ラチェスタ(2)
エルヴァスカへの帰還後、王城にあるラチェスタの執務室にてすぐに書面が交わされ、そこに王の印を得ることでラチェスタが正式に特例後見人を引き継ぐこととなった。
「あのさ、わたしの目玉を狙ってる奴は誰だったの?」
「殺すならともかく、目玉を取る意味はあるようでさほどないですからね。とても幼稚な行動です。そちらも既に判明しております」
「そうなんだ」
「彼らの依頼者は弱冠十四才のエルヴァスカの王女、ベルテミス殿下です」
「……本当なの?」
「ええ、私が後見人でないうちは直接的に止める権利はありませんから、彼女の兄であるフーディン殿下に手をまわして婉曲に止めるように進言していましたが……結局野蛮な輩を金で使おうとした結果、手に負えなくなり、フーディン殿下が内々に処理したのが現状です」
「そっか」
「ですが……山賊と提携して目玉をえぐろうとしてくるというのはあまりに悪質ですから、私が後見人になった以上そのままお咎めなしにはしておけませんので、この部屋にお呼びしてます」
「ええ……」
さらっと言ってるけど、呼んだの?
その時、廊下からヒステリックな声が聞こえてきた。
「その件に関してはもうやめたって言ってるじゃない! どうしてお兄様はついてきてくれないの? もう終わったことなのに、わざわざ謝る必要はないでしょう!」
「おお……」
すごい。
だいぶ我儘を絵に描いたような姫のようだ。
しかし、部屋に入ってきた女の子は、ラチェスタと、隣にいるリュシュカの顔を見た途端、火に水をぶっかけられたかのように大人しくなった。
「ベルテミス殿下、ご機嫌麗しく。彼女をご存知ですね」
ベルテミスは背を丸めて俯き、小さくこくりと頷いた。
「彼女は本日付で私の庇護下に入りました。この意味はわかりますね」
ラチェスタが正式に後見人につけば、リュシュカに対する攻撃は、ラチェスタに対する攻撃と見なされ、彼を敵にまわすことになるのだ。リュシュカはまた、おいそれと手出しをできない人物へと逆戻りした。
「さて、ベルテミス殿下。貴方に一度だけ機会を与えましょう」
そこにはラチェスタが用意した長方形のテーブルがある。
彼が上にあった布を取り除けるとそこにはナイフ、スプーン、フォーク、短刀、鉤爪、錐、物騒なものがずらりと並んでいる。
ベルテミスがたじろいだ。
「いくら貴方が評議会の構成員でも、国の王女に対する暴力は許されませんよ!」
「何を言ってるんですか? 殿下、あなたはリュシュカの目をえぐりとりたかったのでしょう? せっかくそれをさせてさしあげようと、親切でお呼びしたんですよ」
「……なっ」
ベルテミスの顔色がさあっと青ざめていく。
リュシュカも白目を剥いた。
「この場は一度限りで非公式にご用意したものです。二度目はありませんが、ここであったことは決して口外しません。条件はひとつだけです」
ラチェスタはベルテミスの背後からゆっくりと近づき、その手にスプーンをそっと握らせた。
「ただ、ご自分の手でやるのです」
ベルテミスの顔は青白く、その手はブルブルと震えている。
「生きたまま目玉を抜き、たとえ出血やショックで死んだとしても、その死体の始末もすべてご自分の手でやるんです」
おいおい。何も聞いてないんだけど。
リュシュカは心中ぼやく。
そんなこと言って万が一本当にえぐられたらどうしてくれるんだ。
それでもラチェスタにはただ、彼女の目をじっと見つめて黙っていろと言われているので、それを続けている。
「その覚悟がないのなら、帰りなさい」
「……っ、はな、して!」
スプーンがカチャンと床に落ちて転がる。
「殿下。何か、言うことは?」
「ご……ごめんなさい……もうしません……」
「おや、今なら大好きなお兄様のために、えぐりとることができたのに、残念ではないんですか?」
ラチェスタは目を細めて笑う。
完璧に美しいのに、実に嫌な笑顔だなと思った。
「ごめんなさい……! もう帰して!」
「二度目はありませんよ」
ラチェスタの冷淡な声にベルテミスは涙を浮かべ、怯えた顔で逃げるように出ていった。
部屋が静かになる。
「ラチェスタさぁ……万が一があったらどうするつもりだったんだよ」
渋面で言うが、ラチェスタはしれっと答える。
「あるはずがないからそうしたんです。彼女はあなたの姿を見た途端、すでに怯えていましたから」
「なんでわたしに怯えるの。怯えたいのはこっちだってのに……」
ていうか、ラチェスタにビビってたように見えたんだけど。
「自分が残酷に殺して嬲ろうとしていた、どこか架空の相手が、肉体を持って存在する生身の人間であると認識した瞬間に、彼女の怒りは怯えに変わったんです。貴方に会わせること自体が彼女への制裁だったんですよ」
「そもそもあんな弱々しい子に……制裁なんて必要だったの?」
「ですから、弱々しいのはついさっきからです。安全な場所にいた時には自分の手を汚さずに目玉をえぐるように言った人間ですよ。大人と同じ立ち位置で悪さをするのならば無知や若さは言い訳にはなりません。だいぶ寛容にしすぎたかと思いますが、私は貴方の後見人として、責任を持って今後の抑止をしたまでです」
リュシュカはそっと外に出る。長い通路の先で、ベルテミスの声がした。誰かと話している。そっと近づいた。
ベルテミスは泣き崩れていた。
「ベルテミス、それは当然の報いだよ。彼の寛容さに感謝するんだ」
「お、お兄様……そ、そんなあ!」
ラチェスタが言ったように、リュシュカにとっても彼女は、会うまではどこか存在しない悪逆な相手でしかなかった。初めて会って憎むには実感がまだ足りない。
廊下にいた兄妹がリュシュカに気づいた。
「リュシュカ……」
彼女を許すなどという気持ちではなかったが、恨みは湧いてこない。
リュシュカは、彼女に何か声をかけようとした。
けれど、言葉は見つからない。
そして、ベルテミスはもはや怯えた目でしかリュシュカを見なかった。すぐに走って逃げていく。
残された王子がリュシュカの瞳を見てから口を開ける。
「君がリュシュカだな……」
「うん」
「すまなかった。妹はまだ子供なんだ」
「え? う、うーん」
リュシュカもついさっきまではそう思っていた。
しかし、よく考えると自分と大して歳も変わらない。それに、人にしれっとそう言われると子供だから人の目玉えぐらせていいのかよという気持ちになるから不思議だ。王族の特権意識と傲慢さを感じる。
「妹は私が王位を継げると信じているんだ。でも、どの道それはない。すでにその可能性はソロン様かイオラス様、そのどちらかに二分している」
「…………」
「あと何かひとつ……決め手があればどちらかの優先性は確実なものになる。君は存分に気をつけるといい」
王子は言いたいことだけ言うとさっさといなくなってしまった。
最初はどちらかというと寛容な気持ちだったのだが、その態度に結局腹の立つ兄妹として刻まれてしまった。王族ってアレだな。性格悪いな。
いつの間にか部屋から出てきていたラチェスタが背後にいた。
「では、王城での予定はここまでです。貴方には本日から私の屋敷に来ていただきます」
「えっ!? ラチェスタって、結婚とかしてないの?」
「適正がないのでそういった話は全てお断りしています」
ラチェスタは動じることなくきっぱりと答える。
言われてみればラチェスタに結婚なんて想像もつかない。
しかし結婚する気もないような人間が後見人を引き受けるのは少し変わっている。爺ちゃんのご威光というか、仲が良くて断れなかったのだろうというのはうっすら感じているが、昔から子供は苦手そうにしていた。責任感で受けたことに適性が伴わないということも十分あり得る。
「なんだか悪いなあ……」
「ゾマドにはそう思わなかったのですか?」
「え……」
思わなかった。爺ちゃんは物心ついたときからリュシュカの爺ちゃんだったから。家族である彼に申し訳なく思ったことはない。
けれど、言われてみれば爺ちゃんもまた元は赤の他人だったのだ。
「ラチェスタは……意地が悪い」
「まぁ、ゾマドは百も超えた余生で引き取っていますから、そこまで気にせずともよいとは思いますが」
「でも、ラチェスタはまだ若いよね」
「貴方の意思に関わらず、私が引き取らなければ様々な方面に面倒がおこります。貴方を引き取ることは私にとってはゾマドに頼まれたからのみでなく、政治的業務の一環です」
「はい」
「私が後見人であるということは、私が貴方の行動に全責任を負うということなので……くれぐれも、軽率な行動は慎むようお願いします」
「……はい」
ラチェスタは身元もはっきりしているし、敵ではないのに少し得体がしれない。




