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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第一章 落とし子でした
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旅の終わり(1)


 リュシュカとクラングランの道行も十三日目となり、ようやく国境の山道が見えてきた。


「あと少し?」


「ああ……この国境の山を越えれば、セシフィールに入れる」


「ん、あと少しなら……頑張れる」


 そう思ってリュシュカはなんとか奮起した。

 けれど山道に入り、まだ少しも行かないうちにクラングランは急に立ち止まった。ふうっと息を吐く。


「その前に、少し話がある。いいか」


「え、うん……」


 クラングランの瞳に、真剣なものを感じて少しだけ戸惑う。


 二人は山道の樹々の陰で向かい合う。


「リュシュカ、もうゾマドの遺書は読み終えているんだろう?」


「……え、うん」


 爺ちゃんの遺書は最初こそ難読だったが、ある程度書き癖を覚えてしまえば、そこまで難しくもなかった。だから合間に読み進めたそれはすでに読み終わっていた。けれど、それをなんとなく彼には言ってはいなかった。


「俺はもともと幼い頃からゾマドに憧れていて……エルヴァスカ王の落とし子であり賢人ゾマドが育てた人間を一目でも見てみたいと言う好奇心で国を出たんだ。もちろん打算的な名目は傍にあったが、それはどこか……うまくいくはずがないと思っていた」


「うん」


 それは、なんとなくだけれど、リュシュカも感じていたことだ。


「俺は……お前みたいな奴は見たことがない」


 クラングランはため息をひとつ吐いて言う。


「お前はゾマドに、“自由“で“幸せ“になれるように、全力でそうなるように育てられてきている。お前に与えられた知識も、強さも、そのためのものであって、誰かを出し抜き権威を奪い、高みに上がっていくためのものではない」


「…………」


「ゾマドは自分が得られなかった幸福をお前に全力で与えようとしていたんだろう」


 爺ちゃんは闘って、高みに上がりいろんなものを得た。けれどきっとそこに幸福を見出せなかったのだろう。リュシュカにその道を歩かせるようなことはひとつも教えなかった。

 クラングランの言っていることはリュシュカも知っていることだ。


 けれど、今彼にそれを言われると、ざわざわとした気持ちになる。


 きっと、クラングランがこれから言おうとしていることを聞きたくないからだ。


「俺も……お前は誰かに利用されたり、国同士のごたごたとは無関係に生きてほしいと思う。そのためには、やはりラチェスタのところに行ったほうがいい」


「……っ、それは前も言ったけど、ラチェスタのところに行ったからと言って……わたしが幸せかはわからないじゃない? だからわたしは自分で……」


「いや、それ以外はない。ゾマドがそうしろというのなら……それが、ゾマド亡きあとのお前が最も安全で……幸福でいられる場所のはずなんだ。お前だって本当はわかってるはずだ」


 クラングランの言いたいことはわかる。

 爺ちゃんはリュシュカよりもずっと長く生きていて、賢くて、自由であることの尊さを教えてくれていたのだから。その爺ちゃんが、リュシュカを不幸にさせようとするはずがない。

 客観的に見ればリュシュカが自分で考える場所などより、よほど間違いがないはずなのだ。


「……あと、一日も歩けばセシフィールだが……」


「うん……」


「お前が望むなら……これからラチェスタのところに送ってやってもいい」


 リュシュカはクラングランの顔を見た。

 そうして、すぐに答える。


「それは断るよ」


「……なぜだ」


「だって、そんなのクラングランに得がない」


 クラングランは眉根を寄せた。


「俺の得……?」


 リュシュカは頷く。


 もともと最初は遺書を読み、行く末を決めるまでの間、乱暴な猪人のような襲撃者たちから守ってもらうための一時的な同行のはずだった。

 いつだったか雨の日の宿でクラングランが熱を出した時「戻ってこないかと思った」とこぼしたのもリュシュカのその意図をよくわかっていたからだろう。

 だから、クラングランからしたら、いつまでも共に来ていることが解せなかったのだろう。

 あるいは、やはり目の前の危険から避けるためだけに、同行を続けているのだと思っていたのかもしれない。


 けれど、リュシュカは、爺ちゃんが育ててくれた、命と自由さでもって、自分の意思でクラングランと一緒にいた。


 クラングランと行く道行は、最初はすごく腹立たしくてよく怒っていた。

 けれど、わかりにくい優しさを可愛く思ったし、なんだかんだすごく楽しくもあったのだ。だから遺書を全部解読したあとも結局離れられなかった。

 喧嘩して、急に彼をなくしたと思ったあれもいけなかった。自分が、短い時間でクラングランと別れることがすごく嫌になっていることに気づいてしまったから。


「確かにわたしは、誰かの意思下ではなく、自分の意思で自由でありたい。そして自分が思う幸福であるべきだと、そう教育されてきている。でも、だからこそ……」


 ずっと、リュシュカにとって大切な人は爺ちゃんだけだった。爺ちゃんには守られてばかりだったけれど、もし爺ちゃんのために何かができたのなら、きっと必死にしていただろうと思う。


 クラングランはそんなリュシュカにとって、たったひとりの友達なのだ。たとえ彼のほうはそう思っていなかったとしても、リュシュカには今この世界で彼のほかに大切に思える人は誰もいない。


「わたしは、ひとりで暮らすのはいいけれど、心までひとりぼっちは嫌だ……誰かを大切に思って生きることが幸福だと思っている」


 周りに人がいるかいないかじゃない。大切に思える人がいないのが、本物の孤独なのだと、リュシュカはそう思う。


 ちょっとだけ、声が震えて滲んだ。


「わたしは……誰かを大切にしたいけど、もう爺ちゃんはいなくて……得をしてほしい人がほかにいないんだ」


 クラングランは目を丸くしてまっすぐ見てくる。


「だから……わたしを連れて帰ってほしい」


 クラングランは自分の服の端をぐしゃりと掴んだ。


「俺はお前を……見事にたぶらかしたことになるわけだ」


 クラングランはなぜだか少し傷ついた顔をしている。

 国のため。為政者として。そう言うわりに彼はまだ若く、お人好しすぎるんだろう。


「そんな言い方するのはひどいよ……友達じゃなかったの?」


 クラングランは諭すように言う。


「リュシュカ……友人は隣に立つものだ。人生をくれてやる相手じゃない」


「でも、ほかにあげれるものが何もないから、あげたいんだ……」


「ほかにいないからそう思うんだろ。お前はこの先友人ができるたびに、そいつに人生をくれてやるのか? お前には、きっと、これからもっと……」


 結局、涙がぼろぼろ溢れた。


「クラングラン……お願い……見捨てないでよ……」


「違う、逆だ。俺だって……お前みたいな奴にはこの先の人生で、二度と会えないと思ってるんだ。だから、俺はお前に……自由で……」


「そんなのいやだ……」

 

 クラングランは結局、その先の言葉を呑みこんだ。リュシュカが落ち着くのを静かに待っている。


 静かな山道に風が抜ける。

 その風の音の中に、ぱきん、という誰かが何かを踏んだような、ほんの小さな音が紛れていた。


 クラングランは驚いたように周りを見渡した。




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