてラチェスタを見た。
「彼らは道中で一度貴方を捕まえていたそうですからね、なかなか能力が高いと判断しました」
「えぇ……ラチェスタの趣味よくわかんない……」
「どういう意味だ!!」
ヨルイドが憤慨した。
「それに、おかげさまで評議会の人間で誰が怪しい動きを企てていたかも、その野心も浮き彫りになりましたよ」
それだけ言うとラチェスタは使用人の紹介に戻る。
リュシュカと同じ年頃に見える、栗色の髪を一本で高く結んだ小柄な娘がぴょこんと出てきて頭を下げてきた。
「彼女は貴方の侍女のメリナです」
「はい! リュシュカ様、よ、よろしくお願いいたしますっ!」
「じ、侍女? 貴族でもないのに……そんなのいらないよ!」
ラチェスタは真顔で言う。
「貴方は貴族どころか王族なんですが……今まで辺境でムキムキの爺さんと二人だけで暮らしていたほうが異常だったんですよ」
「王族とかつい最近聞いたし、爺ちゃんが言ってるだけで違うかもしれないし」
「残念ながら貴方の出生とゾマドが特例後見人になる経緯はしっかりと記録に残っておりますから……そもそもそんな派手な黒髪と金色の目でよくいいますね。顔もそっくりですよ」
「……手当たり次第ばら撒いた種のひとつでしかないってのに」
「口の悪さはゾマド譲りですか。矯正の必要がありますね」
ラチェスタとバチバチしていると、メリナが困った顔をしてアワアワしていた。
「リュシュカ様……その……私は……」
彼女に罪はない。邪険にするのは筋違いだ。
ぐぬぬとなりつつも、彼女のほうを向いて言う。
「…………よ、よろしく、メリナ」
「わ、わぁ……はいっ! よろしくお願いします!」
きらきらした目で見つめられ、ガッと手を取られる。困ったことに、ついさっき傍若無人な王族に会ってきたばかりのリュシュカは彼女を嫌いになれる気がまるでしない。
「紹介はこれで終わりです。メリナ、リュシュカを彼女の部屋に案内してさしあげなさい」
「はい、旦那様! リュシュカ様、こちらへっ」
ラチェスタの屋敷は二階建てで、玄関から廊下から、全て天井が高く、広々していた。
メリナのあとについて通された部屋は簡素ながら清潔で陽当たりが良い。調度品も既に最低限置かれていた。
「ここです! いっぱいお掃除したんですけど……ずっと使われてなかった部屋なので、もしまだ埃などありましたら……」
「それくらい気にしない」
「あっ、私、シーツを取りに行くので、少々お待ちください!」
メリナがバタバタと出ていった。
その背を見送ってから、リュシュカは窓の外を眺める。
ここで暮らせと言われても、山暮らしのリュシュカに都心の風景はなんだかまだまだ馴染まない。暮らしていけば馴染むものなんだろうか。
開きっぱなしの扉が小さく叩かれ、見るとラチェスタがそこにいた。
「貴方の衣料品は全て新しく買い揃えます。それ以外の物で、もし辺境の家に必要なものがあれば近日中に取りにいかせますが、何かありますか?」
「……何もないよ。大事なものはひとつしかないから、ずっと持ってた」
「大事なもの……?」
ラチェスタの前にボロボロになった手紙を差し出す。
「これ、爺ちゃんが、俺が死んだら読めってこさえてた手紙」
ラチェスタが爺ちゃんとどんな関係だったのかは、リュシュカは知らない。もともと会わせたことがあったからか、遺書にも当然のように紹介もなく名前が登場していた。
「ラチェスタは、爺ちゃんとどこで会ったの?」
「お互い会う前から存在は知っておりましたので、いつの間にか知り合いでした。最初は粗野な方だと嫌厭していたのですが……気がついたら親しくなってましたよ」
「それだけで、わたしの後見人になる?」
「……順を追って全て話すと長くなり今日の予定に差し障ります。ただ、私は彼に、若い頃にしでかした取り返しのつかないような失態を埋めてもらった恩があります」
要は恩人ということらしい。
「でも、爺ちゃんはそんなことで恩を着せたりしない人だと思ってた」
「恩を返させてもらえないほうが苦しい場合もありますよ……それに、先ほども言いましたが貴方の管理は政治的にも必要なことなんです」
爺ちゃんの遺書によると、ラチェスタは行動力と狡猾さを持ちながらもひとつの勢力に寄らない、国にとって中立的かつ公平な人らしい。その人間性については『多少面倒臭えが、悪い奴じゃない』とだけ評されている。
「そうだ。これ、ラチェスタも読んでほしい」
遺書の束をラチェスタにすっと向ける。
ラチェスタの瞳がわずかに揺れた。
「貴方がそう言うなら……少しの間預らせていただきます」
「わたしはもう何回も読んだから、いつでもいいよ。時間かかるだろうし」
「そうですね。なかなか分量はありますが、これくらいなら数時間あれば……」
「爺ちゃんの字の汚さを舐めないほうがいい」
そう言われてラチェスタは中身をぺらりと覗く。
「……なるほどわかりました。これは時間がきちんとある時に読ませてもらいます。私はひとまずこれから仕事に戻ります。夕食を用意させますが、お好きなものや食べられないものは?」
「なんでも食べる。好き嫌いはない」
「そう伝えておきます。では」
「あ、待って」
ラチェスタが出ていこうとした背中を呼び止める。
「なんでしょう」
「……ク、クラングランは、元気かな」
「セシフィールの王子がお元気かどうかはわかりかねますが、死んではおりませんよ」
「そう……ならいいや」
静かに扉が閉められた。
しばらくぽつんと立ち尽くしていると、バタバタと音が聞こえ、シーツを抱えたメリナが飛び込んでくる。
「リュシュカ様……あ、あの、こちらのシーツとこちらのシーツ、どちらがお好みですか」
「え?」
「私はこちらが通気性がよくて、かつ温かいと思うんですけど、こちらのデザインのほうが断然お洒落じゃないですか? 迷ってしまいまして……」
そんなの、どっちでもいいのに……。
リュシュカはため息を吐いてメリナの持ってきたシーツを見て、目を見開いた。
「…………た、確かに! これは迷うわ!」
「そ、そう思いますよね!」
王城にほど近い豪奢な屋敷でリュシュカの新しい生活が始まろうとしていた。




